道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

鴨居玲 踊り候え(東京ステーションギャラリー)

2015年06月30日 | 美術道楽

東京ステーションギャラリーで開催中の鴨居玲展に行きました。

サブタイトルには「踊り候え」とのタイトルが付されています。

 

鴨居玲は、転勤族の新聞記者の子として金沢で生まれたとされていますが、wikiによると出生届が出されず、戸籍が2つ造られるという異常な事態であったため、出生地にも誕生日にも異説があるとのことです。

ともあれ、金沢で育ち、長じて芦屋市に移り住んだようです。

 

金沢ゆかりの画家ということで、北陸新幹線開通記念で、この度回顧展が開かれております。

 

鴨居は、フランスに留学し、帰国後も再度海外へと行き、南米・パリ・ローマ・スペインを渡り歩いたそうです。

 

 

その画風は明らかに他の画家から影響を受けているものがあり、あまり安定していないようです。

例えば《1982年 私》と題する作品は、誰の目にも一見してギュスターヴ・クールベの《画家のアトリエ》をベースにした作品と分かります。キャンバスのど真ん中に描かれたキャンバスが共通のほか、画家自身、裸婦、犬などが描かれている点が共通です。しかしながら、クールベの自信に満ちた得意げな画家に比べ、鴨居玲の作品の画家は既に魂を失っているようで、目が死んでいます。キャンバスの中心に描かれたキャンバスもクールベの絵では空が広がっているのに対し、鴨居の作品では空白です。もはや画家自身には何も残されていないと訴えているようです。

 

このほか、ポール・デルヴォー風の作品もあれば、ルネ・マグリット風に絵の上部に岩が描かれている絵もありました。南米で出会った画家に影響を受けた作品もあると聞きました(本人は影響を受けたことを否定しているとのことです。)。

 

また、自画像の中には、ゴヤのロスカプリーチョスに出てくるような姿になってしまっているような作品もあります。

 

これだけ画家の画風が揺れ動いているというのも、さぞかし本人も辛かったのだと思います。鴨居は、絵に行き詰まり、何度も自殺未遂を繰り返した挙げ句、最終的にガス自殺を遂げたとのことです。

 

私には、鴨居が芦屋市に戻って描いた裸婦像(ÉTUDE(A), Étude(B))と、青い空間の中に傾きまた浮かび上がるような教会の作品が(唯一というと語弊がありますが)よいと思われました。

 


ボルドー展(国立西洋美術館)

2015年06月29日 | 美術道楽

国立西洋美術館で開催中のボルドー展に行きました。

「○○○(都市の名前)+展」というのは、どうも胡散臭い印象を受けてしまいます。

要するにその都市にかかわるものであれば、何でもOKとなってしまうのですから。また、デパートの物産展のように、物を売っているのではないかというイメージも与えます。

今回はボルドー展。ワインの展示即売会のようなイメージがありますが、果たしてどうなることら。

 

まずは国立西洋美術館のHPから開催の趣旨を引用します。

(引用始め)古代ローマ以来の伝統を誇るワインの生産と海洋貿易がもたらした富を背景に、洗練された独自の都市文化を育んできたフランス南西の港町ボルドー。大西洋のほど近く、ガロンヌ河の流れに沿って三日月のかたちに発展したことから「月の港」とも呼ばれたこの町は、18世紀に繁栄を極め、パリに100年先立って都市整備が進められ、壮麗な古典主義・新古典主義の建築が立ちならぶ景観美をつくり上げました。ボルドー市の全面的な協力を得て実現した本展は、先史時代から現代まで、ボルドーの悠久の歴史と美術を展観するものです。ドラクロワやルドン、ゴヤをはじめ、町にゆかりのある数々の画家や作品を紹介するとともに、名高い《角を持つヴィーナス(ローセルのヴィーナス)》をはじめとする貴重な考古・歴史資料から、在りし日の市民生活を物語る数々の装飾芸術品まで幅広い展示をおこないます。200点を超える多様な作品・資料を通じて、ボルドーをボルドーたらしめているワインとのつながりを道標べに、芳醇なる都市の歴史を旅します。(引用終わり)

 

全体の構成は、

プロローグ

第1章 古代のボルドー

第2章 中世から近世のボルドー

第3章 18世紀、月の都ボルドー

第4章 フランス革命からロマン主義へ

第5章 ボルドーの肖像―都市、芸術家、ワイン

エピローグ 今日のボルドー

と分かれます。

 

プロローグでは、紀元前2万5000年もの太古の《角を持つヴィーナス(ローセルのヴィーナス)》が展示されます。ラスコーの洞窟からわずかしか離れていないところから発見されたものとのことで、乳房や腹部などが強調された、いかにも多産や豊穣のイメージを盛り込んだ像という印象を受けます。

 

第1章では、ローマ帝国の時代に遡るボルドーの歴史がひもとかれます。ボルドーの歴史は、紀元前1世紀にガリア人がガロンヌ河畔に「ブルディガラ」を建設したことに始まり、古代ローマの属州アクィタニアの中心地として発展したということです。この章では、《少女の墓碑》が印象に残りました。ローマ帝国時代の裕福な商人が、自分よりも先に逝ってしまった娘を弔うために建立した墓の墓碑が展示されています。そこには、大事そうにペットのワンちゃんを抱く女の子と、何故かそのワンちゃんのしっぽが下まで低く垂れ下がり、そのしっぽを鶏がガブッとかぶりついている姿が刻まれています。きっと、ペットの犬が大好きなお嬢さんで、あるときその犬のしっぽを鶏がかみつき、家族で大笑いをしたといったエピソードがあったのでしょう。そんなエピソードをひとまとめにして墓碑にした姿を見ていますと、娘の死を悼み、生前の楽しかった出来事を墓碑に記録しようとするローマ時代の人々の親心まで伝わってくるように思います。

 

第2章では、英仏百年戦争の時代のボルドーの歴史も解説されています、ボルドーはイングランド領となり、ボルドーの紋章には英王室の紋章である3頭のライオンも描かれていたそうです。

 

第3章から次第に文物と絵画の紹介が増えます。エセーを著したモンテーニュも「法の精神」を著したモンテスキューボルドー近郊出身ということで、エセーや法の精神のノートも展示されているほか、テーブル、陶器類等の展示もあります。この章の見所は、ピエール・ナルシス・ゲランの《フェードルとイポリット》ですが、ほかにもシャルダンの絵などが音声ガイドにも載らないまま、ひっそりと展示されています。

 

第4章では、フランス革命期のボルドーの歴史が語られます。ナポレオンの経済政策(おそらくは大陸封鎖令のことと思われる)が、ボルドーの経済には大きなダメージであったので、ボルドーは王政復古を望む声が高く、ブルボン王朝の末裔の人気が高かったことなどを知りました。1830年の7月革命でシャルル10世の復古ブルボン朝が打倒され、ルイ・フィリップが王となった後も、ブルボン朝の末裔を王にと望む声がボルドーでは強かったことなどを知りました。

この章では、ペルジーノほかの《玉座の聖母子と聖ヒエロニムス、聖アウグスティヌス》、ルーベンス《聖ユストゥスの奇跡》、ドラクロワ《ライオン狩り》、ルドン《ライオン狩り》(ドラクロワの作品の模写)など、見所満載です。

 

第5章ではワインのエチケットを含め、アール・デコの作品が紹介され、ザッキンの彫刻作品まで紹介されます。

エピローグでは昔、港の倉庫であった場所が、現代造形芸術センター(CAPC)となり、さらにCAPCボルドー現代美術館へとなっているのですが、その場所において改修中にジョルジュ・ルースが制作した一連の写真が紹介され、締めくくられます。

 

 

最初の方の作品は、しっぽを噛まれたワンちゃんの作品以外にはあまり興味がわかなかったのですが、中盤から後半の途中までの作品はすごいです。ルドン、ゴヤ、ロートレックなどの作品もあります。

最初はともかく、中盤以降はゆっくりと時間をとって丁寧に見たい美術展です。

 

なお、ミュージアムショップではやはりボルドーワインを売っていました。


講演会「遺跡に見る古代エジプトの女王・王妃たち~発掘調査の現場から~」(新宿歴史博物館)

2015年06月28日 | 美術道楽

少し前のことですが、6月20日に新宿歴史博物館で開催されました「遺跡に見る古代エジプトの女王・王妃たち~発掘調査の現場から~」と題する記念講演会に参加しました。講師は近藤二郎先生(早稲田大学文学学術院教授 同大学エジプト学研究所所長)で、間もなくトーハクで「クレオパトラとエジプトの王妃展」が開催されるのを記念しての講演会です。

 

最初に古代エジプトの王朝の変遷の話を聞きました。古代エジプトといっても紀元前3000年ころの初期王朝時代からクレオパトラの活躍したプトレマイオス王朝の時代まであり、その期間は3000年ほどであり、クフ王のピラミッドが建設されたころと現代までを通してみた場合、クレオパトラはむしろ現代の方に近いといった話をしてくださいまして、古代エジプトといってもいかに時代が長いかを実感させてくれます。そういえば、私が30年も前にルクソールに行きました際にも、観光ガイドの方からラムセス2世のころの話などを聞いた後、急に「これは随分と時代がさがってアレクサンドロス大王の時代のもので・・・」といった解説を聞き、アレクサンドロス大王でも時代が下ってになるのかと思った記憶もあります。

 

以下は、その中の話の備忘録と私の感想です。

 

古代エジプトのイシス神(イージス艦の語源とのこと。)信仰は、その後のマリア信仰にも影響を与えたとのことです。エジプトには、キリスト教の中の分派であるコプト教の信者が多くいるのですが、コプト教は、主と精霊とキリストの三位一体ではなく、主とマリアとキリストの三者を崇拝しており、その考えにはイシス神信仰が大きな影響を与えたそうです。

このほか、ハトホル神が、ギリシャではアフロディーテと同一視され、さらにアフロディーテがローマではヴィーナスと同一視とされるなど、神についても共通のイメージがあったそうです。

 

ナポレオンは、アレクサンドロス大王が多くの学者を連れて東方遠征に向かった顰みに倣い、エジプト遠征に学者を連れて行ったので、軍事的には大失敗に終わったエジプト遠征も、ロゼッタ・ストーンの発見など学問的には大きな意味があったとのことです。

 

 

現代人のクレオパトラのイメージは、映画の「アントニーとクレオパトラ」のイメージに強く影響を受けているところ、映画はもちろんシェークスピアの戯曲によるもので、結局シェークスピアの戯曲に大きく支配されているといえるということです。そして、そのシェークスピアの戯曲も、ルネッサンス以降に英国に伝わった東方世界についての情報、例えばプルタルコスの《対比列伝》(クレオパトラの項目はなくても、カエサルやアントニーの項目に記載がある。)などの情報によるものだそうです。そして、そもそもシェークスピアに伝わった情報自体がローマ側からの情報でもありますので、現代に伝わるクレオパトラのイメージは本来の姿とはかけ離れてしまっている可能性もあるということです。自分も真珠を酢に解かして飲むという逸話は、信憑性に乏しいと聞いたことがありましたが、どんどん悪女に仕立てられてしまうのでしょう。

 

トーハクでの展示にとらわれない興味深いお話をうかがうことができました。

 

 


No Museum, No Life?―これからの美術館事典(東京国立近代美術館)

2015年06月24日 | 美術道楽

竹橋の国立近代美術館で開催中のNo Museum, No Life?―これからの美術館事典というタイトルの展覧会に行ってまいりました。

不思議な企画で、展示会場は、項目ごとに整理されているのですが、その項目はアルファベット順に並んでいます。例えば、architecture, archiveなどが項目として上がっています。いささか無理のある項目もありますが、各項目ごとにそれに合いそうな作品が並んでいます。項目の整理が少し変でも、作品がよければ楽しめます。

しかもうれしいことに写真撮影は基本的にオーケーです。

 

以下は私の印象に強く残った作品です。

 


トーマス・シュトゥルート《ルーヴル美術館4、パリ 1989

ルーブル美術館のテオドール・ジェリコー《メデュース号の筏》を見る観客を撮影した写真作品です。

 

 

 

フランシス・ベーコン《スフィンクス―ミュリエル・ベルチャーの肖像》

絵画を展示する際にガラス板で光を反射させて、見えにくくし、周りの景色を映り込ませるようにするのがベーコンの特徴です。

 

 

フランク・ステラ《グレー・スクランブルXII ダブル》

 

 

 

以下の3作品は、ロダンの《カレーの市民》のブロンズ像が置かれている場所、3箇所を撮影した写真作品です。うち一つは上野の国立西洋美術館です。バーゼル市立博物館の写真がなかったのは残念でした。

カンディーダ・へーファー《カレー市役所 II》

 

カンディーダ・へーファー《国立西洋美術館Ⅰ、東京》

 

カンディーダ・へーファー《パリ、ロダン美術館Ⅱ》

 

 

 

 

フォンタナ《空間概念 期待》

 

シュテファン・バルケンホール《裸体像(女)》

これは一木造りで、土台と同じ木から造られているということです。

 

 

ヌードの項目のコーナーです。

 

このほか傑作だったのは、各空間にはのぞき窓があり、そこから隣の空間を覗くことができるようになっているのですが、台に登ってその一つから見ると、隣の空間にいる若いお嬢さんと目が合いました。そのお嬢さんは、私の顔を見て大笑いです。何と失礼な人だろうと思っていたのですが、隣の空間に行き、唖然としました。ようやく事態が飲めこみました。そちら側から見ると、さっきの覗き窓は額縁になっているのです。つまり、その額縁の下方からオレンジ色のドイツのマウスのようなアニメ顏が突然ぬーっと姿を現したのですから、それは大爆笑になるでしょう。

この一番中央の額縁の中に下からこんな感じで登場しました。

 

 

自分が現代アート作品になってしまったようです。


ヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ 書物がひらくルネサンス(印刷博物館)

2015年06月23日 | 美術道楽

印刷博物館で開催中のヴァチカン教皇庁図書館展に行ってきました。

印刷博物館とは、凸版印刷が開設している博物館で、トッパンホールと同じ建物にあります。

4月25日から展示は始まっていたのですが、つい最近になってその存在を知り、行って参りました。

 

まずは企画の趣旨をHPから引用します。

(引用始め)ヴァチカン教皇庁図書館が誕生した時代、書物の再生がルネサンスとともに到来しました。旧来の手写本や、新たに登場した活字本、そして書物を飾ろうという要望にこたえて生まれた木版・銅版画は、書物の輝きを推進する役割を果たします。

本展では、ヴァチカン教皇庁図書館所蔵の中世写本、初期刊本、地図、書簡類計21点を中心に、印刷博物館および国内諸機関所蔵の書物を加えた計69点を展示、ルネサンス精神の比類なき生き証人である書物の魅力に迫ります。(引用終わり)

 

展示の内容は以下の4部構成です。

第1部 祈りと救い

ここでは、古代以来、聖書等のキリスト教書の果たしてきた役割が紹介されます。グーテンベルグの活版印刷機発明の直後に印刷された聖書などが展示されています。

第2部 古代の叡智

ここではルネサンス期に、埋もれていた古代の叡智を人文学者たちが再び発見し、紹介してくさまを紹介します。展示されている本も、ヘロドトス《歴史》、プリニウス《博物誌》、ヴェルギリウス《アエネイアス》、ユスティニアヌス《法学提要》など様々です。どれも垂涎もので、いずれもこれがあの○○○かと思うような作品ばかりです。《法学提要》が中央部に本論を、それを取り巻くように四角形にびっしりと注が書いてあるスタイルなのが、印象に残りました。残念ながらユークリッド《幾何原論》は展示期間を終えていました。

第3部 近代の扉を開く

ここでは、ルネサンス精神の結実とそれがヨーロッパ近代社会に引き継がれていく過程が紹介されます。ここに展示してあるのは、ダンテの《神曲》やルター訳の聖書などです。ここでも残念ながらトーマス・モアのユートピアの展示は終わっていました。

 

第4部 ヴァチカン貴重庫で見つけた日本・東アジア

ここでは、対抗宗教改革運動の中で、アジアで布教活動が行われることになったことなどアジアとのかかわりが紹介されます。マルコ・ポーロの《東方見聞録》はもちろん、コロンブスやイグナチウス・ロヨラの書もあれば、かつて日本政治外交史という授業でその存在を聞いたこともある《どちりな・きりしたん》という書も展示されていました。

 

 

貴重な書籍の展示にはわくわくしていまします。

ダンテの《神曲》などは、複製品を作って手に取ることもできるようにしてありました。

どれもヨーロッパの思想の重要な位置を占める書籍ばかりで、中身は読めなくても見ているだけで感激しますし、また絵の綺麗な書籍などを見ているのも楽しいものでした。このほかファスビンダーのベルリン・アレクサンダー広場にもたびたび度々出てくる淫婦バビロンの絵がある本も印象に残りました。

 

 

冒頭の写真は、パンフレットの画像です。

残念ながら色が一部暗く、また豪華な感じが伝わらないのですが、実際は金ピカのとても豪勢なパンフレットです。

さすが出版の会社と感心しました。


ハンガリー国立歌劇場・フィガロの結婚(東京文化会館)

2015年06月22日 | オペラ道楽

東京文化会館でハンガリー国立歌劇場のフィガロの結婚を見ました。

オケは小規模編成ながら、十分にいい音楽でした。

歌手は、伯爵夫人役のアンドレア・ロストが有名ということですが、スザンナ役の歌手を初め皆が手を抜くこともなく、うまく歌っていたように思います。

演出はさほど奇抜なものではなく、変わったところといえば、第1、第2幕の舞台の上に、骨組みだけで造られた円筒形の筒が置かれていて、そこが回転をすることによって場面の展開を表すといったところでしょうか。これによって、ケルビーノが飛び降りる前にいた部屋の中の様子と、飛び降りた後の花壇の様子を表現することを可能にしています(前後でこの円筒は180度回転する。)。ケルビーノは女性であれば誰にでもちょっかいを出し、伯爵夫人には相当しつこくへばりついているのが印象的でした。それと、台詞の翻訳の中に「援助交際」などといった言葉も入れることによって、オペラのストーリーを現代の我々の目にも生き生きとしたものにするという工夫が面白く思われました。

 

オケ、歌手、演出とも特別に奇をてらうことはないのに、きっちりといい仕事をしており、いささかも手抜きをしていなかったので、とてもよい作品を見せていただきました。

さすが、歴史の長いハンガリー国立歌劇場だけのことはあります。

昔、自分もこのハンガリー国立歌劇場でパルジファルを見たことなども思い出しました。

 

 

 

指揮:バラージュ・コチャール

演出:アンドラーシュ・ナダスディ

 

歌手

フィガロ:クリスティアン・チェル

スザンナ:オルショヤ・シャーファール

伯爵夫人:アンドレア・ロスト

伯爵:ジョルト・ハヤ

ケルビーノ:ガブリエラ・バルガ

マルチェリーナ:ジュジャンナ・バジンカ

バルトロ:ゲーザ・ガーボル

バジリオ:ゾルタン・メジェシ

ドン・クルツィオ:ペーテル・キシュ

アントーニオ:アンタル・バコー

バルバリーナ:エステル・ザヴァロシュ

 

ハンガリー国立歌劇場管弦楽団/合唱団ほか

 

バラージュ・コチャール
1989 年ハンガリー国営放送局主催、国際指揮者コンクール優勝、1990 年ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団、1992
年からはハンガリー国立歌劇場に指揮者として招かれる。1995 年ローマ歌劇場で行われたフランコ・フェラーラ指揮者コンクールで優勝、2005
年にモーツァルト「魔笛」でライプツィヒ歌劇場へデビュー。
ハンブルグ国立歌劇場のモーツァルト音楽祭では「皇帝ティートの慈悲」、バーゼル歌劇場ではヴェルディ「ドン・カルロ」、ケルン劇場では「カヴァレリア・スルティカーナ」を指揮する等、活躍はめざましい。2011
年にブダペスト・スプリング・フェスティバルの音楽監督に就任。同年夏にはハンガリー国立歌劇場と共にフィンランドのサヴォリンナ・オペラ・フェスティバルに参加し、バルトーク「青ひげ公の城」とヴェルディ「ドン・カルロ」を指揮した。現在、フィレンツェ歌劇場、ローマ歌劇場などイタリアの主要な劇場に出演、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、フランダース放送管弦楽団、シドニー交響楽団などのオーケストラと共演をしている。

 

アンドレア・ロスト

ハンガリー・ブタペスト生まれ。1989年にグノー《ロメオとジュリエット》でハンガリー国立歌劇場にオペラ・デビュー。91年からウィーン国立歌劇場で《ドンジョバンニ》、《フィガロの結婚》、《愛の妙薬》、《ランメルモールのルチア》、《椿姫》等に出演し次々と成功を収め、耳の肥えたウィーンのオペラ・ファンに鮮烈な印象を与えた。94年には、ミラノ・スカラ座で《リゴレット》ジルダを歌い華々しくデビュー。翌95年にも《魔笛》パミーナを歌い、その名は一躍世界に広まった。スカラ座のプリマドンナとして《フィガロの結婚》、《椿姫》、《リゴレット》等で度々登場。ザルツブルグ音楽祭では、ショルティ、アーノンクール、ムーティ、アバド等、世界的指揮者と共演。96年メトロポリタン歌劇場に《愛の妙薬》でデビュー。その後《リゴレット》、《ランメルモールのルチア》、《椿姫》を歌い、2006年には《フィガロの結婚》に出演。日本では、新国立劇場公演、スカラ座日本公演、ハンガリー国立歌劇場日本公演等で度々来日し、《リゴレット》、《ランメルモールのルチア》、《椿姫》を歌い多くのファンを獲得している。2004年、コシュート賞を受賞。(ハンガリーの国民栄誉賞・文化勲章にあたる、芸術家に贈られる最も権威ある賞)

 

 


高橋コレクション展 ミラーニューロン再び(東京オペラシティ・アートギャラリー)

2015年06月21日 | 美術道楽

東京オペラシティ・アートギャラリーで開催中の「高橋コレクション展」を再訪しました。

目的は、見逃していた作品、つまり須田悦弘《雑草》を見るためです。

 

この作品は、大岩オスカールの巨大な絵のすぐ手前にあります。

相方ねずみからも《雑草》という小さな作品を見落としていないかと尋ねられました。

話をしていて、あの大岩オスカールの作品の手前の作品だと話はかみ合っていたのですが…

道楽ねずみ「あ、あの消火器の作品ね」

相方ねずみ「消火器のところにあるけど、雑草だよ。」

道楽ねずみ「あれって、扉が半開きになっているところに消火器が見えるって作品じゃないの。」

相方ねずみ「雑草みてないの。」

道楽ねずみ「…」

 

ということで、私は、作品の場所を美術館の人に教えてもらい、消火器スペースの扉が半開きになって、そこに消火器が見えるのを見て、これがトーマス・デマンドの「浴室」のような作品なのかと勘違いをしていましたが、どうも違ったようです。なるほど、消火器には「東京オペラシティ・アートギャラリー」と日本語で書いてあり、他の場所で展示されたら、消火器はどうなるのだろうかなどと頭をよぎらなくもなかったのですが、現代アートなら何でもありだろうと思い、よく見る市販の消火器ではなく、あの目立つようにわざわざ「東京オペラシティ・アートギャラリー」と日本語で書いてある消火器はそういえば作品らしいだろうと妙に自分を納得させてしまっていたのです。何せ現代アートであれば、内容と無関係のタイトルもありますからね。

 

今回、閉幕前に間違いに気づき、きちんと消火器の前の雑草を確認してきました。

それにしても小さく奥ゆかしい作品です。本当に美術館の中に雑草が生えてきているように見える作品でした。


高幡不動あじさい2

2015年06月18日 | 風流道楽

再び高幡不動に行きました。

 

前日に雨が降っていたらしく,花に雨の雫がついていました。

 

高幡不動は,敷地内の山全体にあじさいが点在しており,その中の一部の区画が山あじさい園になっており,ワイルドな感じがします。

 

 

 

 

 

 

 

敷地の中で一番大きく立派なアジサイが咲いているところがあります。

残念ながらそのアジサイは咲いているところが高く、うまく写真を撮ることができません。

65歳はとうに超えてそうな高齢者3名(ニコンのカメラを所持)がよってたかってアジサイの花が咲いている枝を無理やり下まで引きずり下ろし、かわるがわる写真を撮影していました。

このあさましい高齢者は、中国人ではありません。残念ながらこのような下劣な振る舞いをするのは、今や決まって日本人の高齢者です。

これが朝日新聞の中の記載であれば、全部捏造ということすむ話なのですが、残念ながらこれは朝日新聞の記事ではありませんので、真実です。

高いカメラを持ってこんなことしかしないような老人達には、年金を支払ってもらいたくありません。

一人一人ならこのような恥知らずの行為に及ぶことはないかも知れませんが、集団になると何でもやってしまうというこのメンタリティーこそが第2次世界大戦の時の虐殺、レイプなどの鬼畜のような行為に繋がったのだろうと妙に納得した次第です。

 

 


ムルロ工房と20世紀の巨匠たち―パリが愛したリトグラフ(神奈川県立近代美術館葉山館)

2015年06月17日 | 美術道楽

実は神奈川県立近代美術館鎌倉館に行きましたのは、鎌倉館が本来の目的であったのではありません。葉山館のムルロ工房を見にいったので、ついでに鎌倉まで寄っただけのことです。

 

ムルロ工房とは20世紀初めからパリにあった有名な版画工房ということで、ムルロ一族の3代にわたって続けられ、2代目の時代には創業者の子の2人の兄弟が経営していたことからムルロ兄弟社と呼ばれていたようです。

 

この企画展は、最初にムルロ工房出発以前のリトグラフが紹介されます。ドラクロワの《ファウスト》のリトグラフのほか、マネ、ルドン、ミュッシャ、ロートレックなどのリトグラフが展示されています。

そして、ムルロ工房の作品として、ヴラマンク、デュビュッフェ、マティス、ブラック、ピカソ、レジェ、シャガール、ミロ、コルビジェなどのリトグラフが紹介さ入れます。リトグラフといっても印刷技術がよいので、普通の絵画作品と同様に色も楽しめます。デュビュッフェの作品はモノトーンの色使いですが、シャガールの《ダフニスとクロエ》などは赤や黄色の原色が用いられ、本当に綺麗です。因みにピカソは、常に人と違うことをしたがるユニークな人柄で、リトグラフの職人泣かせだったようです(職人がピカソには苦手意識があった。)

 

このほか、ムルロ工房で刊行した本やポスターなども展示されています。

ポスターといっても、ピカソ、ハンス・アルプ、マティス、シャガールなどの作品もあります。ブラックやマティスのポスターは、パリのベルクグリュン画廊での自分の個展のものでした。ベルクグリュンといえば、ベルリンにもベルクグリュン美術館があります。そのベルクグリュン美術館を築いたベルリン出身のハインツ・ベルクグリュンの画廊のポスターです。

 

最後のコーナーにはリトグラフの作成のためのプレス機などの道具も置かれており、映像でリトグラフの作成の仕方も学べます。

 

とても面白い企画展でした。

 

 

HPに記載されている企画の趣旨

18世紀にドイツで発明されたリトグラフ(石版画)は、写真以前のイメージ伝達手段として19世紀のフランスで報道・出版・広告印刷に重用された技術でしたが、20世紀のパリで芸術的表現として大きく花開きました。

1921年のパリ。 フェルナン・ムルロは兄ジョルジュとともに父から受け継いだ印刷所をムルロ兄弟社と改名し、版画工房として活動をはじめます。1930年に工房が手がけたドラクロワ回顧展(ルーヴル美術館)のポスターを機に、その高い芸術性が認められ、マティスやデュビュッフェ、さらに戦後はピカソやシャガールがムルロの工房でいくつもの傑作を制作しました。 画家(アーティスト)と職人(アルティザン)の協同作業が版画芸術に隆盛をもたらした20世紀パリのリトグラフ、それを支えたのがフェルナン・ムルロ率いるムルロ工房だったのです。

ムルロ工房が手がけた版画・芸術雑誌・ポスターなどのオリジナル作品約300点にリトグラフ制作に用いられる道具、プレス、さらに映像資料を加え、今なお可能性と魅力にあふれるリトグラフの豊かな世界を紹介します。

 

葉山館の庭にある李禹煥の作品


鎌倉からはじまったPART1(神奈川県立近代美術館鎌倉館・鎌倉別館)

2015年06月16日 | 美術道楽

 鎌倉にあります神奈川県立近代美術館は、1951年11月に日本で最初の公立近代美術館として開館したのですが、2016年1月末には閉館となるそうです。今後、葉山と鎌倉別館のみが残るということです。

 土地所有者である鶴岡八幡宮が神奈川県に賃貸している土地に近代美術館が建っているのですが、鶴岡八幡宮は賃貸借契約の更新を希望していないようで、以前から土地明渡しの話、その猶予の話などあったような気がします。この度、とうとう来年1月をもって閉館となりました。30年以上も通っている道楽ねずみ(道楽ねずみも年をとる訳です。)にはさすがに寂しいものがあります。ただ、葉山に立派な建物が建っている以上、3館の維持は困難なのかもしれません。ただ、神奈川県立近代美術館は、器の割にコレクションが充実しており、コレクションを十分に公開し切れていないので、何とかコレクションの展示には工夫をしてもらいたいものです。

 

 今回、鎌倉館の閉館を惜しみつつ、過去の展覧会のハイライトのような展覧会が開催されています。

企画の趣旨は以下のように説明されています。

第一弾となる「PART1: 1985-2016」では、1985年から2015年までに鎌倉館で開催した展覧会を取り上げます。この時期は、テオドール・ジェリコー、オットー・ディックス、ジョルジョ・モランディなど海外作家の大規模 な展覧会と並行して、日本の近代美術の回顧展や独自の視点によるテーマ展などを積極的に開催しました。 また、活躍中の作家を取り上げた「今日の作家たち」シリーズは、1988年から2007年までに11回を数えます。 さらに、日本の近代美術の海外への発信が活発になったのもこの時期の特徴であり、海外の美術館や研究 者との共同企画による「ジョン・ラスキンと近代日本」、「モボ・モガ 1910-1935」展が開催されました。 2003年の葉山館オープンを機に三館体制となってからは、機能や設備の充実とともに美術館活動も多様 化してきました。本展は、時代とともに成長し、変化を遂げてきた近代美術館の30年を作品と資料・写真に よって振り返りつつ、これからを見据えていこうというものです。

 

 

過去の展覧会のハイライトですので、内容の充実ぶりには目を見張ります。

朝井閑右衛門、鶴岡政男、李禹煥、船越桂、中西夏之、横尾忠則など名前を知った作家の作品はもちろんのこと、知らない作家の作品もそのセンスの良さに驚きます。残念ながら図録もなく、もちろん写真もないので、詳細を再現して説明することができないのですが、現代の作家のこれだけの高い水準の作品をいっぺんに見ることができるのはとても貴重な機会と思います。

 

鎌倉別館は日本画編です。片岡球子の《徳川家康像》などがあります。

6月21日まで開催予定ですので、お勧めしたい展覧会です。

なお、この企画は、PART2、PART3と続く予定です.

 


ヘレン・シャルフベック――魂のまなざし(東京藝術大学大学美術館)

2015年06月15日 | 美術道楽

東京藝術大学の美術館でヘレン・シャルフベック展を開催しています。

フィンランドの国民的な女流画家ということです。

 

ベラスケスの王女マルガリータの肖像の模写などを見ていますと、かなりの技量を備えた画家ではありそうです。

しかし、ホイッスラー風の絵を描いてみたり、マリー・ローランサン風の絵を描いてみたりと他の画家の画風をまねた作品もあります。

確か《シュヴェリーン公ヴィルヘルムの死》だったと思いますが、この絵もポール・ドラロッシュの《幼きイングランド王エドワード5世とその弟ヨーク公リチャード》(ロンドン塔に幽閉中にリチャード3世に殺害される2人の王子を描いた作品)あたりからインスピレーションを得たのではないかと思います。これは解説には記載されていないので私の考えでしかありませんが。

このようにいろいろな画家から影響を受けていて、いささか画風もぶれているという印象を受けました。

 

そして何より、この画家、痛い人です。否、痛いを通り越して、勘違い女、さらにはストーカーなのです。

 

3歳の時に腰の骨を骨折して、杖無しには歩けない一生になりながらも、子供の時に既に画家としての才能を認められ、長じてフランスに留学し、随分と頑張った方ではあります。

しかし、若い頃に一方的に「婚約破棄」をされたと自称していいます(事実関係を裏付けるもは一切なく、不明のようです。)。

さらに、50代半ばになって画家としての才能を慕ってきた19歳年下の男性を一方的に好きになり、その男性が別の女性と婚約するや、意味不明の手紙を送りつけたり、自分の自画像に傷を付けてそのことをまた手紙に書いて送ったり、その男性を亡霊のような姿にして絵を描いたり、さらにその後も1000通にも及ぶ手紙を送ったりと、とにかく勘違いだらけの怖い女性です。

晩年は、才能が枯渇したのか描くテーマがなくなり、勧められるまま過去に自分の描いた絵を焼き直した絵を「再解釈」と称して描いていたようです。

どうみても、痛い人というほかなく、あまりいい人生ではなかったようです。

 

カラヴァッジョのように画家の人となりが良くなくても、いい絵はいいと思います。

しかし、シャルフベックの絵は、肖像画も多く、自画像など画家の人となりをそのまま出してしまっているので、興味は持てましたが、今ひとつ好きにはなれませんでした。

 

私には、シャルフベックが男性への失恋、ストーカー行為への前後を通じた13年間をかけて描いた、右半分は若い頃の普通の姿として、左半分は朽ち果て溶解しつつある姿として描かれている不気味な自画像ばかり印象に残りました。

 


着想のマエストロ乾山見参(サントリー美術館)

2015年06月14日 | 美術道楽

サントリー美術館で開催中の「着想のマエストロ乾山見参」に行きました。

言わずと知れた尾形乾山の作品展であり、その兄は尾形光琳です。

光琳・乾山のコラボ作品も展示されています。

尾形乾山は本阿弥光悦とも親戚関係にあったとのことで、今回の展覧会では、本阿弥光悦と俵屋宗達のコラボの鹿下絵新古今集和歌巻断簡なども展示されていました。

 

乾山の作品は実にバラエティーに富んでおり、実に器用な人だなと感心しました。

景徳鎮風のものも造れば、ベトナム風のものも、さらにはデルフト焼風のものまで器用に製作し、いくらでも注文主の希望に合わせた製作が可能のようです。

そして、蓋と器本体の絵柄がうまく合うなどということは当然として、蓋と器の中の図柄を完全に異なるものにしていたり、5つの絵皿の模様を少しずつ微妙に変えたりなど、現代の我々が見ても全く飽きることがありません。在原業平の「からくれなゐに 水くくるとは」の和歌(因みにこの和歌は落語のネタにもなっていますが。)でも有名な竜田川のデザインの《色絵竜田川図向付》の器など、自分でも欲しくてたまらなくなります。また、源氏物語の夕顔に因んだ《夕顔図黒茶碗》なども、これでお茶を飲めたらどれだけいいだろうと思ってしまいました。
 
どれもこれも芸術作品として、非常に洗練されているだけではなく、実際に手にとって使って見たくなるものばかりでした。
乾山の天才ぶりに圧倒される展覧会でした。

シンプルなかたち展(森美術館)

2015年06月13日 | 美術道楽

森美術館で開催中のシンプルなかたち展に行きました。

森美術館×ポンピドゥー・センター・メス×エルメス財団、共同企画ということです。

いろいろな物が展示されていますが、正直なところ企画の趣旨はいささか不明ですので、HPから引用します。

19世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパでは数学、機械工学、生物学、地質学や考古学の探求の中で「シンプルなかたち」の美学が再認識され、工業製品や建築のデザインなどに多大な影響を与えました。同様に、その品格ある魅力は多くのアーティスト達を魅了し、近代美術の多数の名作を生み出しました。
一方、このような単純で美しい「シンプルなかたち」は、自然の中や、世界各国のプリミティブアート、民俗芸術、伝統文化の中にも、数多く見出すことができます。日本においては、工芸品や茶道具、仏像や禅画などに同様の美学が体現されています。
本展は、このような古今東西の「シンプルなかたち」約130点を9つのセクションで構成します。古くは先史時代の石器から、現代アーティストによるダイナミックで先鋭的なインスタレーションまで、地理的なひろがりと歴史的なつながりを示しながら展望し、時空を越えた普遍的な美を描き出します。「シンプルなかたち」が備える普遍的な美は、私たちが生きる上で真の豊かさとは何かを問い直すことでしょう。

 

要するに何でもありです。

「シンプルなかたち」というその名前から、すぐにブランクーシとハンス・アルプ(ジャン・アルプ)は私でも容易に想像することができました。

そのほか、ガブリエル・オロスコの映像作品もありました。東京都現代美術館でオロスコ展を見てからそれほど経っていなかったので、興味深くみました。

フォンタナの《空間概念》も、同様の作品を東京ステーションギャラリーの富山県立近代美術館コレクションで見たばかりでしたので、引き続き楽しめました。

 

このほか円空の木像や仙涯の《円相図》などもありました。円相図には、月と思われる円が描かれた上で、その円を食らうと文字で書かれており、さらにその文字の一部は、我々と同じ仲間の大鼠がかじったとの「讃」まであります(もちろんその「讃」は冗談なのですが。)。

 

展示のジャンルはバラエティーに富んでいましたが、正直なところ長次郎の焼き物をみるのであれば、三井記念美術館に行けば遙かにいい作品が見られるわけですし、その他の日本美術もトーハクにいけばもっと良い物が見られると思います。

現代アートでも、ピカソやマチスの作品につきましても、国内外の美術館でもっといい物も見られるような気がします。

 

企画は斬新で評価したいところですが、今ひとつ感動が少なかったことは否めません。

 

オラファー・エリアソン《丸い虹》

 上記の作品は、空間内に宙づりにされている、中央がガラスで周囲が金属の円盤がぐるぐると回ることによって投影されてできる作品です。

空間内の様子

 

 

 

 

大巻伸嗣《リミナル・エアー スペース・タイム》

 

 

アンソニー・マッコール《円錐を描く線2.0》

 

ゆっくりとスクリーンの点が弧を描き,円を描いていきます。

 

そして光源の側をみるとしだいに弧に相当する部分の光量が増えていき、あたかも円錐の側面のような形になっていきます。

 

これらの作品は写真撮影可能でした。

最後の作品は、外国人は専ら光源と一緒に人物を映したがるし,日本人は光線を遮って作品を台無しにしてスクリーンに映りたがるという特徴がありました。国籍によって写真の趣向が違うようです。


旧古河庭園春のバラフェスティバル

2015年06月08日 | 風流道楽

少し紹介が遅れましたが、5月30日に旧古河庭園にも行きました。

今年も春のバラフェスティバルに行った次第です。

 

しかしながら、いささか遅すぎました。

バラはほとんど散っています。

様々な種類のバラがあるのですが、全滅又は一輪を残して全滅ばかりです。

一輪だけ残っているというのも千利休風にいえば、わびさびを感じることができるのかもしれませんが、やはり被写体としては寂しい限りです。

 

今年の秋か又は来年はもう少しいい写真を撮りたいものです。

 

Cardinal(枢機卿)というバラ

 

Helmut Schmidtというバラ

 

こちらはCharles-de-Gaullesという名前のようです。


レオナルド・ダヴィンチとアンギアーリの戦い展(東京富士美術館)

2015年06月07日 | 美術道楽

東京富士美術館でレオナルド・ダヴィンチとアンギアーリの戦い展を見ました。

ご存じのようにこの美術館は、某宗教団体と深い関係があります。

私は、その団体からすれば部外者であるため、そのまま普通に入ってよいのかなどと心配しながら入館しましたが、入ってみれば普通の美術館であり、楽しく鑑賞させていただくことができました。

 

フィレンツェのヴェッキオ宮殿の五百人広間を飾る絵として、レオナルドとミケランジェロの2人の競作が期待され、結局、2人とも完成させることができないままフィレンツェを去った話は、知らぬ者はないほど有名なルネッサンスのエピソードです。今回は、レオナルドの描いた《アンギアーリの戦い》の下絵の模写(タヴォラ・ドーリア。レオナルド真筆という説もあり。)が数種類展示され、またミケランジェロの《カッシーナの戦い》の下絵の模写も展示されています。

これに関連して、同時代の人物の肖像画、レオナルドの《アンギアーリの戦い》が影響を与えた絵画なども紹介されていました。

 

レオナルドとミケランジェロの2人の絵は向かい合うように描かれる予定だったと思っていたのですが、そうではなく並んで描かれる予定だった可能性が高いと知りました。

 

タヴォラ・ドーリアは、馬や人物の躍動感はすごいのですが、未完成の絵の模写なので、全容はイメージしにくいのですが、ルーベンスが描いた《アンギアーリの戦い》は絵画として完成した形になっていたので、興味深く見ました。

 

今はヴァザーリの絵画に埋もれている五百人広間の下にどのような絵が描かれる予定であったのか、最終的に未完のままに終わっているので、想像するしかないのですが、残された資料を見ながらイメージを膨らますのも楽しいことです。