道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

GAM近代美術館

2015年10月31日 | 美術道楽

ミラノ観光の実質最終日は、午前中にスフォルッツァ城、午後にGAM近代美術館に行き、いったんスフォルッツァ城に戻って美術鑑賞を続け、その後、お買い物という内容でした。

スフォルッツァ城は盛りだくさんなので、後にしまして、先にGAM近代美術館を紹介します。

GAMという名前ですが、 Galleria d'Arte Moderna di MilanoでGAMという略称です。

Modernaが入っているので、現代アートを期待しそうですが、19世紀美術が中心でして、私にとっては残念なことに現代アートは常設コレクションにはありません。ただ、たまたま幸運なことに訪問した際には、UBSが所蔵する現代アートのコレクション展を開催していました。

以下、常設展についての記事です

 

アイエツ《マグダラのマリア》


セガンティーニ《生命の天使》


セガンティーニ《愛の女神》


アイエツ《肖像画、伯爵令嬢アントニエッタネグローニプラティモロシーニ》


アイエツ《肖像画、伯爵令嬢アントニエッタネグローニプラティモロシーニ》


セガンティーニ《マローヤの風景》




セガンティーニ《ギャロップで走る馬》

この絵は昔日本に来ました。

イタリア年ではなくドイツ年だった2005年に千葉市美術館で開催されました「ミラノ展」で展示された絵です。



セガンティーニ《水飲み場のアルプスの雄牛》

この絵も千葉市美術館のミラノ展に来ました。


セガンティーニ《母たち》


セガンティーニ《ガエタナ・オリアーニ・カッシラーギ夫人の肖像画》


セガンティーニ《レースを付けた若い女性(結婚したビーチェの肖像画)》


アントニオ・カルミナッティ《夜間労働》


セガンティーニ《泉での洗濯》


セガンティーニ《プシアーモの日没》

 

セガンティーニ《静物》


セガンティーニ(タイトル不明です。)


マネ《馬上のアルノー》


モランディ《静物》


デュフィ《アトリエ》


美術館の中の様子



このほか1階では

DON’T SHOOT THE PAINTER. Paintings from UBS Art Collection. 

と題する企画展が開催されていました。

ここでは、リヒター、森村泰昌らの作品が展示されています。

無料なのですが、私が最も喜んだのはこちらの企画でした。

 

企画展のパンフレット

 

 

 

 

 

 

企画展のチケット(無料)

 

 

常設展のチケット

 

 





Osteria Italiana

2015年10月27日 | 食道楽

ミラノで1900年代美術館とデパートLa Rinascenteに行った後の夕食は、ミラノ中央駅近くのレストランOsteria Italianaで食事をしました。

この時も本来は魚介類を食べたくて(昼はミラノ風カツレツでしたから。)、ミラノ中央駅の近くのRistorante Torriani 25 トリアーニ・ヴェンティ・チンクエに行こうとしたのですが、店が閉まっており、入ることができませんでした。そこで、急きょその近くのOsteria Italianaに入りました。

ピッツェリアのようで、やたらとピザのメニューが目立ちます。

おそらくはピザがおすすめなのだろうと思いながらも、魚介類を食べたいという気持ちであったので、魚を炒めた料理を注文しました。

それなりの味だったとは思います。

ところが、どうもピザはあまりおいしくなかったようです。といいますのも、相方ねずみの後ろに座っていた女性客も、道楽ねずみの隣のテーブルに座っていた中国人同士の仲間も皆、一様にピザにナイフを入れるものの、食事が進んでいなかったからです。

ローマでもあまりおいしくないピザを食べましたし、イタリアでもピザはおいしくない店があるなと思いました。

 

 


黄金伝説(国立西洋美術館)

2015年10月26日 | 美術道楽

国立西洋美術館で開催中の「黄金伝説」展に行きました。

テレビ番組とは関係ありません。

それにしてもタイトルだけでは何が何だかわかりませんが、THE GOLDEN LEGENDには副題として、古代地中海世界の秘宝とあります。

さらに具体的にいいますと、ヴァルナ(ブルガリア)、古代ギリシャ、トラキア(ヴァルチトラン遺宝=ブルガリア)、エトルリアの4つの遺跡から発掘された黄金の財宝の展示です。

 

ブルガリアの街ヴァルナ(旧名はスターリン!ブルガリア版スターリングラードでした。)で発見された古代の墓地の副葬品として埋葬されていた黄金は、なんと今から6000年も前で、エジプトのピラミッドよりも前のものということです。

ヴァルチトラン遺宝は、紀元前14世紀後半から紀元前13世紀初めのものということです。1924年に農民が発見した際には、真鍮製のものと思い、一番大きな器だけ持って帰り、後は捨て、持って帰った器をブタに餌を与えるかごとして使用していたところ、ブタがきれいにペロペロと器をなめ、金ぴかの純金製の容器が出てきたので農民が仰天したという有名なエピソード付きです。

金細工の品でいえば、圧倒的に古代ギリシャのものが多く展示されています。

エトルリアの財宝の多くは、後のローマ時代に「再利用」(つまり溶かしたり、叩き直したりするなどして別の形に作り替えられた。)されたそうで、残された貴重な品が展示されています。特にヴァチカンのグレゴリアーノ・エトルリア美術館所蔵の腕輪は、とても細かい装飾が施されており、ヴァチカンの中でも貴重な品のようです。

 

こうした装飾品に交じって、絵画も展示されています。

装飾品に描かれたテーマとコラボしていることが多いようです。

・ メディアの助けを得て黄金の羊毛を手に入れたイアソーンとアルゴ探検船の逸話に関連して、ギュスターヴ・モローの《イアソーン》ほかの絵

・ 勝者に黄金の林檎を与えることになったパリスの審判(もとよりこれがトロイ戦争に発展するのですが。)に関連して、ルノワールの《パリスの審判》、コーニンクスローの《「パリスの審判」があらわされた山岳風景》ほかの絵(後者は、Bunkamuraの風景画にぴったりの絵です。ほとんど風景で、パリスの審判はほんの小さくしか描かれていませんから。)

・ 触ったものを黄金に変えるミダス王の逸話に関連してプッサンの《パトクロス川の源のミダス王》

・ ギリシャのアルゴス王の娘ダナエに、ゼウスが黄金の雨に形を変えて夜這いをした逸話に関連して、バッセッティの《ダナエ》:ちなみにダナエとゼウスとの間に生まれたのがペルセウスで、ペルセウスのメドゥーサ退治の話とともにメドゥーサの金細工もありました。

・ ヘラクレスが罪を償うためにミュケーナイ王に命じられるまま果たした12の課題の一つとしてケリュネイアの鹿を生け捕りに逸話に関連してギュスターヴ・モローの《ヘラクレスと青銅の蹄をもつ鹿》

このほか、話を簡潔にまとめられないので省略しますがアタランテとヒッポメネスの物語をタペストリーにした作品もありました。

 

絵画、彫刻は少なく、大半が金細工という珍しい企画展です。

最初、金細工はどうでもいいと思っていたのですが、見ていますと意外に面白く、細かいところまで音声ガイドを聞きながら見ていましたら、とても疲れました。

 

意外に面白い企画展でした。

余談ですが、黄金の羊毛といえば、

黄金の羊毛亭とも訳すべきZum gueldenen Schafという有名なレストランがハイデルベルグにあり、そこで食事をしたことがありました。

DWのeuromaxxでも紹介された歴史のある店で、店内の内装も凝っています。


プラド美術館展(三菱一号館美術館)

2015年10月25日 | 美術道楽

三菱一号館美術館で開催中のプラド美術館展に行きました。

これに先立ち、10月17日にJPタワーで開催されたマヌエラ・B・メナ・マルケース氏(国立プラド美術館 18世紀・ゴヤ絵画部長)の講演会にも参加しました。

 

今回の企画展は、プラド美術館の中の小さな絵を中心として紹介をするという企画とのことです。以前にプラド美術館でも、小さな作品のみ(確かゴヤの作品ばかりと聞いた記憶です。)を集めてcaptive beauty(閉じ込められた美)と題する企画展を開催したことがあり、極めて好評だったそうで、今回の企画展も同様の方針で企画されたということです。ちなみにcaptive beautyというのはわかりにくいのですが、小さな額縁の枠に閉じ込められている美ということです。日本語にすると、「閉じ込められた美」では意味が分からないので、「スペイン宮廷―美への情熱」という副題になっているとのことです。

 

大きな絵画は、巨匠たちがすべてについて自ら絵筆をとるのではなく、下絵を描き、本体の絵画は工房の画家たちに多くを描かせ、巨匠は一部しか描かないということも少なくないのに対し、小さな絵の場合には工房の画家に任せることはないので、小さな絵こそ品質が保証されているということもあるようです。そして、鑑賞者も小さな絵の場合には絵画との距離をより近いものとして鑑賞する傾向にあるようです。

(ここまでは、マヌエラさんのお話を踏まえて書いたもの。)

 

 

実際に企画展に行きますと、確かに小さな絵が並んでいます。

ヒエロニムス・ボスの《愚者の石の除去》など、絵が小さいので、近づかないと描かれているものは見えません。この作品は、背景の風景もいいようです(bunkamuraの風景画の展覧会の企画の趣旨にも合うようです。)。

アンドレア・デル・サルト《洗礼者ヨハネと子羊》、エル・グレコ《受胎告知》、グイド・レーニ《聖アポロニアの殉教》、同《祈る聖アポロニア》など小さいながらもいい作品が、マニエリスム、バロックの編で並びます。

バロック編の中にあるムリーリョ《ロザリオの聖母》は、ちいさな作品といえない大きさですが、今回の企画展の中の見どころの一つといえるでしょう。聖母の衣服の赤色と、マントの青色は とても鮮やかで、感銘力があります。

さらに進むと、ベラスケスの《ローマ、ヴィラ・メディチの庭園》があります。さびれた風景でありながら、味があります。三菱一号館美術館の館長さんのお勧めの絵ということです。ヴィラ・メディチは中にこそ入れませんでしたが、その周囲を歩き、ヴィラ・メディチの前のレストランで食事をしたばかりでしたので、それこそ親近感を持ってしまいました。

 

ローマのヴィラ・メディチ

 

ローマのヴィラ・メディチ裏門

 

アントン・ラファエル・メングスの《マリア・ルイサ・パルマ》は、ゴヤの《カルロス4世の家族》にも出てくる、カルロス4世の妃マリア・ルイサを描いたものです。ゴヤの人物画では夫に代わって実権を握る傲慢なオバサンとして描かれているのに(ちなみに宰相ゴドイを初め多くの愛人を持っていたといわれています。)、メングスの絵では、美しく理知的に描かれており、とても同一人物に見えません。

ゴヤの《トビアスと天使》は、今回の企画展の中で最も気に入った絵です。旧約聖書トビト記のトビアスの物語がわかりやすく描かれており、天使の後光は絵から光を発するかのように描かれており、また天使の帯のピンクとトビアスのマントの赤が対照的です。

ゴヤの《酔った石工》は、傷を負った石工を担ぐ2人がいかにも悪だくみをしていそうに見え、とてもストーリー性豊かな作品に見えるのに対し、これを完成して大きな絵にした《傷を負った石工》では担いでいる2人が真面目な表情に書き換えられており、面白味がなくなっています。

 

このほか、ジャクイントの描いた《イフィゲニアの犠牲》は、トロイ戦争に旅立つアガメムノンがアルテミスを冒とくした罪で、海が荒れ船を出すことができなくなり、やむを得ず娘イフィゲニアをいけにえに差し出すことによってアルテミスの怒りを鎮めることになり、今まさに剣を抜きイフィゲニアに手をかけようとするところになって、アルテミスによっていけにえが鹿に変更されるという有名な逸話を描いた絵です(グルックのオペラでいうと、「オーリードのイフィゲニア」の話。アルテミスに助けられて、タウリス島に流された後の話が「タウリスのイフィゲニア」)。


久隅守景展(サントリー美術館)

2015年10月22日 | 美術道楽

サントリー美術館で開催中の久隅守景展に行きました。

久隅守景といえば、日本史の教科書にも掲載されていた国宝・納涼図屏風が有名ですが、逆に言うと納涼図屏風以外には知らないという人の方が多いと思います。私も、昔、出張で西宮まででかけて頴川美術館という美術館を発見し、そこで「瀟湘八景図」を見るまで、納涼図屏風以外の作品を知りませんでした。

 

今回の展覧会で、久隅守景の作品をいろいろ見ましたが、初めて知ることばかりでした。

富山の瑞龍寺にある《四季山水図襖》は、納涼図屏風のゆるい感じとはずいぶんと異なっておりますが、狩野派らしく整った襖絵で、探幽の四天王の筆頭といわれた守景の面目躍如という印象を受けました。

このほか、四季耕作図屏風も3作品展示されていました(後期に展示替えあり。)。四季の流れは、右から左へと流れるのが通常ということですが、守景は逆に左から右に流すのが好きのようで、今回の展示では、2つのタイプが同時に展示されており、最初混乱してしまいました。いずれも人物や動物を見ていると、守景の暖かい視線が伝わってくるようです。

納涼図屏風はよく知ったとおりの何とも力の抜けた、それでいて何とも言えない味のある作品ですが、別の作者、古礀明誉の夕顔納涼図の登場人物も何とも気取らない田舎の家族が描かれていて、こちらもとても味がありました。

このほか、守景の娘雪信と息子彦十郎の作品も展示されていました。

娘雪信は、江戸時代で女流画家として名をはせていたようですが、駆け落ちをしたそうです。息子の彦十郎は、悪所通いを重ねて、狩野派を破門され、さらには罪を得て佐渡に流されたのだそうです。こうした子供の不行跡のため、守景は狩野派を離れ、加賀前田家のもとで製作を重ねたということでした。

 

本展覧会は、前期と後期に分かれ、展示替えがあり、後期には《鷹狩図屏風》、《賀茂競馬・宇治茶摘図屏風》など前期にはなかった作品が展示されるので、後期にも出かけたいと思っております・

 


蔵王権現と修験の秘宝(三井記念美術館)

2015年10月21日 | 美術道楽

 三井記念美術館で開催中の「蔵王権現と修験の秘宝」展に行きました。

蔵王権現とか修験といって説明することが難しいので、HPから企画の趣旨を引用します。

(引用はじめ)法螺貝(ほらがい)を吹き、錫杖(しゃくじょう)を突く「山伏(やまぶし)」の姿にイメージされる修験道(しゅげんどう)は、山中での厳しい修行によって悟りを得ることを基本とし、日本古来の山岳信仰に神道、仏教、道教、陰陽道(おんみょうどう)などが習合(しゅうごう)した日本独自の宗教です。主尊蔵王権現像(ざおうごんげんぞう)は、髪を逆立て、三眼、左右の牙を出す怒の相で、右足を高く蹴り上げて左足で立つ、青黒色の猛々しい姿をしています。

この特別展は、修験道の根本聖地である金峯山寺ほかの、奈良県吉野金峯山(きんぷせん)修験に関わる仏像、曼荼羅図(まんだらず)と、経筒、経箱、鏡像、懸仏など経塚(きょうづか)遺品、そして早くから地方の山岳宗教の地で修験道の拠点となり、崖上に建てられた平安時代の「投入堂(なげいれどう)」で知られる鳥取県三徳山三佛寺(みとくさんさんぶつじ)の多数の蔵王権現像を一堂に展示する、まさに「天空の神と仏の世界」が眺望できる画期的な展覧会です。(引用終わり)

 

山伏といえば、安宅関を通って奥州藤原氏のもとに向かおうとする源義経一行の変装した姿(もちろん、能の「安宅」や歌舞伎の「勧進帳」でおなじみのあの話が真実かどうか疑問なのですが。)、あるいは新宮中納言源行家の変装した姿などでドラマによく出てきますが、あれです。ちなみに今回の企画展は、源義経ゆかりの吉野にかかわるものも多数展示されています。

 

蔵王権現は、上に記載されているとおり、左足だけで立つ何ともインパクトのある姿です。その表情も様々で、中にはオトボケキャラのような顔をしたものまであります。残念ながら、私が行ったときには、この企画展の最大の見どころである如意輪寺の蔵王権現像は既に展示を終了していました。

このほか、藤原道長や経を入れて土の中に埋めた経筒(前期展示)やそのひ孫の藤原師通の経箱(後期)も展示されています。

鏡像などもあるのですが、既に何が描いているのかほとんどわからないものもあります。

吉野と並んで、鳥取県倉吉市にある投入堂も修験道については重要な場所であったようで、投入堂の解説もありましたし、投入堂ゆかりのものも展示されていました。

 

下の写真は、もう11年も前に倉吉の打吹公園を訪れたときのものです。お花見のシーズンに出かけました。

まだデジカメの性能が悪い時代ですので、画像があまりよくありません。

このときは残念ながら投入堂の近くには行きませんでした。

 


Passion(新国立劇場)

2015年10月20日 | 演劇道楽

新国立劇場で上演中のミュージカル「パッション」のゲネプロにお招きいただきました。

 

「パッション」は、1980年制作のイタリア映画『パッション・ダモーレ』をもとに、スティーブン・ソンドハイムによってミュージカル化され、94年にブロードウェイで初演され、その年のトニー賞4部門(最優秀ミュージカル作品賞、主演女優賞、脚本賞、楽曲賞)に輝いた作品ということです。

 

まずはあらすじです。

HPからの引用です

(引用はじめ)19世紀のイタリア、ミラノ。騎兵隊の兵士ジョルジオは、美しいクララとの情熱的な逢瀬に夢中になっている。しかし、ほどなくして彼は、ミラノから辺鄙な田舎への転勤を命じられ、その地で上官リッチ大佐の従妹フォスカに出会う。病に冒されているフォスカは、ジョルジオを一目見て恋に落ち、執拗なまでに彼を追いかけるようになる。クララへの愛に忠誠を誓い、フォスカの愛を受け入れないばかりか、冷たくあしらうジョルジオだったが、やがて......(引用終わり)

 

このあらすじだけですとわからないのですが、実はクララには夫どころか息子までいます。

これに加えてフォスカ(私はトスカと間違って聞いていました。)がストーカー女とくれば、おおよそのストーリーの展開は予想がつきます。このミュージカルの最終的な結末は、私の予想をそう大きく異なるものではありませんでした。

ただ、フォスカは私が思っていたほど、悪い女ではなかったようで、第1幕目のおしまいで張られた伏線が、第2幕目で自分の思ったような展開にはならかったのが意外でした。ちなみに第1幕目が終わった段階では、女性同士で見に来ている人たちは一様に苦笑していました。フォスカの余りの不気味さに気持ちが悪くなり、笑ってその不快感をぬぐうしかなかったのだと思います。

 

基本的にはストーカーで、痛い女性の話なので、あまり見ていて楽しいものではありませんが、興味深いミュージカルではありました。本来その場には居合わせないはずの人物が、御簾の後ろであたかも垂簾朝政のように歌を歌う演出も面白く思われました。新国立のオペラ研修所OBの伊藤達人が脇役ながらもオペラ歌手としての能力をいかんなく発揮して、大活躍していました。


La Traviata(東京文化会館)

2015年10月19日 | オペラ道楽

東京文化会館で、プラハ国立歌劇場のLa Traviata(椿姫)を見ました。

今回、3公演連続の上演となっていますが、相方ねずみを含むねずみ属はデジレ・ランカトーレがヴィオレッタ役で歌う回の上演を見に行きました。

なんと言いましてもプラハ国立歌劇場は、道楽ねずみにオペラを見る楽しみを教えてくれた歌劇場ですので(1993年12月28日?にプラハで見たナブッコが初めての“本物の”オペラでした。)、期待も高まります。

 

そして、今回の上演はまったく期待を裏切らない内容でした。

 

演出は、セットは屋敷の中の壁と出入り口を基本にした簡素なものでありながら、オーソドックスです。

第1幕目では序曲の段階から男爵とヴィオレッタが札束の上で親密な交際ぶりを表現しています。そのままパーティーの場面、そして乾杯の歌となりますが、アルフレートは内気な性格で、乾杯の歌を歌うことになってもそのまま部屋から逃げだそうとするなど、社会性のなさを露呈しているといった演出です。第2幕目の後半では、再びパーティーの場面になりますが、ここでもアルフレートは札束で何度もヴィオレッタを叩きながら、親父のジョルジョ・ジェルモンに叱られるとすぐにしょんぼりしたり、ヴィオレッタをすぐに懐柔しようとしたり、しまいには花を渡したりと、何とも未成熟な男という演出です。DV夫というところでしょうか。第3幕目でも、ずいぶんと身勝手なアルフレート親子に振り回されながらも、ヴィオレッタは最期の場面でも一応アルフレート親子の目の前で息絶えていきます。ただ、アルフレート親子からは少し離れ、歩き始めて最終的に息絶えるので、アルフレート親子との微妙な距離が気になるところです。先日見た新国立劇場の演出や以前に見た英国ロイヤルオペラでの演出では、ヴィオレッタはアルフレート親子とは離れ、決然と一人で大往生を遂げるので、これらの演出との違いをどうしても意識してしまいました。

 

デジレ・ランカトーレのヴィオレッタは、第1幕目の明るい場面での歌は言うまでもなく、第2幕目のアルフレートの父ジョルジョ・ジェルモンからの不当な要求に悩みながら決断する場面でも、第3幕目の息絶えていく場面でもそれぞれとてもうまく歌っています。同じ役といってもずいぶん違う歌唱と演技が要求されるのに、どれも完成度が高く、素晴らしいと思いました。ほかの歌手も皆、うまく歌っていました。歌手のばらつきが少ないというのが、海外公演のいいところでしょうか。

 

ただ、オケが制約されたものであったのか、音楽が一部あれっと思うところがありました(遠いところから聞こえるような感じなので、一部は録音であったのでしょうか。私の勘違いかもしれませんが。)。そのせいか、一部歌とオケが合わなくなっている箇所があるのが気になりました。

 

指揮:マルティン・レギヌス

演出:アルノー・ベルナール

ヴィオレッタ:デジレ・ランカトーレ

アルフレート:アレシュ・プリスツェイン

ジェルモン:スヴァトプルク・セム

フローラ:シルヴァ・チムグロヴァー

アンニーナ:マルケッタ・パンスカ

ガストーネ子爵:マルティン・シュレイマ

ドゥフォール男爵:フランティシェク・ザフラドニーチェク

ドビニー公爵:イヴォ・フラホヴェッツ

医者グランビル:オレグ・コロトノフ

プラハ国立歌劇場管弦楽団/合唱団/バレエ団

 


1900年代美術館その2

2015年10月18日 | 美術道楽

1900年代美術館の続きです。

 

冒頭の写真は、作者がわからなくなってしまいました。展示パネルを撮影した写真がピンボケで読むことができないのです。

その後に判明しました。ファウスト・メロッティの作品です。

中央にある9つの球体が格子の中に納まっている作品は、《彫刻 21番》です。

2005年に千葉市美術館で開催されたミラノ展で展示されており、図録を見ることによって作品名、作者名が判明しました。

次の写真も同じ作者のものです。

 

 

これも1900年代美術館の屋根に展示されている作品ですが、作者はわからなくなってしまいました。

 

 

カルロ・カーラ《夏》

 

フェリス・カソラッティ《真昼》


レナート・グットゥーゾ《磔刑》

 

ファウスト・ピランデロ《聖母子像》

 

 

ルシオ・フォンタナ《座る女性(鏡の前の女性)》

フォンタナが彫像も作っていたとは知りませんでした。

 

アルトロ・マルティーニ《ブリニーの死は死者を安らかに眠らせない》

ムッソリーニのエチオピア侵攻を受けて製作された作品とのことです。

 

上の人物が持っているのがこれです。1935年10月2日はムッソリーニがエチオピア侵攻を表明した日です。

 

カルロ・カーラ《2人の人物 男と女》

 

ルシオ・フォンタナ《馬に乗った男》

 

オスヴラド・リチニ《オベリスク》

 

アタナシオ・ゾルダッティ《コンポジション》

 

 

ルシオ・フォンタナ《空間的な概念、待機中(Cocetto spaziale, Attese)》

フォンタナの作品は、美術館の中のロフトのような部屋の中にもまとめて展示してありました。

フォンタナの作品を多数見ておりまして、最初は具象画もあり、彫像もありだったのが、次第にキャンバスに裂け目を入れるスタイルになり、それも最初はいくつも裂け目を入れていたのが、最終的には一本だけ入れるように変化していくという作品の流れも追うことができました。

フォンタナ作品は非常に充実しています

 

 

ルシオ・フォンタナ《空間的な概念、待機中》

 

ルシオ・フォンタナ《空間的な概念、待機中》

 

ルシオ・フォンタナ《空間的な概念(水平の棺)》

 

ゲオルグ・バゼリッツ《無題》

 

アンゼルム・キーファー《ブロッケンの花と草》

 

ヘルムート・ミッデンドルフ《赤い傘と共に》

 

ゲオルグ・バゼリッツ《無題》

この作品と次の作品は、倒立した人物の絵なので、いかにもバゼリッツの絵という気がします。

 

ゲオルグ・バゼリッツ《無題》

 

ライナー・フェッティング《投石者》

 

とても素晴らしい現代美術館でした。

このほかに、企画展もありましたが、こちらは写真撮影不可のため、写真もなく、またこちらもクタクタでもうよく覚えていません。

これだけの美術館でありながら、なぜかこの日は無料でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1900年代美術館その1

2015年10月14日 | 美術道楽

ミラノに帰った目的は、もちろん帰りの飛行機に搭乗するためなのですが、それと同時に出発する前にお土産の購入という目的もありました。

したがいまして、ミラノに到着した午後は、本来はミラノのデパートRinascenteでお買い物の予定でした。

そして、あくまでも時間調整の目的でドゥーモの近くの1900年代美術館に入りました。

なんといっても、ローマでは濃厚なバロック三昧で、油っぽい料理ばかり食べたような状態でしたので、現代アートで気分転換をするのもよいかと考えた次第です。ちょうどその日地は無料でしたし、あくまでも、気軽な気持ちで入ったのですが、実はこの美術館、王宮のスペースまでも使っており、とてつもないコレクションの充実ぶりでした。しかもそのことは、入館した最初の段階では全く気付いていませんでした。

ともあれ、今日も美術館のコレクション紹介です。

 

 

G.ペッリツア《第4階級》

Qu'est-ce que le quatrième d`État?

第4階級ってなんでしょうねと思いますが、だいたい想像もつきますし、絵を見てもわかるようにプロレタリアートを指します。

今や過去の遺物となったプロレタリア芸術の作品なのでしょう。

作者は、シエイエスと同様に上の質問にはToutと答え、続けてQu'a-t-il jusqu'à present?という問いにはRien.と続けたいのでしょう。

 

 

 

カンディンスキー《コンポジション》

 

パウル・クレー《森の建設(Wald bau)》

 

ジョルジュ・ブラック《ギターのある静物画》

 

 

 

モランディ《ボールのある静物画》

 

ピエト・モンドリアン《ウェストカペル(地名)の灯台》

 

 

ジョルジュ・ブラック《ミオウ港》

 

モジリアーニ《ポール・ギョームの肖像画》

 

アンリ・マティス《オダリスク》

 

モランディ《静物画》

 

モランディ《静物画》

 

モランディ《静物画》

 

モランディ《フォンダッツァ通りの中庭》

 

ジョルジ・キリコ《哲学者の困惑》

 

ジョルジュ・キリコ《二人の神話の人物》

 

ジョルジュ・キリコ《浪費する娘》

 

アルトロ・マルティーニ《渇望》

 

 まだ、半分も紹介していないようですが、疲れましたので、ここでいったん中断して、続きはまた明日以降にします。

イタリアの美術館は、どこも大変な充実ぶりです。

 

 

 


SANTAMARTA

2015年10月13日 | 食道楽

間隔が空いてしまいましたがミラノ編再開です。

もうミラノでの観光も残りわずかです。

 

ローマから特急でミラノに12時過ぎに着きました。最初にミラノに泊まった時と同じホテルに泊まるので、今回は楽です。

 

ミラノ到着後、最初はアンブロジアーナ美術館を再訪しました。

このときのことは、既に第1回目のアンブロジアーナ美術館訪問の時の記事に盛り込んで書きました。

 

アンブロジアーナ美術館

 

その中庭

 

 

 

アンブロジアーナ美術館訪問の後、昼食はSANTAMARTAという店に行きました。

本来は、トラットリア・ミラネーゼTrattoria Milaneseというミラノの郷土料理のレストランに行って、そこでミラノ風カツレツを食べる予定にしていたのですが、生憎店は改修中で、営業していませんでしたので、急きょその向かいにあったSANTAMARTAで食事をすることにした次第です。

洗練されたお洒落な店内です。ローマでは、常に美術館優先で回ったため、こういう雰囲気の店には結局1回しか行くことができなかったような気がします(ローマのヴィラ・メディチの前にあった店は洗練された店でした。)。

道楽ねずみは、行く店は変わっても予定通りミラノ風カツレツをいただきました。

ルッコラやトマトがのっていて、肉と一緒に食べるとあっさりといただけるので、食が進みました。

いい店だったので、イタリアでは本来不要なチップも弾んで支払うことにしました。

 

 


モネ展(東京都美術館・東京都台東区上野公園)

2015年10月12日 | 美術道楽

東京都美術館で開催中のモネ展に行きました。

今回の展覧会は、モネが86歳で亡くなるまで手元に残し、モネの息子ミシェルからマルモッタン美術館に遺贈されたコレクションを中心にした企画展ということです。モネが家族を描いた作品や、若い時のカリカチュアの作品、さらにはモネが収集していた絵のコレクション(ドラクロワ、ヨンキントなどの作品を所蔵していました。)も併せて展示されています。

 

前期に出かけましたので、《印象、日の出》が展示されています。

絵の回りを暗くした上で、遠くから強いライトをあてて、とてもインパクトを与えるような照明にしていますので、絵の太陽やその周りの絵の具などが特に際立つように演出されています。こんなに照明で演出しなくても、いい絵なのだと思いますので、やや演出が過剰な気がしました。

このほか、《睡蓮》のシリーズもあります。日本画のようにボートをカンバスの隅の上部に描く一方で、水の中の無数の水草も描いた《小舟》も興味深いです。

 

ただ、私が本当にいいと思うのは、やはりモネが白内障を患ってからの抽象絵画のような絵です。これらの絵も一見するとわかりにくいのですが、中には日本風の太鼓橋やその上に藤棚を描いて、両者を平行に並べたり、さらにそこに菖蒲やカキツバタまで描いたりと、日本の文物を取り入れたものもあります。絵の中のものを抽象化して、その上に溢れんばかりの色彩を並べて描いたモネ最晩年の作品が私は好きです。

 


アルフレッド・シスレー展(練馬区立美術館)

2015年10月11日 | 美術道楽

練馬区立美術館で開催中のアルフレッド・シスレー展に行きました。

シスレー作品の総展示数が20展という小規模な回顧展です。

 

企画の趣旨をHPから引用します。

(引用はじめ)アルフレッド・シスレー(Alfred Sisley/1839-1899年)は、フランス、パリのイギリス人実業家の裕福な家庭に生まれました。恵まれた少年時代を過ごしたシスレーは、18歳で商いを学ぶためにロンドンへと送り出されます。このロンドンでの4年間に、コンスタブルやターナーをはじめとするイギリスを代表する巨匠たちの傑作に触れたことで、シスレーは画家になる決意をします。
パリへ戻ったシスレーは、その生涯の友であり、やがて共に印象派を成立させる仲間たち、モネやルノワール、バジールらと出会うシャルル・グレールの画塾へと入ります。1863年にグレールの画塾を去った後、シスレーはフォンテーヌブローの森の外れなどへと出向き、いよいよ風景画家としての本格的な制作活動をスタートさせました。
1871年にシスレーはパリを離れ、ルーヴシエンヌへ向かいます。このルーヴシエンヌ時代には、《ポール=マルリの洪水》(1876、オルセー美術館)などシスレーの代表作とされる作品が多く描かれています。その後、マルリ=ル=ロワやセーヴル、モレなど、パリ郊外を転々としながら各地の風景を描き続けました。1880年に入ると更にパリから遠く離れた、セーヌ川とその支流ロワン川との合流点付近の「川の情景」を多く描くようになります。とりわけ、サン=マメスでは多くの作品を描き、1889年よりモレ=シュル=ロワンに滞在し、1899年に没するまでこの地に留まりました。
本展では、日本国内に所蔵されているシスレーの風景画約20点を中心にシスレーの画業を紹介します。まず、第1章では印象主義的作風が顕著になる1870年代からパリ近郊の村モレ=シュル=ロワンに居を構えた最晩年の1890年代までを追いかけます。続いて、第2章ではシスレーが描き続けたセーヌ川とその支流を巡る情景が、実は19世紀の近代化、つまりテクノロジーによって河川の姿が変貌を遂げたことにより成立したという視点から、描かれたセーヌ川について検証します。そして、第3章ではシスレーによって確立された印象主義の風景画のスタイルが、日本の画家にも影響を与えていることに注目し、具体的な作品を通して、その影響関係について考察します。
シスレーの画業を油彩画や資料など総数約50点から、「テクノロジーと描かれた河川」そして「シスレーの日本における影響」というこれまでにない新しい2つの視点を踏まえ見つめます。(引用終わり)

 

企画の趣旨にも記載してありますように、シスレーに関するものは第1章のみで、第2章は河川についての説明で、河川工学的な説明が記載されています。運河や河川に設けられたエレベーターの仕組みなども、文字で解説してあります。国土交通省関東地方整備局も協力しているようです。第3章はシスレーゆかりの地を訪れた日本人画家の作品です。第2章と第3章は付属のような扱いですので、第1章だけが本体といって過言ではありません。シスレーの風景の絵画をそのもとになった景色の写真などを交えながらみることができます。そして、シスレーは、風景を描きながらも、その中にいずれも小さく人物を描いていたのだということを知りました。

 

閉館中のブリジストン美術館所蔵の《サン=マメス6月の朝》に久しぶりに再会することもできました。


ニキ・ド・サン・ファル展(国立新美術館)

2015年10月10日 | 美術道楽

国立新美術館で開催中のニキ・ド・サンファル(Niki de Saint Phalle)展に行きました。

その名前は聞いたことがありました。箱根の彫刻の森美術館にいけば、一度見たら忘れないような形状、怪獣のような土偶のような何とも不気味で少し滑稽なオブジェが展示されているからです。

 

しかし、その創作活動は、今回新美術館に行って初めて知りました。

 

ニキは、ジャクソン・ポロック、ラウシェンバーグなどの影響を受けながら、カミソリ、コーヒー豆、カラフルな石、日用品などを直接張り付けた作品を初期に作成し、次いで、石膏で作った作品の素案の中に絵具入りの缶や袋を埋め込み、その作品を銃で撃って、絵具を飛び散らせて作品を完成させる「射撃絵画」と呼ばれる技法で作品を作っていたそうです。

新美術館で、初期の作品も射撃絵画も実際に見ることができました。射撃絵画は、完成した作品の出来栄えよりもパフォーマンスに意味があるような気がしました。

 

そして、射撃の中毒になることを恐れたニキは射撃絵画から手を引き、今日の人々がニキの名前を聞くとすぐに連想するような作品、つまりニキが「ナナ」と呼ぶ大きく、丸みを帯びたカラフルな女性のオブジェを作るようになりました。

 

会場の中には、ニキのインタビューの映像も流れています。ニキの生きた時代によるのでしょうか、女性運動の闘士という面を感じさせるような発言もあります。ニキが、女性と黒人が政治をすればいいというような発言をしているのも、時代を感じさせて興味深いのですが、ちょうど現代、つまりシリア問題やそれから生じる難民問題を抱えた2015年で見るとほとんどブラックユーモアにしか聞こえません。いうまでもなく

黒人=オバマ大統領=アメリカ史上に残る最も無能な大統領

女性=メルケル首相=ノーベル平和賞がほしいのか、後先も考えずに莫大な難民を受け入れ、ドイツの社会に大混乱をもたらす首相(バイエルン州首相Seehoferなどの周囲の意見にはまったく耳を傾けないのでしょうか。人口とアンバランスなほどの難民やそこに紛れ込むISを受け入れ、その後いったいどうやって問題を解決するのでしょうか。ナチ時代と同じようなUltima Ratioという訳にもいかないでしょうに。)

となりますので、全く噴飯もののお二人です。もちろん、黒人が悪いのではなく、オバマさんという個人が著しく政治家に不適格なだけですし、女性の政治家もサッチャー首相やスーチーさんのような立派な人がいるのでうから、個人の問題であります。たまたまなのですが、現在目立つところにいる黒人の政治家、女性の政治家というと、全く賛同することのできないお二人を連想せざるを得ません(ついでいにいえば、韓国の大統領も日本を誹謗中傷する以外には何一つ仕事をしていません。)。

 

閑話休題。本来のテーマからそれました。

ともあれ、女性が抱える苦しみや欲望もニキの創作活動において大きなテーマであり続けましたということです。実際、ニキは、美貌の作家で、男性関係も多いようですが、年齢を重ねてから彼女から離れていった男性への未練から、その男性に手紙を書くように作った作品などは、いささかストーカーっぽくて怖い感じもしました(鼠草子の主人公権頭が、逃げられた奥さんのことを思って次々と和歌をつくるのと同じようです。)。


展覧会の最後の方には、ニキがガウディの《グエル公園》にインスピレーションを受けて製作したタロット・ガーデンの映像とその一部の作品の模型が展示されていました。タロット・カードをもとに、タロットに出てくるキャラクター(アルカナ?、つまり女教皇とか教皇といったもの)の彫刻を作り上げ、それを庭園内に展示した作品です。



以下は撮影が可能であった作品です。


《ブッダ》

ニキは、エジプトの神も含め、異国の礼拝の対象となっているものを積極的に作品としたそうです。


ニキ製作の椅子


風景画の誕生(渋谷Bunkamura)

2015年10月09日 | 美術道楽

渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「風景画の誕生」展に行きました。

ウィーン美術史美術館のコレクションの中から、風景画に焦点を当てた作品が展示されている企画展です。

特に宗教家の背景に描かれた風景の描写から、風景それじたいが主役になっていく過程がわかるような形で作品コレクションが選ばれています。

 

第1章 風景画の誕生の中の第1節 聖書および神話を主題とした作品中にあらわれる風景では、ヤン・ブリューゲル(子)の《エジプト逃避途上の休息》、ティツィアーノの《タンバリンを演奏する子ども》など、宗教的な題材を取り上げた作品が展示されています。そこではあくまでも付属品として、風景画が含まれております。後者の作品は、一見すると子供を描いただけの作品ですが、タンバリン等描かれたものが、Vanitas、つまり人生のむなしさの寓意を表しているとのことです。

ところが、デューラーをして、最初の風景画家といわしめたヨアヒム・パティニールの《聖カタリナの車輪の奇跡》になりますと、もうカタリナの絵はとても小さく、車輪が炎上する場面(こんな話だったのか疑問がありますが。)はわかるものの、カタリナ自身は見落としてしまいそうです。ここでは、なるほど風景の方が主役といえるかと思います。

ヤン・ブリューゲル(父)の《キリストの誘惑が描かれた風景》でも、キリストの姿は小さくなり、こちらも風景の方が主役のようです。

ヴェネチア派のドッソ・ドッジの《聖ヒエロニムス》の絵は、ドッソ・ドッジが唯一署名を残した絵ということです。その署名というのが面白いです。アルファベットのDが描かれ、そこに突き刺すように骨(昔の漫画で犬がくわえていそうな骨)の絵が描かれているのです。骨はイタリア語でOsso、つまり、私の大好きなオッソ・ブーコのオッソで、D*OssoでDossoになるのです。とても面白い署名と思いました。これなら赤Rossoだったら、R+骨でいいかもしれません。

第1章のほかの絵では、ホーホストラーテンの画家の《聖母子と聖カタリナと聖バルバラ》において、背景に塔が描かれていることによって、描かれているのが塔に閉じ込められた聖バルバラであることを表されていること、南ネーデルラントの画家の《東方三博士の礼拝》において、背後の風景を覗き込んでいる後ろ向きに描かれた2人が描かれていることなどが印象に残りました。

 

第1章 第2節では、一年12ヶ月や季節の営みを描いた月暦画等が展示され、第3節では、牧歌を主題とする風景画が展示されています。

 

第2章は風景画の展開となり、我々が慣れ親しんでいるスタイルの風景画が展示されています。



私にとっては、やはり宗教的なテーマの背景として風景画が描かれているタイプの初期の風景画が一番面白いと再認識した次第であります。