道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

六義園のしだれ桜(文京区本駒込6丁目)

2010年03月31日 | 風流道楽
今年も六義園のしだれ桜を見て参りました。
3月29日の夜のことです。夜桜のライトアップが有名ですので,夜といってもずいぶんと混み合っていました。
今年は3月になって寒い日が多かったので,桜の開花から満開までのスピードが遅くなったようでして,3月29日の時点で満開でした。
今年は4月4日までライトアップは続くようです。




汪兆銘の南京国民政府樹立

2010年03月30日 | 衒学道楽
1940年3月30日,南京に「南京国民政府」が誕生しました。首班は汪兆銘です。
日本は満州事変以後,中国への侵略を繰り返し,1937年に日中戦争を開始し,その年には既に中華民国の首都南京を陥落させました。
その後,首相近衛文麿は,無責任に「爾後國民政府ヲ對手トセズ」との近衛声明を発表し,講和の機会も閉ざしてしまいました。しかし日本も,他方で1938年ころから新たに南京に傀儡政権を樹立することを画策していました。
汪兆銘は,日本が中国に和平の条件を示した上で,この条件に応じて日本未占領地域に新政府を樹立するというプランを建て,新政府の樹立を企てました。しかし汪兆銘もは,交渉過程で,再び首相となっていた近衛文麿からハシゴを外された挙げ句,結果的には完全に日本の傀儡政権に過ぎない南京国民政府の首班を押しつけられるだけになります。そして,期待した和平は進まず,蒋介石の重慶国民政府と日本との戦争はさらに続くことになります。

汪兆銘は辛亥革命時代から活躍し,中華民国の成立宣言を起草したこともあれば,孫文の遺言の草稿を起案したとも言われています。その汪兆銘がどのような思いから,後に漢奸と蔑まれるような南京国民政府の首班となったのか関心のあるところです。

例えば「プラハの春」が鎮圧された後も職に留まったスボボタ大統領やポーランドの連帯運動を鎮圧する側に回ったヤルゼルスキ将軍のように,国の将来のため,より大きな被害が発生するのを食い止めるために国外の勢力にあえて迎合する汚れ役を演じるという生き方もあると思います。しかし,客観的に見ても汪兆銘の行動は,中国のその後にとってプラスとなったとも思えないのです。

写真は南京国民政府のあった総統府です。
wikiのGNU Free Documentation Licenseの写真からとったものです。
総統府 正門 2004年5月4日撮影 撮影者:権作

マエストロ(新国立劇場・渋谷区本町)

2010年03月29日 | 食道楽
「神々の黄昏」の幕間にレストラン・マエストロで食事をしました。
弁解をするようですが,別に贅沢をしたいのではないのです。ただ,幕間時間は45分。
ここから,劇場内から出るのに要する時間,トイレの時間等の必要な時間をひいていくと,いくらオペラシティに隣接しているとはいえ,そこに行って店で料理を注文して,食べてという時間を考えると,45分では危なくなります。せいぜい外で食べられるのはファーストフード系でしょうが,それですら混雑状況が気になります。以前にはオペラシティより先まで行って,大忙しで吉野屋の牛丼を食べたこともありますがオペラの雰囲気がぶちこわしになるので,最近はしていません。
ということで今回もマエストロです。
料理は第1皿目はニシンのマリネです。既にテーブルにセットしてあります。



第2皿目はアイスバイン(豚足料理)です。ベルリン名物の料理で,いかにもドイツ的ですが,本当は避けたかったメニューですが,メニューは固定なので仕方がありません。



今回も歌手や指揮者のサインの入った幕間メニュー用紙がありました。



雰囲気はともかくとして,味プロパーでいいいますと,幕間料理はあまりお勧めではありませんが,ホール内で立食で食べられる料理は,すごく並びますし,高くて量も少ないので,やむなくマエストロになります。
マエストロ内の様子



以前に出演した歌手や指揮者のサイン入りのプレートが飾られています。



どうせ長丁場のオペラなのですから,本当はヨーロッパのオペラ座のように60分くらい休憩があるといいのですが。ベルリンのオペラの際には,幕間に隣接しているクリスマスのマルクトに行き,そこでソーセージを食べました。

開幕前の様子(13時30分ころ)



第1幕と第2幕の幕間(16時30分ころ)
こちらも黄昏が近いです。



第2幕と第3幕の幕間(18時40分ころ)



終演は20時20分でした。


神々の黄昏(新国立劇場・渋谷区本町)

2010年03月28日 | オペラ道楽
再び新国立劇場で「神々の黄昏」を見ました。
既に2004年春の上演されたものの再演ですが,演出は今回も微妙に違うような気がします。
自分はこの演目を既にフランクフルトのオペラ座,ベルリンの国立歌劇場(ウンター・デン・リンデン)でも見ていますので,2004年に新国立劇場で見たのと併せて4回目となります。

序幕では,パンクのような不思議な風貌のラインの乙女(ノルン)が現れ,次いでジークフリートとブリュンヒルデの登場です。ジークフリートはブリュンヒルデのBと書いたシャツを,ブリュンヒルデはSと書いたシャツを着て,ラブラブぶりというか限りなくバカップル状態を披露し,この後に起こる破局とは正反対の愛を語り合います。因みに「ジークフリート」の演目ではジークフリートがSと書かれたシャツを着ていました。
そして,有名な「ジークフリートのラインの旅」の曲を経て,第1幕にそのまま突入します。「ワルキューレ」で,最初にはトロイの木馬のような巨大な模型として登場し,次いでデパートの屋上にある子供のおもちゃとして登場した愛馬グラーネは,今回は一段と小型化して手で持つことができるような小さなサイズとなり,旅するジークフリートのアタッシュケースの中に収められています。
第1幕は,名家の貴公子グンターその妹グートルーネのいるギービッヒが舞台です。そこには,異父弟(アルベリヒの子)であるハーゲンもいます。ハーゲンが言葉巧みに,お坊ちゃんのグンターとお嬢さんのグートルーネを唆したところに,当のジークフリートがやってきます。ジークフリートは最初からとてもとても粗野で,知性を感じられない振る舞いをします。グンターとのやりとりを見ても,ジークフリートはハーゲンの薬によって記憶を消される前から,粗野で愚かなダメ男のようです。ジークフリートは相変わらすBの文字のシャツを着ていて,忘れてはならないことが・・・と言いながらハーゲンの薬を飲まされますが,忘れ薬でいとも簡単に過去を忘れてしまいます。そして,ジークフリートは,グンターと義兄弟のちぎりを結び,惚れたグートルーネを妻にするために必要といわれ,すぐにブリュンヒルデのいる炎の岩山に向かいます。ジークフリートの馬鹿っぷりを見ていますと,ハーゲンの薬がなくても,ジークフリートはグートルーネと浮気くらいはしたのでしょう。この場面,ハーゲンが,気を失っているグートルーネの股を大きく開き,犯そうとするのが変わった演出でした。グンターとハーゲンは異父兄弟ということは,ハーゲンとグートルーネも異父兄妹の関係にあり,両者の近親相姦となれば,中国の春秋時代の斉の襄公とその妹文姜(魯の桓公の后)との関係のようなものでしょうか。

そのころ,ブリュンヒルデのもとには,妹のヴァルトラウデ(ワルキューレ時代の仲間)が現れ,危機の迫っていることを告げ,指環を捨てるようアドバイスをします。しかし,ブリュンヒルデも,ノロけ話ばかりで全く危機感がありません。そして,魔法の頭巾の力によってグンターに姿を変えたジークフリートが現れ,指環を奪い取り,ブリュンヒルデをグンターの嫁として奪い取っていきます。この場面では,本当はグンターの姿になったジークフリートだけがブリュンヒルデを訪問するはずなのに,グンター役とジークフリート役の歌手が同時に舞台に出ていたり,その場に行っているはずのないハーゲンが一言も発することなくその場に立ち会っていたりする演出が面白かったです(指環を奪い取るときには,指環を念力で吸い寄せるような動作をします。)。

そして第2幕。最初にハーゲンの父であるアルベリヒが登場し,ハーゲンに共同しての企てを提案しますが,既に思惑通りに物事が進んでいるハーゲンは取り合いません。アルベリヒは瀕死の病人のような状態で現れます。ハーゲンも薬物中毒のようで,モルヒネか覚醒剤かわかりませんが,止血帯を巻いて自分で自分の腕に注射をします。

次いで場面が変わり,ブリュンヒルデが現れます。ブリュンヒルデは,ジークフリートとの愛の住みかごと連れ去られてきています。そこで彼女が目にしたものは,相変わらずBのシャツを着ているジークフリート。ブリュンヒルデはジークフリートに駆け寄りますが,忘れ薬で忘れてしまったジークフリートは覚えがないと否定するばかりです。しかし,ジークフリートの話は,指環の一件でどうしても辻褄があいません。ハーゲンがこれ見よがしに見せた隠れ頭巾によって,ブリュンヒルデは自分を力ずくで連れ去った犯人がジークフリートであることを悟ります。ブリュンヒルデはジークフリートを糾弾し,ジークフリートは誓いを立てます。序幕でのバカップルぶりと対照的なこの場面は,今度は痴情のもつれで激しく争うカップルというイメージです。
そして,面子丸つぶれの貴公子グンター,激しい怒りをジークフリートに持つブリュンヒルデ,そして陰謀の張本人ハーゲンの3人はジークフリートを暗殺する共謀をします。
第2幕の演出では,ことさらに遠近法を強調した廊下(左右に無数の扉があります。)がこの演目でも再び現れ,ギービッヒ家の兵士達は,白衣の上に緑の作業衣をまとった手術医か看護師のような姿で登場します。

第3幕目。狩りの場で皆からはぐれたジークフリートは獲物もないまま,ラインの乙女達(ノルン)と遭遇し,指環を返して欲しいと言われます。今回の演出で感じたのは,ノルン達は最初からジークフリートが指環を返すと期待していなかったのではないかということです。ジークフリートを持ち上げたり,ケチだと悪口を言ったりし,ジークフリートも当初は指環を返そうとします。しかし,ノルン達は指環を持っていると悪いことが起きるからと言って,あえてジークフリートを怒らせるようにしむけます。今回の演出では,ノルン達が善意でジークフリートを助けようとして,悪いことがおきないようにと言ったのではなく,そのように言うとジークフリートが機嫌を悪くして,返さなくなることをよく知りながら,わざとそのように言ったような気がします。実際,ジークフリートが指環を返してくれないと知るや,ノルン達はあっさり引き下がります。
やがて,ジークフリートは,ハーゲンとグンターや狩りの仲間と合流します。そこで,ジークフリートはハーゲンから記憶を回復する薬を飲まされます。ジークフリートは,昔話を初め,ブリュンヒルデと知り合ったときのことまで語ります。そこでグンターに槍を渡されたハーゲンは,ジークフリートの背中に槍を突き立て,ジークフリートは息絶えていきます。
有名な「ジークフリートの葬送行進曲」ですが,瀕死のジークフリートが絶命寸前に向かおうとした先にいたのは,本来の妻ブリュンヒルデ・・・ではなく,ブリュンヒルデと見誤ったグートルーネでした。ジークフリートは最後まで英雄ではなく,オトボケキャラのまま死んで行きます。
ジークフリートの亡骸はギービッヒの家に連れ帰られ,ブリュンヒルデと暮らした家(今は火葬場になっています。)と共に燃やされます。ジークフリートがブリュンヒルデが共に使ったベッドや,ブリュンヒルデがワルキューレ時代に使っていたもの等々,様々な道具は皆,今やゴミ回収のために路上におかれた粗大ゴミのように放置された挙げ句,ジークフリートの亡骸とともに一緒に燃やされることになります。そして,ラインの黄金の指輪も。ブリュンヒルデも自ら火葬場の中に飛び込みます。因みにワルハラ城の炎上のシーンはありません。
そしてハーゲンはと言えば,最後の最後に指環を取りに行きますが,それまでは目の前の出来事を他人事のように呆然と見ているだけで,動きが乏しいです。この人は本当に指環が欲しかったのだろうかと疑問さえ生じてきます。ジークフリートやブリュンヒルデの方がよっぽど指環にこだわっていたように思いました。

ラストの場面では,ジグソーパズルのパーツの形をしていた指環が,スクリーンに上映されたパズルの中にしっかりと収まった上で,スクリーンが姿を消します。そして,舞台の上には映写機が出て,その映写機からの映像を見ていたと思わしき現代の人々が現れて終わります。

演出で目をひいたのは,ジークフリート,そしてブリュンヒルデの愚かさの演出です。ジークフリートが馬鹿っぽく演出されているのは,今までのことでおわかりになっていただけると思いますが,ブリュンヒルデもジークフリートとの恋愛で物事が見えなくなり,そして財産(指環)にもこだわります。そして激情からハーゲンの陰謀に加担しながらも,最後は自分が陰謀の仲間であったことをコロっと忘れ,ジークフリートをたたえ,ハーゲンらの陰謀を非難して死んでいきます。とても賢いとは言えないようです。
同時に非常に特徴的だったのは,ハーゲンの毒性が弱いことです。この演出は,他の演出に類を見ない特徴と思います。ハーゲンは陰謀の黒幕にはなりますが,何が何でも指環を奪い取ろうとはしていません。ジークフリートを殺害するのも,グンターに槍を渡され,やむを得なくなってからです。他のオペラ座で見るような悪役としてのキャラクターからはほど遠いものがありまして,悪役としてはずいぶんと矮小化されているようです。この演出では,ハーゲンもまた,運命の糸から逃れることのできないまま悪役を演じざるを得ない1人の人間に過ぎないと言うことなのでしょうか。

この破滅をもたらしたダメ主神ヴォータンは役として登場しないのはもちろん,映像等でも姿は現しません。

いろいろ書きましたが,音楽は迫力があって,とてもよかったです。
ジークフリート役のフランツさんも,ブリュンヒルデ役のイレーネ・テオリンさんもとても良かったです。特に今回はフランツさんもがんばっていました。

新国立劇場内の様子


仁多米こしひかり

2010年03月27日 | 食道楽
久しぶりに出雲の仁多米のこしひかりを買いました。
ちょっと高めなので,いつも買う訳ではないのですが,時々気が向くと買います。
仁多米は西の魚沼などと呼ばれ,すっかり西日本の有名な米所となり,差別化に成功しているようです。

まだ,開封していませんが,楽しみです。

ミュージアムスコープ

2010年03月26日 | 美術道楽
長谷川等伯展にいくのにあわせて,ミュージアムスコープというものを初めて購入しました。

毎日読んでおりますブログを読んでおりまして,長谷川等伯展にはミュージアムスコープがあるといいと思いましたからです。そのブログにリンクされているところからAmazonで販売しているミュージアムスコープを確認した上で,結局,納品の早さから楽天の店で購入しました。

が,しかしです。私はオペラグラスは使いますが,ミュージアムスコープというものを手にするのは初めてです。かなり強度の近視をコンタクトレンズで矯正していることとは関係ないのだと思いますが,なかなかピントがあいません。家の中のマウスを使った実験を繰り返し,ようやく使い方のコツを覚えました。ちなみにマウスを使った実験とは,マウスのぬいぐるみのヒゲや耳などをミュージアムスコープで覗き込んで,見え具合を確認する実験のことです。わかったことは,あまり接近しすぎるとかえって焦点が合わずに見えなくなるということです。

これを持参して,勇んで等伯展に出かけたのですが・・・。
いくら悪天候の中を朝一番で行ったとは言いましても,ミュージアムスコープでゆっくり見るほどには空いていませんでした。焦点を合わせようと悪戦苦闘していますと,ますます焦って時間がかかり,周りにも迷惑がかかりそうですし。
結局,三十番神図の前でも使うことはできませんでした。これを丁寧に見るために,ミュージアムスコープを購入したのですが・・・

東京の日本美術の展覧会のように混雑するところでは,とてもミュージアムスコープは使えないのだということが分かりました。地方の美術館に行った際に使いたいと思います。


天使のアスティ

2010年03月25日 | 食道楽
普段,家で晩酌はしませんが,軽く相方と乾杯をしたいと思いまして,小型のワイン「天使のアスティ」を買いました。
同じ名前で赤ワインもありましたが,白ワインにしました。
マスカットの華やかな香りと爽やかな風味を持つ甘口のスパークリングワインですということで,アルコール度数も少なく,飲みやすいワインでした。

富家(新宿市谷柳町)

2010年03月24日 | 食道楽
再び牛込柳町の韓国料理店,冨家に行きました。
以前にも書きましたが,ガラスの窓で外側から中の様子も見ることができますし,メニューの詳細が外に掲示してありますので,入りやすい店です。

今回は,焼き肉中心に食べました。
肉のセットを頼んだ上で,追加注文をしました。
最近は,2時間いくらというバイキング形式の焼き肉を食べることが多かったのですが,きちんと注文する形式の店で頼みますと,さすがに肉がおいしいです。冨家は割とお手頃な値段の店ですが,それでもバイキング形式の店よりは格段においしかったです。普段はあまり食べない相方も,今回は普通に食べていました。




他に頼んだのは,キムチやナムルの盛り合わせです。
キムチもいつもの店よりはかなりおいしかったです(こちらの方が当たり前なのですか。)。



海鮮チヂミもです。




レンピッカ展(Bunkamuraザ・ミュージアム・渋谷区道玄坂)

2010年03月23日 | 美術道楽
Bunkamura・ザ・ミュージアムで開催中のレンピッカ展に行きました。
恥ずかしながらレンピッカという名前は聞いたこともありませんでした。
名前すら聞いたことのない画家の展覧会に行くというのも珍しいのですが・・・

女流画家タマラ・ド・レンピッカは1898年,ワルシャワの名家に生まれ,18歳のときにロシア貴族のタデウシュと結婚します。ところが,結婚後まもなくロシア革命が勃発し,レンピッカ夫妻はパリでの亡命生活を余儀なくされます。
夫タデウシュは亡命生活の中で,無気力となり何もする気を失い,レンピッカは画家として収入を得て,自立するようになります。そして,「狂乱の時代」と呼ばれた1920年代から30年代、レンピッカは時代の寵児としてもてはやされます。娘ギゼットを描いた絵(例えばピンクの服を着たギゼット)は,ナボコフの小説「ロリータ」のイメージでとらえられます。他にもタデウシュとの離婚直前に描いた「タデウシュ・ド・レンピッキの肖像」もこの時期の作品です。ほかにも「サン・モリッツ」,「イーラ・Pの肖像画」(この女性はレンピッカと深い関係にあったようです。),「カラーの花束」,「ジュリー・ソリドール」(レンピッカの恋人の女性)の肖像など皆この時代の絵画です。
レンピッカはパリの社交界に多くの交遊関係を持ち,男女を問わず,多くの人々と親しく関係を持つようになります。アンドレ・ジイドは,レンピッカに相当にご執心で,レンピッカを困らせたようです。

レンピッカはナチスドイツが台頭し,第2次世界大戦の脅威が高まるとアメリカに亡命します。1961年の個展が惨憺たる大失敗に終わったことから,しばらく忘れ去られていまいますが,晩年に再評価され,請われるまま「狂乱の時代」の自分の作品のレプリカを作ったりもしますが,最後はメキシコで亡くなります。

ルネッサンスの巨匠に学んだり,抽象画を試みたりした晩年の作品も見ましたが,やはりレンピッカが最も生き生きとしていたのは狂乱の時代だったような気がします。絵画を漫画チックにしながらも,モデルに陰とエロチシズムを持たせる画風は独特だと思いました。

【余談】
音声ガイドのナレーションは夏木マリさんでした。ぴったりというイメージでした。

おたる大和家(北海道小樽市稲穂)

2010年03月22日 | 食道楽
上野松坂屋で北海道展を開催していましたので,そこのイートインで小樽の寿司店「おたる大和家」の寿司をいただきました。
いくらはプチプチとすごい弾力でしたし,タラバ蟹もとても新鮮でおいしかったです。雲丹の風味も口の中に広がり,大変おいしいと思いました。

頼んだコースには,北海道の名産の貝類,例えばホッキ貝が入っていなかったのだけが心残りですが,おいしいお寿司をいただくことができました。


カスヤの森現代美術館(神奈川県横須賀市平作)

2010年03月21日 | 美術道楽
JR衣笠駅から徒歩15分程度の距離にある「カスヤの森現代美術館」に行きました。

芸術家の若江漢字先生ご夫妻が開いておられる美術館でして,既に3回訪問したことがあります。
今回はドイツ現代絵画ということで,エドガー・ホフシェンとアンケ・エルレンホフの作品の展覧会でした。

2人の作品ともに,シンプルでほぼ一色の絵画(ただし,下に塗った絵の上にさらに絵を描いたりもしていれば,絵の中にさらに枠を描いたりもしています。)を多数並べた作品などが展示とされていました。1人1人の作品でも十分に面白いのに,両者の作品を別々に展示するのではなく,あえて同じ展示スペースに並べて展示することにより,両者の作品が共鳴しているようで,大変に興味深かったです。この2人の作品をうまく配列して,コラボレーションを演出することが,作品の魅力を倍増させているように思えます。この演出を実現させたのが美術評論家のクラウス・ホネフ氏とのことです。

ほかにも常設展で,ヨーゼフ・ボイスやナム・ジュン・パイク,李禹煥などの著名な芸術家の作品も見ました。
展示室の建物が以前より一つ増築されたようです。

最後には敷地にある竹林を散策しました。
竹林を散策することなど珍しく,癒しの時間を持つことができました。


ブリー・ド・ムラン A.O.P.

2010年03月20日 | 食道楽
ようやく神楽坂のチーズの名店アルパージュに久しぶりに買い物に行きました。
今回買ったチーズは,ブリー・ド・ムランというものです。
店からもらった紹介の紙には「とろりと絹のようななめらかさと,麦わらを思わせる香り,濃厚なコクが楽しめます。乳酸発酵の時間が長く,熟成にも日数のかかるチーズ」と書いてあります。
濃厚ではありますが,クセも少なく,おいしくいただきました。
ワインと一緒ではなく,朝食のパンと一緒ではちょっと申し訳ないようなチーズです。


崖山の戦い

2010年03月19日 | 衒学道楽
1279年3月19日,南宋は滅亡しました。

南宋の命脈は1276年に首都臨安(杭州)が陥落し,皇帝が降伏した時点で実質的には終わっていましたが,宰相陸秀夫は皇子を皇帝に推戴し,抵抗運動を続けていました。しかし,宰相陸秀夫に率いられた南宋も,広州湾で元の海軍と戦い(崖山の戦い),破れたことによって,完全に命脈を絶たれることになります。陸秀夫は戦闘中,船内で幼帝衛王に「大学」の講義をしていましたが,敗北を悟り,皇帝を抱いて入水しました。その様子はさながら平家物語の壇ノ浦の合戦のようです。

その後も別の家臣,張世傑はベトナムに亡命して再起を図ろうとしますが,船が転覆して志を遂げることができませんでした。張世傑は,天が宋を滅ぼそうとするなら,この船を覆せと叫んだところ,船が覆ったそうです。十八史略の最後の記述は,「船覆る,世傑溺る(この部分は自信がありません。),宋滅ぶ」と極めて短く締めくくられていた記憶です。

松葉蟹

2010年03月18日 | 食道楽
今シーズン最後の松葉蟹をいただきました。
通販でボイルしたものを買いました。
最後になりましたので,いつも食べる足折れの蟹がなく,足の全部そろった蟹になりました。
もう季節もおしまいだからでしょうか,蟹の足の身の入り具合はそれほどよくはありませんでした。しかし,それでも蟹みその甘さには感激しました。
また11月半ば以降には食べられると思います。

ルノワール展(国立新美術館・港区六本木7丁目)

2010年03月17日 | 美術道楽
週末にルノワール展に行きました。
長谷川等伯展とボルゲーゼ美術館展の方に関心が向けられ,今ひとつ注目度が低い美術展と感じていたのは私だけでしょうか。

ルノワールの絵は見ていて,素直に綺麗な絵と楽しめる絵です。
アンリオ夫人やブーシヴァルのダンスなどは海外からきた作品です。
「ブーシヴァルのダンス」は「都会のダンス」,「田舎のダンス」にも似ていて,一瞬間違えそうになりました。
今回,特に気に入ったのは「アルジェリアの娘」です。ドラクロワがアルジェリアに行ってから作風を変えたのを想起しながら,ルノワールもアルジェリアの作品を描いたのだそうです。ほかにもタンホイザーの場面を描いた絵,花を描いた絵や彫刻などの作品も面白かったです。
日本国内からの出品も多く,国立西洋美術館,大原美術館,ブリジストン美術館,川村記念美術館の作品などはすぐに見たことがあると思いました。

リューマチを患いながらも,家庭的には幸福といえるでしょうし,生前から高い評価を得たルノワールの人生は幸せだったといえると思います。