道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

LOHENGRIN(新国立劇場)

2016年06月04日 | オペラ道楽

1週間近く経ってしまいましたが、5月27日に新国立劇場のオペラLOHENGRINを見ました。

このオペラは2012年に上演したものの再演です。

実は2012年にも単身赴任先から帰ってこのオペラは見ていましたので、今回2回目の鑑賞となります。

 

何と言ってもLOHENGRIN役のクラウス・フロリアン・フォークトの歌にものすごい感銘力があります。新国立のHPには、「神々しい美声、そして端正な容姿」とありますが、本当に神の使いとしてエルザ・フォン・ブラバンドを救出するために現れた聖杯の騎士の神々しい声を聴いているような気がします。フォークトは、Staats Oper unter den Lindenでは「ニュルンベルクのマイスタージンガー」ではヴァルター役で出ているそうですが、このような世界で活躍する歌手が、来日公演ではなく、新国立劇場の通常の上演の演目に出演してもらえることは大変あり難いことです。フォークトの歌声を聴くだけでも、来た甲斐がありました。オルトルート役の歌手も、歌もうまければ憎々しい演技もうまく、邪悪な企みでフォークト=聖杯の騎士の行いを妨げようとする役を上手に演じていました。この2人と比べてしまうと他の歌手は、特別に来日した歌手も含め、いささか見劣りしてしまうことは否定することができず、エルザ(無表情なのは、演出ではなく、演技の余裕がなかったからのように見受けられました)とテルラムントはついていくのが大変だったのではないかと思われました。

 

演出は、シンプルといえばシンプルです。ローエングリンは白鳥にひかれるのではなく、白鳥をデザインしたゴンドラからスーパー歌舞伎のように天井から姿を現します。エルザは、天然系という演出なのでしょうか、第1幕では背中にフードのような不思議なものをつけています(これがブラバンド公国の公女であるエルザの負っている重みの象徴でしょうか。)。第2幕では、LEDライト付きの板の上にのって登場し、その上には“はかなさ”の象徴である傘のようなものがあります。そして、オルトルートから疑念を植え付けられた後に登場する時には、“フープドレス”というらしいのですが、頭上に渦巻きのように巻きついたものがついています。これは、オルトルートの埋め込んだ“疑念”の象徴でしょうか。

第3幕の第2場では、ローエングリンもエルザも黒を基調にした重苦しい衣装に着替えて登場です。

 

演出もシンプルながら楽しめましたし、なんといっても美術・衣装は、あの光の魔術師として有名なロザリエですので、光をうまく使用した舞台セットになっていました。

この上演を最初に見た2012年時点では知らなかったのですが、ロザリエといえば、2013年にライプツィヒに行った際に、造形美術館で、企画展”WELTENSCHÖPFER RICHARD WAGNER, MAX KLINGER, KARL MAY MIT RÄUMEN VON ROSALIE” 「世界の創造者―リヒャルト・ワーグナー,マックス・クリンガー,カール・マイ―ロザリエによる空間とともに―」を見ていますが、あのロザリエです。スクリーンに映し出すワッフルのような格子、LEDライトなど、さすが本業は光を用いた現代アーティストだけありました。

 

大変満足のいくオペラでありましたが、やはりオケのほんの一部、否、管楽器の一部というか、おそらくお一人、今回もまた若干問題があったように思います。フォークトのような歌手の出る演目で、しかも前奏曲の段階から??という演奏は避けてもらいたいような気がします(ちなみにパルジファルの上演の時も同じパターンだったような気がします。)。これでは、オケ全体が悪いといわれかねませんので。

 

スタッフ

【指揮】 飯守泰次郎

【演出】 マティアス・フォン・シュテークマン

【美術・光メディア造形・衣裳】 ロザリエ

【照明】 グイド・ペツォルト

【舞台監督】 大澤 裕

 

キャスト

【ハインリヒ国王】 アンドレアス・バウアー

【ローエングリン】 クラウス・フロリアン・フォークト

【エルザ・フォン・ブラバント】 マヌエラ・ウール

【フリードリヒ・フォン・テルラムント】 ユルゲン・リン

【オルトルート】 ペトラ・ラング

【王の伝令】 萩原 潤

【ブラバントの貴族Ⅰ】 望月哲也

【ブラバントの貴族Ⅱ】 秋谷直之

【ブラバントの貴族Ⅲ】 小森輝彦

【ブラバントの貴族Ⅳ】 妻屋秀和

【合唱指揮】 三澤洋史

【合唱】 新国立劇場合唱団

【管弦楽】 東京フィルハーモニー交響楽団

【協力】 日本ワーグナー協会

【芸術監督】 飯守泰次郎

 

あらすじ

【第1幕】東方からの侵略に備えた兵力要請のためドイツ国王ハインリヒがブラバント公国にやってくると、公国に不和が広がっていた。その訳を国王が尋ねると、ブラバント公の跡取りゴットフリート王子を姉のエルザが殺した、とテルラムント伯が告発する。エルザは無実を訴え、夢に見た騎士が現れて自分を救ってくれるはずだと語る。神明裁判でエルザの代わりに戦う騎士を募ると、白鳥の引く小舟にのった騎士がやってくる。エルザのために遣わされたという美しい騎士は、勝利したら彼女の夫となり国を治めるが、ひとつ約束を守ってほしい、と言う。それは、決して名前や素性を尋ねないこと。エルザは約束を守ると誓う。騎士とテルラムントが戦い、騎士が勝利する。

【第2幕】追放されたテルラムントと彼の妻である魔女オルトルートは、騎士は素性を問われると力を失うと見抜き、復讐に燃える。オルトルートはエルザに、素性を明かさない騎士は突然姿を消すのではないか、と吹き込む。夜が明け、婚礼のため大聖堂へ向かうエルザに、オルトルートは、裁判で騎士が勝ったのは魔法を使ったからだと叫ぶ。騎士はテルラムントに素性を問われるが、エルザ以外に答える必要はないとあしらう。エルザの心は激しく揺れている。

【第3幕】結婚式後、初めて2人だけの甘い時を迎えているが、エルザは愛する人を名前で呼べない辛さを訴え、とうとう騎士に名前を尋ねてしまう。騎士は国王の前で素性を語り出す。彼は、パルジファルの息子で聖杯の騎士、名はローエングリン。素性を知られたからには去らねばならないという。白鳥の引く小舟にローエングリンが乗り、白鳥の首の鎖をはずすと、ゴットフリート王子が現れる。王子は殺されたのではなく、オルトルートの魔法で白鳥にされていたのだ。ローエングリンが去った後、残されたエルザは悲しみのあまり、くずれおちる。

 


アンドレア・シェニエ(新国立劇場)

2016年04月17日 | オペラ道楽

新国立劇場でオペラ・アンドレア・シェニエを見ました。

2010年に上演されたものを、キャストを変えた上で再演したものです。

シンプルな舞台ながら、興味深い演出です。

幕はギロチンの刃からとった斜め形にしてあり、左右に幕が開閉します。

幕の内側の幕もギロチンの刃のように斜めの形で下に降りてきます。第1幕と第2幕の幕間では、ギロチンが2の累乗形式で、2,4,6,8,16,32・・・と次々と増殖していく映像が流れ、血の粛清の連鎖という恐怖政治の実態を語りかけてくれます。

それと、舞台が最初から最後まで歪んでいて、水平方向にならず、セットがみな傾いているのも、当時の不安定な情勢や登場人物の歪んだ心情をうまく表していると思います。

 台詞はありませんがロベスピエールも後ろ姿で第2幕に登場します。肖像画でみられる髪型が特徴的です。サン・ジュストはいなかったようです。そのほかにもヴァルミーの戦いの勝者デュムーリエ将軍など、実在の人物の名前もちらほら出ます。

音楽にもラマルセイエーズのおしまいの方にあるmarchons, marchonsの部分のメロディーも入ります。

 

第1幕では、マッダレーナの属する貴族階級のノー天気な様子が描かれます。詩人であるアンドレア・シェニエが民衆の困難な生活を歌っても、貴族階級は全く意に介せず、気分を損ねるだけです。マッダレーナの父に至ってはケーキを食べ続けるなど飽食の限りを尽くしています。

第2幕になりますと、既に王制は廃止されているどころか、王も処刑され、舞台はロベスピエールの恐怖政治の時代になっています。革命裁判所の検事アントワーヌ・カンタン・フーキエ=タンヴィルの密偵も暗躍しています。

第3幕では、革命裁判所が舞台となります。ジェラールは、マッダレーナを手に入れるためにシェニエを消すべく、シェニエの起訴状を書きますが、マッダレーナの愛の深さに心を打たれ、裁判では虚偽の起訴状を書いたと述べますが、シェニエはそのまま死刑になります。

第4幕では、シェニエを助ける術のないマッダレーナは、他の死刑囚と入れ替わりシェニエと共に死刑になることを選びます。

第3身分の苦しみを全く理解しない、ノー天気な貴族と恐怖政治の血の連鎖の両方がうまく描かれている演出と思いました。

シェニエやマッダレーナの歌がとても素晴らしく、いいオペラです。

主要なキャスト3人はとても素晴らしかったですし、それ以外の歌手も頑張っていたと思います。オケも頑張っており、楽しむことができました。

 

【指揮】ヤデル・ビニャミーニ

【演出・美術・照明】フィリップ・アルロー

【衣裳】アンドレア・ウーマン

【照明】立田雄士

【振付】上田 遙

【再演演出】澤田康子

【舞台監督】斉藤美穂

 

キャスト

【アンドレア・シェニエ】カルロ・ヴェントレ

【マッダレーナ】マリア・ホセ・シーリ

【ジェラール】ヴィットリオ・ヴィテッリ

【ルーシェ】上江隼人

【密偵】松浦 健

【コワニー伯爵夫人】森山京子

【ベルシ】清水華澄

【マデロン】竹本節子

【マテュー】大久保 眞

【フレヴィル】駒田敏章

【修道院長】加茂下 稔

【フーキエ・タンヴィル】須藤慎吾

【デュマ】大森いちえい

【家令/シュミット】大久保光哉

 

【合唱指揮】三澤洋史

【合唱】新国立劇場合唱団

【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

【芸術監督】飯守泰次郎

 

 

あらすじ

【第1幕】革命前のパリ。宴の準備が進むコワニー伯爵家では、父と共に奴隷のように仕える従僕ジェラールが貴族制度への不満を募らせていた。一方で彼は伯爵家令嬢マッダレーナを密かに愛している。宴が始まり、マッダレーナの求めに応じて客のひとり、詩人アンドレア・シェニエが愛の詩を即興で読むが、それは貴族制度を批判する内容でもあった。マッダレーナは大きく共感。ジェラールも己の使命を悟り、従僕の衣服を脱ぎ棄て、館から去る。

【第2幕】革命から5年後。ロベスピエールの恐怖政治が敷かれるパリ。「革命の敵」と疑われ密偵に監視されるシェニエは、友人に国外脱出を勧められるも、何度も受け取る匿名の手紙の主が気になって仕方がない。その人は実はマッダレーナで、出会った2人は愛を誓う。革命派幹部になったジェラールも彼女を忘れられず、居場所を探し出して彼女を捕らえようとしたとき、傍らの男と決闘。重傷を負うが、その男がシェニエだとわかり2人を逃がす。

【第3幕】革命裁判所の大広間。シェニエ逮捕の一報が入り、これでマッダレーナが自分のものになると満足したジェラールは起訴状を書き始めるが、ふと我に返り、かつて貴族の奴隷だった自分は今や情熱の奴隷になってしまったと愕然とする。ジェラールの前に連れてこられたマッダレーナは、自分を差し出す代わりにシェニエを救ってほしいとお願いする。シェニエが入廷し、自分は愛国者であり決して裏切り者ではないと主張。マッダレーナの願いを受けたジェラールも、彼への罪状は間違いだったと訴えるが、シェニエに死刑判決が下される。

【第4幕】サン・ラザール監獄の中庭。辞世の詩を読むシェニエ。そこに、彼と死ぬために女囚と入れ替わったマッダレーナが来る。ジェラールは2人を救うためロベスピエールのもとへ走るが、2人は愛を誓い断頭台へ向かう。

 


Werther

2016年04月03日 | オペラ道楽

新国立劇場で上演中のオペラ、ウェルテルを見ました。

ご存じゲーテの「若きウェルテルの悩み」をもとにマスネが作曲したオペラで、実はフランス語オペラです。私も見るのは初めてです。「若きウェルテルの悩み」自体も前半は、ストラスブールで法律学を学び、帝国最高法院(Reichskammergericht )のあるWetzlarに司法修習生(Rechtsreferendar)として来ていたゲーテ自身の人妻への恋の物語がベースになっており、後半はゲーテの友人の話がベースになっているということですが、オペラ・ウェルテルの舞台もWetzlarであります。帝国最高法院は、1495年の設立で、最初はFrankfurt am Main、次にSpeyerにおかれ、しかる後にWetzlarに移っており、いずれもドイツ西部の帝国都市か自由都市にあったことになりますが、これは皇帝の影響力を薄めるべく、意図的にウィーンの宮廷から遠ざけられたことによるようです。

 

オペラのストーリーは、基本的にはゲーテの小説をもとにしていますが、小説よりもストーリーは簡略化されています。シャルロットは結婚後もウェルテルへの愛は変わりませんし、アルベールもとても紳士的です。小説よりもストーリーがそぎ落とされている分、ストーリーはひたすらウェルテルとシャルロットの愛の話ばかりです。オペラでは、シャルロットの妹ゾフィーという役が作られ、ゾフィーはウェルテルのことが好きになるのですが、ゾフィーの出てくる場面くらいしか普通の話はなく、後は悲恋の話ばかりです。

 

とてもいい上演で、主要な役柄の歌手の歌は素晴らしく、オケも良かったので、新国立劇場の上演自体はとても素晴らしいと思います。シャルロットの服が、婚姻前は鮮やかな服であったのが、婚姻後は常に喪服になっていて、シャルロットの気持ちをうまく表現しているなど、演出も興味深く思いました。

ただ、なんといっても話が暗いのです。「トリスタンとイゾルデ」とは違い、最後までウェルテルとシャルロットの恋は誰からも許されないままに終わります。それはそれで当然なのですが、そうであるならどうしてこんな暗い内容のオペラを作ったのであろうかと思ってしまいます。事実、このオペラは作曲されてから、あまりの話の暗さに上演する劇場がなく、しばらくはお蔵入りだったそうです。

 

とてもいい上演であった割には、見た後に疲れが出てしまいました。

 

スタッフ

【指揮】エマニュエル・プラッソン

【演出】ニコラ・ジョエル

【美術】エマニュエル・ファーヴル

【衣裳】カティア・デュフロ

【照明】ヴィニチオ・ケリ

【舞台監督】大仁田雅彦

 

キャスト

【ウェルテル】ディミトリー・コルチャック

【シャルロット】エレーナ・マクシモワ

【アルベール】アドリアン・エレート

【ソフィー】砂川涼子

【大法官】久保田真澄

【シュミット】村上公太

【ジョアン】森口賢二

 

【合唱指揮】三澤洋史

【合唱】新国立劇場合唱団

【児童合唱】TOKYO FM 少年合唱団

【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

【芸術監督】飯守泰次郎

 

あらすじ

【第1幕】7月。子供たちがクリスマス・キャロルを練習している大法官の家に、詩人ウェルテルがやってくる。彼は、舞踏会で大法官の長女シャルロットの相手を務めるために来たのだ。幼い弟妹たちと、彼らの母親代わりのシャルロットの美しい佇まいに、ウェルテルの胸がときめく。舞踏会から帰宅したウェルテルはたまらずシャルロットに愛を告白する。しかし彼女には、亡くなった母と約束した婚約者アルベールがいた。ウェルテルは絶望する。

【第2幕】9月、牧師の金婚式のため、教会に人が集まっている。結婚して3か月目のシャルロットとアルベールが教会に入る様子を、ウェルテルは遠くから眺めている。教会から出てきたアルベールに明るく振る舞うウェルテルだが、シャルロットには詰め寄り、再び愛を訴える。その思いに応えられないシャルロットは、街を離れることをウェルテルに勧め、クリスマスに再会することを約束する。ウェルテルは永遠に街を出ていくことを決意する。

【第3幕】クリスマス・イヴの夕方。ウェルテルからの手紙を何度も読み返し、彼への思いに揺れるシャルロットの前に、約束通りウェルテルが現れる。部屋にあるオシアンの詩に思いを託して朗読したウェルテルは、激しく愛を告白する。シャルロットは思わず抱かれるが、決然と別れを告げて部屋から去る。アルベールは、ウェルテルから妻宛ての手紙を見て激怒。手紙の中で彼は旅に携行する銃を望んでおり、アルベールは使用人に届けさせる。

【第4幕】シャルロットがウェルテルの家へ向かうと、拳銃自殺を図ったウェルテルが瀕死の状態で横たわっていた。ウェルテルは、君を思って死ねるのは何より幸せだと語り、シャルロットは、初めて会った時から愛していたと告白し、口づけする。子供たちが歌うクリスマス・キャロルが聴こえるなか、ウェルテルは息を引き取る。

 


Jenůfa(イエヌーファ)(新国立劇場)

2016年03月06日 | オペラ道楽

新国立劇場で上演中のイエヌーファを見ました。

今回の演出は、クリストフ・ロイによるもので、2012年3月4日にベルリンのDeutsche Operで新演出上演されたものと同様ということです。今回の主要キャストも、シュテヴァを演じるジョゼフ・カイザー以外は、Deutsche Operで上演された時の歌手が来日しているということです。

 

初めてみるオペラで歌も音楽も知らないものばかりでした。

その意味でなじみはないのですが、とても演劇性の高いオペラで、舞台の展開から目が離せません。

演出はとてもシンプルながら興味深いです。

 

第1幕目、前奏曲もないまま静かに幕が上がり、最初に登場するのは、イエヌーファの継母のコステルニチカです。男性に付き添われて、舞台となっている白い空間の中に入ってきます。スポーツバックのような黒っぽい大きなカバンを持っていて、ホテルの部屋に泊まりに来たような雰囲気ですが、コステルニチカはカバンを置いた後も茫然自失と立ち尽くしています。

そして、そこにコステルニチカの義母で、イエヌーファの祖母であるブリア夫人(イエヌーファと交際しているシュテヴァの祖母。つまりイエヌーファとシュテヴァはいとこ同士。)が現れたり、粗野な振る舞いのラツァ(シュテヴァの母の連れ子)が現れたりと、コステルニチカを置いてきぼりにしたままストーリーは展開します。後でわかるのですが、この演出ですと、物語はすべての事件が起こってしまった後の収監中のコステルニチカの回想ということなのでしょうか。

ラツァはとても粗野で、身勝手で嫉妬深く、シュテヴァに恋するイエヌーファに執心のあまり、誤ってナイフで顔を傷つけてしまいます。

第1幕の舞台は一貫して白い部屋のような空間ですが、その奥の扉が開いたときには、麦畑?と思われる秋の収穫の景色が広がっています。

 

第2幕目では、既にイエヌーファがシュテヴァの子を出産した後のストーリーです。コステルニカは、イエヌーファのためといい、最初にシュテヴァに接触します。シュテヴァは産まれた子のために金銭は払うといいながら、イエヌーファとの結婚は拒否し、第1幕とは一転して、顔に傷のあるイエヌーファに魅力はない、コステルニカは魔女みたいと言います。次にコステルニチカは、ラツァに子持ちのイエヌーファを押し付けようと接触します。ラツァはイエヌーファとの結婚には乗る気ですが、義理の弟シュテヴァとイエヌーファとの間の子を押し付けられることに躊躇します。そこで、コステルニチカは、とっさに子はとっさに死んだと説明してしまい、結局、そのとおりの事実を作り出すために、あの舞台にあった黒っぽいカバンに眠っているイエヌーファの子を押し込み、外に持ち出し、そのまま殺害します。

きっと、ラツァが冷静になるのを待って説得すれば、当初のプランのように子持ちのイエヌーファをそのまま押し付けられたでしょうに、コステルニチカのとっさの嘘が生んだ悲劇です。

シュテヴァの身勝手さは当然なのですが、ラツァも身なりは整えて、反省の言葉とイエヌーファへの愛をうたいますが、それでも立ち居振る舞いはまだ粗野のままで言動も感情的なところがあり、成長はし切れていません。

舞台には、第1幕に引き続き黒っぽいカバンが置かれているので、観客としてもコステルニチカの犯してしまった所業に目を向けざるを得なくなります。

舞台奥に見える外の美しい雪景色(ドクトル・ジバゴの場面のようです)が、何ともさびしいものに見えてきます。

 

第3幕でも舞台装置は変わりませんが、場面はイエヌーファとラツァの結婚式となります。ここでは、既にカバンは置かれていません。

春の雪解けとともに遺体が発見され、コステルニチカの犯罪を含め、すべての出来事が露見します。

結婚式の最中であったのに、客も皆去り、シュテヴァが村長の娘と結婚する話も破談となり、結婚式の場面からはラツァとイエヌーファを除きすべての人々が去ります。

そして、最後にラツァとイエヌーファは愛を確かめ合って、舞台の奥へと消えていきます。

 

義理の娘のことを思うといいながら、最終的には自分の体裁ばかり考えているコステルニチカの思いがすべての災いにつながっていくストーリーの展開が切ないです。オペラの中の場面にはありませんが、コステルニチカの亡夫も、その兄弟でシュテヴァの亡父もいずれもアル中であったということです。

 

事前に今回の演出では、登場人物が人間的に成長していくという要素を意図的に排除している、幕が閉じるまで暗澹とした話であると聞いていたのですが、実際に見てみますと、なるほどシュテヴァは最初から最後まで身勝手な男ですが、最後には一応の苦悩も見られましたし、ラツァはイエヌーファに結婚を申し込む第2幕になってもまだ粗野な振る舞いがありましたが、第3幕にはそのような要素もなくなり人間的な深まりが見えるような気がしました。これであれば、ラツァとイエヌーファの将来にも、薄明りだけはみえるのではないかと思いました。

 

 

 

イエヌーファの舞台は、チェコのモラヴィア地方です。イエヌーファが最初に上演されたのも、モラヴィア地方の都市ブルノです。ブルノは、チェコ第2の都市で、憲法裁判所、最高裁判所、最高行政裁判所など司法の中枢が集中している都市です。社会主義のチェコスロバキア時代には、ブルノはプラハ、ブラチスラヴァに次ぐ第3の都市でありまして、憲法裁判所の所在地として、プラハでもブラチスラヴァでもないブルノが選ばれ(ただし、ブルノは、第一次世界大戦後にオーストリアから独立して成立した第一共和制時代にすでに最高裁判所の所在地でもありました)、チェコとスロヴァキアが分離した後も、憲法裁判所はそのまま残っているのです。また、ブルノに最高行政裁判所があることと無縁ではないのかもしれませんが、ドイツのライプチヒ(連邦行政裁判所の所在地)と姉妹都市です。

 

 

閑話休題。イエヌーファは、暗い内容のオペラで、日本ではあまり知られていないオペラではありましたが、ほぼ満員に近い盛況でした。

日本でもオペラという文化がかなり根付いているのだと感じた次第です。

 

あらすじ

 

第1幕

製粉所を経営するブリヤ家の孫娘イェヌーファは、従兄で製粉所の若き当主シュテヴァと結婚予定。実は密かに彼の子を身籠っている。徴兵検査から戻ったシュテヴァは酔って大騒ぎ。そこにコステルニチカ(教会の女性)と呼ばれるイェヌーファの継母が現れ、「ブリヤ家の男は酒飲みで苦労するから、結婚はシュテヴァが1年間酒を絶ってから」と命じる。

不安になるイェヌーファにシュテヴァは「君のバラ色のりんごのような頬はこの世で一番美しい」と褒める。その様子をラツァが見ていた。シュテヴァと異父兄弟のラツァも彼女を愛している。「シュテヴァが彼女の頬しか見ていないなら、それが消えると......」そう思ったラツァはナイフで彼女の頬を切ってしまう。

 

第2幕
イェヌーファの妊娠を知ったコステルニチカは、彼女を家に隠し続ける。そして1週間前に男児が誕生。体調の悪いイェヌーファが眠る間に、コステルニチカはシュテヴァを呼び出す。彼は、「バラ色のりんごの頬も消え、性格も変わった彼女とは結婚できない、村長の娘カロルカと婚約した」と言い、金を置いて去る。その後ラツァが来てイェヌーファとの結婚を懇願。ならば、とコステルニチカは赤ん坊のことを打ち明けるが、葛藤するラツァを見て、「でも死んだ」と嘘をつく。嘘を誠にするためコステルニチカは赤ん坊を抱いて外に出る。目覚めたイェヌーファは、「熱で2日寝込んだ間に息子は死んだ、シュテヴァは別の女と結婚する」と言われ呆然。ラツァは彼女に結婚を申し込む。


第3幕

イェヌーファとラツァの婚礼の日に、用水路の氷の下から凍った赤ん坊が発見される。それはイェヌーファの息子だった。人々はイェヌーファを責めるが、コステルニチカが自分の仕業だと告白する。大きな不幸を背負ったイェヌーファはラツァに別れを告げるが、それでも共に人生を歩みたいとラツァは言う。

2人は苦難を乗り越え、共に生きていくことを誓うのだった。

 

指揮:トマーシュ・ハヌスTomáš Hanus

演出:クリストフ・ロイ: Christof Loy

美術:ディルク・ベッカー Dirk Becker

衣裳:ユディット・ヴァイラオホJudith Weihrauch

照明:ベルント・プルクラベク Bernd Purkrabek

振付:トーマス・ヴィルヘルムThomas Wilhelm

演出補:エヴァ=マリア・アベラインEva-Maria Abelein

ブリヤ家の女主人:ハンナ・シュヴァルツHanna Schwarz

 ラツァ・クレメニュ:ヴィル・ハルトマンWill Hartmann

シュテヴァ・ブリヤ:ジャンルカ・ザンピエーリGianluca Zampieri

コステルニチカ:ジェニファー・ラーモアJennifer Larmore

粉屋の親方:萩原 潤

村長:志村文彦

村長夫人:与田朝子

カロルカ:針生美智子

羊飼いの女:鵜木絵里

バレナ:小泉詠子

ヤノ:吉原圭子





新国立劇場オペラ研修所終了公演・フィガロの結婚(新国立劇場)

2016年02月21日 | オペラ道楽

新国立劇場オペラ研修所の終了公演「フィガロの結婚」にお招きいただきました。

今回は、皆の知っている有名な内容のオペラで、わかりやすいといえばわかりやすいオペラではあります。

私は2月20日の回を見に行ったのですが、歌手の方は、フィガロを除き、ほとんど研修生の人たちの出演です。ただ、マルチェリーナやアントーニオなどの脇役は、OBOGが演じています。マルチェリーナ役の歌手は、特によかったと思います。

研修生の皆さんも、一部危うげな部分もありましたが、うまく歌いきったと思います。

ただ、このオペラはなんといっても演劇的要素の高いオペラなので、伯爵役の歌手などは、ぬか喜びをしたり、怒りだしたりと複雑な演技を要求されて大変です。

こうした要素は、実際の舞台で場数を踏んで、養っていくのでしょう。

 

演出も、縦に平行に並んだ2の扉で空間を区切り、その空間を適宜左右に動かすことをベースにした演出で、シンプルながら効果的な演出をしていました。ウェディングドレスの象徴のような白い布のカーテンも印象的でした。

 

 

 


2015年印象に残るオペラ

2015年12月29日 | オペラ道楽

今年もオペラをいくつか見ました。

昨年に引き続き、オペラランキングを作ってみたいと思います。といってもベスト3+番外編です。

 

1位 英国ロイヤルオペラ マクベス

来日公演がいつもいいとは限らない中、この上演は、音楽、歌手、演出の3つともよかったと思います。

指揮者のパッパーノの牽引力にもよるのでしょうか。

シェークスピアの戯曲に忠実なストーリーで、演劇的要素も十分に楽しめました。

来日公演がいつもこれくらい満足することができるのであれば、妥協せずに高いクラスのチケットを買うことに迷いもないのにと思います。

 

2位 ハンガリー国立歌劇場 フィガロの結婚

奇をてらった演出でもないのに、普通に質の高いオペラを見せてもらったと思います。

オケは小規模編成ながら、とてもよいと思いました。

オケ、歌手もきっちりとした丁寧な仕事ぶりで、ヨーロッパの日常生活の中で普通にオペラを楽しむような感覚で、楽しむことができました。

 

3位 新国立劇場 マノン・レスコー

4年前に企画していたのに、東日本大震災で中止になった演目を、主要キャストをすべて4年前に予定していたのと同じメンバーで上演した企画です。

新国立劇場も気合が入っていたようです。舞台装置,小道具,衣装などは、ベルリンのDeutsche Operで使用されたものということでした。

 

番外 新国立劇場 ラインの黄金

新国立劇場で、今年新たに演出した上演でした。ヴォータンは極悪人として描かれ、ニーベンルグ族のいるニーベルハイムは、なんだがハンブルクのレーパーバーンの地下にある怪しげな店のようでもありましたが、全体として見るとノーマルな演出でした。今後のワルキューレ以降の上演も楽しみです。


オペラTOSCA(新国立劇場)

2015年11月30日 | オペラ道楽

新国立劇場にオペラ・TOSCAを見に行きました。

この演目は、比較的初心者向けとも言われていますが、実は私は初めて見に行ったのです。

1994年12月にドレスデンのゼンパーオペラで見ようと思っていたのですが、チケット待ちで行列している途中に身体の調子が悪くなり、そのまま帰ってしまったことがありました。

今回、とうとうトスカを見ることができました。

 

新国立劇場がトスカを上演するのは、2000年、2002年に引き続き3回目ということです。既に実績のある演出ですが、なかなか豪華な舞台セットです。今風の演出ですと、スクリーンを多用して、簡素なセットで済ますことも多いような気がしますが、今回は珍しく豪華な舞台です。

第1幕の最後の舞台となる、テ・デウムの行われる教会は、教皇と思わしき人物が出てきますし、ヴァチカンにいるスイス人傭兵(黄色と青色の特徴的な制服でわかります。)まで登場します。教会の祭壇には、通常の90度に交わった十字架ではない、斜めに交わった×型の十字架に張り付けられたキリストの姿も描かれていますし、クーポラまで設けられています(これはだまし絵でしょうか。)。

第2幕の舞台ファルネーゼ宮にも、カヴァラドッシならぬカラヴァッジョの「勝ち誇るキューピッド」(ベルリンのGemäldegalerieにあります。)風の絵まで描かれています。

そして、第3幕は言うまでもなくサンタンジェロ城です。

いずれも安普請のセットではなく、本格的なセットで、今では却って目新しく見えます。

 

そして、このオペラの出来不出来は、なんといってもトスカ役の歌手の歌いに多くの部分を支配されますが、今回の マリア・ホセ・シーリはとても素晴らしかったです。第1幕目のカヴァラドッシの行動に不信を抱き、嫉妬を抱く場面から、第2幕目の有名な「歌に生き、恋に生き」の歌や第3幕目のサンタンジェロ城から身を投げる場面まで、歌も演技もとてもよかったと思います。

新国立劇場の会報誌によれば、第2幕目でこのオペラで最も注目される「歌に行き、恋に行き」を歌い終わった後、たまたまナイフを見つけ、それでスカルピアを衝動的にさしてしまう場面を演じるのは、歌手にとってとても大変で、中距離を全力疾走した後に、休まずに太極拳をするようなものとのこと。

その大変な歌と演技を見事にこなされていたと思います。

憎まれ役のスカルピア役の歌手も、歌も演技もよかったと思います。

 

大満足のオペラでした。11月末のバタバタとした時期に、しかも天候のいい日であったにもかかわらず、日中から暗いオペラハウスに入った甲斐もありました。

2015年最後のオペラ鑑賞にふさわしいいいオペラでした。

 

ただ、オペラ自体はよかったのですが、ブラボーおじさんには閉口しました。

カヴァラドッシ役の歌手の歌いの場面で、まだ歌いきっておらず、余韻も残っているにもかかわらず、我先にブラボーと叫ぶのはやめてもらいたいものです。賞賛を伝えたいのではなく、単に自分が一番先にブラボーと叫びたいだけで、列車が到着すると降りる人も構わずに真っ先に乗り込もうとする子供と変わらないような気がするのですが。

 

【スタッフ】

指揮  エイヴィン・グルベルグ・イェンセン

演出  アントネッロ・マダウ=ディアツ

美術  川口直次

衣裳  ピエール・ルチアーノ・カヴァッロッティ

照明  奥畑康夫

再演演出  田口道子

舞台監督  斉藤美穂

 

【キャスト】

トスカ  マリア・ホセ・シーリ
カヴァラドッシ  ホルヘ・デ・レオン

スカルピア  ロベルト・フロンターリ

アンジェロッティ  大沼 徹

スポレッタ  松浦 健

シャルローネ  大塚博章

堂守  志村文彦

看守  秋本 健

羊飼い  前川依子

合唱指揮  三澤洋史

合唱  新国立劇場合唱団

児童合唱  TOKYO FM 少年合唱団

管弦楽  東京フィルハーモニー交響楽団

芸術監督  飯守 泰次郎

 

【あらすじ】 

(第1幕)

共和政治が崩壊し、旧王制派の警視総監スカルピアの恐怖政治が行われている1800年のローマ。共和派で画家のカヴァラドッシが教会でマリア像を描いていると、捕らえられていた共和派のアンジェロッティが脱獄して逃げてくる。カヴァラドッシは仲間との再会を喜ぶが、恋人のトスカが来るので、慌てて彼を礼拝堂に隠す。話し声に不審がるトスカは、描きかけのマリア像が侯爵夫人にそっくりなことに嫉妬するが、彼の愛がゆるぎないことがわかり、安心して教会を去る。カヴァラドッシらが隠れ家に向うと、スカルピアが教会にやってくる。脱獄犯をかくまった証拠をつかんだスカルピアは、嫉妬深いトスカの性格を利用して2人の行方を突きとめようとする。

(第2幕)

捕らえられたのはカヴァラドッシのみ。アンジェロッティについて白を切る彼は、拷問部屋へ連れていかれる。拷問を受ける彼のうめき声を聞いたトスカは、たまらずアンジェロッティの居場所を白状してしまう。それでもカヴァラドッシは死刑囚として連れられてしまう。彼を助けてほしいとトスカが懇願すると、スカルピアは、代わりにトスカ自身を要求。トスカは泣く泣く受け入れる。スカルピアは、形だけは死刑執行しなければならないので空砲で銃殺刑を行う、と説明する。納得したトスカは出国のための通行証書を要求。書き終えたスカルピアがトスカを抱こうとしたとき、「これがトスカの口づけよ」とトスカはナイフでスカルピアを刺し、部屋を去る。

(第3幕)

牢獄のカヴァラドッシのもとにトスカが面会に行き、これまでと今後のことを説明。そして死刑執行のときを迎える。銃声が鳴り響き、地面に崩れ落ちるカヴァラドッシ。トスカが駆け寄ると、彼の命は尽きていた。そのときスカルピア殺害も発覚。兵士たちに取り囲まれたトスカは、絶望して聖アンジェロ城から身を投げる。

 

新国立劇場の中もクリスマスモードです。

 

 

 

 

こちらはオペラシティです。このクリスマスツリーも恒例です。

 

La Traviata(東京文化会館)

2015年10月19日 | オペラ道楽

東京文化会館で、プラハ国立歌劇場のLa Traviata(椿姫)を見ました。

今回、3公演連続の上演となっていますが、相方ねずみを含むねずみ属はデジレ・ランカトーレがヴィオレッタ役で歌う回の上演を見に行きました。

なんと言いましてもプラハ国立歌劇場は、道楽ねずみにオペラを見る楽しみを教えてくれた歌劇場ですので(1993年12月28日?にプラハで見たナブッコが初めての“本物の”オペラでした。)、期待も高まります。

 

そして、今回の上演はまったく期待を裏切らない内容でした。

 

演出は、セットは屋敷の中の壁と出入り口を基本にした簡素なものでありながら、オーソドックスです。

第1幕目では序曲の段階から男爵とヴィオレッタが札束の上で親密な交際ぶりを表現しています。そのままパーティーの場面、そして乾杯の歌となりますが、アルフレートは内気な性格で、乾杯の歌を歌うことになってもそのまま部屋から逃げだそうとするなど、社会性のなさを露呈しているといった演出です。第2幕目の後半では、再びパーティーの場面になりますが、ここでもアルフレートは札束で何度もヴィオレッタを叩きながら、親父のジョルジョ・ジェルモンに叱られるとすぐにしょんぼりしたり、ヴィオレッタをすぐに懐柔しようとしたり、しまいには花を渡したりと、何とも未成熟な男という演出です。DV夫というところでしょうか。第3幕目でも、ずいぶんと身勝手なアルフレート親子に振り回されながらも、ヴィオレッタは最期の場面でも一応アルフレート親子の目の前で息絶えていきます。ただ、アルフレート親子からは少し離れ、歩き始めて最終的に息絶えるので、アルフレート親子との微妙な距離が気になるところです。先日見た新国立劇場の演出や以前に見た英国ロイヤルオペラでの演出では、ヴィオレッタはアルフレート親子とは離れ、決然と一人で大往生を遂げるので、これらの演出との違いをどうしても意識してしまいました。

 

デジレ・ランカトーレのヴィオレッタは、第1幕目の明るい場面での歌は言うまでもなく、第2幕目のアルフレートの父ジョルジョ・ジェルモンからの不当な要求に悩みながら決断する場面でも、第3幕目の息絶えていく場面でもそれぞれとてもうまく歌っています。同じ役といってもずいぶん違う歌唱と演技が要求されるのに、どれも完成度が高く、素晴らしいと思いました。ほかの歌手も皆、うまく歌っていました。歌手のばらつきが少ないというのが、海外公演のいいところでしょうか。

 

ただ、オケが制約されたものであったのか、音楽が一部あれっと思うところがありました(遠いところから聞こえるような感じなので、一部は録音であったのでしょうか。私の勘違いかもしれませんが。)。そのせいか、一部歌とオケが合わなくなっている箇所があるのが気になりました。

 

指揮:マルティン・レギヌス

演出:アルノー・ベルナール

ヴィオレッタ:デジレ・ランカトーレ

アルフレート:アレシュ・プリスツェイン

ジェルモン:スヴァトプルク・セム

フローラ:シルヴァ・チムグロヴァー

アンニーナ:マルケッタ・パンスカ

ガストーネ子爵:マルティン・シュレイマ

ドゥフォール男爵:フランティシェク・ザフラドニーチェク

ドビニー公爵:イヴォ・フラホヴェッツ

医者グランビル:オレグ・コロトノフ

プラハ国立歌劇場管弦楽団/合唱団/バレエ団

 


Das Rheingold(新国立劇場・渋谷区本町)

2015年10月05日 | オペラ道楽

新国立劇場にオペラDas Rheingold(ラインの黄金)を見に行きました。

新国立の指輪といえば、2001年から2004年にかけて上演された演出が有名ですが、今回は新製作の演出です。といいましても、ゲッツ・フリードリッヒが最晩年の1996年にフィンランド国立歌劇場のために製作した演出したプロダクションということす。

 

以下は、大まかな演出の内容です。

序曲が始まる前にアルベリヒは舞台の上に登場します。

そして、ライン河を連想させるような青い光線がいくつも投影される中、幕が上がり、ラインの乙女たちが登場します。ラインの岩には、なぜか大きく人間の顔が描かれています。

最終的にアルベリヒは自己去勢をし(アルベリヒがやにわに股間を押さえる場面があります。)、ラインの黄金を奪いますが、そのラインの黄金は、球体の形をしていました。

 

その後、神々の世界に舞台が移りますが、ヴォータンは、ワルハラ城の設計図を広げて寝入っています。妻のフリッカから、その妹フライアをワルハラ城建設の請負工事の「代金」として支払うことにしたことを責められても、ヴォータンはどこ吹く風で、設計図も無造作に扱い、最初から請負工事の対価を踏み倒すつもりであること、つまり工事業者である巨人族との契約を全く守る気がなかったことがあらわされています。

巨人族が登場すると、フライアはふらふらと巨人族の方に自らの意志で歩いて向かい、巨人族のファーゾルトに対して、好意を持っているとも受け取れるような行動です。また、ドンナーはなぜかボクシングのグローブを身に着け、実際にボクシングの真似をして巨人族に立ち向かうふりをするのがとても滑稽です。

 

ヴォータンは、報酬の支払について、巨人族にラインの黄金の方に関心を向けることに成功しますが、ラインの黄金を支配しているのはアルベリヒのため、智恵の回るローゲと共に地下のニーベルハイムに向かいます。そこは、なんだがハンブルクのレーパーバーンにでもありそうないかがわしい店の受付みたいにも見えます。アルベリヒは、その受付で働いているように見えてしまうのですが・・・これは私の思い過ごしかも知れません。

ともかく、ヴォータンらは、お決まりのようにアルベリヒを騙して蛙に変身させて捕え、地上に連れ帰ります。

 

ヴォータンはアルベリヒを人質にして、身代金としてラインの黄金、隠れ頭巾、指輪の財宝を強奪しますが、その際、ヴォータンは指輪を奪い去られることに難色を示すアルベリヒの手首を槍で切り落とし、手首ごと指輪を強奪します。なんと凶悪な主神でしょう。これは神といえるのでようか。マフィア顔負けの凶悪な犯罪者でしかありません。

 

その後、財宝で人質フライアを釈放してもらいますが、台詞には「穢れのないフライア」とあるのに、ファーゾルとはズボンの股間の部分を直していますし、暗に巨人族の兄弟2人でフライアと十分に楽しんだ後であることが暗に示されています。

我儘なヴォータンがようやく渋々と指輪を渡し、取引が成立して、巨人族同士の内紛の後、ようやく神々はワルハラ城に入ります。神々がワルハラ入場の場面で、妙なダンスをしているのが特徴的です。この場では、ローゲはもうヴォータンに愛想を尽かしたのか、行動を共にしません。そういえば、ヴォータンを含めほかの神々の衣装はすべて白なのに、ローゲだけは黒いスーツに赤のアクセント付きで、衣装も異なっていました。

 

 

基本的な演出は、驚くほど伝統的でした。奇をてらうところがないというのが、今ではかえって新鮮な感じがしました。

歌手は、外国から来日した歌手がもちろん素晴らしかったですし、日本人歌手もファーゾル役の妻屋秀和を初め皆さん素晴らしいと思いました。音楽も、危なげなところも踏みとどまり、問題ないできぶりだったと思います。

ただ、これはもうワーグナーのテキストの問題ですのでどうしようもないのですが、第2場の神々のドタバタの部分がどうしても眠くなります。私も相方ねずみも周囲の観客もどうしてもこの部分はウトウトとしてしまっていたようです。

 

指揮:飯守泰次郎

演出:ゲッツ・フリードリヒ

美術・衣裳:ゴットフリート・ピルツ

照明:キンモ・ルスケラ

演出補:イェレ・エルッキラ

舞台監督:村田健輔

 

ヴォータン:ユッカ・ラジライネン

ドンナー:黒田 博

フロー:片寄純也

ローゲ:ステファン・グールド

ファーゾルト:妻屋秀和

ファフナー:クリスティアン・ヒュープナー

アルベリヒ:トーマス・ガゼリ

ミーメ:アンドレアス・コンラッド

フリッカ:シモーネ・シュレーダー

フライア:安藤赴美子

エルダ:クリスタ・マイヤー

ヴォークリンデ:増田のり子

ヴェルグンデ:池田香織

フロスヒルデ:清水華澄

 

【あらすじ】

ラインの娘たちが川で戯れていると、地下に住むニーベルング族のアルベリヒがやってくる。アルベリヒは娘たちをものにしようと必死に追いかけるが、彼女らは醜い彼をからかって逃げてしまう。激怒したアルベリヒは川底に光るものを見つける。それは娘たちが守るラインの黄金。愛を断念した者だけが黄金から指環を作ることができ、その指環を手にした者には世界を支配できるという。それを聞いたアルベリヒは愛を呪い、黄金を奪う。

神々の長ヴォータンは、巨人族のファーゾルトとファフナーの兄弟にヴァルハル城を建てさせていた。報酬に青春の女神フライアを渡す契約なのだが、ヴォータンは契約を守る気などない。この契約を提案した火の神ローゲを責めると、彼はラインの黄金の指環の話を始める。皆が聴き入り、巨人族兄弟は、報酬は指環でよい、と言い出す。ヴォータンも指環に興味を持ち、フライアを人質として兄弟に渡し、ローゲと共に地下のニーベルハイムへ行く。

地下の世界では指環の力を手に入れたアルベリヒがニーベルング族を支配し、黄金を掘り出させていた。彼はまた、弟ミーメに作らせた「隠れ頭巾」を持っていた。ヴォータンらは「隠れ頭巾」を褒めそやし、彼が蛙に化けた隙に捕まえ、財宝と指環を奪ってしまう。怒ったアルベリヒは、指環を持つものには死が訪れる、と呪いをかける。

ヴォータンは、巨人族兄弟に報酬として黄金を渡すが、彼らは「隠れ頭巾」と指環も要求。指環については渋るヴォータンだが、「指環の呪いから逃れよ。神々の黄昏が近づいている」との智の女神エルダの忠告を聞き、指環を渡す。すると兄弟は指環の奪い合いになり、ファフナーはファーゾルトを撲殺。さっそく指環の呪いがあらわれたのである。そしてヴァルハル城は完成し、神々が入城する。ラインの娘たちの嘆く声が響いている......。


Macbeth

2015年09月14日 | オペラ道楽

9月12日に英国ロイヤルオペラMacbethを見ました。

シェイクスピアの有名な戯曲マクベスをもとにヴェルディが作曲したオペラです。

 

ストーリーは、シェイクスピアの戯曲に忠実なので、誰でも知っているストーリーですが、私はいろいろオペラを見ている割には、この演目は初めてとなります。

今回、とても完成度の高いオペラを見ることができたと思います。

 

演出においては、この物語がすべて魔女の掌中の上で展開していることが重要な局面で強調されています。

魔女から聞かされた不思議な予言の内容をマクベスが夫人に書いて伝えた手紙を届けるのも、バンクォーが自分の命と引き換えに逃がした子を救出するのも、その子を将来の結婚相手となるであろうと娘とともに連れ出すのも、また、もう一度予言を聞くべく再度魔女を訪れたマクベスを正気が戻った形で王の城に戻すのも、そしてマクダフと一騎打ちで闘い、敗れ去り、晒し者にされたマクベスの遺骸を嘲り笑うように覗き込むのも、皆魔女たちです。魔女たちは、3名ではなく多数登場し、皆赤い頭巾をかぶっているので、とてもわかりやすい演出です・

マクベス夫妻が、マクダフの城を急襲して、妻子共々皆殺しを命じる場面では、最初に子供好きの夫妻のイメージを演出させておいて、その後に、自己保身のために何らの躊躇いもなく子供まで含めて殺害を命じさせ、また実際に国王自身が手にかける場面まで描き、残虐非道な国王夫妻を演出しています。王位を簒奪するため、自己保身のために何ら躊躇なく人殺しをしながら、その後になって、自己の犯した罪に慄くマクベス夫妻の姿がよく描かれていたと思います。

 

また、国王の天蓋のような役割を果たす、四角い金色の格子型の立方体まで登場し、国王の地位を象徴しています。物語の内容だのみならず、形が鉄格子のようであることからしても、自由がなく、縛られた国王というイメージになっています。マルコム王子も、マクダフが王冠を差し出したのに、なかなか王冠を受け取らなかったようです。

 なお、この演出ではマクベスの死のモノローグ「やみくもに地獄の予言を信じたのだから」も歌われていますが、改訂版ではこの部分は歌われないということです。

歌手は、マクベス夫人役のリュドミラ・モナスティルスカが発狂した場面も含めて、特別によかったと思いますし、それ以外の役の歌手も皆非常にうまかったと思います。マクダフ役の歌手なども、一人で歌う場面は非常に限られていたにもかかわらず、とても印象に残っています。

 

音楽も、パッパーノの牽引力なのでしょうか、非常に見事にまとまっていて落ちがなかったように思います。観客にこういうオペラを見たかったのだという気持ちにさせてくれる力を持った方です。

 

音楽、歌手、演出どれも満足な内容のオペラでした。

惜しむらくは、といっても、これは単純に私だけの事情なのですが、今回、あまりいい座席を取らず、舞台の端に行ったバンクォー親子の姿が見えにくくなったことです(昨年の来日公演オペラがさほど特別なものではなかったので、今回はあまりこだわらないでいいと思ってしまったのです。)。

 

指揮:アントニオ・パッパーノ

演出:フィリダ・ロイド

美術・アンソニ・ワード

照明:ポール・コンスタブル

振付:マイケル・キーガン=ドラン

再演振付:キルスティ・タップ

殺陣:テリー・キング

合唱監督:レナート・バルサドンナ

コンサート・マスター:ヴァスコ・ヴァシレフ

マクベス:サイモン・キーンリサイド

マクベス夫人:リュドミラ・モナスティルスカ

バンクォー:ライモンド・アチェト

マクダフ:テオドール・イリンカイ

マルコム:サミュエル・サッカー

医師:ジフーン・キム

夫人の侍女:アヌーシュ・ホヴァニシアン

刺客:オーレ・ゼッターストレーム

伝令・亡霊1:ジョナサン・フィッシャー

亡霊2・亡霊3:野沢晴海、鈴木一磋

ダンカン王:イアン・リンゼイ

 


ハンガリー国立歌劇場・フィガロの結婚(東京文化会館)

2015年06月22日 | オペラ道楽

東京文化会館でハンガリー国立歌劇場のフィガロの結婚を見ました。

オケは小規模編成ながら、十分にいい音楽でした。

歌手は、伯爵夫人役のアンドレア・ロストが有名ということですが、スザンナ役の歌手を初め皆が手を抜くこともなく、うまく歌っていたように思います。

演出はさほど奇抜なものではなく、変わったところといえば、第1、第2幕の舞台の上に、骨組みだけで造られた円筒形の筒が置かれていて、そこが回転をすることによって場面の展開を表すといったところでしょうか。これによって、ケルビーノが飛び降りる前にいた部屋の中の様子と、飛び降りた後の花壇の様子を表現することを可能にしています(前後でこの円筒は180度回転する。)。ケルビーノは女性であれば誰にでもちょっかいを出し、伯爵夫人には相当しつこくへばりついているのが印象的でした。それと、台詞の翻訳の中に「援助交際」などといった言葉も入れることによって、オペラのストーリーを現代の我々の目にも生き生きとしたものにするという工夫が面白く思われました。

 

オケ、歌手、演出とも特別に奇をてらうことはないのに、きっちりといい仕事をしており、いささかも手抜きをしていなかったので、とてもよい作品を見せていただきました。

さすが、歴史の長いハンガリー国立歌劇場だけのことはあります。

昔、自分もこのハンガリー国立歌劇場でパルジファルを見たことなども思い出しました。

 

 

 

指揮:バラージュ・コチャール

演出:アンドラーシュ・ナダスディ

 

歌手

フィガロ:クリスティアン・チェル

スザンナ:オルショヤ・シャーファール

伯爵夫人:アンドレア・ロスト

伯爵:ジョルト・ハヤ

ケルビーノ:ガブリエラ・バルガ

マルチェリーナ:ジュジャンナ・バジンカ

バルトロ:ゲーザ・ガーボル

バジリオ:ゾルタン・メジェシ

ドン・クルツィオ:ペーテル・キシュ

アントーニオ:アンタル・バコー

バルバリーナ:エステル・ザヴァロシュ

 

ハンガリー国立歌劇場管弦楽団/合唱団ほか

 

バラージュ・コチャール
1989 年ハンガリー国営放送局主催、国際指揮者コンクール優勝、1990 年ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団、1992
年からはハンガリー国立歌劇場に指揮者として招かれる。1995 年ローマ歌劇場で行われたフランコ・フェラーラ指揮者コンクールで優勝、2005
年にモーツァルト「魔笛」でライプツィヒ歌劇場へデビュー。
ハンブルグ国立歌劇場のモーツァルト音楽祭では「皇帝ティートの慈悲」、バーゼル歌劇場ではヴェルディ「ドン・カルロ」、ケルン劇場では「カヴァレリア・スルティカーナ」を指揮する等、活躍はめざましい。2011
年にブダペスト・スプリング・フェスティバルの音楽監督に就任。同年夏にはハンガリー国立歌劇場と共にフィンランドのサヴォリンナ・オペラ・フェスティバルに参加し、バルトーク「青ひげ公の城」とヴェルディ「ドン・カルロ」を指揮した。現在、フィレンツェ歌劇場、ローマ歌劇場などイタリアの主要な劇場に出演、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、フランダース放送管弦楽団、シドニー交響楽団などのオーケストラと共演をしている。

 

アンドレア・ロスト

ハンガリー・ブタペスト生まれ。1989年にグノー《ロメオとジュリエット》でハンガリー国立歌劇場にオペラ・デビュー。91年からウィーン国立歌劇場で《ドンジョバンニ》、《フィガロの結婚》、《愛の妙薬》、《ランメルモールのルチア》、《椿姫》等に出演し次々と成功を収め、耳の肥えたウィーンのオペラ・ファンに鮮烈な印象を与えた。94年には、ミラノ・スカラ座で《リゴレット》ジルダを歌い華々しくデビュー。翌95年にも《魔笛》パミーナを歌い、その名は一躍世界に広まった。スカラ座のプリマドンナとして《フィガロの結婚》、《椿姫》、《リゴレット》等で度々登場。ザルツブルグ音楽祭では、ショルティ、アーノンクール、ムーティ、アバド等、世界的指揮者と共演。96年メトロポリタン歌劇場に《愛の妙薬》でデビュー。その後《リゴレット》、《ランメルモールのルチア》、《椿姫》を歌い、2006年には《フィガロの結婚》に出演。日本では、新国立劇場公演、スカラ座日本公演、ハンガリー国立歌劇場日本公演等で度々来日し、《リゴレット》、《ランメルモールのルチア》、《椿姫》を歌い多くのファンを獲得している。2004年、コシュート賞を受賞。(ハンガリーの国民栄誉賞・文化勲章にあたる、芸術家に贈られる最も権威ある賞)

 

 


ばらの騎士(新国立劇場)

2015年05月24日 | オペラ道楽

新国立劇場でリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」を見ました。

今回で見るのはまだ2回目ですが、音楽がとても美しく、私の好きなオペラの1つです。

 

今回の上演は、2007年に上演されたジョナサン・ミラーの演出のプロダクションによるものとのことです。その当時、私は久々に東京勤務になったばかりで、見に行く余裕がありませんでした。この演出による「ばらの騎士」は、2011年4月に再演予定でありましたが、今度は再び地方に転勤となる直後であったため、再び見に行く余裕もありませんでした。また、そもそも2011年4月は震災直後のため、上演の一部が中止になったり、出演予定者が放射能の降り注ぐ「死の都」には来たくないと出演を断ったりと大変であったようです。

 

閑話休題

3幕構成ですが、各幕で舞台は大きく変わります。

第1幕は、元帥夫人の寝室の中で、中央にベッドが置かれています。セットに窓も設けられております。第1幕目のおしまいには、雨が降るという設定らしく、舞台の正面に雨の影が投影されています。

 

第2幕目は、ゾフィーの屋敷が舞台です。遠近法を強調して、奥行きを持たせた舞台に、鏡や赤いソファーなどアクセントのきいた調度品が調っています。

 

第3幕目は、色魔で、金銭欲の塊で、デブでハゲで、垢抜けず、いいところの何もないオックス男爵が、マリアンデルことオクタヴィアンの罠にかかり、逢瀬の場と信じてノコノコ出てきた木賃宿です。窓や地下から人物が出てきて、オックス男爵を驚かす仕組みになっています。

 

舞台は、本来のストーリーの舞台の18世紀ではなく、1912年という何故か極めて正確な年で示されています。もっともそれをうかがわせるのは、オクタビアンの軍服など、衣装ぐらいなのですが。

 

今回も、第1幕後半で様々な人々が元帥夫人の家を訪れるところあたりから眠くなり、第1幕目最後の元帥夫人とオクタヴィアンとのやり取りのところでは極端に眠くなりましたが、第2幕、第3幕(ただし、この最後の元帥夫人が出てくるところはまた眠い。)は楽しむことができました。

 

何よりも歌と音楽の綺麗なオペラですが、今回はオクタヴィアン、元帥夫人等の歌手だけではなく、オケも健闘しており、とてもいいオペラでした。ただ、元帥夫人は、オクタヴィアンが若い彼女の元に走ることを許しても、オクタヴィアンとの愛人関係が終了しただけで、新たな愛人を見つけるようなイメージなのだということがClub The Atreの会報には書いてありましたが、今回の演出で見る限りでは、元帥夫人はまだオクタヴィアンに未練タップリで、オクタヴィアンも関係を続けたそうな印象を受けました。

 

【スタッフ】

指揮:シュテファン・ショルテス

演出:ジョナサン・ミラー

美術・衣裳:イザベラ・バイウォーター

照明:磯野 睦

 

【キャスト】

元帥夫人:アンネ・シュヴァーネヴィルムス

オックス男爵:ユルゲン・リン

オクタヴィアン:ステファニー・アタナソフ

ファーニナル:クレメンス・ウンターライナー

ゾフィー:アンケ・ブリーゲル

マリアンネ:田中三佐代

ヴァルツァッキ:高橋 淳

アンニーナ:加納悦子

警部:妻屋秀和

元帥夫人の執事:大野光彦

ファーニナル家の執事:村上公太

公証人:晴 雅彦

料理屋の主人:加茂下 稔

テノール歌手:水口 聡

帽子屋:佐藤路子

動物商:土崎 譲

合 唱:新国立劇場合唱団

管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

 

【あらすじ】 

(第1幕)陸軍元帥夫人マリー・テレーズは、夫が不在の館で、若い恋人オクタヴィアンと甘いまどろみのなか朝を迎える。そこに元帥夫人の従兄オックス男爵がやってくる。新興貴族ファーニナルの娘ゾフィーと婚約するというオックスは、婚約者に銀のばらを贈る儀式の使者"ばらの騎士"を誰にしたらいいか相談しに来たのだ。逢瀬の現場を見られてはまずいと大慌ての2人だが、もう逃げられず、オクタヴィアンはかわいらしい小間使いマリアンデルに変装。女たらしのオックスは元帥夫人に相談しながらも小間使いが気になる様子。元帥夫人はオクタヴィアンを"ばらの騎士"に推薦する。その後、元帥夫人はひとり思いにふけり、年齢を重ねることの無常を思う。

(第2幕)"ばらの騎士"としてゾフィーに銀のばらを届けに来たオクタヴィアンは、一目で彼女と恋に落ちてしまう。オックス男爵が現れるが、彼のあまりにも無作法な態度にゾフィーは結婚を嫌がり、オクタヴィアンは婚約を取り消すようオックスに申し出る。しかしオックスが相手にしないため、オクタヴィアンは剣を抜く。オックスも剣を手に取るが、すぐにオクタヴィアンの剣の先が腕に当たる。負った傷はほんのかすり傷だが、オックスは泣きわめいて大騒ぎ。そこにマリアンデルから逢引の誘いの手紙が来て、オックスはすっかりご機嫌に。

(第3幕)逢引の場の安宿の一室には、オックスを懲らしめるための罠を仕込み、オクタヴィアンはマリアンデルに変装して準備万端。何も知らないオックスは浮足立ってやってきて"彼女"を口説こうとするが、いい雰囲気になろうというとき、幽霊が現れ、「彼の子」と称する子を連れた女や、警官が来て大騒動。すっかり追い詰められたオックスは婚約を破談にすることを了承する。そして元帥夫人は身を引き、オクタヴィアンとゾフィーを祝福する。


La Traviata(新国立劇場・渋谷区本町)

2015年05月10日 | オペラ道楽

久しぶりにLa Traviataを見ました。

今回は、新国立劇場です。

 

今回の演出でも本来、3幕構成であるにもかかわらず、2幕の途中で休憩が入り、第1幕と第2幕第1場、それと第2幕第2、第3場と第3幕で分けられることになりました。前にトリノ王立歌劇場来日公演で見たナタリー・デセイ主演の椿姫の演出もそうでしたし、確か衛星放送で見たザルツブルク音楽祭の椿姫の演出もそうであったと思います。上演時間と休憩時間を考えると、この上演方法はバランスがいいということもあるかもしれません。

 

演出は、舞台に終始一貫してピアノを模したオブジェが置かれており、そこがベッドになったり、賭博のテーブルになったりします。

何でもピアノは、19世紀のパリで高級娼婦が小さいときに最初に習う習い事で、まずピアノを弾けるようになってから、さらにその他の習い事をしていくという流れなのだそうです。ヴィオレッタも最初にピアノを習ったのでしょうか。

また舞台の中に、観客席側に1つの角を突き出した形にした(つまり舞台本来の形を90度傾けた)四角形の舞台をさらに設け、四角形の辺のうち、観客側から向かって左側の辺の上には垂直に鏡面を張り、歌手の斜め後ろ姿を見えるような形にしていました。

舞台の上に傘が出てきたこともありましたが、その意図は不明です。

また、舞台の豪華絢爛なシャンデリアの演出も存在感を示していました。

 

ヴィオレッタの死の直前に、アルフレートとその父親が駆けつけ、ヴィオレッタは生きることへの希望を示し、そして彼らとの別れを歌いますが(ここまでは原作なので演出しようがない。)、最終的には彼らに看取られるのではなく、中間的に設けられている幕(そこにはヴィオレッタの赤いドレスの模様が描かれている。)の後ろに退いているアルフレート親子のもとを離れ、決然と立ったまま大往生となります。トリノ王立歌劇場の来日公演の時もそうでしたが、やはりこのエンディングの方が落ち着きがいいかもしれません。アルフレート親子の身勝手な振る舞いに振り回されたことからすると本来なら辟易してもおかしくないわけですし、何よりもこの方が自立した女性という印象を与えます。

 

今回ヴィオレッタ役で歌ったのはベルナルダ・ボブロでしたが、カーテンコールでは惜しみない拍手に迎えられていました。病気に伏せっている場面や絶命の場面をはじめ、どの場でも大活躍でした。

オケの方も手堅くまとめられていたという印象を受けました。

それにしても、やはり椿姫は歌がいいと思います。第1幕目は有名な歌のオンパレードです。オペレッタ「こうもり」でも、その中に出てくる別のアルフレートが、刑務所の中で、アドリブでLta Traviataでアルフレートが歌う曲を歌うこともあるので、馴染みの曲ばかりです。

 

スタッフ

【指揮】イヴ・アベル

【演出・衣裳】ヴァンサン・ブサール

【美術】ヴァンサン・ルメール

【照明】グイド・レヴィ

【ムーブメントディレクター】ヘルゲ・レトーニャ
【舞台監督】村田健輔

キャスト

【ヴィオレッタ】ベルナルダ・ボブロ

【アルフレード】アントニオ・ポーリ

【ジェルモン】アルフレード・ダザ

【フローラ】山下牧子

【ガストン子爵】小原啓楼

【ドゥフォール男爵】須藤慎吾

【ドビニー侯爵】北川辰彦

【医師グランヴィル】鹿野由之

【アンニーナ】与田朝子

【合 唱】新国立劇場合唱団

【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

 


運命の力(新国立劇場)

2015年04月05日 | オペラ道楽
新国立劇場で「運命の力」を見ました。

あり得ないだろうというような話の連続の重苦しい話の連続と、その重苦しい雰囲気を中和させるためか、何故か唐突に無意味に明るい場面が挿入されているオペラです。物語の展開に重要性を持たない話も延々と続き、重要な部分は瞬時に終了してしまうせいか、とても退屈で、極度に眠くなりました(オペラパレスの二酸化炭素の濃度も異常なまでに高くなっていたようです。)。3時間20分がヨーロッパに向かう飛行機の搭乗時間に匹敵するくらい長く感じられるほど退屈でした。

序曲はいいオペラなのですが、演目としてみると、面白いとはとてもいえない内容でした。
コンサート向けの演目でしょう。
まあ、物語の展開はさしたることはないので、歌と音楽だけを楽しめばよいようです。
歌を楽しみながら、半分以上眠ってしまいました。

退屈、面白くないと悪いことばかり書きましたが、これは飽くまでもヴェルディのこの作品がつまらない作品だと酷評しているのであって、新国立の上演自体はよかったと思います(歌手は言うまでもなく、音楽も問題なかったようです。)。

スタッフ
指揮:ホセ・ルイス・ゴメス
演出:エミリオ・サージ
美術・衣裳:ローレンス・コルベッラ
照明:磯野 睦
キャスト
レオノーラ:イアーノ・タマー
ドン・アルヴァーロ:ゾラン・トドロヴィッチ
ドン・カルロ:マルコ・ディ・フェリーチェ
プレツィオジッラ:ケテワン・ケモクリーゼ
グァルディアーノ神父:松位 浩
フラ・メリトーネ:マルコ・カマストラ
カラトラーヴァ侯爵:久保田真澄
マストロ・トラブーコ:松浦 健
合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

ものがたり
【第1幕】セビリアのカラトラーヴァ侯爵の娘レオノーラは、ドン・アルヴァーロと愛しあっているが、アルヴァーロがインカ帝国の王家の血筋ゆえ、カラトラーヴァ侯爵は2人の関係を認めない。そこで2人は駆け落ちしようとするが、父に見つかってしまう。アルヴァーロが誠意を示すため拳銃を投げ捨てると、運悪く銃が暴発し、父に当たってしまう。父は2人の運命を呪う言葉を吐いて、亡くなる。2人の逃亡生活が始まる。
【第2幕】18 か月後。カラトラーヴァ侯爵の息子ドン・カルロは、父の敵アルヴァーロとレオノーラの行方を追い続け、今日は酒場にいる。アルヴァーロとはぐれたレオノーラは男に扮し、酒場に来るが、兄に気づき姿を消す。彼女は険しい山にある修道院に着き、隠遁生活を送りたいと願う。願いは聴き入れられ、裏山の洞窟へ入る。
【第3幕】偽名でイタリア軍の兵士になったアルヴァーロは戦場にいる。カルロも偽名で兵士となり、お互い正体を知らぬまま友情を結ぶ。そんなときアルヴァーロは戦闘で重傷を負い、死を覚悟してカルロに最期の頼みをするが、そこから正体がばれてしまう。カルロはアルヴァーロに決闘を挑むが、周囲の人に止められる。
【第4幕】5年後。カルロが修道院にやってきて、ラファエロ神父との面会を望む。ラファエロ神父こそ、アルヴァーロだった。カルロは決闘を申し込むが、神に仕える身のアルヴァーロは拒む。しかしカルロが吐く侮辱の言葉に耐えきれず、剣を手にして決闘を始める。カルロは敗れて瀕死となるが、アルヴァーロは、呪われた自分では最後を見取れない、と代わりの人を探して洞窟の前へ。そしてついにレオノーラと再会する。しかし喜びも束の間、カルロが最後の力を振り絞ってレオノーラを刺す。レオノーラは、アルヴァーロを許すよう神に祈り、息絶える。

Manon Lescaut(新国立劇場・渋谷区本町)

2015年03月16日 | オペラ道楽
新国立劇場にマノン・レスコーを見に行きました。
新国立劇場は本来,この作品を2011年3月に上演する予定であったようなのですが,東日本大震災のために上演中止となり,今回主要キャストを4年前と同じメンバーで上演するのだそうです。
このような経緯からか新国立劇場も妙に気合いが入っているようです。

マノン・レスコーはアベ・プレヴォーの長編小説「騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語」(Histoire du chevalier Des Grieux et de Manon Lescaut )を原作とするもので,このテーマはよく知られた存在で,マスネも「マノン」という題名でオペラを制作しています(こちらは,以前にブログでも書きましたが,ナタリー・デセイ主演のオペラで見ました。)。
今回のオペラの演出は,ベルリンDeutsche Oper、ミラノ・スカラ座、ヴェローナ野外劇場、パリ・オペラ座、バルセロナのリセウ劇場などで活躍し,新国立劇場でも「カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師」を手がけた巨匠ジルベール・デフロ(Gilbert Deflo)で,舞台装置,小道具,衣装などもベルリンのDeutsche Operのものとのことです。
演出は白を基調として舞台を構成し,第1幕目のアミアンの旅籠,第2幕目のパリの屋敷の明るい場面を構成しています。それが一転して第3幕目では光の乏しい暗い場面,第4幕目の赤茶けた荒野の場面に変わっていきます。
第2幕目のマノンの金色のドレス,鏡とベッドの演出などとても興味深く見ました。
オケも今回はやや人数の多い構成でしょうか。音楽の美しいオペラですので,オケが重要ですが,今回は手堅く演奏したように思います。
主要キャスト,特にマノンとデ・クリューの歌もとても良かったように思います。舞台の美しさ,音楽と調和して素晴らしく思われました。また,ジェロント役の歌手の奇怪なメイクと奇怪な動きも面白く思われました。本当に演技派です。


【指揮】ピエール・ジョルジョ・モランディ(Pier Giorgio Morandi)
【演出】ジルベール・デフロ(Gilbert Deflo)
【マノン・レスコー】スヴェトラ・ヴァッシレヴァ(Svetla Vassileva)
【デ・グリュー】グスターヴォ・ポルタ(Gustavo Porta)
【レスコー】ダリボール・イェニス(Dalibor Jenis)
【ジェロント】妻屋秀和(Tsumaya Hidekazu)
【エドモンド】望月哲也(Mochizuki Tetsuya)


あらすじ
【第1幕】アミアンの旅籠屋の中庭は大勢の人で賑わっている。騎士デ・グリューがその場にたたずんでいると、乗合馬車が到着し、美しい少女マノンが降りてくる。彼女は兄レスコーに連れられ、修道院に入る道中だったが、デ・グリューは彼女に一目惚れ。マノンも彼に対して悪い気はしていない。しかし馬車に一緒に乗っていた大臣ジェロントもマノンを気に入り、彼女を連れ去ろうと企んでいた。その計画を知ったデ・グリューはマノンに一緒に逃げるよう誘い、またマノンも修道院に入りたくないため、2人でパリへの逃避行へと旅立つ。
【第2幕】贅沢好きなマノンはデ・グリューとの貧乏暮らしが耐えられず、結局ジェロントの愛人になり、豪勢に生活している。しかし愛のない暮らしに心が満たされず、贅沢な生活にも飽きている。そんなとき館にデ・グリューがやってくる。どうして自分を捨てたのか、君なしでは生きていけないと熱烈に迫るデ・グリューに、マノンも再び心に愛の炎を灯す。2人は抱き合うが、その場にジェロントが帰宅。マノンはジェロントの老いを馬鹿にする。怒ったジェロントは警察を呼ぶ。2人は逃げるが、宝石に執着して出遅れたマノンは捕まってしまう。
【第3幕】ル・アーヴルの港。ニューオーリンズへ流刑される囚人たちが捕らえられている。レスコーとデ・グリューはマノンを取り戻そうと奔走するが、計画は失敗。デ・グリューは、何でも仕事をするから自分もニューオーリンズに連れていってほしい、と涙ながらに看守に頼む。願いは聞き入れられ、彼も船に乗り込む。
【第4幕】ニューオーリンズ。不祥事を起こして居留地を逃げ出すマノンとデ・グリュー。荒野をさまよい歩くが、マノンの体力は衰え、もう動くことができない。マノンはデ・グリューへの愛を語り、水を求め、息絶える。