道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

「菱田春草展」のみどころと春草作品(新宿歴史博物館)

2014年09月26日 | 美術道楽
東京国立近代美術館で「菱田春草展」が開催されています。
残念ながらこちらのオープニングに参加する資格は与えられていません。
そこでということでもないのですが、新宿歴史博物館で開催された解説を聴講して参りました。講師は東京国立近代美術館主任研究員鶴見香織先生です。


春草は1874年に長野県飯田市に生まれ、1911年には没しており、活動した時期は極めて短い日本画家です。

最初にプレス向けの記者会見で使用された資料をもとに今回の企画展開催に至るまでの苦労話をうかがいました。
この企画展は2012年には開催しようとしていたところ、永青文庫がコレクションをよそに貸し出す予定が入っていることが分かり、開催時期が当初の予定よりもずいぶんと後になったということです。春草の作品は各美術館が分散して収蔵している上、さらに個人蔵で行方不明のものも多いため、なかなかこれを一箇所に集めるように借りることも大変なようです。研究者でもきちんと原物を見ている人も少なく、今回の企画展はとても貴重ということです。
菱田春草の作品の年代を探るには、署名を分析するのが有効であったということです。春草は年代ごとに作品の署名を変えているので、署名を見ればおおよその年代は分かるということです。これと製作の記録を照合して、年代を推定していったそうです。

後半では、《風神雷神図》、《寡婦と孤児》、《水鏡》、《菊慈童》、《王昭君》、《落葉》など代表作の映像を見せてもらいました。
朦朧体と呼ばれる作風の時期の作品も高画質の画像で見ると、実は絵の具を刷毛でざっと塗るようないい加減なものではなく、絵の具をパレットで混ぜてきちんと描いた部分が大半で、朦朧としているのはほんの一部だけの緻密な絵なのだと知りました。
《寡婦と孤児》は、東京藝術大学での卒業作品なのですが、これを巡っては大いに評価が分かれたところ、校長である岡倉天心の最終判断で首席と判定されたとのことです。
確かにテーマは太平記からとったということですので、そうすると後醍醐天皇の后と後村上天皇が寡婦と孤児なのでしょうか???どうみても、幽霊の絵のようにしか見えません。

春草は、アメリカ、ヨーロッパにも出かけ、絵を描いて滞在費を得ながら旅行を続けたとか。講師の先生も、もし春草がもっと長生きしていれば、ずっと違う作品を残したであろうと残念がっていました。

オペラトーク・パルジファル(新国立劇場・渋谷区本町)

2014年09月25日 | オペラ道楽

10月2日から新立劇場で上演予定のパルジファルのオペラトークに参りました。
音楽評論家舩木篤也さんの解説を中心に、今回のオペラの指揮者であり、今期のオペラ芸術監督に就任された飯守泰治郎さんのお話も交えてオペラトークが開催されました。最後にはアンフォルタス役のカヴァー歌手である大沼徹さんが「憐れみたまえ」の曲を、クンドリー役のカヴァー歌手の池田香織さんが「幼子のあなたが…」の曲を打たしました(いずれもピアノは小埜寺美樹さん)。

舩木先生のお話によれば、パルジファルのストーリーは善悪をスッパリ分けられないとのこと。聖杯をいただく騎士達の王であるアンフォルタスは既にクンドリーの誘惑に負けて交わっており、クンドリーもアンフォルタスの癒えない傷のための薬を用意するなどの行為も行っている。このストーリーの一番の善人と思われるグルネマンツもなぜかクンドリーのことを知っていて、その理由は明かされない。となると、グルネマンツもクンドリーと関係を持っていて、実はアンフォルタスとは兄弟(すみません。この下品な表現は私の表現です。)なのではないかということも臭わされる。その上、アンフォルタスを救う聖なるおろか者であるパルジファル=正真正銘のアホ(こちらは舩木先生の表現。先生はこれがお好きなようで、何度か繰り返されました。)が最初、全く事態を飲め込めないのに一気に全てを悟るのはクンドリーの接吻によるものであり、ここでもクンドリーの接吻が重要な意味を持っているということです。
善と悪、エロスとカリタスが二律背反ではない世界ということのようです(以上、私の理解が誤っていなければですが。)。
そして、舩木先生は、最後に聖槍が戻り、パルジファルが王になってもとの形に戻って果たしてそれがハッピーエンドになるのかという疑問を呈されていました。

ここからは私の感想ですが、一神教的な善と悪、光と闇を峻別することに抵抗を示すオペラの演出はまま見られるような気がします。ほかならぬゾロアスター(ザラストロ)が登場するモーツァルトの「魔笛」でもそのような演出を見たことがあります(コンビチュニー演出もそうでしたし、新国立で上演されたものもそうでした。)。
また、女性との愛を通じて「おろか者」に知恵が授けられるという演出は、新国立のトーキョー・リングのジークフリートもそうであったと思い出しました。
これらの演出は、パルジファルのストーリーから着想を得ていたのかもしれません。
なお、エンディングですが、私としては、そもそも聖槍が戻ってパルジファルが王になるということだけではすませないエンディングを用意するのではないかと予想しています。昨年か一昨年のバイロイト音楽祭の「ローエングリン」(パルジファルの息子ローエングリンを主人公にしたオペラ)では、最後に即位するエルザの弟は、目を背けたくなるような醜悪な奇形児の姿に描かれていましたが、そのような刺激的な演出ではないにしても、単純な終わりではないのではないかと予想しています。例えば、パルジファルがクンドリーを妃にするとか(こうなってくると、もうその後はシェークスピアの「タイタス・アンドロニカス」のような世にもおぞましいストーリーの展開になりそうなので、さすがにそこまではしないでしょうが。)。


新国立としてはワーグナーの主要なオペラ(妖精、リエンツィなど初期の作品を除いたオペラ)は、このパルジファルの上演で全て上演したことになるそうです。
また、パルジファルには時間が空間になるだか、空間が時間になるだか忘れましたが、そのような台詞もあり、相対性理論を先取りする台詞もあるのだそうです。

飯守監督になって最初の作品、とても楽しみです。

高須四兄弟展(新宿歴史博物館)

2014年09月24日 | 美術道楽
新宿歴史博物館で開催中の「高須四兄弟展」に行って参りました。
高須四兄弟とは、美濃高須藩松平家に生まれ幕末に活躍した四兄弟、つまり徳川慶勝(よしかつ)、一橋茂栄(もちはる)、松平容保、松平定敬(さだあき)の4人の兄弟を指します。

美濃高須藩は、尾張藩の支藩ともいうべき立場で、当主も尾張徳川家の分家(尾張徳川家御連枝)という立場であり、尾張徳川家に世継ぎがないと美濃高須藩から出るという立場にありました。徳川吉宗の時代の尾張藩主徳川宗春は、尾張藩の御連枝支藩の陸奥梁川藩主から尾張藩主となりましたが、その陸奥梁川藩と同様の地位にあります。
美濃高須藩の高須松平家は代々、摂津守を名乗り、現在の新宿歴史博物館の近くに屋敷を構え、それが地名の「津の守坂(つのかみさか)」の由来になっています。尾張藩上屋敷は、現在の防衛省の位置にあったのですから、高須松平家は、国元の位置だけではなく、江戸の上屋敷も近所であったことになります(因みに、高須松平家は、角筈にも屋敷を持っていたとのことです。)。

さて4兄弟ですが、まず名前で分かるのですが、松平容保を除く兄弟は、いずれも代々の将軍(家慶、家定、家茂)の諱名をもらっています。

徳川慶勝は、尾張徳川家の藩主となりますが、井伊直弼の時代には徳川斉昭らと歩調を合わせ(幕末の時期には高須松平家は、姻戚・養子縁組関係を通じ、むしろ水戸藩の影響が強くなっていたとのことです。)、安政の大獄の際には蟄居となり、隠居します。その後も前藩主として影響力を持ち、再度、藩主にも復帰し、第一次長州征伐の際には総司令官となりますが、長州藩には寛大な措置をとり、戊辰戦争に際しては政府軍に付きます。日経新聞に掲載された「黒書院の六兵衛」にも、江戸城明渡しの際に市谷の上屋敷から藩士を使わすお殿様として登場しています。

一橋茂栄は、いったんは隠居させられた兄慶勝に代わって尾張藩主となりますが、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺された後は尾張藩に居場所もなくなり、藩主を退きます。しかし、その後も、徳川家茂の側近として働き、家茂の代わりに朝廷との交渉を行うこともあったようで、家茂の信任が厚かったようです。一橋慶喜が将軍となると、かわって一橋家の当主となり、幕府側の立場で新政府との交渉に当たったとのことです。

松平容保(会津中将)や松平定敬(桑名中将)のことは、紹介するまでもないでしょう。松平定敬は、桑名では政府軍と戦うことができず、その後、会津や箱館にまで行って政府軍と戦います。

四兄弟ですが、この展覧会では、知名度において弟2人に劣る上の2人の兄弟の活躍についての解説の方が詳しかったような気がします。弟2人の話は、明治維新全般での解説の中での言及の方が多かったように思われます。
家系図、書画なども大変興味深く見ました。特に徳川慶勝は、達筆でしかも気迫のこもった書を書くように思われました。
最後には1878年に撮影された四兄弟の写真も展示されていました。上の2人の兄弟は、賊軍となった2人の弟の名誉回復のために尽力したようです。

この展示の中で、一番驚きましたのは、尾張藩徳川家の初代藩主義直が、朝廷と武家との間に何かことがあれば朝廷の側に付けという家訓を残していたとのことです。それは、尾張徳川家の徳川宗家への反発(徳川家光は、徳川義直にとっては甥に当たる。)もあったのかもしれませんし、たとえ宗家がつぶれても徳川家の家名は残したいという思いもあったのかもしれません。いずれにせよ。このような家訓は明治維新の際に尾張徳川家が政府軍に付くことを正当化することを可能にし、行動の選択肢を広めたのではないかと考えました。




台北國立故宮博物院展(東京国立博物館・台東区上野公園)

2014年09月23日 | 美術道楽
9月15日で東京での開催は終了しましたが、上野の東京国立博物館で開催していました台北國立故宮博物院展の後期の展示を見に行きました。

馬麟の《静聴松風図軸》(南宋)、牟益の《擣衣図巻》(南宋)、武元直の《赤壁図巻》のほか、蘇軾の《行書黄州寒食詩巻》が後期になって登場していました。
蘇軾のこの書は、いろいろな人の手に渡り、これを所蔵した清朝の乾隆帝は神品と行ったそうですが、1860年の円明園焼き討ちで流出し、その後さらに転々として日本に来て菊池惺堂が所蔵し、関東大震災の際に危うく焼失するところだったそうです。内藤湖南が跋文を書いております。
そして、常設展の方にも。同じく乾隆帝のコレクションから菊池惺堂の所蔵品となり、同じく関東大震災で焼失の危機に瀕した李氏筆《瀟湘臥遊図巻(しょうしょうがゆうずかん) 》も9月15日まで展示されていました。こちらにも内藤湖南の跋が記載されています。
(並列ではないにしても)このような形で同時期に近い場所に2つの作品が集められるのも久しぶりとのことです。

余談ですが、内藤湖南というと、大昔大学入試の過去問で、内藤湖南が日本の歴史を考える上では応仁の乱以降のことを知っていれば十分だ、古代史など意味ないなどと講演した内容について論評せよというのがあり、自分が受験した年にもその焼き直しのような問題が再度出題されておりまして、湖南の業績はともかく名前だけは覚えておりました。



下にあるのが李氏筆《瀟湘臥遊図巻(しょうしょうがゆうずかん)》
















ヴァロットン展3たび4たび(三菱一号館美術館)

2014年09月22日 | 美術道楽
その後、三菱一号館美術館に何度も通い、ヴァロットン展を見に行っています。
音声ガイドもiPhone5-6にダウンロードし、繰り返し使用しています。

何度見ても、ヴァロットンの《竜を退治するペルセウス》、《引き裂かれるオルフェウス》、《アダムとイブ》、《貞節なシュザンヌ》など不思議な絵です。
三菱一号館美術館の所蔵する版画コレクションも素晴らしいです。

明日までの会期です。
最後にクッションカバーとトートバック、それと一筆箋をお土産に買いました。













東アジアの華 陶磁名品展(東京国立博物館・台東区上野公園)

2014年09月21日 | 美術道楽
東京国立博物館で開催中の「東アジアの華 陶磁名品展」のオープニングに行って参りました。
平成館で開催される大規模な企画展ではなく、常設展の中の展示スペースで開催される小規模な展覧会ではありますが、中国、韓国の国立博物館の所蔵品が一緒に展示されています。
HPからの引用ですが、
(引用はじめ)本展覧会は、日本、中国、韓国の3ヵ国の国立博物館が合同で実施する初めての国際共同企画展です。
中国は中国国家博物館、韓国は韓国国立中央博物館の所蔵品、日本からは東京国立博物館の所蔵・寄託品、文化庁の所蔵品と、各国15件ずつ、あわせて45件が出品されます。各館の陶磁器コレクションの特徴をふまえて厳選された名品が一堂に会します。(引用終わり)
ということです。

中国からは唐三彩が来ていましたし、《3級文物 緑釉女子俑(りょくゆうじょしよう)(唐時代・開元11年(723)葬 陝西省西安市鮮于庭誨墓出土 中国国家博物館蔵 )》なども印象に残りました。
韓国からの陶磁では、《国宝96号 青磁亀形水注(せいじかめがたすいちゅう) 高麗時代・12世紀 黄海北道開城付近出土 韓国国立中央博物館蔵》が素晴らしかったほか、陶磁の展示の配列についても、同じケースの中の取り合わせが見栄えが良くなるように工夫がされているように感じられました。
オープニングなので丁寧に見ることはできませんでしたので、再訪して丁寧にみたいと思います。

オープニングセレモニーでは、各博物館の館長、副館長などの関係者の他、文化庁長官も出席されていました。中国からの出席者のにこやかな表情、韓国からの出席者の仏頂面といっていいような表情、それと3か国美術館関係者が判を押したように当たり障りのないスピーチをしたのが印象的でした。その中で日本の文化庁長官だけが素直に感動を表した心のこもったスピーチをされました。不思議な人だと思って調べましたら、国会議員でも役人でもなく、大学の教授を務めていた人のようです。なるほどと納得した次第です。




だまし絵2(Bunkamuraザ・ミュージアム・渋谷区道玄坂2丁目)

2014年09月16日 | 美術道楽
渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「だまし絵Ⅱ」という展覧会に行きました。
「だまし絵」展は既に2009年に開催されています。
今回はその続編です。

「だまし絵」というとTrompe-l'œilトロンプ・ルイユかと一般に思われます。つまり遠近法等を利用した、いわゆる見る者に誤解を与える絵とか、またアルチンボルドのように果物などを利用して人物を描いた絵を想像させます。
しかし、今回の「だまし絵Ⅱ」は、ずいぶん裾野を広く広げたようで、現代アートの占める割合も高くなっています。

最初の方ではデューラーによる「アイリスの聖母」(ただし、その複製)が展示され、絵画の中に蝿の絵が描かれている絵が紹介されています。見ると、絵に蝿が止まっているように見えます。昔、私の知り合いの方で、このような絵に特に関心のあった方もいたような気がします。
そして、アルチンボルドの絵です。本を描いて、人物を表現しています。いかにも本の虫という感じが出ています。
このほか、1つの視点でのみ絵が見える、歪曲像の「アダムとエヴァ」や円筒に写すと絵画になる「デンマーク王フレデリック3世と王妃ゾフィー・アマリエの肖像」もあります。後者のいわゆるアナモルフォーズは、日本の週刊誌のグラビアでも、淫靡な写真を載せるのに用いられていたことが有ったような記憶です。

こうした古典的なだまし絵の展示の後は、現代アートのオンパレードです。
トーマス・デマンドの「浴室」は、浴槽がちらりとのぞくバスルームを一見すると写真に見えるように描いたものですが、不穏な空気を漂わせています。政治家が殺害された後の浴室ということのようです。この作品は、以前に東京都現代美術館のトーマス・デマンド展で見たことがあります。
このほか、ゲルハルト・リヒターの「影6」なども展示されています。
ミケランジェロ・ピストレットの「カメラマン」では見る者自身が鏡に映って作品の一部になります。
ヴィクトル・ヴァザルリの作品は、損保ジャパンの美術館のキネティック・アート展でも作品をみましたが、ここでも歪んで見える空間を描いた「BATTOR」が展示されています。
パトリック・ヒューズの「広重とヒューズ」は三次元と二次元の錯視を利用して絵画が動くように見えるので、大人気です。
カプーアの「白い闇Ⅳ」は、白い丸い球の中をのぞき込んでいると、遠近感がなくなり、白い闇のように見えるもので、こちらはいつも人間ドックの異常で視野検査を受ける私にとっては馴染みの世界のようにも見えます。
ダニエル・ローズィンの「木の鏡」も、作品の前に立つ鑑賞者を、印影だけに抽象化して、無数の四角形の積木の印影(積木の上下で色の明暗が表現される。)で表現する作品で、こちらも大人気です。私も、なで肩の自分の姿を確認してしまいました。

このほか、エッシャーはいうに及ばず、ルネ・マグリット・ダリなどのシュルレアリズムの作品も展示されており、現代アート好きの私にとっては、魅力満載の企画でした。



Idomeneo(新国立劇場・渋谷区本町)

2014年09月14日 | オペラ道楽
久しぶりにオペラを見に行きました。
二期会主催のモーツアルトのイドメネオです。

《アン・デア・ウィーン劇場との共同制作》
指揮:準・メルクル 演出:ダミアーノ・ミキエレット
≪9月12日・14日出演≫与儀巧/山下牧子/新垣有希子/大隅智佳子/大川信之/羽山晃生/倉本晋児
≪9月13日・15日出演≫又吉秀樹/小林由佳/経塚果林/田崎尚美/北嶋信也/新津耕平/倉本晋児
合唱:二期会合唱団 管弦楽:東京交響楽団
【あらすじ】HPからの引用
(引用はじめ)舞台はトロイア戦争後のクレタ島。クレタ王イドメネオの息子イダマンテは、戦争で負けて囚われの身となっているトロイア王女イリアを密かに愛しています。クレタに逃れているアルゴスの王女エレットラもイダマンテを思っています。一方、イドメネオはクレタに戻る途中嵐にあって遭難してしまいますが、海神ネプチューンと「陸に上がって最初に出会った人物を生け贄に捧げる」という契約を交わして救われます。そんなイドメネオが上陸して初めて会ったのは、なんと息子のイダマンテでした。
 イドメネオは忠臣アルバーチェの提案により、息子をエレットラとともにアルゴスへ逃がそうとしますが、イリアがイダマンテを愛していることを知り悩みは深まるばかり。エレットラは喜び、イダマンテはイリアへの思いに心乱れます。イダマンテとエレットラが出航しようとした時、突然海がざわめき怪物が人々を襲います。イドメネオは、契約を守らないのでネプチューンが怒ったことを知ります。
 死を覚悟して怪物を退治することを決意したイダマンテはイリアと愛を確かめ合います。司祭長が登場しイドメネオに生け贄を捧げるようにうながすと、イドメネオはついに生け贄が息子であることを告白。生け贄になることを決意したイダマンテをイドメネオが刺し殺そうとしたその時、イリアは自分を身代わりにと申し出ます。イリアの献身的な愛に、海神ネプチューンは「イドメネオは王位を退き、イダマンテが王となりイリアが妻となる」という神託を下し、一同喜びのうちに幕となります。(引用終わり)

9月14日に見に行きました。

序曲の際には舞台のスクリーンに、王イドメネオがイダマンテ(子役)にスーツを着せ、靴を履かせる場面が映写されます。イドメネオは、最近見たばかりのヴァロットンの絵画「アダムとイブ」のアダムのように妙に力が入ってふんぞりかえっているように見えます。この映像で、オペラのモチーフの1つが「父と子」であることが表されます。

そして、幕が上がると舞台は、砂場に無数の靴が散らばっている場面です。途中、靴の他にスーツケースが積みあげられたり、ばらまかれたりということもありますが、舞台の構成は基本的に一貫しています。トロイ戦争に限らず、現代の戦争一般がテーマとは聞いていましたが、靴は地面の下にいる戦死者、つまり大地の上に置き去りにされた靴を履いていた戦死者のことを連想させますが、絶滅収容所の犠牲者のことをも連想させますし、ましてやスーツケースに至っては絶滅収容所のイメージに直結してしまうような気もします。

このオペラでは、スクリーンに胎児の超音波の映像が2回ほど投影されます。そして、話の進行にしたがって、イリアのお腹はどんどん大きくなります。イダマンテが、イリアと結ばれるのかそれともエレットラ(エレクトラ)と結ばれるのか分からないような話で進んでいる(歌詞は演出で変えられませんから。)のにもうお腹が大きくなってしまってというツッコミも入れたくなります。そして、最後にはイダマンテが王として即位し、イリアを王妃とし、イドメネオが息を引き取るのと同時に、イリアは子を出産します。最初の場面との連環となり、いずれイダマンテがイドメネオの立場となり、新しく生まれた子がイダマンテの役割に回り、歴史が繰り返されることを予感させるエンディングです。イダマンテ、そして新たに生まれた子が再びイドメネオのように戦場に赴くのでしょうか。

エレットラ役の大隅智佳子はとにかく素晴らしい歌唱力と演技力でした。エレクトラと言えば、アルゴスのアトレウス家の生まれで、アガメムノンとクリュタイムネストラの娘であり、オレステスの姉であり、ギリシャ悲劇の中でよく取り上げられている人物です。このオペラではあくまでもクレタの王子イダマンテをめぐって、トロイの王女イリアと争う脇役ではありますが、イダマンテを愛しながらもイドメネオにも秋波を送ってみたり、ものすごい量の買い物袋を下げて登場して、次々と買い物袋から服を取り出して着たり、また砂場の汚泥を身体にこすりつけたりと、人間の根源的な欲望を体現したような存在として位置づけられた演出となっています。この欲望こそが、戦争を引き起こす原動力なのかとも感じます(別の演出家の演出では、エレクトラの登場する場面で、背後に、アガメムノン、クリュタイムネストラ、アイギストス、オレステスといった、殺し合いを続けたアトレウス家のメンバーがすべて登場するという演出まであったとか。)。

音楽、歌ともにとても楽しむことができました。
イドメネオは序曲や最後の場面の歌などCDでよく聞きますが、オペラとして通して見たのは初めてです。
上にも書きましたが、エレットラ役の大隅智佳子がとても素晴らしく、カーテンコールでは他の人よりも一段と大きな「ブラボー」に迎えられていました。



三文オペラ(新国立劇場・渋谷区本町)

2014年09月13日 | 演劇道楽
新国立劇場で開催中の「三文オペラ」のゲネプロに行って参りました。
[作]ベルトルト・ブレヒト
[曲]クルト・ヴァイル
[翻訳]谷川道子
[演出]宮田慶子
[出演]池内博之 / ソニン / 石井一孝 / 大塚千弘 / あめくみちこ / 島田歌穂 / 山路和弘 / 他

といった内容です。

この演目は演劇として上演されるのですが、やはり歌の占める割合が大きいので、役者の皆さんは演劇の能力だけではなく、歌も求められるので大変です。特にドイツ語の台詞で作曲された歌に割り付けられた日本語のとおりに歌わなければならないので、(ドイツ語の台詞は不要になるとはいえ)日本語の字余りのような歌を歌わされて大変です。
主役の池内博之は、やはり歌はあまり得意ではないようです。この劇の最後にはメッキ―の歌が続くのですが、歌い続けるのが苦しそうでした。これに比べポリー役のソニンは演技も歌もうまく感心します。ルーシー役の大塚千弘、ジェニー役の島田歌穂も頑張っていた(役柄上特に歌の場面で)ように思います。ピーチャム役の山路和弘はしぶい声と演技で大活躍でしたが、歌では苦労が多かったようです。山路和弘といえば、現在の大河ドラマでは安国寺恵瓊を演じています。この声を聞くと「官兵衛殿」などという台詞が出てくるのではないかと思ってしまいます。

新国立劇場は、まずオペラ劇場であるおかげでしょうか、皆さん歌も健闘していたと思います。このブログを始める以前にも、世田谷パブリックシアターで吉田栄作主演の三文オペラを見たことがありましたが、その際の上演よりも平均すると歌は良かったように思います。皆で合唱する場面で、ドイツ語の台詞のまま極めて綺麗な発音で歌う歌手も紛れこませるなど、新国立ならではの「伏兵」といいますか強力な助っ人まで用意していました。

それでも、勝手なことを言いますと、この劇は原語であるドイツ語の歌がとてもよいので,やはりドイツ語の歌を聴きたくなります。日本語の歌を聴きながらも、
Anstatt daß, anstatt daß

Machen Sie Spaß, machen Sie Spaß

とか

Und ein Schiff mit acht Segeln
Und mit fünfzig Kanonen
・・・
とかいったサビの部分は自分でも覚えているので口ずさみたくなりますし、ルーシーとポリーの「焼きもちの二重奏」やジェニーのソロモン・ソングなどもどちらかといえばドイツ語で聞きたくなります。
ドイツで三文オペラを見たくなりました。

キネティック・アート展(損保ジャパン東郷青児美術館)

2014年09月02日 | 美術道楽
損保ジャパン東郷青児美術館にキネティック・アート展を見に行きました。

まずはHPから企画の趣旨です。
(引用はじめ) 20世紀のヨーロッパに誕生したキネティック・アート(動く芸術)は、作品そのものに「動き」を取り入れているのが特徴です。機械じかけで動いたり発光する作品のほか、実際には動かなくても、目の錯覚を利用したり、見る人の視点の移動に応じて動いて見える作品も含みます。
「動く芸術」という考え方は、20世紀初頭に機械文明を礼賛し「スピードの美」を唱えた未来派などにさかのぼることができます。動く作品としては、1930年代から作られた風力で動く彫刻「モビール」がよく知られています。しかし、キネティック・アートが本格的に盛んになるのは、1950年代後半から60年代にかけてのことです。大戦後、発達する科学技術を芸術に取り込む気運の高まりの中で、キネティック・アートは20世紀の新しい美術分野として定着します。
本展覧会は、1960年代にイタリアを中心に展開したキネティック・アートを日本で初めて総合的に紹介する試みです。先駆的なブルーノ・ムナーリをはじめとするイタリアの作家たちのほか、フランスやドイツで活動した作家たちをあわせた30余名による平面・立体作品約90点を展示します。いずれもイタリア国内のコレクションからの出品で日本初公開です。(引用終わり)

キネティック・アートの序章として、動かない絵画が第1章視覚を刺激する(絵画的表現)として紹介されます。そこで、ジョセフ・アルバースの何重にもなった四角の絵や織物もみることができました。ヴァザルリという、芸術家列伝を著したジョルジョ・ヴァザーリと同じ名前の画家の色彩の作品も興味深く思われました。
その後は、自分が動くと違ったようにみえるような作品なども含めて不思議な世界のオンパレードです。不思議な動きや色彩の作品、また錯視を利用した作品など楽しむことができました。夏休みの時期であったせいか、子連れの客が多かったようです。これなら子どもも喜ぶことでしょう。
現在渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで「だまし絵2」展が開催されていますが、そちらも錯視の世界(ただし、他にも現代アートの作品も多数ありました。後に紹介します。)なので、2つの美術展を回ると面白かったと思います。