道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

日本の美術館名品展後期(東京都美術館・台東区上野公園)

2009年06月30日 | 美術道楽
東京都美術館で開催中の「日本の美術館名品展」も6月2日から展示替えがあり,7月5日には終了です。
後半の展示を見に出かけて参りましたが,国立西洋美術館のルーブル展が終わったこともあるのでしょうか。今回はすごく混雑していました。
前回,既に音声ガイドもつけて丁寧に見たので,今回は展示替えのあった作品とどうして再度みたい作品を中心にみました。どうしてももう一度みたい作品とは,地下1階の現代美術のコーナーの作品のほか,香月泰男の作品です。

展示替えで加わったのは
・ルノワール「読書するふたり」
・モネ「ジヴェルニーの積みわら。夕日」
・マックス・エルンスト「風景」
・アンディ・ウォーホル「ダイヤモンド・ダスト・シューズ」(これが一番見たかった作品です。)
等であり,日本画は列挙しませんが,
・今村紫紅「黄石公・張良」
等がありました。
逆に甲斐庄楠音の「横串」や前田青邨の満州国の絵は展示替えでなくなっていました。

今回,再度,音声ガイドを使いながらも,省略するところは省略したのですが,それでも1時間は優にかかりました。
本当によくまあこれだけ集めたなあと感心します。
それでも,各地の公立の美術館はまだまだ沢山の所蔵品がありますし,また公立系ではない美術館の収蔵品は来ていないのですから,日本国内の美術コレクションも大したものだと思います。

ネオテニー・ジャパン-高橋コレクション(上野の森美術館・台東区上野公園)

2009年06月29日 | 美術道楽
上野の森美術館で開催中の「ネオテニー・ジャパン」展に行きました。
精神科医の高橋龍太郎氏の個人コレクションを展示したもので,日本の現代アートばかりの美術展です。

ところで,ネオテニーとは「幼形成熟」という意味で,動物学や発達生育学で幼いまま性的に成熟する進化の過程を指すのだそうです。その過程を日本の美術の状況にあてはめて「ネオテニー・ジャパン」という名前になったそうです。

コレクションも様々です。比較的知られているところから言えば,奈良美智や束芋の作品もありました。
ほかにも,鴻池朋子のKneifer life,同じくナイフをテーマにしたmimio-Odysseyといった映像作品もありました。
村山留里子のドレスの作品や小川信治の「最後の晩餐」の絵に手を加えた作品のように,見てわかりやすいものもあったのですが,山口晃の「伝源頼朝絵」(本当は足利直義の絵?)を編集したものなど,作者の意図を理解しきれないものも多かったのが実情です。

でも,現代美術ですので,理解しきれないなりに楽しめましたし,高橋龍太郎氏個人でこれだけ沢山の現代アートを収集するとはすごいコレクターだと本当に感心しました。

今回,私が一番熱心に見たのは,秋山さやかの「ベルリンを歩く2006年6月1日~16日」です。
手漉き和紙,地図,針金,ビーズなどで本当に器用に小さく作り上げた小作品なのですが,展示物の下の壁に本人の日記が日本語とドイツ語でペンで落書きのように書いてあります。ハンブルク駅現代美術館のことなども書いてあって,作者とともにベルリンを旅するような気持ちになる作品でした。
かなり型破りの作品とは思いますが,ベルリンを半年前に旅行していた自分はとても楽しめました。

美術館で展示を見ていたちょうど同じころ,鴻池朋子氏のトークもあったのですが,展示を見ることを優先して,こちらはほとんど聞けませんでした。

トークの模様




二千語宣言

2009年06月28日 | 衒学道楽
1968年6月27日,チェコスロバキアにおいて「プラハの春」の改革運動を支持する二千語宣言と呼ばれる文書が公表されました。
既にチェコスロバキア当局も「行動綱領」を採択し,改革の指針を明らかにしていましたが,6月になってワルシャワ条約機構軍が盛んに軍事演習を繰り返し,「プラハの春」への介入が危惧されるようになっていました。
これを受けて,作家のヴァツリークは,市民の側からチェコスロバキアにおける改革を指示し,ソ連の圧力に屈しないように政府に要請する「二千語宣言」を公表したのです。

しかしながら、ソビエト連邦は二千語宣言を反革命的とみなし,共産党の統制外でこのような文書が公表されたこと自体まで問題にしました(今日では,考えがたいことです。)。

やがてプラハの春はソ連の戦車によって押しつぶされることになります。

写真は1993年のクリスマスの時期のものです。
ムステック広場からヴァーツラフ大通りを経て国立博物館へと向かう場所です。

ドイツ社会主義労働者党結成

2009年06月27日 | 衒学道楽
1875年6月,フェルディナント・ラサールの全ドイツ労働者協会(ADAV)と、アウグスト・ベーベルとウィルヘルム・リープクネヒトのドイツ社会民主労働党(SDAP)(アイゼナハ派)が合併し,ゴータにおいてドイツ社会主義労働者党(SAPD)が結成されました。
それに伴い,6月22日から27日にかけてゴータ綱領が採択されました。

今日,ゴータ綱領が有名なのは,専らといっていいほど,その後のマルクスの著作「ゴータ綱領批判」によってではあります。

写真はゴータの市の中心部の写真です。wikipediaにあったGotha. Der Hauptmark von der Wasserkunst gesehen von Stefan Christian Hojaからとったものです(昔,ゴータにも旅行しましたが,その際には不覚にもフィルムをエアフルト中央駅に忘れました。私が訪れた時のゴータはこの写真にも映っているあたりにマルクトがたっていたものの,ゴミ箱をあさって食べ物を探す老婦人もいて,随分と汚らしいイメージだったのですが,今は奇麗になっているようです。)。

ついでにドイツ社会民主労働党(アイゼナハ派)の設立されたGoldener Loeweという建物(アイゼナハにある建物)はこちらです。
これは自前で撮影した写真がありました。



六義園の紫陽花(文京区本駒込)

2009年06月26日 | 風流道楽
六義園は紫陽花でも有名です。
ちょうどこの時期が見頃で,あじさいが沢山咲いている地域は,あじさい山と呼ばれているほどです。

あじさい山の遠景


しかし,行ったのは生憎,前日に雨が降った後の朝のこと。あじさい山は,地滑り防止のために閉鎖されておりました。
あじさい山に登って接写することができないのは残念でしたが,それでも十分に紫陽花を楽しむことができました。



西洋アジサイが主流で、日本古来のアジサイは少数派です。




紫陽花は梅雨の嫌な気持ちを癒してくれる花です。
梅雨があければ,ほおずき市くらいしか残るものはなく,暑い夏になります。

ディップマハル(新宿区岩戸町)

2009年06月25日 | 食道楽
神楽坂のインド料理デッィプマハルに行きました。
よく店の人も通りで宣伝している店です。
HPを見ると,神楽坂だけではなく,四谷三丁目や半蔵門にも店があるようです。

店内に入りますと,インドの絵画が飾られていたり,インドのテレビが流れていたりと,店内はインドの雰囲気を醸し出しいています。
貧相な外観や内装のインド料理店が多い中,この店は外観も内装もよく,人と一緒にいっても良さそうです。
豆カレーとバターナンを頼みましたが,味もおいしかったです。

メニューに載っている品数が多く, 慣れないとどれにしようかと迷ってしまいそうですが,コースメニューもあったようです。

立地と店内の雰囲気,サービス,それと,もちろん味もよいので,格安インド料理店と比べてしまうと値段はやや高めかもしれません。

サーモスの真空断熱ボットコーヒーメーカー

2009年06月24日 | 日常の道楽
我が家で大変長く働いてもらったコーヒーメーカーですが,だんだんガラスの器も汚れてきました。そこで,思い切って取り替えることにしました。

せっかくであれば,よくドイツのホテルやオフィスに置いてあるような,沸かしたコーヒーがそのまま魔法瓶に入る形式のものがよいかと思って購入しました。これによっていっぺんに8人分のコーヒーを入れることができるようになりました。

しかしながら,相方と私は2人暮らしで,「コーヒーは心臓に良くない」(映画・ベルリン・アレクサンダー広場でのフランツ・ビーバコップの台詞)ということから,相方は紅茶派です。したがって,コーヒーの消費量もたかが知れたもの。保温時間も期待していたほどは長くなかったので,結局,少量ずつコーヒーを入れることになっています。
そうすると,この図体の大きいマシンだと,水の量と粉の量の案配が難しく,以前よりもコーヒーを入れるのが困難になってしまいました。

日本で一般的に売っているあか抜けないシンプルな機械のほうが使い勝手が良さそうです。


ボリショイ・オペラ「スペードの女王」(NHKホール・渋谷区神南)

2009年06月23日 | オペラ道楽
6月21日,大雨の日でしたが,NHKホールでボリショイ・オペラ「スペードの女王」を見ました。

NHKホールは,収容人数も多いのですが,構造が複雑で,建物も古いのが難です。

さて「スペードの女王」はプーシキンの小説をもとに,チャイコフスキーが台本,作曲を手がけたオペラです。
主要な登場人物はゲルマン,リーザ,伯爵夫人,エレツキー侯爵です。
リーザは既にエレツキー侯爵と婚約しているのですが,士官のゲルマンは身分違いのリーザに恋いこがれます。ゲルマンはリーザに求愛し,リーザもゲルマンに惹かれていきます。しかし,ゲルマンは偶然耳にした伯爵夫人の「3枚のカードの秘密」に気をとられるようになります。伯爵夫人は昔,パリの賭博場で全財産を失いますが,この「3枚のカードの秘密」を知り,財産を取り戻すことが出来たという話です。
リーザから逢い引きのため鍵をもらったゲルマンですが,リーザの部屋に入る前に伯爵夫人に「3枚のカードの秘密」を教えるようにピストルで脅して迫り,ショック死させてしまいます。
その後,伯爵夫人の亡霊はゲルマンにカードの秘密を教えます。ゲルマンはリーザが留めるのも聞かず、リーザと共に逃げるのではなく,賭博場に向かいます。リーザは絶望して運河に身投げをします。
ゲルマンは賭博場で3,7,エースの3枚のカードの秘密によって,賭博に勝ちを収めるはずでした。しかしゲルマンが最後の勝負でエレツキー侯爵と勝負した際,勝ち札のエースであったはずのカードはスペードの女王に変わり,ゲルマンは破滅的な敗北します。ゲルマンは,伯爵夫人の亡霊を見ながら,自殺します。

明るい内容のオペラではありません。また,大昔,プーシキンの小説を読んだときには,割と面白いと思った記憶があったのですが,オペラにすると,170分という時間はやや冗長すぎる感じがして,小説ほど面白みが感じられませんでした。また,「スペードの女王」では,単独で演奏されるほど有名な曲がないのも少し残念であります。
それでも,舞台を上下に分けて,上下で異なる展開をする演出(上がリーザ,下がカードの虜になったゲルマンなど)は面白かったですし,歌手は皆うまかったです。
特に21日にリーザを演じたエレーナ・ポポフスカヤのリーザは,「愛に生きるリーザ」というキャッチフレーズのとおりで,エレツキー侯爵という婚約者がいながら,ゲルマンに惑わされ,最終的にゲルマンを愛してしまうリーザを, よく表現していたと思います。

いいオペラではありましたが,後味はあまりよくなく,梅雨時の170分間の上演は少々身体にこたえました。

バルバロッサ作戦始まる

2009年06月22日 | 衒学道楽
1941年6月22日,ナチスドイツはいわゆるバルバロッサ作戦を開始し、ここに独ソ戦が始まりました。ソビエト連邦の立場からすると,大祖国戦争の始まりです。
ところで,この開戦のタイミングですが,ナポレオンのロシア遠征(祖国戦争)の開始と重なります(厳密にはナポレオンのロシア遠征の開始は6月23日になっていて,ずれがあるのですが,これは時差か軍がどこの国境を超えたかの基準の違いなのでしょうか。詳しくは知りません。)。
ヒトラーはナポレオンのロシア遠征にあえて時期とを合わせ,誰もこんな不吉なタイミングで戦争を起こさないだろうと思うような時期にバルバロッサ作戦を開始したようです。

前にもブログで書きましたが,大粛清の影響もあり,ソ連軍は当初連戦連敗でした。
しかし,祖国戦争と同様,大祖国戦争にも最終的には勝利をおさめることとなります。


とんかつ豊(新宿区喜久井町)

2009年06月21日 | 食道楽
夏目坂の途中にあるとんかつ豊というトンカツ屋で食事をしました。
外側から店の様子が見えず,入りにくい店構えです。

店内はカウンター席が数席一列に並んでいるだけのシンプルな構造です。

ヒレカツを注文しましたが,量が多く,ご飯まで全部平らげきれなまいまま,リタイヤしました。

噂には聞いていましたが,何とも量の多い店です。


球技場の誓い

2009年06月20日 | 衒学道楽
1789年6月20日,フランスのヴェルサイユの球技場において,第3身分出身の議員を中心として,憲法制定まで解散をしない旨の誓いがされました。
フランス革命直前の1789年に170年以上も開催されなかった三部会が開催されましたが,議決方法等を巡って紛糾する中,第3身分出身の議員を中心となって,有名な球技場の誓いが行われたのです。
絵の中で宣言をしているのがバイイ将軍,両手を胸に当てて感極まっているのがロベスピエール,そして中央にある椅子に座って陰鬱な表情をしているのがシエイエスであったはずです。
パリのカルナヴァレ美術館にある,ダヴィッド作の絵で,絵の芸術性よりも描かれている出来事と,人々の表情で有名な絵です。

主水(MONDO・四谷三丁目)

2009年06月19日 | 食道楽
再び四谷三丁目にある島根料理の店主水(MONDO)に行きました。
今回はとうとう岩ガキを食べることができました。岩ガキは山陰の夏の味覚ですが,貝殻ばかり大きく,実際のところは食べるところは多くありません。レモンだけでは物足りなかったので,ポン酢でいただきました。

次に同じく山陰名物ノドグロを食べようとしたのですが,一夜干ししかありませんでした。こちらも高価な魚で,今回品切れだった煮付けなどほんの少しで2500円もします。油っぽい魚ですが,地域の名物という名前に弱い自分は頼みたくなります。
ノドグロの一夜干し


新鮮な魚介類を楽しむことのできる店で,入りやすく,値段も手頃のせいか繁盛しています。

お勧めの店です。

魚邦鮨(文京区向丘)

2009年06月18日 | 食道楽
白山の駅の近くで,本郷通りに面したところにある魚邦鮨という寿司屋でランチを食べました。
店内のスペースは意外にあり,2階に座敷まであります。近くの寺での法事の関係者も食事をしていました。
食べたのはにぎり鮨の大盛りでした。蟹の軍艦巻きも付いており,量が増えるだけでなく,質も並盛りよりアップするようです。
みそ汁付きで1050円でした。
また行こうと思いつつも,今では白山にもあまり出かけないので,次に行くのはいつになるかわかりません。

飛鳥山公園のあじさい(北区王子)

2009年06月17日 | 風流道楽
王子にある飛鳥山公園のあじさいを見に行きました。
京浜東北線の線路沿いのところ咲いており,京浜東北線に乗ると,たくさんの紫陽花が咲いているのがわかります。

紫陽花の咲いている通りの反対側は,昭和のレトロの飲み屋です。もう何十年も変化していないのでしょう。


紫陽花もいろいろな種類のものがあります。
以下いろいろな種類のものの写真をあげます。








こちらの方が日本古来のものと聞きました。



有名なだけあって,ものすごい数の紫陽花です。




最後は飛鳥山公園の外側から坂を登り,本郷通りまで出てから,ゲーテの小径の前をとおり,地下鉄の西ヶ原から帰りました。

ステパン・ラージンの乱の終結と処刑(モスクワ・赤の広場)

2009年06月16日 | 衒学道楽
今日6月16日はステパン・ラージンがモスクワのクレムリンで処刑された日です。

ステパン・ラージンは,日本ではステンカ・ラージンとして,そして何よりも「久遠に轟くボルガの流れ・・・」というあの歌で有名です。

ロシア南部のドン河のコサックであったステパン・ラージンは,盗賊団をしながら勢力を伸ばし,ペルシアとも抗争し(歌にもペルシアの姫なり・・・というくだりがあります。),やがてロシアに対し,公然と反旗を翻し,階級制のないコサックの共和国を目指します。
しかし, やがてステパン・ラージンはロシア正教会から破門され、勢力を失い,やがてとらえられクレムリンの赤の広場に連行され,そこで処刑されます。

写真はまだソビエト連邦時代の1990年3月にクレムリンの赤の広場に行ったときの写真です。
左手奥が現在の大統領府,その手前にレーニン廟,中央奥が国立歴史博物館,右手に少しだけ見えているのが百貨店グムです。
そして中央にある丸い台は,ロブノエ・メストと呼ばれる皇帝の布告が読み上げられた台であります。このロブノエ・メストは同時に処刑台でもありました。

ステパン・ラージンはこのロブノエ・メストで処刑されたのでした(因みに後の時代のプガチョフもここで処刑されたようです。)。

赤の広場の赤は美しいという意味とですが,帝政ロシアの時代から文字通り血の色に染まってもいるわけです。