道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

「ワレサ連帯の男」(岩波ホール)

2014年05月09日 | 映画道楽
岩波ホールで開催中のアンジェイ・ワイダの「ワレサ連帯の男」を見に行きました。
ワイダは、以前にも「鉄の男」で連帯やレフ・ワレサをテーマにした作品を製作しています。「鉄の男」でも本作品でも、ワレサが労働者の仲間の肩車に乗って登場する場面があります。

さて、「ワレサ連帯の男」ですが、1980年代初頭のグダンスクのレーニン造船所で電気工として働くレフ・ワレサの家をイタリア人ジャーナリストが訪問し、インタビューを受けるという場面から始まります。時期は特定されていませんが、まだ秘密警察の監視が続けられていますので、ブレジネフが死亡し、ワレサが監禁を解かれ、ノーベル平和賞を受賞したころなのでしょう。
そこからインタビューを受けながらのワレサの回想として、1970年の暴動、1980年の独立自主管理労働組合「連帯」の創設とストライキの勃発、1981年のヤルゼルスキ将軍による戒厳令布告とワレサの拘束、そして前記のようにブレジネフの死亡とワレサの解放、そしてノーベル平和賞の受賞へと話がつながります。最後は、インタビュー終了後の出来事として、円卓会議、選挙での連帯の勝利、ベルリンの壁の崩壊、ワレサのアメリカ議会における演説で終わります。

ストーリーは史実に従い、ドキュメンタリーのように展開するので、とても分かりやすいと思います。もっとも私のような老人、否、老鼠には、すべてストーリーが現代の出来事として知っているからなのかもしれません。
印象的でしたのは、ワレサの家庭人としての様子などを描いていたことです。そして、インタビューの場面を見ても、ワレサのいささか傲慢でわがままな感じ、思い込みの強さやしたたかなところ等人間的に必ずしも良いともいえない面も描かれていたことです。

「時代が自分を必要としていた。」、「インテリが5時間かけて議論して決めることを自分なら5秒で決める」といった発言など、風貌も相まって本物のワレサの発言かと思ってしまいます。

ワレサを語るには、「時代が必要としていた。」というこの発言に尽きるように思います。

他方で、ワレサはインタビューの場面でもしソ連軍が攻めてきたら、という質問に、曖昧な答えに終始しています。実際、あの当時、東ヨーロッパでは「ブレジネフ・ドクトリン」がまかり通っていたのですから、いつハンガリーやチェコ・スロヴァキアのようにワルシャワ条約機構軍が侵入してきてもおかしくなかったはずです。そのあたりの状況についてのワレサの認識などもここに描かれたとおりだったのだろうなと思いながら見ました。
時代はワレサと同時に、連帯を押さえ込むことによってかろうじてソ連軍の侵攻を食い止めたヤルゼルスキ将軍をも必要としていた筈です。

この映画の最後の場面が1989年11月15日のアメリカ議会における演説の場面というのも非常にいいタイミングのエンディングです。何せその後、レーニン造船所自体が閉鎖されているのですから。
そして、実際は、その後、ワレサはポーランドの大統領に就任しますが、政治家としての見識は正直どうかというところでしたし、その演説も旧東ヨーロッパの体制を非難するだけで、あまり深みがなかったような記憶です。実際1995年の選挙では大統領に再選されませんでした。このあたりが全国的なストライキという危機的な状況では、活躍しつつも、平時には所詮もともとは電気工だからと受け止められてしまう彼の個性を見事に表しています(その後、むしろヤルゼルスキ将軍の方が再評価されていたような記憶です。)。

チェコ・スロヴァキアのアレクサンデル・ドゥプチェク(元チェコスロヴァキア党第一書記・プラハの春の指導者)がビロード革命の後、連邦議会議長となり、「プラハの春」の頃と同じように2階から広場に向かって独特の人を抱きしめるような仕草をいつも示して、市民から愛され、交通事故によって死亡するまで市民から慕われたのとは、似ているようで異なる気がします。


なお、この映画ではワレサ以外に隠れた重要な登場人物がいます。それは、当時の教皇ヨハネス・パウロ2世です。映画には教皇の映像や肖像画がしばしば出てきます。あの当時、ポーランド出身の教皇がいるということが、ポーランドの人々を精神的に支えてくれたのでしょう。


ハンナ・アーレント(岩波ホール)

2013年12月06日 | 映画道楽
岩波ホールに映画「ハンナ・アーレント」を見に行きました。

ハンナ・アーレントといえばドイツ出身の哲学者ですが、この映画では、アーレントがアメリカに亡命した後、イスラエルで行われるアイヒマン裁判を傍聴し、それについての記事を書く話が中心となります。
アーレントはイスラエルで行われるアイヒマン裁判を見て、アイヒマンが余りにも平凡な人間であることに驚きます。そして、アイヒマンの思考停止がモラルの判断の停止、さらには残虐行為をもたらしたと指摘し、同時にユダヤ人の中にもナチへの協力者がいたことも指摘しますが、その記事の内容は、多くのユダヤ人から反発を受け・・。
という内容です。

アーレントの指摘した内容それ自体は至極正当だと思うのですが、やはりナチからの被害意識の強かったユダヤ社会はこれを普通には受け止めることができなかったのでしょうか。一般にナチに関することとなると、すべて絶対的な悪にしないと気が済まないという前提があり、この前提を破ることがタブーになっているようですので。
そもそもアイヒマンをアルゼンチンから拉致してきたことがアイヒマン裁判の出発点なのですが、この拉致行為自体をアルゼンチンの主権を踏みにじる行為であって、いささかも正当視する余地はないように思われますので、アイヒマン裁判というショーをアレンジしたイスラエルの行為自体に問題があります(このような国家の主権を踏みにじる行為をした国家は、イスラエルのほかに、韓国、つまり現大統領の父親の時代の韓国も挙げることができます。)。

映画はドイツ語、英語が入り交じり、よく言葉が切り替わります。
おしまいの方ではアーレントの講演の場面がありますが、見る者がアーレント(を演じているバーバラ・ズーコヴァ)の授業を聞いているような気持ちにさせてくれます。その内容もできるだけ平易に解説してくれているようで、助かります。

アーレントの考えのみならず、ユダヤ人社会の受け止め方も描き出されています。また映画の中にはアーレントの夫や友人、さらには過去の師匠ハイデッガーも登場します。
戦後のハイデッガーの登場する場面は、自分も行ったことのあるトートナウベルク(この街のレストランで食事をした記憶がありますが、もう店の名前を忘れました。)が舞台なのかなどと考えながら興味深く見ました。ナチの政権掌握とほぼ同時期にナチ党員となり、フライブルク大学総長として、ナチに積極的に協力したハイデッガーは、戦後、フライブルク近郊のトートナウベルクに隠棲を余儀なくされたのでした。

この映画の主演はバーバラ・ズーコヴァです。
私が26年前に初めて岩波ホールで見た映画「ローザ・ルクセンブルク」でも主演していました。年を取っても綺麗な女優ですが、若い時とはまた違うオーラがあります。
またこの映画に出てくるアイヒマンはすべて本物の映像です。かつて「スペシャリスト 自覚なき殺戮者」というアイヒマン裁判を描いた映画を見たことも参考になりました。

映画「ハンナ・アーレント」は12月13日(金)までですが、岩波ホールは非常に混雑しています。この映画でこの人気というのは不思議ですが、私が行ったときなど、ドイツ語のホームページ等を印刷した物を熱心に読んでいる人が複数名いましたから、ドイツや哲学に関心のある人が多く来ているのかも知れません。

John Rabe(DVD)

2010年01月24日 | 映画道楽
ドイツのアマゾンでDVDを購入し,映画John Rabeを見ました。

南京大虐殺がテーマの作品です。
当然のことながら,音声は日本軍の将官や兵士の発言部分は日本語ですが,それ以外はドイツ語,英語,中国語です。さすがにドイツ語の字幕をみながら,耳で1回聞いただけでは,理解することができた内容も限定的です。

ラーベはドイツのジーメンス社の南京駐在事務所長という立場にあり,日本軍の南京侵略の際の蛮行を目の当たりにすることになります。ラーベは日本軍の侵攻の前に,南京に外国人の仲間と共に非武装の安全地区を作りますが,日本軍の毒牙は安全地区にも襲いかかり・・・といった内容です。
日本軍の蛮行の描写のトーンは相当程度,落としてあるという印象を受けました。殺戮の場面はありましたが,レイプの点は,間接的な表現にしてあったり,女性が危機一髪難を免れたりするといった具合です。

主人公のラーベはウーリッヒ・トゥクールという役者が演じていますが,本来は「善き人のためのソナタ」のウーリッヒ・ミューエが演じるはずだったそうです。トゥクールはミューエの急死によって,急遽この役を演じることになったそうで,何かの表彰式の際にももう一人のウーリッヒのためにと発言していたと相方から教わりました。ちなみに相方はDeutche WelleのDas Kinoという番組を見て知ったようです。
ほかにダニエル・ブリュールも出演しています。ダニエル・ブリュールの演じる登場人物やナチ嫌いのイギリス人医師という設定の登場人物と,ラーベとの会話の内容がいずれもとても興味深かったのですが,肝心な部分があまり聞き取ることができず,残念でした。

日本からも松井石根(後に極東国際軍事裁判で死刑)役で柄本明が,朝香宮(東京都庭園美術館のもととなった旧朝香宮邸のもとの主。皇族であったために訴追を免れ,戦後は安穏と生き延びる。)役で香川照之が出演しています。この嫌な日本人を演じた2人の役者(特に激しい嫌悪感を抱かせる朝香宮を演じた香川照之)の役者魂には本当に感心します。

それにしても,これくらいマイルドにした映画でさえも上映することができないという日本の閉塞した状況には,ほとほとうんざりします。

映画「カティンの森」(岩波ホール・千代田区神田神保町2丁目)

2010年01月06日 | 映画道楽
岩波ホールで,アンジェイ・ワイダ監督の映画「カティンの森」を見ました。
若い人はご存じではないかもしれませんが,「カティンの森」事件は戦後のポーランドのタブーで,この問題が公の場で自由に語ることができるようになるためには,東欧革命まで待たなければならなりませんでした。この事実が白日のもとにさらされてからまだ20年程度ですので,私にとっても「カティンの森」虐殺事件は,過去の歴史としてではなく,自分の生きた現代の歴史として感じられます。

アンジェイ・ワイダ自身,父親を「カティンの森」事件で失っており,映画の冒頭にも,「父母に捧げる」と書かれております。

以下,ネタばれにならない範囲で骨子の紹介と感想を記述したいとどめたいと思います。

物語はアンジェイ大尉とその妻アンナとその娘ヴェロニカ,大将とその妻子,ピョトル中尉とその姉妹の3つの家族を機軸に進んで行きます。さらにアンナの兄カジミェシュとその妻エルビェタとその子供たちの話も絡んでくるので,やや錯綜していて,特に後半部分(ソ連軍がクラクフを占領した後)は理解しにくくなるので,予めパンフレットを購入して,登場人物の人間関係を整理した上で,映画を見ることをお勧めします。登場人物の絶対数は多くないのですが,登場場面の少ない人物が多いので,アンジェイ大尉の家族と大将の家族以外の人間関係は,きっと混乱すると思います。

映画の冒頭で,ポーランドに侵略を開始した独ソ両軍に東西から追いつめられ,ドイツ占領地域の住民が東側に,ソ連占領地域の住民が西側に逃げようとして,橋の上で遭遇する場面が,独ソによる「第4次ポーランド分割」の実情を物語っています。ソ連軍がポーランドの赤と白の国旗を綺麗に2つに引き裂き,赤の旗のみを赤軍の旗として掲げる場面もです。

ドイツ軍占領地域であるクラクフに残されたアンジェイ大尉の父やカティンで死んだ大将の妻の姿を通じ,ドイツ軍の占領地域の悲惨な実態も,きちんと描いています。
また,ソ連軍の中にも良心のある将官もいたこともきちんと描いています。

ワイダ自身は,おそらくは最後の作品となるであろうこの作品に,自分の全てを集約したかったのかもしれません。例えば,物語の後半には,ワイダの初期の代表作を凝縮し,少しアレンジを加えた上で,再現したような小さなストーリーが展開されます(その代表作が何であるかはネタばれになるので書きませんが,ワイダの代表作をいくつか見たことがある人には,すぐにわかります。)。また,ピョトル中尉の妹であるアグニェシュカをワルシャワ蜂起の生き残りとしていることも,ワルシャワ蜂起を描いたワイダの別の代表作をすぐに連想させます。

このような細かい工夫や登場人物の盛りだくさんなストーリーにもかかわらず,私には過去のワイダの作品に比べて,感銘力が乏しかったように思われます。その原因は,2時間という上映時間に比べ,ストーリーやメッセージを盛り込みすぎたことにあると思います。ストーリーが多すぎて,かえって散漫となり,最終的にカティンの森虐殺という歴史的事実ばかりが,映像を見た人間の記憶に残ってしまうのです。この点は,以前の「パン・タデウシュ物語」が,18世紀の3回にわたるポーランド分割の歴史を背景としつつも,ポーランド独立運動の失敗の物語だけに終わらせず,登場人物のストーリーが前面に出るように作られているのと対比すると,よりはっきりしてくると思います。

そうなった原因を私なりに分析してみますと,
1 取り扱ったテーマがあまりにも重すぎた。かつ,ワイダ自身の思い入れも強すぎた。
2 ワイダがポーランドの現代史を扱ったテーマで映画を制作した際には,昔は常に検閲官の目を意識して,検閲を通るか通らないかのスレスレのところで,制作していたのに,今はそれがなく,かえって表現力の冴えが鈍っているのではないか。
という2点が挙げられます。
最初に考えた際には,第2点の方が根本的な原因かと思ったのですが,「パン・タデウシュ物語」は,もちろん検閲官の目を通ることなく制作された作品でありながら,ストーリーもメッセージも楽しめましたから,やはり第1点の方が原因でしょうか。

【補遺】
辛口の批評でしたが,盛りだくさんなストーリーであることは否定できません。そして,私にとって最も印象深かった登場人物はイェジです。イェジは,同僚が虐殺されたことを知らないまま,ソ連の傀儡政権であるルブリン政権の軍隊に編入された上,「カティンの嘘」をでっちあげるための証人にまで仕立て上げられ,昔の仲間からは殺人者の片割れとして白い目で見られ,悩み苦しむことになります。イェジこそが,戦後ポーランドの苦悩を最も表現している姿に思えましたし,他方,多くのイェジがいたおかげでポーランドという国家が,ソ連につぶされることなく,無事,東欧革命まで存続し,今日まで至ったように思います。

赤い点再び

2009年11月03日 | 映画道楽
先日,トラックバックを張っていただいた方のブログをみました。
私のブログでは,書かなかったことが見事に表現されていました。
実はドイツ映画祭2009の「赤い点」のストーリーが,あまりにも飛躍があるというか無理があり,映像や俳優さんたちの演技によってもカバーしきれないような不思議な映画になっていたのです。詳しくはTBから移行して読んで頂きたいのですが,このブログの記事の指摘は,私もほぼそのとおりと感じたところばかりです(ご飯を炊く場面までは,気になりませんでしたが。)。

主人公の話す内容が,映画の最初から最後まですべてファジーで,きちんと伝えるべきことを全て話していないように感じられます。日本の場面では,日本語はなんていい加減に会話ができる言語なのかななどと,ドイツ語の字幕を見ながら思いました。ドイツ語の字幕を通しての方が,日本語の音声で聞くよりもはるかに登場人物の会話の内容をよく理解することができました。
そして,場面がドイツに移ってからは,主人公がドイツ語が都合のいい時だけは片言のレベルということにすることにより,登場人物のコミュニケーション能力に妙な制約を加えて,ようやくストーリーとして成り立っているような印象を受けました。

東洋の不思議な国ニッポン。よくいいたいことがわからない国ニッポンというドイツ人のイメージには適合しているのかもしれませんが・・・



ドイツ映画祭2009を振り返って

2009年10月24日 | 映画道楽
仰々しいタイトルでしたが,4日間にわたり,新宿のWald9で介意際されたドイツ映画祭2009全体の感想です。
ドイツ映画祭は昨年から相方と参加しています。今年は,金曜日に休暇を取ってまで参加しました。
短編シリーズなどは面白い企画でしたし,SOUL KITCHENとブッデンブローク家の人々は,文句なしにいい作品でした。
しかし,昨年の「ウェイブ」や「耳のないウサギ」といった作品と比べますと,インパクトが少し全体的に弱かったような気がします。これは映画祭よりもドイツ映画全体にかかわることかもしれません。これからもシリアスなテーマの作品はもちろん,娯楽性といった意味でも楽しめる作品が紹介されるといいなと思います。今年,「カレーソーセージをめぐるレーナの物語」(ファスビンダーの「ローラ」で主人公を演じたバーヴァラ・ズーコヴァの主演だそうです。)が上演されなかったのが残念でした。

来年ドイツ映画祭2010も無事に開催されるといいな,そして相方とともに再び見にいくことができるといいなと思います。
【余談】
今年もトークショーとサイン会がありました。
私は横着していきませんでしたが,相方が行ってきました。
まずはサイン会が始まる直前の写真です。



次はサイン会が佳境の場面の写真です。



サインの一つ

ネクスト・ジェネレーション’09

2009年10月23日 | 映画道楽
ドイツ映画祭2009で最後に見たのは,特別上映の「ネクスト・ジェネレーション’09」です。
これも全12作品を95分間つづけてみる形式になっています。
「セルビア国境警備―特記事項なし」は,NATOの域外派兵でコソボの国境に派遣されたドイツ軍兵士の話を描いています。現地の人々とコミュニケーションが取ることが困難な中で,兵士たちは次第に地雷の恐怖に慣れてきてしまっています。ところが,その恐怖を否応なしに意識せざるを得ない事態に陥ります。しかし,結果的には・・・
「踊る気分にはなれない」は,どこかの戦場を舞台に,3人の兵士たちが酒場で若い女の子にナンパをします。「踊る気分にはなれない」と断る女の子を無理やり,穴倉に連れ込み,暴行しようとすると・・・兵士たちもすっかり酔いが醒めてしまいます。これでは踊る気分になれないはずです。
「スズメ」は,ドレスデンの家にいるとスズメがうるさいという不思議な理由から,ホテルに泊まっている男が女性と知り合い,さらに飲みにでかけるという一晩の恋愛を描いています。この作品は,場面のカットを入れず,継続して撮影されており,映画の技術の上でも興味深い作品でした。
「一目ぼれ」は,海外留学を控えたファビアンが,マリーとシュトゥットガルトで知り合い, 一目ぼれになりますが,ファビアンは間もなく海外に行くことも打ち明けられず,マリーに積極的になれません(何度もキスをする機会があるのに,踏み出せません。)。同じことが何度も繰り返され,同じ映像が何度も売り返された揚句,ようやくファビアンはマリーに携帯電話で出発を告げます。
ほかにもいろいろ面白い作品がありました。「ドイツ2009」の短編にも劣らず,面白い作品がありました。

これで,ドイツ映画祭2009の映画の紹介はおしまいです。
明日は,サイン会の様子などを番外編としてお伝えします。

ヒルデ-ある女優の光と影

2009年10月22日 | 映画道楽
ドイツ映画祭2009で次に見たのは,「ヒルデ」です。実在の女優ヒルデガルト・クネフの生涯を描いた映画です。
ヒルデは,戦前にはナチス映画界の重鎮デマンドフスキに接近し,戦後は一転してアメリカ軍の士官と結婚をして,ハリウッドに行きます。しかし,ハリウッドで活躍の機会を得られなかったヒルデは再びドイツに戻り,「罪ある女」という映画に出演します。しかし,この映画はドイツで初めてのヌードシーンがあったことや売春婦の役であったことから,興行的に成功を収めたものの,社会的に非難を浴びます。「罪ある女」とはお前のことだと罵声を浴びせられたり,また新聞には「ヒトラーに次いで悪口を書かれている。」と評されます。
ヒルデは再びハリウッドに逃げ帰り,そこでも大衆作品に出演を続け,女優としての評価を固めていきます。
やがて,ヒルデは再々度ドイツに戻り,映画に出演すると同時に,歌手としての活動を始めます。

正直な感想ですが,嫌な女という一語に尽きます。女優としての地位を得るために,周囲を利用するばかりという印象を受けて,とてもいい印象は持てません。もっとも,印象がよくないのは,専ら主人公であるヒルデの人生についてであって,映画それ自体がよくないというのではありませんが,いずれにせよ見た後,とても疲れたことは確かです。

赤い点

2009年10月21日 | 映画道楽
ドイツ映画祭2009の5作目は「赤い点」です。
日本からドイツのミュンヘン・テレビ・映画大学に留学した宮山麻里枝監督の作品です。

ドイツで交通事故にあい,父母と弟を失い,一人生き残って母の兄夫婦のもとで育てられた,東京の大学生亜紀は,家族が生きていたころの夢を見て,就職活動も中断して,何かにとりつかれたかのようにドイツに行きます。手がかりは,遺品とともにあった地図に残された赤い点のみ。
亜紀は一人でドイツを旅し,ノイシュバンシュタイン城を訪れ,東アルゴイ地方の道を一人歩きながら「赤い点」を探します。その過程でドイツ人の若者エリアス・ウェーバーとその父ヨハネス・ウェーバーと知り合います。
亜紀はウェーバー家に滞在しながら,赤い点を探し,ついに探し当てます。そこにあったものは・・・そして、そこで,亜紀が家族の供養をしていると,ヨハネスが現れ,驚きの告白をします。

話の内容としては,意外性のあるものでもなく,おおよそ見当はつきました。
ヨハネス役のハンス・クレーマーの演技がよかったです。
それと,反抗期のエリアスが亜紀の登場によってどう変化するか,エリアスだけでなくウェーバー家自体も亜紀の登場によってどのような変化が出てくるか等の描き方が興味深かったです。亜紀が現在育ててもらっている家族のエピソードが挿話されているのがよかったです。
アルゴイの景色の映像が奇麗なのもよかったです。

「赤い点」の上演後も,質疑応答がありましたが,監督の昔からの知人が多数招待客として来ていたせいか,監督もテンションがかなりあがっていました。質疑の内容も,専ら監督が一人で答えており,せっかく監督夫妻(夫の方は音楽担当)のほかにも,主役の猪俣ユキさんや製作プロデューサーの方もおられたのに,ポツンと取り残されており,気の毒な印象を受けました。

質疑応答の様子


【余談】
昔,私もアルゴイの大豪邸に住んでおられる方の家に泊めてもらう機会がありました。
大きなプールも付いたお城のように大きな家で、ゲストルームだけで十分に立派な居住スペースになっており,驚嘆した記憶があります。

SOUL KITCHEN

2009年10月20日 | 映画道楽
ドイツ映画祭2009の話はまだまだ続きます。
4作目に見たのは,ファティ・アキン監督のSOUL KITCHENでした。

まずはあらすじを。ハンブルクで,いかにも安かろうまずかろうという感じの安レストランSOUL KITCHENを営むジノスは,交際相手のナディーンが上海に行ってしまい,遠距離恋愛中ですが,スカイプのテレビ電話や携帯電話だけでのつながりは,いかにも脆弱で,うまく行きそうにありません。
その上,ジノス(ブスドゥコス)の旧友で,不動産業者のノイマンが店を買収するよう画策し,保健所に虚偽の申告をして,店の経営の妨害を図ります。その上,ジノスの弟で,SOUL KITCHENでの就労を条件に刑務所から外出を許されるようになったイリアス(モーリッツ・ブライプトロイ)まで,転がり込んできて,店は前途多難な状態になります。
ところが,ひょんなことから高級レストランをクビになった頑固な天才料理人シェイン(ビロル・ユーネル)が迎えられ,生で演奏されるようになった音楽とも相まって,SOUL KITCHENは次第に人気店になっていきます。
しかし,ジノスは商売に身が入らず,ナディーンのいる上海に行こうとし,店を何と無責任な弟イリアスに任せてしまいます。
当然のことながら,イリアスが店を経営することができるはずもなく,まんまとノイマンの罠にはまりますが・・・

感想ですが,ストーリーはとにかく面白いです。ファティ・アキン監督も,トルコ系ドイツ人以外の映画を作成するのだということが新鮮な驚きでした。イリアスとノイマンの契約は明らかに無効であろうとか,ジノスは事件後に釈放されることはないだろうとか,不動産の強制執行は期間入札で行われるのではないのかなどといった無粋なことを考えるまでもなく,娯楽映画として楽しめます。

それにしても,モーリッツ・ブライプトロイとビロル・ユーネルというインパクトの強い脇役が2名も出演しているせいでしょうか,主人公ジノスを演じるブスドゥコスの印象が弱くなってしまいました。

【余談】
プログラムによると,監督は,ハンブルグという郷土への愛を語る「郷土映画」と説明しているようですが,風景はアルトナ駅に向かう列車が数回映る程度で,レーパーバーンらしき風景も1か所を除いては映っていませんでした。ハンブルグに生きる人々,その社会というのが,監督のいう「郷土」なのでしょう。

質疑応答の様子


その後の自主的サイン会の様子



ブッデンブローク家の人々

2009年10月19日 | 映画道楽
ドイツ映画祭3作目は「ブッデンブローク家の人々」です。
説明をするまでもなく,トーマス・マンの長編小説を映画化した作品です。
上演時間は2時間30分を超えましたが,全く退屈しません。
普段はよく昼寝をしてしまう癖があるのですが,この映画ばかりは時間を気にする間もなく,あっという間に終わってしまいました。
ただ,これは監督の力よりもやはり原作の力によるものなのでしょうか。

リューベックの大商人ヨハン・ブッデンブロークからその息子達,すなわち次の当主となる長男トーマス,二男のクリスティアン,娘アントーニエ(トーニ),さらにトーマスの妻ゲルダと息子のハンノに至るまでの,ブッデンブローク家の隆盛と衰退を描いています。
今回の映画では,トーマスに特にスポットライトをあてた演出がされているそうです。

トーマスは確かにブッデンブローク家の当主として計り知れない重責を担っていましたが,その私生活を見ると,純粋な政略結婚ではなしに,恋愛を叶える形で結婚をし(結婚前には,他でお楽しみもあったようですが。),商売の上でも成功し,参事会の会員となり,名誉を得て死んでいきます。
ただ,死に際し,息子のハンノに自分と同じ苦悩を与えないため,ブッデンブローク商会は清算手続に入ることとなります(ここで留意したいのは,商会は倒産ないし破産したのではなく,自主的に清算手続に入っていることです。原語も字幕もこの点は正確に表現されています。)。

これに対し,トーマスと何かと確執のあったクリスティアンは,外遊から戻っても,遊んでばかりで,ブッデンブローク家から厄介者として扱われますし,だめんずウォーカーのトーニは2回も持参金目当てのダメ男と結婚してしまいます。

結局,当主としての苦悩を差し引いてもトーマスの人生はいいものであったといえると思います。

浅薄な感想しか書くことができませんでしたが,とても面白い作品です。
原作を読むともっとよいのでしょう。
ホルステン門を初め,現在のリューベックの景色と撮影された画像をうまく組み合わせてあるようで,映像的にも奇麗な作品です。
昔,相方と新婚旅行の際にリューベックに行き,ブッデンブロークハウスを訪れたことを懐かしく思い出しました。

質疑応答の様子



【補遺】
上演終了後,質疑応答のコーナーがあったのですが,ちょっとさすがに良識を疑うような質問者がいて,大ブーイングがおきました。一体何を言いたいのか,何を質問したいのかすら整理しないまま,マイクを離そうとせず,自分の旅の経験など延々と話し続けたのです。
例えば先物取引の何たるかも知らないまま,先物取引・・・といった発言をしており,要するにしゃべりたいだけなのかと思ってしまいました。
おそらくはあの場には,ドイツ文学の先生とか,いろいろな分野でかなり知識の豊富な参加者もいたでしょうに。


冬の贈り物

2009年10月18日 | 映画道楽
ドイツ映画祭で次に見たのが「冬の贈り物」です。
研究者で厳格な父,インテリアデザイナーの母との間にはリリーとアレクサンダーの姉弟がいましたが,アレクサンダーは自殺をしていまいます(ここまでは映画のストーリーの前の話です。)。
母は,画家マックス・ホランダーのアトリエを訪ね,リリーとアレクサンダーの2人の絵を描くように依頼します。リリーはミュージカルの主人公を演じるよう期待されて,演劇を学んでいますが,我が強そうです。リリーはマックスのアトリエを訪ねたものの,アレクサンダーの想像画には消極的な考え方です。とはいえ,マックスもアレクサンダーの写真をもとに製作を開始し,リリーも写真撮影やスケッチに応じて,製作には協力します。
しかしながら,出来上がった絵は,マックスの満足のいくものではなく,原因を分析して,よりよい絵を描こうとします。

絵の製作過程で,アレクサンダーの寮での生活やリリーやアレクサンダーの家庭の実情が少しずつわかってきます。
しかし,全てが解明される訳ではありません。アレクサンダーがどうして自殺をしなければならなかったのか,手がかりがありそうで,最終的にはわかりかねます。

あまり突き詰めて考えるというより,感性で捉える映画だと思いますが,何か問題を投げかけられたまま解明されないところの多い映画のようでした。

ドイツ2009-13人の作家による短編

2009年10月17日 | 映画道楽
ドイツ映画祭で最初に見た作品は,13人の監督の短編集です。
約2時間半の間に,めまぐるしく13編の短編映画が上演されます。
わからない作品もありました。
「ヨシュア」は,将来を悲観するドイツ系ユダヤ人に調合された薬を飲んだ後,世界がどう見えるようになるかを描いた作品でとても面白いです。意外な人物まで,この薬のお世話になっていたりするオチまでついています。私にもこの薬が必要なようです。
ファティ・アキン監督の「ムラート・クルナスという青年」は,ブレーメンで育ったイスラム系ドイツ人が,タリバンのメンバーと決めつけられ,5年間もグアンタナモの強制収容所で過ごすことになった事件について,本人のインタビューをそのまま映画化した作品です。淡々と答える様子はショアーにも通じるものがありました。
「危険分子」もまた,監視社会ドイツを描いたもので興味深かったです。
T・ティクヴァの「出張」はグローバル化の社会を描きながら,卑近なオチで笑わせてくれます。

しかし,2時間半も休みなしで短編が続くとどうしても消化不良になります。

ドイツ映画祭2009スタート

2009年10月16日 | 映画道楽
昨日からドイツ映画祭が新宿のWald9でスタートしました。
ラン・ローラ・ランやマーサの幸せレシピといった少し前の作品も混じってはいますが,新作が多く楽しみです。
ただ,今年は来日ゲストが少ないという噂を聞きましたので,そこが少し残念です。
見に行った映画は順次ブログに感想を書きたいと思います。

ファスビンダーDVD

2009年09月10日 | 映画道楽
昨年の6月にファスビンダー映画祭がありましたが,紀伊國屋書店からはファスビンダーの映画のDVDが発売されています(第1巻と第2巻はファスビンダ=映画祭2008よりも前に発売になったものでした。)。
ベルリン・アレクサンダー広場の主人公フランツ・ビーバコップの名前を第2の名前として用いて名乗っている私としては当然,買わない訳にはいきません。
第4巻までそろえましたが,第5巻も近く出ると聞いたような気がします。

前科者でもないし,ヒモでも強盗やチンピラの片割れでもなく,外見上は極めてノーマルな社会生活を送っていると思っている自分が,どうしてフランツの性格によく似ていると思ったのかについて,いつかそのうち説明をしたいと思います。