道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

「そして,私たちは愛に帰る」(映画・シネスイッチ銀座・中央区銀座4丁目)

2009年02月04日 | 映画道楽
ベルリン滞在中,ポツダム広場の近くのホテルに宿泊しましたが,ポツダム広場はベルリン映画祭の開催される場所で,映画館も沢山あります(最近は見ていませんが,Deutsche Welleの番組Das Kinoでも司会者はいつもポツダム広場にいたような記憶があります。)。ベルリンで映画を1本くらいは見ようかということも考えていたのですが,結局,時間がなく,行くことができませんでした。

代わりにといいますか,帰国後,シネスイッチ銀座で「そして,私たちは愛に帰る。」を見ました。

Gegen die Wand(日本では「愛より強く」というタイトルでした)のファティ・アキン監督の作品で,今回もトルコ系ドイツ人にかかわるストーリーです。

原題はAuf der Anderen Seite(向こう側(彼岸)にて)でありまして,このタイトルからは「ドイツの向こう側のトルコ,トルコの向こう側のドイツ」という監督のメッセージを明確に受け止めることができます。しかし,英語のタイトルは「The Edge of Heaven」となってしまっており,やや意味不明でした。因みに映画の第3章のタイトルでは,The Edge of Heavenというタイトルがそのまま使われており,これは「天国のほとりで」としか訳すほかなくなるので,監督のメッセージがますます伝わりにくくなるのではないかと思います(さらに言えば,映画自体のタイトルも日本語のものはいかがなものでしょうか。)。こうした点は,ドイツ映画をいろいろと紹介されておられます「ありちゅん」さんのブログで指摘されているとおりだと思います。

さて,ストーリーなのですが,トルコ系移民のアリとその息子でハンブルク大学教授のネジャット,アリが売春宿に客として来たことから知り合い,一緒に暮らすようになったイェテルとその娘のアイテン,ドイツに不法入国したアイテンを助けようとするロッテ(女性)とその母スザンヌの3組の親子が,ドイツ,トルコを舞台に,複雑に絡みながら,時にニアミスをしたり,すれ違いを続けたりする物語です。
イェテルが,娼婦に身をやつしてまでドイツで暮らすのは,ひたすら娘のアイテンの学費のためでした。アリはささいなことからイェテルを死亡させてしまいます。ネジャットはイェテルの葬儀のためにイスタンブールへと向かい,そのままイスタンブールに残留して,本屋を営みながらアイテンを探します。
しかし,アイテンは実はPKK(クルド人民党。PKKとは明示されていませんが,映像と登場人物の台詞で明らかです。)のメンバーで,ドイツに不法入国しており,ネジャットが教授を務めていた当時,既にハンブルク大学に出入りしていたのでした。
ハンブルク大学のメンザ(学生食堂)でアイテンと知り合ったロッテは,ドイツでアイテンを助けようとしますが,アイテンは不法入国を理由に身柄を拘束されます。アイテンは,難民認定を求めて行政訴訟まで起こしますが,認められず,トルコに強制送還されます。ロッテはアイテンを助けようと,トルコにまで向かいますが,不慮の事故で死に,今度はロッテの母スザンヌがトルコへと向かいます。
同じころ,服役を終えたアリもトルコに強制送還されます。
かくして,アイテンのほか,ネジャット,アリ,スザンヌが引き寄せられるかのようにトルコに集まるのですが,うまく彼らは接点を持つことができるのでしょうか・・・

ネジャットがハンブルク大学の教授の職を簡単に放棄してしまうとか,イェテルやロッテの突然の死,そしてアイテンの最後の選択等は,話としてあり得るのかという疑問も残ります。
しかし,いずれにせよ,アキン監督の撮影の手法はなかなかすばらしかったと思います。同じ場面のリフレインの多用したり,本屋の掲示板をアップにして,台詞異常のことを語らせる手法などです。

EU加盟に期待を寄せ,そのために障害となる批判(クルド問題,人権抑圧国家であるとの批判)に対しては,断固,反論していくトルコの姿勢,EU加盟についてのトルコ人の一部の考え方等も垣間見えて面白かったです。

また,往年の名女優ハンナ・シグラが,随分と老けた役を演じており,容姿が衰えている(役柄かもしれません。)のには驚きましたが,その台詞,演技の中になおも奥深さを感じることができました。特にハンナ・シグラ演ずるスザンヌとネジャットとが,旧約聖書のイサクの犠牲の話を語り合う場面には,ハンナ・シグラの底力を感じることができました。

【余談】ハンブルクは短期間滞在したことがあり,この映画で出てくる大学の建物の入り口やメンザ(学生食堂)は見覚えのあるものだったので,懐かしく見ました。
ちょうど,PKKのオジャラン党首が外国で連行され,PKKがハンブルクを初めドイツ各地で激しいデモをしていたころで,私はハンブルクでPKKのデモに遭遇してしまった経験があります(新聞をよく読んでいなかったので、デモが行われる当日は街はクルド人以外は皆外出している人がいなかったのに、デモの行われる場所に行ってしまいました。)。