道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

造形博物館(ライプツィヒ)

2013年08月31日 | 美術道楽
誤植が多く,かつ,企画展が説明不足だったので書き直し,今日何度目かのアップし直しです。

ライプツィヒ2日目は,まず自然史博物館に行きました。しかし,開いていない部屋が多く,少し化石の展示とかを見ただけで,すぐに退散しました。
その後,市歴史博物館(Stadtgeschichtliches Museum Leipzigただし何故か現代史博物館と訳されることがあります。原語に照らしても,展示内容に照らしても現代史博物館という訳語は誤りなのですが。)に行きました。こちらは,先史時代から現代までの文化財と歴史資料を展示してあります。因みに旧市庁舎や諸国民戦争記念碑にも,この歴史博物館のテーマ別の分館があるようです。
今回,訪れた市歴史博物館では,現代史,特にヒトラーの時代と旧東ドイツの時代を中心に見ました。ベルリンにも,フンボルト大学の近くにドイツ歴史博物館がありますが,ドイツの歴史博物館はいつ見ても,展示物が多く,ひたすら勉強という感じで,見ていると疲れます(夏に暑さをしのいだり,冬に寒さをしのいだりするには適していますが。)。おりから,ちょうど大人数の女子高生の集団見学のようなグループが入ってきたので,入れ違いに退散しました。歴史博物館でも何か子供むけの企画展をやっておりましたが,こちらはパスしました。

歴史博物館から見た景色




そして,ようやく造形博物館につきました。前にも書きましたが,現在の連邦行政裁判所が昔は造形博物館でもありました。
現在の造形博物館は新しい建物で,エレベーターは絵画を運べるようにとても巨大であり,小部屋ごと上に運ばれるようです。空母の中で飛行機が下から地上に運ばれるような感じです。
さて,造形博物館ですが,最上階は現代の作品,そして下に降りながらそれ以外の作品を見て,また地下1階には企画展が展示されているという形式でした。
最上階からスタートしましたが,名前を知らない芸術家の作品でしたが,とても興奮して見てしまいました。
現代の作家以外の作品も,もちろん有名な画家の作品が多数展示されており,興奮してしまいます。写真撮影が許可されていることをいいことに次々と撮影しました。

ハルトヴィック・エーベルスバッハ(Hartwig Ebersbach)(ライプツィヒ居住)の作品


カタリーナ・グローセ(Katharina Grosse)(フライブルク生まれでベルリン居住)の作品:この作品とても気に入りました。家にあったらいいのに・・・と思ってしまいました。


ベックリン「死の島」


マックス・リーバーマン「ティアーガルテンの散歩」


ルーカス・クラナッハ(父)「アダム」「イブ」


他にもオットー・モーダーゾーン,レーンバッハ,フランツ・フォン・シュトゥック,テオドール・ルソー,カスパー・ダヴィッド・フリードリッヒ,ルーベンス,マックス・ベックマン,キリコ,ココシュカ,マックス・クリンガー等々の展示があるのですが,きりがないので,やめておきます。


美術館の展示があまりに多いので,企画展に行く前に途中で疲れて1階のカフェに入りました。美術館自体がモダンな建物です。

カフェ


カフェのある1階ホール

なぜかミケランジェロのダヴィデ像



地下1階は企画展「世界の創造者―リヒャルト・ワーグナー,マックス・クリンガー,カール・マイ―ロザリエによる空間とともに―」“WELTENSCHÖPFER RICHARD WAGNER, MAX KLINGER, KARL MAY MIT RÄUMEN VON ROSALIE”が開催されています(9月13日まで)。
作曲家ワーグナー,インディアンを主人公にした冒険小説で有名な作家カール・マイ,シュルレアリズムに影響を与えたマックス・クリンガーはどうつながるのか。誰が考えても不思議に思うところですが,この企画展の開催要領でも,この当然の問題提起から,企画の説明を始めております。

展示内容ですが,ワーグナーのニーベルングの指輪にも出てくる英雄のイメージ,火(眠るブリュンヒルデを囲んで守っていたのも火でした。)のイメージ等々が取り上げられ,それぞれに作品が展示されており,マックス・クリンガーの作品のほか,ワーグナーのラインの乙女の絵などが展示されていました。

さて,ワーグナー,カール・マイ,マックス・クリンガーのそれぞれを結びつけているものは何かという問いですが,結局のところ,ロザリエの空間ということになるかと思います。シュトゥットガルトで活躍中の光の芸術家ロザリエが,三者それぞれのイメージの作品で,光を使った芸術作品を各1作づつ使っており,それが3者を結びつけているのです。というかやはり,基本的に三者には脈絡がなく,それぞれとロザリエの空間がつながっているだけです。
しかし,奇をてらった企画であり,見てもよく分からないという印象は否めませんでした,それに,相方ねずみと道楽ねずみのねずみ属たちは,常設展の展示で興奮しすぎてしまい,地下1階の企画展に着いたときにはもうお疲れモードになってしまったのもよくなかったようです。おまけに,ブログにアップする1か月の間に訳の分からないままだんだん記憶から消えてしまってきているというのが正直なところです。こちらは写真撮影禁止のため,写真はありません。


Seaside Park Hotel(ライプツィヒ)

2013年08月30日 | 食道楽
更新が不定期となっています。
さて,ドイツ旅行編再開です。ライプツィヒ編も残りわずかです。

ライプツィヒでは駅前のSeaside Park Hotelに宿泊しました。
海がないのにシーサイドホテルとはこれ如何と思っておりましたが,最後までわかりませんでした。
あまり期待しないで,利便性を重視したシティホテルに泊まるつもりでいたのですが,室内は濃い青をベースにした装飾で,浴室も部屋の中央部に斜めに置かれるなどおしゃれな造りでした。
レストラン内にはSteaktrainというレストランもあります。
朝食はそこで食べました。ビュッフェ形式で,充実した内容です。オレンジを自分で搾って,絞りたてのジュースを飲むことができます。ただ,残念なことに,パンケーキとチューリンガーソーセージ(焼きソーセージ)がそれぞれ別の容器(金属製で外から見えない)に入っていたのですが,場所が入れ替わっていたのか,ありえない位置にチューリンガーソーセージが置かれていて,最後にデザートを探すときになって初めてチューリンガーソーセージに気づいたので,せっかくのおいしいソーセージをほとんど食べられずに終わってしまいました。チューリンゲン名物(ライプツィヒはザクセン州ですが,チューリンゲン州に近い。)だったのに,かえすがえすも残念です。



朝食のレストランには,中国人客が,オレンジジュースを立ち飲みしながら,ビュッフェのあたりを延々とウロウロしており,レストランに因縁をつけるネタを探しているヤクザのようで,とても嫌な感じがしました。このチンピラまがいの中国人以外にも,ドイツ旅行中,しばしばあまりにもあつかましく,ふてぶてしい中国人の奇行とマネーの悪さを目にし,本当に辟易としました。もっとも,バブル期の日本人も,中国人のような傲慢さや厚顔無恥なところまではなくても,金を持って買い物をする以外には何の取り柄もない外国人として,ヨーロッパの鼻つまみ者だったのだろうなという気もしましたが・・・

ルーブル美術館展(東京都美術館・台東区上野公園)

2013年08月27日 | 美術道楽
東京都美術館で開催中のルーブル美術館展に行きました。
今回のテーマは「地中海」。
以下HPからの引用です。
(引用初め)本展はルーヴル美術館の全8美術部門が総力を挙げて「地中海」をテーマに企画し、西洋と東洋を結ぶ地中海世界の四千年におよぶ歴史的・空間的な広がりを、ルーヴルが誇る200点を超える収蔵品で展観するものです。
西洋と東洋の出会いの地で誕生した作品群は、多彩かつ個性的であると同時に、地中海を舞台に生み出された諸文化の影響関係を生き生きと伝える魅力あふれるものです。
注目すべきは、清楚な容貌と自然なたたずまいが美しい古代彫刻の傑作「アルテミス、通称 ギャビーのディアナ」。また、ロココ美術の華麗な作品やフランスの画家シャセリオーによるオリエンタリズムあふれる絵画など、多くの貴重な文化財が特別出品され、地中海の魅力にせまります。(引用終わり)


テーマが,ロココ時代の絵画といった内容ではないので,随分と漠然としていますし,また時代も様々で,古代エジプトから始まってナポレオンの時代,さらには近世になって人々が再び地中海沿岸の国に旅行に出かけるようになる時代までを網羅しています。

展示物も,予想通りといいますか,この種の「ルーブル美術館展」ではよくあるような内容で,古代ギリシャの壺,杯,スプーンなどの食器類,装身具等の展示に関する限りでは,とても充実しています。

今回の展示の目玉は,アルテミス像です。この像は「ギャビーのディアナ」と呼ばれます(ディアナとは,ギリシャ神話のアルテミスのローマ神話における名前です。18世紀にスコットランドの画家であるハミルトンが、ローマ近郊のギャビーというところで発掘したことから,「ギャビーのディアナ」と呼ばれます。)。ローマ時代に作成されたもののようで,8頭身の美人像で,ルーブルから外に出るのは初めてとのことです。

絵画の展示は多くはありませんが,シャセリオーの絵画が何枚か展示されているほか,コローやリオタールの絵もありました。リオタールといえば,当ブログでも紹介したドレスデンの絵画館の人気作品の「チョコレートの女給」でも有名ですが,ここでは18世紀のトルコ趣味に影響を受けた,トルコ風の衣装をまとった男女の絵(「トルコ風衣装のルヴェット氏とグラヴァーニ嬢」)がありました。
それと,今まさに毒蛇に乳首を噛ませて自殺しようとするクレオパトラの絵もありました。他の方のブログを見ると,この絵を見て,観客が「乳首噛んでいる。噛んでる。」と大騒ぎをしていたという話もありましたが,私が見た時にはそのようなことはありませんでした。そもそも,乳首を噛んでいるのが,シーザーやアントニウスでしたら,それこそ大騒ぎになる絵かも知れませんが,別に毒蛇ではどうということでもありません。

今回の企画展の音声ガイドですが,個々の展示物について語ることが少ないためか,どうしてもその時代の解説が多くなっていますので,高校生の世界史の勉強には最適のような気がしました。もちろん大人も楽しめますし,子供も少し背伸びをすれば,わかるかなというような内容です。

おまけ
帰りに朝ドラで話題スポットのアメ横に行きました。
近くても意外に行かないものでして,私は上野広小路のヨドバシカメラのあるビルのところが,「あまちゃん」に出てくる芸能事務所ハートフルのモデルになっているビルと思っていましたが,実はその奥にあったようです。



スイミング・プール(ギデオン・ルービン作)

2013年08月26日 | 美術道楽
少し前の美術カレンダーには,ギデオン・ルービンというイスラエル出身の画家のスイミング・プールという作品が紹介されていました(Galarie Karsten Greve, Köln/ Paris/ St. Moritz)。

プールからいままさしく上がろうとする女性の肖像画ですが,顔はありません。
ルービンは没個性(対象者不明)の肖像画(anonyme Porträts)を多く描いているようで,その作品の多くは顔のない肖像画です。
インパクトを受ける現代アートでした。

アメリカン・ポップ・アート展(国立新美術館・六本木七丁目)

2013年08月25日 | 美術道楽

国立新美術館で開催中のアメリカン・ポップ・アート展に行きました。
今回の企画展に展示された作品は,皆,アメリカにいる個人コレクターの個人所蔵品なのだそうです。
これらの作品を個人で所蔵するとは,いったいどれだけの財力を持った人なのだろうかという疑問だけではなく,これだけの作品を収納できる家というのはいったいどのような家なのだろうかということも疑問もわき起こるような充実した作品展でした。

HPを引用します。
(引用初め)アメリカ合衆国コロラド州を本拠地とするジョン・アンド・キミコ・パワーズ夫妻は、日本美術および現代美術の両分野における、世界有数のコレクターとして知られています。特にポップ・アートにおいては、アメリカにおけるその黎明期である1960年代から、パトロンおよびコレクターとしての積極的な活動により、アート・シーンに大きく貢献してきました。夫妻は、ポップ・アートがまだ評価を確立する以前からその真価を見抜き、作家を直接支援することによって、現在見るような個人コレクションとしては世界最大級のポップ・アート・コレクションを築き上げたのです。1999年にジョン・パワーズ氏が亡くなった後も、キミコ夫人は積極的な活動を続け、2011年秋にはジャスパー・ジョーンズの版画の研究・公開・普及などを行うパワーズ・アート・センターがオープンしています。(引用終わり)

ロバート・ラウシェンバーグ,ジャスパー・ジョーンズ,アンディ・ウォーホル,ロイ・リキテンスタインなどの有名な芸術家の作品群が目白押しです。ウェッセルマンの「グレート・アメリカン・ヌード#50」は,モネの作品を絵の中に描いた作品ですし,オルデンバーグの「幾何学的なネズミ」も,同じねずみ属として道楽ねずみには気になるとことでした。リキテンスタインの作品も,ウォーホルの作品と並ぶくらい充実しており,特にモネのルーアン大聖堂の連作をベースにした「大聖堂シリーズ」は,リキテンスタイン独特の点の表現を用いながらも,うまく表現されており,とても印象に残りました。

今回の企画展で特に充実していたのが,ウォーホル作品です。毛沢東などの同じ人物の絵を何枚も並べる技法で作成された絵の作品は,作品を構成する個々の絵が皆,同じように見えるのですが,子細にみると,キミコ夫人の簪の位置が違うなど,それぞれ別々の絵なのだということも知りまして,とても興味深かったです。特に圧巻だったのはキャンベルスープのスープ缶200個を描いた作品です。これは,この種の作品としては初期のもので,ウォーホルがすべて1個1個手書きで書いたというのは貴重なのだそうです。8月18日の14時から15時にTBSで放映されたテレビ番組によると,大きな家に住んでいたキミコ夫妻は,当時まだ評価の確立していなかったこの作品を持っていた知人が,作品があまりに大きくて家に収まりきれないと嘆いているのを聞き,この作品を譲り受けたのだそうです。そして,この巨大な作品を寝室に飾っていたようです。何とも信じられないようなスケールのお話です。

キミコ夫妻はウォーホルと個人的に親交があったようで,誕生日おめでとうとかメリークリスマスというような感じでウォーホルから個人的に送られたサイン入りの作品もありました。こうした小作品は,普段目にする典型的なウォーホルの作品とは異なるイメージで,これらの作品もとても素晴らしく思われました。自分もほしいくらいです(冗談)。

音声ガイドは小林克也さんで,今回の作品にぴったりの語り口ですし,音声ガイドシートはタッチペン式で,こちらもキャンベルスープのデザインを用いており,おしゃれです。

ところで,7月のドイツ旅行で,ウォーホルの作品はベルリンのハンブルク駅美術館,新ナショナルギャラリー,フランクフルトのシュテーデル美術館でたくさん見た後でしたので,とても関心を持って見ることができました。ずっとドイツでウォーホルの作品を見ていましたので,今回の企画展で,夜の比較的すいた時間帯で,ウォーホルの作品を没頭して見ていますと,ふと周囲の人に気づいたときに,「あっ,日本人も見に来ている。」などとアホなことを考えてしまいました。ここはドイツではないのに。どうも私にはこういうオトボケなところがあり,社会的に成功することができない訳です。

冒頭の写真は最後に撮影の許可されているキャンベルスープの缶です。
拡大するとこんな感じです。



音声ガイドシート



Love展(森美術館・六本木6丁目)

2013年08月20日 | 美術道楽
六本木の森美術館で開催中のLove展に行って参りました。六本木ヒルズ・森美術館の開館10周年記念ということです。

愛をテーマにした様々な作品が展示されています。まず展示空間に入りますと,ジェフ・クーンズ「聖なるハート」やロバート・インディアナ「ラブ」などの作品が出迎えてくれるので,現代のポップアートが中心の展覧会かと思いますが,必ずしもそうではありません。
「愛」にかかわるものなら何でもあれということで,昔の仏像,江戸時代の春画(実は初めて見ました。あまり芸術性は感じられませんというか,芸術性を期待するようなものではありません,)から現代アートまで時代も様々,地域も様々です。

作品はたくさんあるので,見方にもよりますが,私は自分の感性にあうものをよく見ていけばよいかと思いました。
私がいいと思いましたのは,ジョルジュ・キリコ「ヘクトールとアンドロマケの別れ」(大原美術館) ,ルネ・マグリット「恋人たち」,マルク・シャガール「町の上で、ヴィテブスク」,コンスタブル「ブリッジス家の人々」,ジョン・エヴァレット・ミレイ「声を聞かせて!」,デヴィッド・ホックニー「両親」といった作品です。ホックニーの作品は,絵の中にピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」の絵まで描かれています。

テレビ番組(ぶらぶら美術館)でも紹介されたアーデル・アービディーンの「愛を確実にする52の方法」は面白いですが,これも映像作品ではありますが,芸術作品というよりは本の中身のようです。また浅田政志の家族の写真もとても強烈です。
最後の方では,草間彌生の「愛が呼んでいる」という作品もあり,ここは撮影が可能でして,写真写りもいいことがあって人気でした。冒頭の写真も言うまでもなく,草間彌生の作品です。

Love展というテーマですし,また,展望台のチケットで森美術館は入場することができることがあり,カップルに人気の展覧会のようでした。普段あまり美術に関心のない若い方にも美術に関心をもってもらうという意味ではよい企画だったのではないかと思います。

プーシキン美術館展(横浜美術館)

2013年08月19日 | 美術道楽
ライプツィヒやベルリンの話もおいおい書くとして,東京での生活の話に戻します。

横浜美術館で開催中のプーシキン美術館展に行きました。
10時開場のところ,9時55分ころに到着したところ,延々と行列しています。
チケットを買っていても,買わなくても並びます。もっとも多くの人は事前に入場券を購入していなかったようなので,建物に入るとそのままスムーズに入れました(帰るときには割り込んで入場する不心得な中国人もいました。)。

この展覧会は本来2011年春に開催を予定していた展覧会でした。横浜美術館は豪華な500円割引券まで配ってものすごく宣伝にお金を使っていました。
ところが,大震災がおき,大きな被害が全世界に伝わると,地震と放射能汚染による被害を懸念して,このプーシキン美術館展は中止になってしまいました。チェルノブイリ原発の事故を経験しているロシア(当時はウクライナを含めてソビエト連邦でしたが)が,福島第一原発の放射能に重大な懸念を持ったのは当然のことだったと思います。

そして,今年になってようやくプーシキン美術館展が開催されました。
今回の展覧会はフランス絵画特集でした。
HPからの引用です。
(引用初め)知る人ぞ知る、フランス絵画の宝庫ロシア。17世紀古典主義の巨匠プッサンにはじまり、18世紀ロココの代表ブーシェ、19世紀のアングル、ドラクロワ、ミレー、印象派やポスト印象派のモネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、そして20世紀のピカソやマティスまで――。プーシキン美術館のコレクションの中核をなすフランス絵画の質の高さは、フランス本国もうらやむほどのものです。
本展では、選りすぐりの66点で、フランス絵画300年の栄光の歴史をたどります。なかでも、ルノワールの印象派時代最高の肖像画と評される≪ジャンヌ・サマリーの肖像≫は、最大の見どころです。
「ロシアが憧れたフランス」の粋を、どうぞお楽しみください。(引用終わり)

ニコラ・プッサン,ブーシェ,ドラクロワ,モネ,ルノワール,セザンヌ,マチス,シャガール,レジェなど,ロココ時代から現代までフランス絵画満載の絵画展です。
ダヴィッドの「ヘクトルの死を嘆くアンドロマケ」,ドラクロワの「難破して」(ジェリコーの「メデュース号の筏」のようなテーマの作品です。),アングルの「聖杯の前の聖母」などが気に入りました。それと,名前を聞きかじった程度の画家ですが,ジェロームの「ガンダウレス王」が印象的でした。ガンダウレスは自分の妃が美しいのを自慢するために,部下にのぞき見させ,それを後で知って怒り狂った妃と部下によって追放されてしまう,性的に倒錯した,でも,情けない王でして,この王の話はオペラにもなっていて,サロメのように脱衣の場面で有名のようです。

閑話休題
さて,どれもいい絵だったのですが,何か模範的な絵ばかり見たような気がして,いい展覧会でしたが,正直なところ心に残る絵というのはあまりなく,美術館を出ると,すべて忘れてしまいそうになります。絵よりもテーマということで,「ガンダウレス王」の絵は印象に残りました。
また,やはり現代の絵の方がいいのか,最後のレジェの「建設労働者たち」も気に入って見ていましたが,混雑した美術館の中で,企画展を出た品の悪いオバハンたちが大声で,レジェの絵について,こんな絵どこがいいのか,誰でも描けるなどを話していたのは興ざめでした(夏休みで子供が多かった展覧会でしたが,子供はおとなしく見ていたのに,大人の方がマナーが悪いようです。)。

そうそう最後になりましたが・・・というような水谷豊の音声ガイドも面白かったです。本当に最後まで聞かないと分からないのですが。テレビドラマで演じている役にしたがった音声ガイドの締めでした。

それこそ最後ですが,企画展の後,常設展も見られます。そこでは,マックス・エルンストやジョージ・グロス,さらにはアンディ・ウォーホルの絵も見られます。正直なところ,私はこちらの絵の方が好きで,こちらの方が感激してしまいます。

向かいにいつの間にかできていた新しい建物



リヒャルト・ワーグナー像(ライプツィヒ)

2013年08月18日 | ドイツ語
2日も続けてマニアックな話を書いてしまいました。
普通に旅行をするのでは絶対に行かないようなマニアックな場所のことばかり書いてどうするのかという気もしてきましたので,今日は普通の話にします。

ライプツィヒにはリヒャルト・ワーグナーの家というのがあるのですが,その近くの広場につい最近このブログで書いたばかりのリヒャルト・ワーグナーの像があります。最近,完成して,ニュースでも報道されていたものです。シュテファン・バルケンホール作のものです。
この像ですが,意外に知られていないのか,公園でゆっくりとくつろいでいた方に聞いたところ,その存在をしりませんでした。場所もメジャーな通りに面している割には,奥の方にひっそりとあり,しかも後ろにはビルが並んでいるため,写真を撮っても見写りはよくありません。
意外にマイナーな存在であったようです。

さて,このブログのドイツ旅行編が延々と続きそうなので,まだあとライプツィヒの美術館いくつかとレストラン,それからベルリン美術三昧編(ただし,ベルリンではアパルトマンでゆっくりと過ごすような日々でしたので,最もベルリンに長く滞在した割には紹介するものもそれほど多くはないようにも思います。)がありますが,いったん中断して,日本の美術館巡りも入れていきたいと思います。

旧帝国大審院(ライヒ裁判所)(ライプツィヒ)

2013年08月17日 | ドイツ語
今回,再びライプツィヒにある旧帝国大審院(ライヒ裁判所),つまり現在の連邦行政裁判所の建物を訪れました。

旧帝国大審院は,大昔にブログにも書きましたが,戦前までの通常事件の最上級審の裁判所で,ナチ時代には国会放火事件で起訴されたゲオルギー・ディミトロフの裁判が行われた場所でした。
戦後,ドイツが東西に分裂すると,今度は,ゲオルギー・ディミトロフの方が英雄となり,この旧帝国大審院はゲオルギー・ディミトロフ博物館となりました。
その後,旧東ドイツの崩壊,東西ドイツの再統一により,価値観が一変すると,ゲオルギー・ディミトロフの功績がたたえられることもなくなりました(ディミトロフは戦後ブルガリアの首相となり,ソフィアにはレーニン廟をまねたゲオルギー・ディミトロフ廟もありましたが,ディミトロフの遺体は火葬の上,中央墓地に埋葬され,ディミトロフ廟自体も撤去されております。)。ライプツィヒのディミトロフ博物館も,最初は造形博物館となり,次いでドイツの行政裁判の最上級審である連邦行政裁判所となりました。連邦行政裁判所は旧西ベルリン(Zoologischer Garten駅のすぐ隣)にありましたが,再統一により,5つある連邦の裁判所(連邦憲法裁判所を除く)のいくつかを旧東ドイツに移すという政策のもと,この由緒正しき場所に移転しました。

現在の連邦行政裁判所でも,旧ディミトロフ博物館と呼ばれる,昔の大きな法廷のエリアは,普通は一般に公開されていますし,ホール内も公開され,ステンドグラスも見ることができます。それと,奥の方にある部屋にも,初代院長Eduard von Simson(エドゥアルト・フォン・ジムソン)から最後の院長にしてナチの裁判官であったErwin Bumke(エルヴィン・ブムケ)に至るまでの大審院の時代,ディミトロフ博物館の時代,連邦行政裁判所の時代の3つの時代にわたる,この建物の歴史が解説されています(なお,ブムケは余りにナチの色が強いため,カールスルーエにある現在の連邦通常裁判所にも,歴代の大審院長の肖像画が掛かっているにもかかわらず,ブムケの肖像画だけはないとのことです。)。さらに決まった曜日と時間には,建物内部をガイド付きで詳しく見ることができるようです。私が行ったときには,ガイドの時間には合わなかったのですが,荷物をコインロッカーに預けて,定められた範囲では自由に内部を見ることができました。

旧ディミトロフ博物館(ディミトロフの裁判のあった法廷)



3つの歴史を物語る部屋



ステンドグラス



この建物のある場所ですが,大審院の初代院長であるEduard von Simsonエドゥアルト・フォン・ジムソンに因んでつけられたSimosonplatz1番地というところにあります(ここも旧東独時代から1997年までは,Georgi-Dimitroff-Platzの名前でした。)。そして,Simsonplatzには小径であるDimitroffstrasseが交わっており,この建物のたどった歴史を物語っております。ジムソンはドイツ国民議会議長,帝国議会議長等を経て,大審院の初代院長となったのでした。




旧国家保安省記念館(Gedenkstätte Museum in der „Runden Ecke“)(ライプツィヒ)

2013年08月15日 | 美術道楽
ライプツィヒが旧東独の崩壊の始まった土地であることは書きました。
その旧東独にあって,国民全体を監視し,かつ,国民の中に多数の「非公式協力者」と呼ばれる協力者(密告者)のネットワークを張り巡らしていたのが,国家保安省(Ministeriun fuer Staatssicherheitで,最後の部分を略してシュタージ)であります。

前にベルリンを訪れた際にもシュタージ博物館(旧国家保安省本部)とシュタージ記念館を訪れましたが,今回はライプツィヒのシュタージ支部の跡です。

ライプツィヒのシュタージはここで月曜デモの参加者等の情報を集約し,ベルリンの本部に報告していたのでした。

ベルリンの博物館におけるのと同様に,今回も,手紙を開封して検閲するシステムや盗聴の機械,さらにはシュタージの監獄等を見ることができました。ライプツィヒ市民にとっては恐怖と嫌悪の対象であったことでしょう。月曜デモに発砲することなく,旧東独政府が崩壊したのは,ドイツにとってどれだけ幸福なことであったことでしょう。

この建物ですが,入り口を入って左側から入るのですが,右側に入れば,実際にシュタージが保管していた個人情報の開示を受けるための窓口があります。
決してシュタージの被害が過去の問題ではないことをまざまざと示しています。

内部の様子



執務室:部屋にホーネッカーの写真あり


IMはinoffiziele Mitarbeiterで非公式協力者


牢獄


取調室:ここで拘束者の写真を撮影した。


配達されなかった手紙


社会主義のプロパガンダ関連


人が3人又は4人以上集まると悪い密談しかしないというアネクドートもあった「悪い人たち」毛沢東は5人目に入ることを夢見ていたようです。


外にあるポスター


パンフレット類









下の表示はシュタージの保管していた文書の開示が,過去の問題ではないことを物語っています。




City Hochhaus(ライプツィヒ)

2013年08月14日 | ドイツ語
ライプツィヒのゲヴァントハウスのすぐ近くにCity Hochhausという高層ビルがあります。
ゲヴァントハウス



因みにこちらはゲバントハウスに近いオペラハウス




City Hochhausはアウグストゥス広場に建つ建物で,最上部が半月型にくびれた特徴的な建物です。
形は昔も同じですが,昔はこの建物はライプツィヒ大学でした(私は今でもライプツィヒ大学と呼ばないとピンと来ません。)。そして,アウグストゥス広場はカール・マルクス広場と呼ばれ,その近くにある建物には異常に巨大な顔のマルクスの頭部の彫刻がはめ込まれていた記憶です。東ドイツ政府が1968年から72年にかけて,威信をかけて作った高層ビルの大学建物でした。

ところが,今はカール・マルクス広場の名前もなく,マルクスの像もなく,この高層ビルも大学から州政府に,そしてメリルリンチへと売却され,現在はメリルリンチの所有する建物ということです(Wiki情報による。)。
そして,ARDで放映されていたドラマでは,このCity Hochhausがよく場面として出てきていたそうです(相方ねずみ情報)。
どうりでモダンに生まれ変わっているはずです。
入場料を払って屋上までエレベーターで登りました。晴れていい景色でした。ライプツィヒがこんなに緑が多いとは知りませんでした。冒頭の写真はここから望遠レンズで撮影した写真です。

高いところに登るのであれば,市電に乗って諸国民戦争記念碑(Völkerschlachtdenkmal)に出かけ,その上に徒歩で登ってもよかったかもしれません(この記念碑からそう遠くないところに昔はイスクラ記念館もありました。)。

諸国民戦争記念碑=とにかく巨大な建造物でピラミッドのようです。



最後の写真はウィキメディア・コモンズ(Wikimedia Commons)から掲載させてもらいました。

アウエルバッハス・ケラー(ライプツィヒ)

2013年08月13日 | 食道楽
アウエルバッハス・ケラーもライプツィヒで有名な観光名所の1つです。
アウエルバッハの地下酒場と訳され,ゲーテのファウストの舞台ともなったところです。
若き日のゲーテもここによく足を運んで,飲食をしたそうです。

ミラノのパッサージュに倣って作ったとも言われるメードラ・パッサージュの中にあります。因みに私は,以前にライプツィヒを訪れた際にもアウエルバッハス・ケラーを訪れるため(時間が合わす食事をすることができませんでしたが。),このパッサージュを訪れましたが,今回もパッサージュ自体には関心が乏しく,あまり他の店を見なかったのですが,中国人観光客は時計等の高価な商品の購入に余念がないようです。

さて,アウエルバッハス・ケラーは文字通り地下にありますが,中は意外に大きな空間です。店の壁にはファウスト関連の絵も描かれており,土産も充実しているようです。
私はここで,ザウアーブラーテンを食べました。
普通に美味しいレストランでした。日本では有名な店は大概,看板にあぐらをかいて一見の客にはまずい物を提供するような気がしますが,アウエルバッハス・ケラーは観光客がたくさんくるのに,普通に美味しく,普通に楽しめるいい雰囲気のレストランでした。

観光客が頻繁に訪れ,入り口と食事をするコーナーとの間にある狭い場所で,食事もしないまま写真だけ撮影をしていても,文句を言わないおおらかなレストランです。

パッサージュの外にある看板



パッサージュ内のファウスト作品中の登場人物の彫像





パッサージュ内の看板



入り口



店内の様子





勘定書



トーマス教会(ライプツィヒ)

2013年08月12日 | ドイツ語
今度はトーマス教会の方です。
こちらは隣にバッハの像が建ち,バッハ像を挟んで通りの向かいにはバッハ博物館があります。もっとも,バッハが生まれたのはアイゼナッハであり,こちらにもバッハの生家が美術館として存在しています。

バッハは20年以上もトーマス教会で音楽監督を務め,その墓所もトーマス教会の中にあり,ステンドグラスにもバッハの絵があります。トーマス教会は,ルターが1539年の聖霊降臨日に説教を行ったことでも有名とのことです。トーマス教会の合唱団は今日でも有名で,つい最近(私はドイツに旅行中の期間でしたが。)のテレビ・ドイツ語講座でも紹介されていました。



おまけ

途中でナッシュマルクトにある旧証券取引所前のゲーテ像を見ました。これも見所の1つです。



ニコライ教会(ライプツィヒ)

2013年08月11日 | ドイツ語
ライプツィヒでは,最初にニコライ教会に行きました。ニコライ教会は1165年に建築の始まった古い教会のようで,パイプオルガンも有名ですが,何といってもこの教会を有名にしたのはドイツ民主共和国崩壊の始まりとなった月曜デモです。
ライプツィヒのニコライ教会における集会から月曜デモが始まり,東独政府もこれを押さえきれなくなり,休暇中の亡命者の続出と共に,ベルリンの壁崩壊と東独の消滅につながったのでした。

ライプツィヒを再訪して

2013年08月10日 | ドイツ語
チューリンゲン州のワイマールからザクセン州の最大の都市ライプツィヒに行きました。
ライプツィヒの訪問も2回目です。
ライプツィヒと聞くと,思い出す物は何でしょうか。

バッハの街
トーマス教会
ゲーテのファウストに出てくるアウエルバッハス・ケラー
ゲバント・ハウス
かつてはカール・マルクスの大きな頭の像のあったライプツィヒ大学
ちょうど200年前にあった諸国民戦争(ナポレオン戦争最大の戦争で,ナポレオン軍敗北。100年前に建立された戦争の慰霊碑がある。)
ドイツ帝国大審院(ライヒ裁判所)の所在地
亡命中のレーニンが新聞(イスクラ)を発行していた場所
そこで行われたナチ時代の帝国議会放火事件の裁判
月曜デモとそれによる旧東ドイツの崩壊
さらには映画「飛ぶ教室」の舞台

いろいろ挙げられると思います。
今回,もちろんすべてを回りきった訳ではありませんが,暑い中をいろいろと見ることができ,思い出深い旅になりました。

写真はライプツィヒ中央駅です。
ここの中央駅は戦前からドイツで最大級の規模の駅でしたが,改装されて駅の中に大きなショッピングモールができています。