教育のヒント by 本間勇人

身近な葛藤から世界の紛争まで、問題解決する創造的才能者が生まれる学びを探して

ベルリンフィルの教育プロジェクト

2005-12-24 00:07:44 | 学習プログラム
ベルリンフィルと子どもたち
という映画は
ベルリンフィルの教育プロジェクトの
第一回目をドキュメントしたもの。

アートでベルリン都市を構築する一環の流れ
だと思う。

もちろんベルリンフィルは自分たちが何が
できるかを考えただけだと思うが。

それにしても
25カ国から250人の国も
年齢も幅広い生徒を集め、
あのストラビンスキーの
「春の祭典」の演奏と
それに合わせた彼らの
ダンスを公演しようという
プランは感動だ。

6週間の猛練習のプロセスは
それは筆舌にしがたい。

クラシック音楽も知らない
ベルリンの壁崩壊後の
マイナス部分を背負う子どもたち。

自信をもてず
不安に満ちた
孤独の暗闇にひきこもり
でも自分の潜在的な可能性
を認めたい
そんな気分が
集中を阻害する。

しかし静寂の中に
ポテンシャルを外に出す
瞬間を見出すとき
彼らは大転換する。

そして「春の祭典」をCDで
聴きながらの練習から
実際にベルリンフィルの
演奏に遭遇したとき
さらに飛躍する。

春という自然が大地から沸きあがってくる
おぞましくも魅力的な感覚を
クラシックなんてと吐き捨てていた
少年たちにショックを与える。

クラシックとは富裕層の装飾具では
なかった。自然の息吹と人間の命を
共鳴させる時空のゆらぎを開く
ゲートだったのだ。

あっ、私の求めていた学びの虚時空は
ここにもあった。

それにしても「春の祭典」の演奏と
250人のパフォーマンスは
フラクタル、ケイオスの
それでいて均衡の取れた
宇宙の原理が展開されていた。

ベルリンフィルと子どもたち
それは大人と子どもという対比だろうか
いや違う。

サイモン・ラトルは
アウトサイダーであることが才能者であり
変わっていることが大人を越えることだと
映画の中で語っている。

振付師のロイストン・マルドゥームは
子どもの時期に孤独を経験することの
大切さを自らの体験の中で語る。
孤独の道の中で出会う友情の大切さも同時に。

常識と創造との間の壁を崩す
ポジションに置かれた人々が
集まったプロジェクト。

これがベルリンフィルの教育プロジェクト
の本当のねらいだったのだろう。

バウハウス自体教育プロジェクトだ。

ベルリンはアートの都市だが
同時に教育の都市でもある。

もちろん新しい都市
新しい教育。

これはOECD/PISAの尺度を
超えている。

やはり欧州で最も恐ろしい国はドイツだ。
アメリカは今もそのことを認識しているだろう。

しかもフランスと違って
ドイツは教育の中で
相当英語を使っている。

ベルリンフィルも子どもたちも
全員ドイツ語と英語を自在に活用している。

英語を話せるドイツ市民。
アメリカの学問や科学の基礎は
みなドイツのものばかり。芸術もそうだ。

フランスもイギリスも古い歴史を
保守している。

しかしドイツは、古いものにどんどん
新しいものを融合させている。

日本のように古いものを破壊して
新しいものを構築しているのではない。

アメリカのように壊すべき歴史がないため
すべて新しいものを構築しなければならない
というわけでもない。

いずれにしてもボンからベルリンへという
首都移転とそしてこの新しさ

これは再びロシアを中心とする東欧
とドイツの関係が近づくきっかけに
なることは確かだろう。

二度の世界大戦を起こした
ドイツが背負う十字架は
ドイツの新しい変貌を
予告する。

どうか光のベクトルを
目指して欲しい。

男子の選択校

2005-12-23 14:22:58 | 学校選択
11月のセンター模試の志望校登録数を
次のような条件で並べてみる。
○入試日一回目
○午前入試
○志望校登録者数30人以上
○前年対比100%以上

すると

渋谷教育学園幕張中
立教新座中
東邦大学付属東邦中
本郷中
開成中
聖光学院中
早稲田中
慶應義塾普通部
麻布中
逗子開成中
芝中
芝浦工業大学柏中
武蔵工業大学付属中
早稲田実業中
法政大学第二中
日本大学中
栄東中
青山学院中等部
海城中
城西川越中
専修大学松戸中
江戸川学園取手中
昭和学院秀英中
成城中
開智中
桐光学園中男子部
春日部共栄中
国学院大学久我山中
麗澤中
日本大学豊山中
桐蔭学園中等教育学校
大宮開成中
山手学院中
法政大学第一中
明治大学中野八王子中
日本大学第二中
創価中
渋谷教育学園渋谷中
東海大学付属相模中
埼玉栄中
茗溪学園中
常総学院中

が抽出される。
このうち38%が
クリエイティブ・スクールである。

全体的な傾向としては
反動的なのであるが、

男子が選択する学校(男子校・共学校)
の中でクリエイティブ・スクールが占める割合が
27.5%なので、
条件設定によっては、
反動的傾向を阻止できる要因を抽出できるとも
考えることができる。

前回、歴史の中にある学校は男子校だと書いたが、
これは全体的な傾向であり、

本郷の高橋校長先生は
「社会を変える人材を輩出するのが本校の役目」だと
語るし、
聖光学院の工藤校長は
「本校はクリエイティブ・スクール」
だと語る。

このような歴史をリードする意志のある男子校も
存在するのだから、

やはり反動的傾向は一時的と考えることもできる。
2006年、2007年とじっくり見定めていきたいと思う。

明日はクリスマス・イブ
女子聖学院の小倉校長先生からいただいた
聖書の一節を噛みしめながら未来に想いを
馳せよう。

「キリストは、ご自分の体によって、人を隔てて
いた壁、すなわち、敵意を取り除き、かずかずの
規定を伴うおきてから成る律法を無効にし、二つ
のものをご自分に結びつけることによって、一人
の『新しい人』に造りあげ、平和を実現しました。」
(エフェソ2-13~15)

クリエイティブ・スクール

2005-12-23 13:38:43 | 学校選択
11月のセンター模試志望者登録数が
前年比で躍進(110%以上・一回目午前の入試)している
クリエイティブ・スクール
(クオリティスクールとエクセレントスクールを合わせて
クリエイティブ・スクールと呼ぶことにする)
としての
女子が選ぶ女子校、共学校を
見てみると、

芝浦工大柏、湘南白百合、渋谷教育学園渋谷
春日部共栄、聖心女子、早稲田実業、江戸川取手
光塩女子、フェリス、晃華学園、富士見丘(横浜)
昭和女子大昭和、自修館、女子聖学院、明治学院、
常総学院、浦和実業、聖セシリア女子、
香蘭女学校、桐朋女子、跡見学園、品川女子学院
である。

浦和明の星や山手学院は109%台
東京純心や立教女学院は108%台
したがって躍進している
と考えてよい。

また新しく共学校になる「かえつ有明」や
中学を新設する「白梅清修」も、前年対比はできないが
注目を浴びているようだ。

「世間」の反動的傾向が顕著に現れているのは
男子の選択心理である。女子の選択傾向は伝統と革新が
並存、もしくは対峙している。
(参照→「ホンマノオト2005年12月20日」)

やはり21世紀は女子の世紀であるというのは
こういうところにも現れているということだろう。

男子は歴史の中で生きる。
女子は歴史を創るという傾向なのかもしれない。

春日部共栄 浦和実業 獨協埼玉

2005-12-23 13:12:14 | 学校選択
マスコミに煽られてか
世間の風潮がそうなのか
わからないけれど

「東京大学に入れる学校」
「勝組企業に入れる学校」

という反動的学校選択の波が席巻した。
このような「世間」に対して
養老孟司さんや橋本治さんのような
学者や作家は文筆で物申している。
それ自体「世間」が反動的傾向であることを
示唆している。

私立中高一貫校選択もどうやらその例外ではなかった。
(参照→「ホンマノオト2005年12月20日」)

そんな中で、

エクセレントスクールである春日部共栄
クオリティスクールである浦和実業、獨協埼玉は

11月のセンター模試の志望校登録の数を伸ばしている。

このことは大変重要な意義がある。

というのは埼玉県のほとんどの私立学校には、
「東大に入れてなんぼ」という現実至上主義的
風潮があるからだ。

その埼玉の中では理想実現主義的な上記の3校が
選択されているということは、
2008年、2009年の新しい時代のベクトルを
推進する学校が今からあるということを意味する。

日本の未来は決してバラ色ではないが
捨てたものではない。


ダ・ビンチコードとドイツ連邦議会議事堂

2005-12-23 12:53:25 | 学びの時空
戦勝記念塔から
ブランデンブルグ門へ歩いていって
左手に
ドイツ連邦議会議事堂
がある。

ベルリンの壁崩壊後
首都をベルリンに移すことによって
修復された。

修復されたドームは
ハイテク技術が駆使され
ガラス張り
市民が議会の様子を見ることができる
市民がベルリンを360度一望できる
というように
開かれた民主主義を象徴している
ようだ。

しかし、ここもドームである。

しかもドーム内には
ピラミッドが逆さずりになっている。

ルーブル以上にダビンチ・コードの
意味を表現している。

欧米の民主主義は
常にダビンチ・コードや
フリーメーソン
(これもピラミッドが象徴している
1㌦札を見てみるとすぐわかる)

背景がある。

もっともそこは虚時空以外では
見えないところであるが。

ベルリン・天使の詩

2005-12-23 12:34:30 | 学びの時空
ベルリンを1人で歩き回った。
1日という制約があったので、
駆け抜けた感じだ。
冬という時期はあっという間に
夜が訪れる。

戦勝記念塔ジーゲスゾイレに
着いたときは写真のように真っ暗。
まだ17時過ぎたばかりだというのに。
もっとも日本もこの時期そうか。

ここからブランデンブルグ門まで
20分くらいかけて歩いた。

89年ベルリンの壁が崩れるまでは
ほとんど人通りのないこの道を
ブランデンブルグ門まで歩けたのだろうか。

いずれにしてもこの戦勝記念塔。
天使が羽を休めた場所だ。
虚時空と場所の違いが映画になっている。

もっとも日本のアニメでは
ここらへんには「天使の羽根」という
テロリストが登場することになっているが。

そしてモーツアルトも晩年2ヶ月ほど
ベルリンを訪れた。
ブランデンブルグ門は完成していなかった時期だ。
おそらくここを通っているはずだ。

歴史のレイアーが虚時空を作る。
このレイアーは時代順ではなく
フロイトの自我構造に合わせて
並べ替えると、
天使が見た醜悪で魅力的な「人間」が
現れる。

アートが創るベルリン都市。
おぞましさと魅惑。
都市の学びの発想。なんとか形にしたい。

イーストサイドギャラリー

2005-12-23 01:38:23 | 学びの時空
ベルリンの壁崩壊後
イーストサイドに残された
1キロほど続く壁には
コンテンポラリーな
絵が連綿と描かれている。

落書きという見方もある。

いずれにしても
フラクタル
ケイオス

虚時空がここにもある。

権威を権力を抑圧を
封印するというよりも
再び生まれる不安と予兆を
示唆している。

芸術の無力、無思想の思想が
権力に抗う背景に見え隠れする。

芸術の運命は
表現された作品に
あるのではなく、
虚時空の中で
その作品が
生み出す
意志の力そのものである。

権力を笑い飛ばすはずの
芸術が
時として
意志の力を権力と錯覚するときが
ある。

ニーチェと対決するハイデッガーのように。

イーストサイドギャラリーは
ベルリンの崩壊という勝利宣言を
称えるではなく、
常に権力の危険性が存在していることの
不安を笑おうとしている
1つの形式なのである。

アートは象徴になるのではなく
やはり常に経済の中で
破格の価値を生み出すことのほうが
平和は保てるのである。

破格の価値は虚時空の中でしか生まれない。
日本の茶道がそうなように。

バウハウスのベルリン

2005-12-23 01:17:42 | 学びの時空
アートが都市を再生する
多摩美の伊藤教授の
講演録。

ベルリンの壁崩壊後の
ベルリンの様子が
簡単に描かれている。

実際にバウハウス、バウハウスだった。
ポツダム広場はその中心地。
ソニーセンターの入り口の両方には
ミース・ファン・デル・ローエ

ヴァルター・グロピウスの
プロットタイプがあるのではないか。
でもソニーセンターのシェルターは
ドーモのモダニズムである。

そこにはミラノやストラスブール、
パリの大聖堂のドーモと共鳴しているし
ルーブルやイサム・ノグチのピラミッド
がある。

それにしてもベルリンは
虚時空を形成している。
虚時空それは経済活性化につながる。
観光立国日本も、
芸術立国日本という意味にシフトした方が
よいだろう。

ベルリンについて
参照→「ホンマノオト

ドーモの虚時空

2005-12-23 00:51:04 | 学びの時空
ミラノのドーモ
については
山ほどブログで紹介されている。

私も
ホンマノオト」で
紹介している。

ただ、ドーモの歴史とかではなく
空間についてである。

ミサでは
司祭の声
聖歌隊の歌声
ステンドグラスからの光
ローソクの光
お香のゆらぎ
参列者の息づかい
参列者の祈りの声
参列者の眼光
聖書をめくるかすかな紙の音
・・・・・
すべてがドーモに反響する動き
そして共振と共鳴

これらが空間を虚時空に変える。

時空は曲がる。

音の波と光の波によって。
その虚時空に従うように
お香はカオスあるいは
フラクタルな拡散を遂げる。
エントロピーは増大して
物理的広がりは消失するが
その後特異点を通して
虚時空で蘇生する。

コンテンポラリー・アートが
今一歩越えられないのが
この虚時空へのトランセンド。

今のところ脳科学と宇宙物理、
ナノテクノロジー
量子物理学
超ひも論
にアートは追いつけていない。

もちろん教育学はもっと後を
歩いている。

十字架の聖ヨハネ

2005-12-23 00:18:08 | 学びの時空
ルーブルに寄ると、
十字架の聖ヨハネを
まず見にいく。

彼が指し示す向こうに何が
あるのか。

空がある。

私の生活空間というより
生なるシェルターは
まず空。

それがやがて建築物としての
シェルター
ピラミッド
になっている。

ノートルダムの天井
ルーブルのピラミッド
イサム・ノグチのピラミッド
バックミンスター・フラーのジオデシック・ドーム
ナノの新物質フラーレン
アインシュタインの時空
ドミニコ会の異端児ジョルダーノ・ブルーの無限の宇宙
サンタ・マリア・デッレ・グラーツェ教会のダ・ビンチの最後の晩餐
これらは
みな十字架の聖ヨハネのテーマである。

無限を創りだす特異点。

このフレーズはキリスト教においては
矛盾である。

ヨハネ・パウロの世界VSホーキングの時空
でもある。

しかしまた株価の
アインシュタイン方程式の話でも
ある。

熱力学の方程式でもある。

ミラノのドーモ
その前の広場
そこから広がるショッピング空間
その中にブランド通り
それを囲むように金融街

都市の時空のテーマでもある。

そして何よりそれらを包括的に
了解する知の構造

それは知のピラミッドとか
知のシェルターとか
知のドームといってよいだろう。

だが、もっとも豊かな知のドーモは
空である。宇宙である。

イサム・ノグチの庭園は宇宙をドームに
しているのだ。

だからイサムの庭園を学びの時空として
子どもたちと彫刻の続きをやりたいのだ。