クラシック 名盤探訪

クラシックの名盤紹介・おすすめ散策コース等、趣味の発信の場です。

氷川神社から「さきたま古墳群」へ、そして足利学校と近辺の寺社をめぐる

2010年07月01日 | 歴史・旅(国内)
コース順路:コース満足度★★★★★ 6月12日~14日
氷川神社→県立歴史と民俗博物館→さきたま史跡の博物館→さきたま古墳群→足利学校→鑁阿寺→善徳寺→織姫神社→長林寺→鶏足寺

巡りたい全国各地の史跡、主題を絞って順次リストアップしてもかなりの数になる。
気の長い話だが、中身の濃い史跡や寺社めぐりを願っての旅、今回は埼玉と栃木の古墳と寺社を中心に足を進める。
まずは大宮駅から武蔵国一ノ宮の氷川神社を目指すことにする。
中仙道に大鳥居があり、北へ延びる2Kmの参道の途中にある大きな二之鳥居あたりから参拝を始める。
本殿の前にある朱塗りの楼門の造りがとても美しい。
 

古代の出雲国造家を出自とする武蔵国造家は、沼地に面した高台に神を祀り居所を構えたという。
これが氷川神社の始まりとされているが、祭神が素盞嗚尊、稲田姫命、大己貴命の三神と言うのも出雲との繋がりを示す根拠のひとつとなっている。
またこの神社の神輿は三之鳥居を出ないのが決まりで、素盞嗚尊の天照大御神への服従を示す現れというのも確かにうなずける。
この神社の後ろ側にある県立歴史と民俗博物館、1時間もあれば見学時間は十分と思っていたらとんでもない。
展示室が10あって、第1室の「旧石器~弥生時代_狩から稲作へ_」から第9室「明治時代~現代_激動の時代をこえて_」迄、そして第10室民俗展示室「一生を生きる~人生儀礼~」と見応えは十分。
 

弥生時代から古墳時代の変遷の中に現れる儀礼的なものを示す銅鐸や埴輪も展示されている。
奈良~南北朝時代のコーナーにあった鎌倉将軍と武蔵武士の関係を示す系図のパネルが興味を惹く。
源頼朝を中心とする鎌倉幕府、後に尼将軍と呼ばれる政子の実家の北条氏、そして各々を補佐する武蔵武士と女たち、これらの入り組んだ関係が複雑に絡み合いながら歴史が展開していくのだが、その中で発生するいろいろな争いなどを系図を見ながら経緯を解析してみると思わぬ新しい発見があったりして面白い。
今回は落ち着いて展示内容を見れなかったので、改めてもう一度訪れることを思いながら博物館を後にする。
  

北鴻巣駅前から出ているシャトルバスに乗ってさきたま古墳群へと向かい、まずは稲荷山古墳から発見された国宝の金錯銘鉄剣が展示されている「さきたま史跡の博物館」に足を踏み入れる。
展示室は撮影禁止で写真を取れなかったが、目の前に見た鉄剣は本物だけあって当時の優れた金文字の象嵌技術を示しており、さすが迫力充分だ。
将軍山古墳は全長90mの前方後円墳で、墳丘の周りを巡る二重の堀や中堤についている造出し、そして古墳の上に並ぶ埴輪など、遠くから眺めると全体の構成がよく分かる。
 

将軍山古墳には展示館があり、中に入るとここから出土した馬具の複製品を身に着けた人を乗せた馬が展示されているのがまず目に入る。
実物の横穴式石室と埋葬時の様子も再現・展示されているが、まさに1400年前の世界がよく窺える。
 

稲荷山古墳は全長120mの前方後円墳で、さきたま古墳群の中では最も古く5世紀後半から末くらいの頃と考えられている。
墳頂部の礫槨は、舟形に掘った竪穴に河原石を貼り付けて並べた上に棺を置いたもので、死んだ人の傍らには有名な金錯銘鉄剣が添えられていたと言う。
 

「東の小京都」と呼ばれる足利市、日本最古の学校と言われる国指定史跡の足利学校を訪れる。
パンフレットの説明によると足利学校の創建に着いては、奈良時代の国学の遣制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがあると書いてあってはっきりしない。
学校門をまっすぐ進んだ奥にある孔子廟には、孔子の像とともに平安時代前期の官人、文人、歌人であった小野篁の像が置かれている。
遣隋使をつとめた小野妹子の子孫で、三蹟の1人である小野道風や、絶世の美女といわれた小野小町は孫にあたるらしい。
 

室町時代、関東管領(関東公方の補佐役)であった上杉憲実が学問に熱心で、書物や領地を寄付したり庠主(学長)制度を設けるなどして足利学校を再興したのは良く知られている。
天文18年(1549)には、フランシスコ・ザビエルが足利学校のことを「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介したという。
方丈は学生の講義が行われたところで、ここで観光客用に漢字テストをやっていたのが面白い。
足利学校を出てすぐそばにある足利公園には、衣冠束帯の立派な足利尊氏像が置かれている。
 

室町幕府を開いた足利尊氏で一躍有名になった足利一族の発祥の地にある鑁阿寺、ここは寺というよりも鎌倉時代の武家屋敷としての面影を強く留めているのに興味を惹かれる。
説明板には「・・・源姓足利氏2代目義兼が建久7年(1196)に自らの邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を奉ったのが始まりで、堂塔伽藍を整備して足利一門の氏寺としました。・・・」とある。
足利尊氏の木像・位牌が収められているゆかりの寺、善徳寺に立ち寄る。
建物も新築されており、庭もずいぶん綺麗いに整備されている分、有難味が減っているかもしれない。
 

次に訪れた織姫神社は、1300年程の歴史と伝統を誇る機業地足利の守護神として奉られている。
参道の階段の途中にある「蕎遊庵(きょうゆうあん)」と言う蕎麦屋で昼食をとる。
ここで注文した「せいろ」が大当たりで、細めのお蕎麦でのど越しと香りがとても良い。
美味しい蕎麦に満足する。
山門の前に並ぶ六地蔵に守られた長林寺、この寺は足利長尾家の菩提寺で文安五年(1448)創建という長い歴史を持っている。
墓地には足利藩士で、明治維新後は画家として名を成したという田崎草雲の墓があったが、どんな絵を描いたのか知りたい気持ちになる。
 

最後に訪れた鶏足寺は、静寂に包まれた落ち着いた雰囲気きのある名刹という感じがする。
寺の名前の由来を見ると、「・・・初めは世尊寺といいましたが、平将門が朝廷に背き天慶の乱をおこした際、将門調伏の祈願を行ったところ”三本足の鶏”の奇瑞があったことから勅命により鶏足寺と改められました。・・・」とある。
庭の池にある七福神の面々が、訪れるものをやさしく迎えてくれるのが嬉しい。
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿