クラシック 名盤探訪

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宗像・沖ノ島と関連遺産群を歩く

2014年04月20日 | 歴史・旅(国内)
コース順路:コース満足度★★★★★ 2月25日~2月27日
宗像大社 → 高宮斎場 → 辺津宮 → 神宝館 → 海の道むなかた館 → 鎮国寺 → 神湊港 ~ 大島港 → 中津宮 → 御岳山展望台 → 沖津宮遥拝所 → 大島港 ~ 神湊港 一 東郷高塚古墳 → 田熊石畑遺跡 → 桜京古墳 → 新原・奴山古墳群 → 宮地嶽古墳→ 在自唐坊跡展示館 → 竹原古墳

宗像の地は中国や朝鮮に最も近く、その貿易や進んだ文化の受入れ窓口として、重要な位置にあったと言われている。
「日本書紀」には、天照大神が「天皇の祀り事を助け、丁重な祭祀を奉じなさい」と、三女神を宗像の地に送ったことが記されている。
そんな海のみちのシンボル、宗像大社をまずは訪れる。
高宮斎場は宗像三女神の降臨地であり、沖ノ島と共に日本の祈りの原形を今に伝える数少ない古代祭場とされている。
 

宗像大社の境内には、第二宮に沖津宮の田心姫命(たごりひめのみこと)、第三宮に中津宮の湍津姫命(たぎつひめのみこと)が祀られている。
すぐ傍らにある神宝館には、沖の島の出土品が展示されている。
4~5世紀から9世紀までの大量の祭祀遺物が発見された信仰の島”沖の島”は、「海の正倉院」とも呼ばれている。
「海の道むなかた館」<写真は展示品で、蛇のような形をした”旗ざし”>では、宗像の地と大陸との交流の様子、大和王権にとって重要な意味を持つ沖ノ島での祭祀、それを担った宗像氏の存在などを展示している。
 

鎮国寺は、弘法大師が大同元年(806)に創建したと伝えられる真言宗最古のお寺だという。
「花と祈願の寺」としても有名で、年間を通じて美しい花々を楽しめる名所となっている。
神湊港からフェリーで大島港へと渡る。
 

中津宮には湍津姫命が祀られているが、そこは七夕伝説発祥の地とされいて、縁結びの御利益が有名になっている。
安昌院の境内北側に苔むす五輪塔があり、これが安倍宗任の墓だという。
奥州随一の権勢を誇った安倍貞任、宗任らは、「前九年の役」で源頼義、八幡太郎義家らの軍に敗れ、貞任は斬首、宗任はここ筑前大島に配流されて生涯を閉じている。
安倍晋三首相が、この安倍宗任の末裔だとは結構知られていないと思う。
嬉しいことに、お寺の住職が韓国渡来だという聖観音菩薩像を、わざわざ奥から持ってきて見せてくれた
  

沖津宮遥拝所から、約48km先の沖ノ島(沖津宮)を遥拝したかったが、曇り空でまったく望めなかったのは残念だった。
その沖ノ島への上陸は、今も守られる禁忌によって厳しく制限されている。
沖ノ島の古代の祭祀遺跡からは約8万点の奉献品が発見されて、全てが国宝になっているのには驚く。
次に訪れた東郷高塚古墳は4世紀後半の前方後円墳で、宗像の基礎を築いた首長の墓と考えられている。
弥生時代中期の田熊石畑遺跡<現在整備中>からは、銅剣・銅矛・銅戈の武器形青銅器が日本最多級の15点出土している。
 

色付けされた線刻三角文の装飾古墳で有名な桜京古墳を見学した後、新原・奴山古墳群に向かう。
世界遺産を目指しているという新原・奴山古墳群は、沖ノ島祭祀を発展させた古墳時代の宗像において、「海北道中」を支配した海の民のあり方を最もよく表象していると云われている。
 

宮地嶽神社にある宮地嶽古墳は7世紀中頃迄に造られた円墳だが、内部に国内2番目の全長23mの横穴式石室がある。
被葬者は、天武天皇の皇子・高市皇子を産んだ尼子娘(あまこいらつめ)の父・胸形徳善とする説が有力だ。
在自(あらじ)唐坊跡展示館を見学する。
古くから中国から来た人達や中国と貿易していた人達が住んでいた場所で、小学校の校舎を新築していたらその跡が見つかり、床に穴を開けてそのまま展示場にしているのが面白い。
 

6世紀後半に築造された竹原古墳は、鮮明に描かれた装飾古墳が有名で、国指定史跡に指定されている。
壁画の内容は4神思想や龍媒伝説など高句麗壁画の影響をうかがわせたもので、黒や朱の古代顔料で、船や龍、朱雀、馬を引く人物、翳(さしば=うちわのようなもの)などが描かれている。
  


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