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エジプト・トルコの旅、イスラム文化の違いを実感!その2(トルコ編)

2008年06月30日 | 歴史・旅(海外)
コース順路:コース満足度★★★★★
イスタンブール(ボスポラス海峡)→トロイア遺跡→エフェソス遺跡→パムッカレ(石灰棚・ヒエラポリス遺跡)→コンヤ(メヴラーナ博物館)→カッパドキア(カイマクル地下都市・ギョレメ野外博物館)→トゥーズ湖→アンカラ→イスタンブール(トプカプ宮殿・ブルーモスク)

カイロ空港から飛行機で一路イスタンブールへ、「飛んでイスタンブール!」の気分。
古代からのヨーロッパとアジアの架け橋だったイスタンブールに到着、東西文明の接点にあるトルコ、これから訪れる沢山の古代遺跡がとても楽しみ。

マルマラ海と黒海を結ぶボスポラス海峡、それはまたアジアとヨーロッパを分ける海峡でもある。
2つの大陸を眺めながらのクルージング、しばらくするとアジアとヨーロッパを繋ぐ第1ボスポラス大橋が目の前に迫ってくる。
もう少し進むと、ルメリ・ヒサールと呼ばれる要塞が見えてくる。
ビザンティン帝国時代の首都コンスタンティノープル、時のオスマン帝国スルタン・メフメット2世(征服王)は、ついにこの街を1453年に陥落させる。
その際の軍事拠点として建てられた要塞がこれで、その威容を誇る建物は眼を見張らせるばかりの壮大さだ。
 

イスタンブールの市内に戻っての夕食、どの店も外にテーブルを出して食事を提供している。
トルコ独特の音楽も流れていて、この国の人々は、食事はとにかく楽しく取るものという習慣が身についているらしい。
夜は情熱的なベリーダンスの踊りにしばし見とれる。
踊り手の女性は、素晴らしい美人(イスラム圏の若い女性は皆とにかく飛び切り美しい、年をとると一律に太ったおばさんになるけれども)で、尚且つダンスの上手なこと、男どもが皆すぐ惑わされるのも無理は無い。
イスラム圏の女性、男どもの指図だと思うが、誘惑されないようにチャドルを着て、顔と体全体を隠す訳が良くわかる。
 

イスタンブールから伝説と神話に彩られた古代都市トロイアを目指し、バスは約350Kmの道のりをひたすら突っ走る。
この遺跡の発掘者シュリーマンは、子供の頃に見聞きした炎上するトロイアの挿絵や、ホメロスの語る英雄達の物語が忘れられず、ついに遺跡発見の夢を実現したという。
ホメロスの英雄叙事詩「イリアス」と「オデュッセイア」のトロイア戦争の話を要約しよう。
「・・・トロイアの王子パリスは世界一の美女といわれたスパルタ王妃ヘレネを、王の留守中にくどき落とし故郷に連れ帰る。
妻の不実と友の裏切りを知ったスパルタ王は、全ギリシャの英雄達を募り復讐の軍を起こす。
神々も二分する争いとなり、不死身といわれたギリシャ軍のアキレウスは唯一の急所の足首をパリスに射抜かれて命を落とす。
また、パリスもついで仆れてしまうが、戦争は10年間決着が付かないまま続く。
そんなある朝、ギリシャ軍は大きな木馬を残して撤退してしまう。
勝利を疑わないトロイア軍は、城門を壊して木馬を街の中に入れ祝宴を開く。
その夜、夜陰に乗じて戻ってきたギリシャ軍と木馬に隠れていた50人の兵士がトロイアを激しく攻め立てる。
全てはずる賢いオデュッセウスの策略で、全くの無防備だったトロイアの都は一瞬に陥落してしまう。
スパルタ王は、ヘレネを取り戻しスパルタへ帰り、こうしてさしものトロイア戦争は終わりつげる。・・・」
写真右は神々の儀式に使われた場所で、ペルシャ王が雄牛100頭を、アレクサンダー大王もここで神々に供物を捧げたという。
アレクサンダーが立った場所に、自分もいると思うと不思議な気持ちになる。
 

トロイアから南に約150Km、エーゲ海沿いの港町アイワルクに泊る。
ホテルの窓から眺める青く透き通って輝くエーゲ海が何とも美しい。
翌日、約250Km南にあるエフェソス遺跡へ向かい、まずは「聖母マリアの家」を訪れる。
聖母マリアはイエスの死後に聖ヨハネとともにこの地に移り住み、余生を送ったといわれ、後にその家の跡に小さな教会が建てられ、現在ではキリスト教徒の聖地になっている。
このマリアの家の場所は長い間忘れられていたが、19世紀にドイツの修道女カトリーヌ・エメリッヒが、一度も訪れたことがないこの家の場所を記録に残し、後にこの記録を元にこの場所が突き止められたという。
 

紀元前300世紀頃から建設されたエフェソスの街の名は”地母神の王国”という意味を持つ”APASAS(アパサス)”から由来しているという。
ハドリアヌスの門を見ながらクレテス通り(神官通り)を下っていくと、セルシウス図書館と呼ばれる優美な建築物が見えてくる。
この街の知事を務めた父の墓の上に、息子が壮麗な図書館を建設したのだという。
アレキサンドリアのそれと並ぶ、一万冊以上の蔵書を収めていたらしい。
このあたりはこの遺跡のハイライトの場所で、壮大な建物を背景にたくさんの観光客がカメラのシャッターを切っている。
 

アントニウスとクレオパトラが歩いたアルカディアン通り(港通り)を眺める。
港から大劇場へと続く道で、夜は街灯が灯り、国家の要人の歓迎式典もここで行われたという。
現在エフェソスフェスティバルが大観衆を集めて開かれると言う大劇場を望む。
パナユル山の斜面を利用して造られた劇場で、2万5千人を収容するエーゲ海地方でも最大規模のものであった。
 

エフェソスからトルコ語で「綿の城」という意味を持つパムッカレへ、再びバスは150Kmの道のりを移動する。
石灰棚には温泉水が流れ込んでいて、観光客は足湯に浸りながら、目の前に開ける雄大な景色を眺めている。
写真が上手く取れなかったが、幾重にも重なり合った石灰棚が透き通った青色の湯をたたえ、段々畑のように広がっている景色は幻想的。
 

この石灰棚のすぐ後ろにある、紀元前190年に始まった聖なる都市という意味を持つヒエラポリスの遺跡も素晴らしい。
都市を囲む城壁の内には劇場、神殿、アゴラ、浴場、住居などの跡が残っている。
時間が無く、遠くから眺めるのみとなってしまったのはとても残念。
ペルガモン王エウメネス2世がローマ軍に加勢し、シリアとの戦争に勝利した見返りに、ローマ皇帝からこの街の支配を許される。
やがてはローマの直接支配となり温泉保養地として繁栄したが、14世紀の大震災で壊滅的打撃を受けたという。
 

パムッカレから今度はコンヤまでの約410Kmの長旅、コンヤのインジェ・ミナーレ神学校の前で出合ったトルコの少年少女、とにかく明るくて可愛いい。
即席で覚えた”メルハバ(こんにちわ)”を連発する。
トルコ人は親日的というが、どこへ行ってもそんな感じがしてとても嬉しい。
6月2日のブログに載せた”トルコの神秘な踊り”を読むと話がわかると思うが、独特の旋回舞踊で知られるメヴラーナ教団の総本山、メヴラーナ博物館は多くの訪問者で一杯。
 

バスはカッパドキアまでさらに約230Kmの走り、翌朝、カイマクル地下都市を訪れる。
キリスト教徒がアラブ人の圧迫から逃れるために造った地下都市で、多い時は3000の人々が住み、教会はもちろん、台所、食料庫などの部屋、そして通気孔や石の扉も完備されているという徹底振りに驚く。
 

カッパドキアは、アナトリア高原の中央部に広がる大奇岩地帯で、観光スポットでバスから降り、そこで眺めた不思議な景観は何とも印象的。
ニョッキリと突き上げるキノコのような岩のユニークな形には思わず笑いがこぼれてしまう。
とにかく自然の力の大きさには、無条件に脱帽する。
 

ギョレメ野外博物館の入り口には、ロバと少女がいて盛んに写真撮影を誘っている。
この博物館で見ることが出来るギョレメの地には、4世紀頃から多くのキリスト教徒たちが共同生活を営んでいたが、9世紀頃、イスラム教徒の迫害を逃れた信者たちが、この地に洞窟教会や修道院などを造り始め、「カッパドキア様式」といわれる芸術性の高い鮮やかなフレスコ画を残したという。
 

自分の意思でトルコ絨毯の店に行くというよりも、ツアーにつき物の買い物タイムがあって、バスは一路ガイドさんお勧めの店に向かう。
たしかに、店の説明員が進める絨毯は飛び切り素晴らしいものばかりだが、提示値段が折り合わない。
伝統工芸品のキリムが欲しかったのだが、値段が予想以上に折り合わず断念する。
ツアーなどの場合、値段の交渉は提示額の一割から交渉しろとか、いろいろ聞いていたが、客の度胸次第では充分に満足する買い物が可能なのかもしれない。
トルコの首都アンカラへ向かう途中、トゥーズ湖という大きな塩の湖に立ち寄る。
湖のそばまで塩が覆った道を歩いていったが、湖の周りを囲む真っ白な塩の塊がとにかく印象的。
 

アンカラからは、特急寝台列車アンカラ・エキスプレスに乗って、一路イスタンブールへ向かう。
翌日は、3大陸を制したオスマン帝国のスルタンの栄華を今に伝えるトプカプ宮殿を訪れる。
15世紀に、征服王メフメット2世によって建てられたトプカプ宮殿は、歴代スルタンが約370年にわたって居住した場所、ハーレムは見れなかったが強大な権力を物語る財宝の数々は口では表せないほどの見事なもの。
さじ屋が山で見つけたという86カラットのダイヤモンド、役人が私物化して死罪になったという逸話があるが、宝石が好きな人ならその大きさと輝きを見るだけでも特別なものがある。
  

ラマザン月に王が一日の断食を終えた後、夕食をとったところといわれるテラス、そこから眺める金閣湾やその向うに見える新都市の様子は絶景としか言いようが無い。
イスタンブールを代表するオスマン様式の巨大なモスク、正式名はスルタンアフメット・ジャーミィだが、モスク内部を彩る青いイズニック・タイルの美しさから”ブルー・モスク”の名で親しまれている。
 

独特の雰囲気を作り出している高い丸天井、260にも上るステンドグラスに差し込む光、そして青を主体とした2万枚以上のイズニック・タイルの内壁が織り成す美しさは想像を絶するほどのものがある。
敷き詰められた絨毯も見事で、今でも多くの信者が集う神聖な場というのもうなずける。
 

長いバス移動の旅だったが、焦点を絞ってもう一度訪れたい魅力一杯の国。
但し、お腹をこわす確立90%なので要注意。
日本で直接触れる機会がとても少ないイスラムの文化、その一端に少しでも実際に触れられた事、それが今回の旅行の一番大きな収穫であった。
エジプト・トルコの旅、イスラム文化の違いを実感!その1(エジプト編)

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