クラシック 名盤探訪

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能登半島周遊と兼六園、東尋坊、永平寺

2012年05月03日 | 歴史・旅(国内)
コース順路:3月25日~3月27日 コース満足度★★★
<加賀>兼六園 → <能登>巌門 → 輪島朝市 → 白米千枚田 → 禄剛崎灯台 → 見附島 → <越前>東尋坊 → 永平寺
兼六園や永平寺などの史跡を訪ねたいという気持ちが重なり、初めての北陸方面の旅に出かける。
結果的に一番良かったのは、ホテル「のと楽」の行き届いたもてなしと質の良い温泉、そして新鮮な海鮮料理ということで、北陸の魅力は歴史的なものだけではないことを知る。

3月末の兼六園は春を迎える前の端境期ということで、花は遅咲きの梅が咲いていただけだったのが残念。
兼六園は水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の1つに数えられる池泉回遊式庭園の大名庭園で、その立派な造りは確かに素晴らしい。
説明によると、名称は宋代の詩人、李格非の洛陽名園記に記されている「宏大」、「幽邃」、「人力」、「蒼古」、「水泉」、「眺望」、の6つを兼ね備えている名園で、松平定信が名付けたと言われている。
能登半島西海岸は、今日も日本海の荒波が押し寄せているという感じで、穏やかな海の風景にはなかなかお目にかかれない。
 

朝鮮半島の金剛山のように美しいことから名付けられた能登金剛、断崖絶壁の巌門を訪れると、松本清張の歌碑が置かれている。
近くには、推理小説「ゼロの焦点」の舞台となった悲劇のヒロインが最後に身を投じた「ヤセの断崖」がある。
バス内で、1321年瑩山紹瑾禅師によって開創された北陸きっての古刹、大本山總持寺祖院(横浜鶴見の総持寺の前身、明治31年に七堂伽藍の大部分を焼失)の話を聞く。
バスが輪島朝市に到着、一千年以上も前から神社の祭日ごとに物々交換の市が立ったとされ、この古い歴史のなかで朝市には売る者と買う者との心の触れ合いが生まれてきたという。
 

有名な棚田の白米千枚田を見渡すと、小さな田が幾何学模様を描いて海岸まで続いている。
田の枚数は国指定部分で1,004枚もあるとのこと。
禄剛崎灯台の説明文によると、「・・・明治時代にイギリス人設計士により作られた灯台からは海からの日の出、海への日没が見られることで有名、灯台が設置される前は狼煙(のろし)で船舶に合図をしていて、狼煙灯台とも呼ばれています」とある。
見附島は弘法大師が佐渡から能登へと渡る際に、最初に「目についた島」とされ、名前の由来ともなっている。
先端部分が突き出たその姿から軍艦島とも呼ばれており、いずれにしても能登のシンボル的な存在と言える。
  

東尋坊の名前の由来ともなる伝説が面白い、「・・・民に悪の限りをつくした東尋坊という怪力の僧が、在所の美しい姫に心を奪われ、恋敵の真柄覚念という僧と激しくいがみ合いました。ある時、岩場の上で酒宴を催した真柄覚念は、すきを見て東尋坊を断崖絶壁から突き落としました。天候はにわかに崩れ、雷と暴風雨が四十九日続き、命日にあたる四月五日は、東尋坊の怨霊が大波と化し、岩壁を激しく打ち殴り続けたといいます」とある。
常に200余名の修行僧が日夜修行に励んでいるという曹洞宗の大本山・永平寺の入口に立つ。
ここを訪れる人は、周囲の老杉や谷川のせせらぎに禅の奥深さを感じ、おのずと襟を正すという。
大庫院前に掛けられた全長4mほどの大すりこぎは、かつて仏教建築に使われた地突き棒で、「身を削り人のためになるように」との意味合いが込められている。
  

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