クラシック 名盤探訪

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ファッションストリートの街、恵比寿から代官山の古き面影を訪ねる

2012年02月16日 | ウォーキング
コース順路:コース満足度★★
JR恵比寿駅 → 恵比寿神社 → 代官山アドレス → 猿楽古代住居跡 → ヒルサイドテラス → 猿楽塚 → 西郷山公園 → 氷川神社 → 井の頭線駒場東大前駅

最新のファッションストリートと言われる恵比寿から代官山、そんな街にもあるはずの古き面影を訪ねる。
「恵比寿」の地名は、この地に置かれた日本麦酒醸造会社の工場に由来するという。
明治23年(1890)、ラベルにえびす様をあつらった「恵比寿ビール」が発売され、ビール出荷専用の貨物駅として山手線に恵比寿駅が開設されてから、徐々に周辺が「恵比寿」と呼ばれるようになったらしい。
そういうことで、まずは、家内安全・無病息災・五穀豊穣の神々を祀った「恵比寿神社」を訪れる。
元々は「天津神社」という神社で、「大六様」と呼ばれていたところ。
関東大震災後に建設された全36棟の同潤会アパートを取り壊した跡地に建てられた超高層住宅や商業施設、ニューヨーク近代美術館も手がけたR・ザイオン氏デザインによる代官山アドレスに立ち寄る。
猿楽古代住居跡公園は弥生時代後期の古代住居跡で、壺や甕、高坏などの破片が出土したところ。
復元された古代住居が焼失してしまったので、現在はコンクリートで固められた住居跡が保存されている。


昭和44年(1969)から20数年かけて完成されたという、ギャラリー、カフェ、レストラン、オフィスなどが建ち並ぶヒルサイドテラスを訪れる。
低層で周囲の風景を圧迫しない広がりのある建築デザインが特徴なのだという。
すぐ先にある猿楽塚は、六~七世紀の古墳時代末期の円墳で、死者を埋葬した古代の墳墓の一種とされている。
円墳が二基あって、高さ五メートルほどの大型の方を昔から猿楽塚と呼んでいて、この辺の町名(猿楽)の起源となっている。


展望が素晴らしい西郷山公園は、江戸時代には「荒城の月」で知られる豊後の竹田城主・中川候の抱え屋敷だったところ。
明治になって、西郷隆盛の弟・従道が、郷里鹿児島に帰った兄の再起を願い、約6haにおよぶこの地を購入する。
隆盛が西南戦争で敗れ他界した後、従道はここに別宅を構え、木造二階建ての洋館や、書院づくりの和館などを建てる。
池を中心とした回遊式の庭園も設けられ、明治天皇も訪れたほどの東洋一の名園だったという。
残された洋館は昭和38年に愛知県犬山市の「明治村」に移され、その後、国の重要文化財に指定されている。
上目黒の氷川神社は、天正年間(1573~1592)に旧家加藤氏が甲州上野原の産土神をこの地に迎えたのが始まりとされている。
祭神は素戔嗚尊、天照大御神、菅原道真が祀られており、氏子たちは疫病を知らずと言い伝えられて地域の人々の信仰を集めてきたという。
富士講が盛んだった江戸時代には目黒富士が築かれたが、それを示す石祠や碑が境内に移されて残っている。




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