クラシック 名盤探訪

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伊豆の史跡を巡る

2013年01月28日 | 歴史・旅(国内)
コース順路:コース満足度★★★★ 1月6~7日
元箱根石仏群 → 伊豆国分寺跡 → 蛭ヶ小島 → 願成就院 → 史跡韮山反射炉 → 修善寺 → 修善寺郷土資料館 → 城ヶ崎海岸 → 蓮着寺 → 多賀神社 → 来宮神社 → 伊豆山神社

久しぶりに、正月は家族水入らずで過ごそうと、伊豆へ向かう。
雪の精進池から芦之湯へ向かう国道1号沿いには、鎌倉時代に造られた地蔵信仰の名残という石仏群が点在する。
高さ3mの磨崖仏六道地蔵、そして酒天童子退治で有名な源頼光の父という多田満仲の墓(宝篋印塔)が印象深い。
  

巨大な岩に彫られた磨崖仏(二十五菩薩像)や曽我兄弟・虎御前の墓(五輪塔)などもある。
三嶋大社による予定だったが、たくさんの参拝者で駐車場も満杯の状態で、急遽すぐ近くにある現国分寺境内にある伊豆国分寺跡を訪れる。
残念ながら七重塔跡だけで、基壇と8個の礎石が残されているのみという寂しい状態ではあった。
  

頼朝は平治の乱に敗れた源義朝の嫡子として、平清盛に殺されるところだったが、義母の池禅尼のとりなしで伊豆国への配流で済んだ。
頼朝が流された蛭ヶ小島は、海の中の孤島かと思っていたら伊豆の韮山盆地の中で、古くは狩野川の中洲であった事から蛭ヶ島と呼ばれていたという。
北条氏の氏寺、そして時政の墓がある願成就院を訪れる。
北条時政は、三代将軍源実朝を暗殺して平賀朝雅を将軍に据えようと企てたので、嫡子義時や娘の政子によって出家させられ、伊豆国に追放となっている。
史跡韮山反射炉は、幕末期の代官・江川英龍が手がけ、後を継いだその子英敏が完成させている。
反射炉とは金属を溶かし大砲を鋳造する炉のことで、稼働した反射炉が現存するのはここだけだという。
   

修禅寺は「修善寺」という地名のもととなった寺だが、源頼朝の弟範頼と2代将軍源頼家が幽閉され、殺害された寺としても知られている。
頼家の冥福を祈るために、母の北条政子が建てたという指月殿の横に源頼家の墓が置かれている。
城ヶ崎海岸から眺める大島と利島は、大きくて近くに見えてつい行ってみたいという気持ちになる。
きっと、大昔の人はこういうふうに島を見ると、早速舟を仕立てて櫓を漕ぎ出したのではと思う。
  

帰りがけに寄った来宮神社は、大きな国天然記念物の大楠があることで知られている。
確かに大きく、推定樹齢2000年以上、樹高約20m、幹周り約24mで、これを1周すると寿命が1年延びるとか、願い事が叶うなどと信仰されているのが面白い。
縁結びで有名な伊豆山神社を訪れたが、頼朝と政子の出会いについて次のような話がある。
「・・流人だった頼朝は伊豆山権現の住僧覚渕に学び、やがて北条政子と劇的な出会いを果たします。治承2年の夏、北条政子は親の定めた山木兼隆との縁談を嫌い、婚礼の夜、宴席を抜け出し約七里の道のりを超え、かねて想いを寄せていた伊豆山の頼朝の元へと向かいます。頼朝は政子を逢初橋の上で出迎えたと言います・・」。
   

 

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