毎日が観光

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この夏 その一

2010年10月07日 23時09分51秒 | らくがき
 今週は、この夏にぼくが体験したことを書こうと思いました。でも、なかなかうまくいかなくて、おまけに長くなってしまって。
 ぼくは、自分の経験を言葉にすることで全体から何かが失われていくような気がしてしまったのです。でも、それはもしかして、そのこと自体が大切なような気がしてきました。つまり、言葉にすることで失われる、ということ自体が。ですので、今週、あと数日ですが、ここにこの夏の経験を書きます。来週からは、今まで通りのノリでやりますので、小面倒な字面多いブログはイヤだ、とうい方は、どうか来週またいらして下さい。
 ええと、8月の終わり、寝方が悪くて、朝起きたらぼくの両腕は麻痺していました。指をうまく動かすことができない、という細かな麻痺ではなく、腕全体が動かない。特に腕を上げる動作がまるでできなくなりました。あら、こりゃやっちゃったな、と最初は軽く考えていました。
というのも、以前これと同じことをぼくはしでかしていたのです。昔、酔っ払って山手線で寝て、ぐるぐる回った挙句、浜松町だかどっかで目覚めたとき、ぼくの右手は麻痺していました。おまけに財布は取られるわ(現金よりも免許やクレジットカードが面倒くさいんだよ)、さんざんでした。脛骨の関節の幅が平均よりも狭いらしく、首に負担をかけると腕が麻痺してしまうとのことでした。
 弱ったな、と思いつつ、軽く考えていたぼくは夜中「やっちゃいました」などとノンキなことをブログに書きました。10日くらいで治るかな、などと。
実は、そこからかなり苦しみました。暑い夏でした。暑さの中、ああ、帰ってシャワー浴びて、ビール飲んだら気持ちいいだろうな、そんな風に酷暑を耐えた人も多かったのではないかと思います。しかし、その時のぼくは、シャワーを浴びようにも腕が上がらない、ビールを飲もうにも手に力が入らない、なにより一番辛いのは、本来そうした快楽に結びつく行動がことごとくストレスでしかなかったことでした。つまり、どんな行為もすべてストレスなんです。以前の欲望のままにビールを飲もうとして、缶ビールのプルトップを開けようと脂汗流しながら格闘しているうちにどんどん気持ちが追い込まれていき、エアコンの真ん前にいても、とまらぬ汗がどくどく流れていきました。おいしいものを食べたり、暑い夏に冷たいビールを飲んだりすることはストレスの逆の行為のはずなのに、それらがすべて強烈なストレスなんです。汗で前髪が垂れます。それを戻そうとも、手が上がらない。どうにか上げても、すぐに気になってしまう。映画の上映中にトイレを意識的に我慢すると却って行きたくなってしまうように、手が上がらないぼくは、顔の汗や垂れた毛に異常に敏感になってしまいました。その姿は、自分でもいやになるほど醜悪でした。
 8月の終わり、ぼくは、生き続けることがしんどくて、もう、じっとしてられず、狂ったように街を歩き続けました。そのとき、ぼくには欲望がありませんでした。食欲も性欲も。眠くはなかったけれど、今のこの状態を眠っている間だけは忘れることができるなら眠りたいと。そのためにも馬鹿みたいに歩きまわりました。帰って鍵を開けるためにまた汗だくになるであろう自分の姿にもぞっとしていました。そして気づいたのは、欲望がないってことは、生きることそのものを否定しているんだ、ということ。食べることも、飲むことも、プラスの行動ではなく、ただストレスを増すだけの行いだとしたら、それはやりたくないし、やらない方がまだまし。じゃあ、そんな状態の時に何をやりたい? 何もやりたくないんです。欲望が全然ないんです。じゃあ、それは欲望から逃れて幸せか、と言えば、全然幸せなんかじゃなくて、ただ生きていることが辛いだけ。
 そのとき思ったのは、人間は欲望をなくすことが大事なのではなくて、その欲望をどのように抑圧していくか、それが個性であったり、文化であったりするのではないか、と。生きるということを支えているのは欲望なんです。で、その欲望を際限なく出し切ることが人生の幸せかと言えばそうではなくて(多くの場合、あなたの欲望の源は「他人」の欲望であったりするわけだし)、欲望を原動力にしながら、その欲望を抑圧していく過程に意味があるんじゃないか、と。
 欲望を持つことができず、七転八倒しながら、それでも、周囲のぼくを気遣ってくれる人たちに申し訳ないし、痛いのヤだし、死ぬことを選ばなかったぼくは身体の持つ大きな意味を悟りつつ、身体からいろんなことを教わりました。
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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お疲れ様です (Honey)
2010-10-08 19:17:05
なんというか…
すみません、すごく大変そうなお話なのに、
「やはり、お若くてエネルギーに満ち溢れていらっしゃるな~」と、
ついつい羨ましい気になるHoneyなのでした。

いや、お互いこれからです!!!
より面白くなってくるのは。(^.^)v
 ア、また! 一緒にしちゃいけませんでしたネ。m(__)m
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生きてる意味はきっとある。 (Nancy)
2010-10-09 12:14:20
一字一句ちゃんと読みました。
“歩き回って眠る”という選択ができたのは最良の判断だったかもしれません。
かの養老先生もおっしゃっています「人間は頭で考えるからオカシクなる。まず体、体を一番に動かしなさい。体は広い意味でいうと自然そのものなのです」と。
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どんまいどんまい☆ (Rancho)
2010-10-09 12:56:44
 先日から心に刻みながら、何度も読ませていただきました。
 うまく言葉にあらわせない自分にもどかしさを感じながら、書いています。
 aquiraさん、
 水の流れは時々混乱を招きますが、流れはやがていつか変わりますよ。
 
 みなさんのように良い言葉が見つからなくって、ごめんなさい。
 これだけはわかって欲しい。このブログを通じて aquiraさんという人を好きな人はいっぱいいらっしゃいますよ。

 今は考え込まず、ゆっくりなさって下さいね^^
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Honeyさん (aquira)
2010-10-09 22:40:37
 何をやっても出口がない状況に追い込まれた気がして、死ぬことを意識しました。怖かったのは、いたたまれなくなって突発的に何かしでかしてしまうこと。
 乗り越えつつある今、これはすごく貴重で、内省的で、そして人を強く左右する身体の力。
 そうです、もっともっとこれから、面白くなってくるんじゃないかと思いますよ。
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Nancyさん (aquira)
2010-10-09 22:44:02
 ぼくは身体をずっと軽視して生きてきたように思います。大切なのは、精神であって、偶然や欲望に左右される身体ではない、と。
 自転車に乗るようになって、だんだん身体を意識し始めて、そして今回わかったのは、身体がいわゆる「人間の条件」なんだ、ということ。身体の欠損、死、時間や空間に縛り付けられる存在、こうしたものがもたらす悲喜劇はすべて身体から生まれてくるのだ、と。
 今回、だから、身体に思い知らされたのかもしれません。
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Ranchoさん (aquira)
2010-10-09 22:51:42
 ほんとご心配おかけしてごめんなさい。コメント拝見して、自分が幸せものだと、いろんな人に支えられているんだ、と実感しました。
 少しよくなったとき福島に行って、喜多方名物のラーメン屋さんで、フォークを借りて左手ですすったこととか、自分のことなのに、なんだか愛しい思い出になりつつあります。
 このコメント欄を見ていて、繰り返しになっちゃうけど、ほんと、ぼくは幸せだと。
 プライヴェートでいろいろあった挙句の病気だったので、どうにも出口が見つからなかったんだけれど、その言葉に励まされました。ありがとう。
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