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先週聴いたCD

2008年12月22日 11時58分57秒 | 音楽

ピエール・バルー
「ピエール・バルー ライヴ・アット・カルダン劇場’83 スターリング清水靖晃&ムーンライダース」
 「男と女」の死んだ夫役、あるいはサンバが大好きで歌ってばかりいたスタントマンと言った方が、サラヴァのピエール・バルーと言うより一般的には通りがいいのかな。とにかく、ピエール・バルーが日本のミュージシャンと組んで作品を作っていた時期があった。高橋幸宏、坂本龍一、清水靖晃、鈴木慶一、今でも輝いている面々と作ったアルバムが「花粉Le pollen」だった。ぼくは高校生で、そしてCDなんてものはまだ発明されていなかったからレコードを買って何度も聴いた覚えがある。その後、ミカドとかクレモンティーヌとかさまざまなフランスと日本のコラボが誕生したけれど、先鞭を付けたのがこのアルバムだったような気がする。
 カルダン劇場に清水靖晃、ムーンライダーズを招いて行われたバルー一夜限りのライブが録音されていて20年以上たってCD化されたのがこれ。最近になって知って入手したのだけれど、単なる懐かしさとは別の音楽的喜びをいっぱい感じることができた。「括弧」のサックスソロはスタジオ録音の「花粉」でもよかったが、このライブの荒削り感がなんともいい。
こちらで視聴できます。ぜひどうぞ。



菊地成孔
「The revolution will not be computerized」
 ジャズは今でも有効な音楽なんだろうか、と思うときがある。日本のプロデューサーがアメリカのジャズマンと組んで発表する多くのCDを聴いて、その「おしゃれ」な音そのものに、ジャズの死臭を感じてしまうのだ。旧譜の再発売は確かに面白いものがあるけれど、この先はどうなるんだろうか。
 そんな状況の中、菊地成孔の活動は興味深い。東大教養学で行われた講義「東京大学のアルバート・アイラー」をはじめ多くの著作を手がけ、UAと格好いいコラボレーションアルバムを作ったりしながら、「野生の思考」では、そのバックにアルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲をにおわせたり、自らもさまざまな触手を広げて音楽をものしていく。
 ダブ・セクステット名義のこのCD、ダブ処理はそれほど目立つことなく、音楽は緊張感をはらみながら進んでいく。格好いいじゃありませんか! 途中、ドラムで遊ぶところもあって、あれはあれで次の展開がわからずドキドキしていい。類家心平のトランペットが光ってる。



ヒルヤード・アンサンブル
「イギリスルネサンスの音楽」
 正確に数えたわけじゃないけれど、どう少なく見積もってもうちにはCDが1000枚以上ある。そのうちの約10%が人によってはマイナーだと思われるかもしれない音楽史と呼ばれる分野の音楽。音楽史と言っても時代的にはかなり広いと思う。8~9世紀のグレゴリオ聖歌の時代と17世紀のヴィクトリア(彼は17世紀まで生きた。ヴィクトリアの死後70年ちょいで偉大なJ.S.バッハが生まれている)とでは800年以上の開きがある。これを一つのジャンルにするのもどうかと思うが、まあ、昔から好んで聴いていた。友人がマーラーを買うとき、ぼくはデュファイの世俗歌曲集を買っていた(なんでそんなもの買うんだ? と驚愕されたけれど、その頃のぼくにとってマーラーのレコードを買う方が驚きだった)。ブルックナーよりもジル・バンショワの方に親近感を抱いていたあの頃。
 そんなわけで久しぶりに聴いたヒリヤード・アンサンブル。90年代はアルヴォ・ペルトが流行ってペルトの音楽にぴったりのアンサンブルを聴かせていたが、ここでは普通にタリスやタイ。知名度の高さではタリスの方が上だけど、このCDの聴きどころはタイ。タイのグローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイをモテトゥスの間に配置することによって、これを聴くものはあたかもミサにあずかっているかのような気になれる。ソールズベリー典礼はキリエをポリフォニーにしないため、キリエはなし。この時代のイングランドの作曲家はずいぶん苦労したに違いないとしみじみ思いながらミサ曲を聴く。
 現代と違う時間の流れ方に身も心もどっぷり浸かる。奇をてらわない、清澄で安定した彼らの響きがどこまでも心地よくてうっとりとしてしまう。こういう時間が貴重なんだな。
コメント
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