毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

荒川左岸葛西 または自転車という快楽装置

2007年06月03日 22時41分14秒 | らくがき
 なんでこんなことやってるんだろう?
 今日は思いっきり南風。北上すればらくちんだけれど、帰りが地獄。南風に向かって荒川を葛西に向かって走る。脚が続かない。ケイデンス(ペダルを漕ぐ回数)を一定に保つため、ギアを一つずつ落として、ついにはフロントをインナーに入れる。スピードは25km/hがせいぜい。
 辛い。
 ペダルを漕いでも苦しいだけで何も楽しくなんかない。
 別に誰かと約束があるわけじゃない。レースに出ているわけじゃない。自分自身意地になってるわけでもないんだ。絶対ゴールしてやるなんて気張ってることもない。
 でも、なぜかぼくはペダルを漕ぎ続ける。自転車はペダルを漕ぐことによって目的地に向かって進む軽車両だけれど、ぼくにとって、それはあまり意味がないことかもしれない。手段の目的化。
 荒川にも多いランナーと同じ気持ちかもしれない。たぶん、彼らは荒川流域のどこかに行くために走っているわけじゃないと思う。ぼくも別に葛西に行きたいわけでも、行かなくてはならないわけでもない。
 ただペダルを漕ぐ。
 ウォークマンから流れるエリック・ドルフィーのアドリブに、そこが葛西の手前6キロ地点であることを忘れ、豊かな物語を含んだ猥雑さに満ちた白黒の新宿のような気がしてきた。トップスで芝居を見るときにダグで待ち合わせをしたのは誰だったっけ? コマ劇場の前の池がなくなったのは、何年生のときだったっけ? あの池にはまってコンタクトを落としたのは誰だったっけ?
 普段考えもしないことがペダルを漕いでいると浮かんでは消えてゆく。

 河川敷のどん詰まりまできた。
 ここに用事があるわけじゃない。呼吸がらくになったら、今度は風とともに走ろう。
 音楽がケイト・ブッシュに変わった。
 ペダルを漕ぐと、いや漕いでいるつもりがあまりないのに35km/hぐらいラクラク出る。風は坂と似ている。向かい風は上り坂、追い風は下り坂。延々30km近く向かい風という上り坂を走ってきたのだ、帰りはワザリン、ワザリン、ワザリンなどとケイト・ブッシュとともに口ずさみつつ、風を楽しみたい。
 追い風の楽しみはスピード以外にもう一つある。ウォークマンを外さなければならないのだけれど、追い風と同じスピードに達すると無音を味わえることだ。聞こえるのは自転車のコーっというロードノイズ、ディレイラーの音。この乗り物との恍惚感伴う一体感に身を震わせる瞬間だ。
 行きに苦労した上り下りも追い風は気分一新。
 Running Up That Hill.
 自転車は麻薬だ。
コメント
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