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寒いところでごちそうお鍋

2016年12月12日 12時55分16秒 | 食べ物
 12月ももう2週目。冬が深まって参りました。冬といえばお鍋の季節。仲間や家族、あるいは一人でも熱々のお鍋がおいしい季節です。
 でも、なぜ冬に鍋なんだろう。たぶん、外の寒さに対比して鍋のあったかさがよりおいしさを加えてくれるからかもしれません。であるならば、寒ければ寒いほど鍋はおいしいのではないか。
 そんな素朴で小さな疑問からこの旅は始まったのでありました。そう、「寒いところで鍋を食べたらおいしいんじゃないか」という仮説を実証するための大人の社会実験。雪の中で鍋を食べに行こう。
 早起きして、上野東京ラインで高崎に向かいます。快晴の高崎、雪一つありません。もしかしたらこの実験は失敗なのではないか、多少の危惧を胸に水上行きの上越線に乗り換えます。しばらく走っても雪はありません。後閑を過ぎたあたりから景色は一変、一面の雪景色が広がっています。よしよし、こうこなくちゃ。水上で長岡行きの電車に乗り換えて土合に向かいます。

 土合駅の下り線ホーム。486段の階段を上り、地上に出るまで10分くらいかかるといわれる通称「日本一のモグラ駅」。登山は駅から始まっていると言っても過言ではありません。



 確かに多少の雪は期待していたものの、明らかにオーバーワーク。行くも地獄、引くも地獄の鍋行脚が続きます。「これがホントの氷結」、ただこれをやりたいがために三脚に缶チューハイを持参したものの、思ったほど面白くなくてがっかり。それにしても状況的には鍋をやりに行くというより遭難していると言った方が的確もしれない、外は吹雪。気温は零下。しんしんと降り積もる雪が足あとを消していきます。行方不明なんて言葉も浮かびます。今1番近い状況は映画「八甲田山死の彷徨」で高倉健ではなく北大路欣也の方が率いる部隊、あれに近いかもしれません。雪が吹き込んでくるので目をあけているのも辛い…… 鍋担いで、おれ、なにやってんだろう。人生の根本的な疑問すら浮かんできました。思えば小学校5年をピークにおれの人生は負け続けだったかもしれない。かつて切った没落の約束手形の回収に残りの人生すべてを費やしているんじゃないか、降り積もる雪の中で静かに絶望が心を染めていきます。



 それでも鍋をやるんだよ。鍋をやるためにここに来たんだ。あたりを踏み固め、整地します。リュックから鍋やバーナーを取り出そうとする気持ちと、決してこの手袋を脱ぐものか、脱いだら凍えてしまうという切実な現実が火花を散らします。泣く思いで手袋をはずし、かじかみ震える手で用具を取り出します。冷たくて触るのもためらわれるほど凍てついた鍋が容赦なく手のひらから人間の暖かみを奪い去っていきます。ようやくすべての用具や鍋の具材を取り出したところでぼくの気力は底を尽きます。「天はわれを見放した……」心が振り絞る静かな慟哭の声を聞きながら撤収を決意します。



 駅へ向かう後ろ姿もどこか悲しげです。



 土合から水上へ、そして水上から朝と逆に上り電車で高崎方面へ向かいます。敗北感と挫折感がやすりがけした心はざらつき、悲しみが群馬全体を覆い尽くすようでした。そんな時、闇を払う光の一閃が脳内を貫きます。そうだ、新前橋なら利根川に近いから利根川の河原で鍋をやればいいんじゃないか。雪こそ降ってはいませんが、そこは前橋、寒さは東京の比ではありません。寒い中鶏鍋を作ります。上州名物からっ風が北から吹きすさぶ中、はふはふ言いながら熱いお鍋を食べます。鶏肉が、鶏団子が泣きたくなるくらいおいしい。寒い中で食べるお鍋、おいしいと同時に、生命をつなぐ糧という感じ。


 今回の教訓は、何事もやり過ぎはよくない、中庸こそが人生を楽しむのに一番の近道だということで、凍えたり、泣きそうになったりした割には、得たものが案外普通のことで、まあでも、そういう普通のことこそがかけがえのないものなんだよ、と薄っぺらな曲の歌詞みたいな着地点に行き着いてしまって、まだまだ修行が足りないな、と自分への反省ひとしきりの週末でありました。
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