毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

古川日出男「サマーヴァケーションEP」

2010年08月01日 20時19分20秒 | 読書
 春休みよりも冬休みよりも、身体性は夏休みと仲がいいと思います。身体性と夏休みが仲良く肩を組んで赤羽で飲み歩いている姿をよく見かけたりもんです。この間九十九里に行ったときは、ビキニを着た若い女の子の肉体に圧倒されました。なんというか、むき出しの身体性。思わず、西東三鬼の「恐るべき君等の乳房夏来る」の句が浮かびます。その身体性は圧倒的だったのだけれど、不思議にエロティックじゃなかった、おじさんは、君たちの若さはすでに異物としてしか感じられないんだよ、そう思うと少し哀しくもなりましたが、よろしく哀愁。
 また、夏の持つ身体性は露出度の高さだけじゃありません。
 夏は身体を用いたアクティヴィティと仲がいいんです。冬や春よりも、実際に身体を使って何かをやろうと(本当はやらないにしても、だ)思わせる、そんな季節です。
 そしてこの高い気温は人の体臭を誘います。

「いまは夏です。とても暑い、夏です。けれども僕にはぴったりです。暑いと、人の匂いがわかるからです。体臭は一人ひとりちがいます。だから僕は、そういう匂いで、助けられます。夏に助けられます。
夏が僕を助けるんです。匂いをいっぱいにして」

 主人公は生まれつき人の顔を認識することができません。概念として口が一つ、鼻が一つ、目が二つなどはわかるけれど、そうした数の概念では個体を識別することはできない。だって、パーツの数で言えばぼくは麻生久美子と一緒なわけで、それは顔としての情報としては失格なわけです。
 主人公はその日初めて「ホーム」から自由行動を許されます。彼にとって初めての自由行動は冒険です。つまり、夏のある日、彼は冒険に出かけるわけです。
そこで訪れた井の頭公園。主人公はその池が神田川を経由して、隅田川となり海につながっていることを知ります。
 たまたま知り合った永遠の夏休みに憧れるウナさん、自殺したカネコさん、弁天池でボートに乗ったので呪いがかかってしまった、なんでボートになんか乗ったんだよと騒ぐイギリス人とそんなの知らなかったんだもんと応じないへそ出しルックの日本人女性のカップル、彼らと冒険を共有しに、井の頭公園から海まで歩こうと。そんなふうに、夏の旅が始まります。
 変な話でしょ。でも、ぼくはわかる。川があって、それが海に続いていたら、海に行きたくなるでしょ? ならない? なるって。だって、川だよ。で、それが海につながってるんだよ。ほら、行きたくなったでしょ? 歩いてでも自転車でもいいけれど、自分の脚で行きたくなるでしょ。で、そんな風に海に行きたくなる季節を人びとは夏と名づけたんです。一年の内で一番暑い季節を夏と呼ぶんじゃないんです。本末転倒なんです。自分の脚で旅に出たくなる季節、それが夏なんです。たまたまそれが暑かっただけなんです。言ってることのほぼすべてがむちゃくちゃであることを自覚しつつ、話を進めます。
 あ、あと経験則で言うと、井の頭公園の池でボートを漕ぐと別れるという伝説は本当です。というか、ぼくの経験では、ボートを漕がなくてもいずれ別れるという、諸行無常の響きが結構なビートで刻まれています。そのへんの諸事情は私生活暴露ブログではないので、この辺で。
 さて、ここからはこの旅の醍醐味、川と電車と地形とが出現してきます。


「かわりに、川が沈んだわけだ」とウナさんは言います。
「そうか」とカネコさんが答えます。「そうとも言えるね。レールが地面とおんなじ高さになって、神田川のほうは、こんなふうに何メートルも、あたしたちのいる地面より、下、流れるようになって」
「うん、下な」とウナさんが応じます。「沈んでね。もう、どんどん地形が変わる。地形、だよね?」


 GAKKENから出版された「JR東日本全線鉄道地図帳」というDVD付きMOOKがあるんですけれど、川と鉄道と地形の高低差ってものすごく面白いんです。とりあえず、ぼくの持っているのは第1巻の「東京編」なんですが、線路って川と一緒なんだな、と実感します。ジブリ映画「千と千尋の神隠し」では川は龍(=翁=童子)として表されていました。巣鴨の江戸橋から下を走る電車を見ていると、まさに鉄道は川であり、そこをうねりながら猛スピードで走ってくる電車は現代の龍のように見えます。そんな実感はこの本にもあって、


「―――線路は電車の川だなあって思います。僕たち、いろんな線路を見てきたんです、ここまで。いろんな電車が通過するのも。だから、これも神田川に交差したり並行したりする、いろんな川の一つだって僕は感じるんです」


 途中、さまざまな出会いと別れを経て、主人公とウナさん、カネコさんは進んでいきます。そして夏の一瞬が永遠と化すんです。


「時間が氾濫しているのがわかります。
時間があふれて、永遠なのがわかります。
それが僕たちの夏休みなのがわかります」


 時間は永遠ではありません。そんなことは誰もが知っています。だけれど、永遠に残る時間というものは確かにあります。そしてそういう時間を持っている人を幸せな人と呼ぶんです。お金じゃありません、地位でもありません。もちろん、お金があっても、地位が高くても構いません。問題はそういうことではなくて、永遠の時間と呼べるものをあなたは経験したことがあるか、ということです。主人公たちの旅は小さな旅です。東京から一歩も外に出ていません。だけれど、その旅で彼らは永遠の時間を一つ手に入れました。
 そんな素敵なサマーヴァケーション。2010年夏、ぼくのサマーブックです。

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4 コメント

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幸せ者のひとりです (aquilegia)
2010-08-03 00:24:56
永遠の夏休み(もう四半世紀も前の旅ですが)は永遠に私の宝物です。

最近web文芸誌マトグロッソで古川日出男さんのインタヴュー記事を読んで、面白い人だなーと思っていました。いつか何か読んでみたいと思います。

そういえば去年の夏、友人につられて森見登美彦さんの「きつねのはなし」というのを読んだのですが、ああいうお話はある意味夏向きかもしれません。
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ありがとう! (aquira)
2010-08-03 03:05:01
 「みなさんのサマーブックもお知らせください」と書きながらも、影響力のないブログですから、お勧め本が来るなんてこと、なかば諦めていました。
 「きつねのはなし」をはじめ、森見登美彦本はぼくの知っている人全員が勧めてくれるんですが、なぜか今まで縁がなくて。今年の夏、ようやく森見登美彦体験をします。
 どうもありがとう!
 そして、永遠の夏を持っていることに乾杯です。
 あと、古川日出男を最初に読むのなら「ベルカ、吠えないのか」が面白いかもしれません。言ってみたら、犬の「百年の孤独」。
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この本 (takashinshin)
2010-08-03 12:03:32
良いですね~
是非とも読みたくなってきました
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おお、ぜひ! (aquira)
2010-08-03 17:40:05
 ぜひぜひ。
 嬉しいなあ。勧める文章書いた人間からすると、冥利につきる感じです。
 素敵な夏読書になることを祈ってます。
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