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だから清の墓は小日向の養源寺にある

2009年02月18日 09時11分44秒 | 観光
 夏目漱石「坊ちゃん」のラストシーン。

 「死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めてください。お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと言った。だから清の墓は小日向の養源寺にある」


 そんなわけで養源寺。小日向というよりは本駒込。
 この「だから清の墓は~」の「だから」を井上ひさしは日本語で一番美しい「だから」の用例だと言っている。余情を含んで簡潔で美しいとぼくも思う。


 中の墓地にはこんな案内が。
 おや? だって、「坊ちゃん」はフィクションで、清はその登場人物じゃないですか。なぜリアル墓が?
あれですか、寺山修司が力石徹のリアル葬儀委員長やっちゃったみたいなことですか?
 清萌えの人たちが墓まで建ててしまったとか?

 と自分で疑問を呈しながらこれから答えを書くあたりの小芝居がくさいね、我ながら。

 1888年、漱石と正岡子規はともに一高に入学、建築を専攻しようと思っていた漱石だが、同級の米山保三郎に文学を志すよう言われて翻意した。言ってしまえば簡単かもしれないが、それほど米山の存在は漱石にとって大きかったのだ。同じように、正岡子規も哲学を学んでいる米山の姿を見て、彼にはかなわないと哲学科から国文科へ転科した。
 そう考えると、米山保三郎は、日本を代表する二人の文学者の育ての親と言ってもいいかもしれない。
 漱石の小説「我が輩は猫である」にも登場し(天然居士は米山の号)、また「こころ」のモデルになったとも言われている。
 

 「坊っちゃん」が書かれたのは、正岡子規も米山も亡くなってずいぶん経ってからだ。だがそれでも、米山への敬愛のサインとして漱石は「坊っちゃん」に米山の祖母清を登場させた。清と坊っちゃんとの間の情愛は、漱石と米山との間の情愛と相似だろう。
 米山家の墓は養源寺にあった。
 だから清の墓は小日向の養源寺にある。
コメント (14)
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