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大正13(1924)年に皇太子殿下(後の昭和天皇)の御成婚記念事業として立案され、奈良女子高等師範学校(奈良女子大学の前身)の同窓会(佐保会)により建てられた同窓会館(昭和3年築・1928)。 建物の設計は奈良県下市町出身の岩平太郎(1893~1984)によるもので工事費は26、683円(当時)、同窓生や教職員からなる建設係が組織されてその責務を担ったそうです。 奈良県奈良市北魚屋西町(奈良女子大学内) 13年02月中旬
※参考『近代奈良の建築家 岩平太郎の仕事 武田五一・亀岡末吉とともに』 2011
『近代和風建築 伝統を超えた世界 上/下巻』 1998
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正門から入って北西方面、グラウンド脇に姿を見せる。
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同じ古都でも京都とは異なり、奈良の近代建築は伝統に対する意識の高まりにより和風意匠を外観に用いたものが多くなっています。
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1階には洋風の応接室などもありますが床の間のある和室などが中心になっているそう。
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2階は洋風の大ホールと控室があるそうです。
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設計者の岩平太郎は大正7(1918)年に京都に建築事務所を開設、しかしこれは師匠の武田五一が設計を依頼された建物の実地設計及び現場管理を行う為の組織でした。 プロフェッサーアーキテクトとして忙しく飛び回る師匠を下支えし、その繋がりによって設計活動を行っていましたが大正10(1921)年の暮れに郷里の吉野に戻り、そこで地縁を得て奈良ではこの佐保会館や公共建築などを依頼される自立した建築家に育っていたようです。
G・Wで10連休になったのを良い事に遊び回っていたら、
連休明けから残業や急な出張に追い回されてヘロヘロになっていました。
そんな訳でせっかく頂いたコメントを長期間放置してしまい、本当に申し訳ありませんでした(汗)。
この佐保会館、奈良女子大学の記念館や正門(共にM42)が完全に洋風なのとは非常に対照的ですね。
奈良公園に旧帝国博物館本館(М28)が建った時には景観論争もあったと聞きますし、
時代が下るにつれての奈良の西洋文化の享受に対する温度の変化を如実に物語っている作品だと思います。
同じ「古の都」である奈良と京都の似て非なる部分は関東在住の私には感じ取りにくい部分でもあります。