レンガの塀に囲われて交差点脇に建つ土蔵造りの建物(大正3年築 1914)。 『日本列島 西洋館の旅』に写真が掲載されていたので訪問してみましたが、ご覧のように正面玄関や軒下、窓の部分などは無粋な建材で塞がれてしまっています。 明治から大正にかけて活躍した銀行らしいのですが、その面影は非常に微かなものでした。 新潟県五泉市本町 07年06月中旬
※追記 吉田銀行は明治35(1902)年に吉田合資会社として設立され、大正12(1923)年に新潟銀行に併合されたようです。
※おまけ 吉田銀行から次の建物に向かっている時に見つけた「すがや商店」。 現在は個人邸のようですが元は何を売るお店だったのでしょう。 詳細は不明です。
建物が風雨等からこれ以上痛まないように建材で塞いでいるのだと思いますが、という事はこの建物を残したいと考えているのでしょう。
現在の所有者が誰か分かりませんが、個人の力では限界があるでしょうから、行政その他でバックアップ出来ればいいんですけどね。
最終的には金銭的な問題が大きいんでしょうけど・・・
近代建築を調べていたらここにたどり着きました。
この建物ですが、祖父の家がこの辺なので昔から見てました。
ちょっと名前までは覚えていないのですが、この建物周辺の地主の方のお屋敷だったと思います。
建物自体が倉なので、中にあるモノが痛まないように配慮したのだと思います。
3回ほど泥棒に入られているのですが、倉庫の中に何があるかわからずに何を盗られたのかもわからない、という話を聞いたことがあります。
現在は倉として活用(?)されているんですね。
地主さんだったら色々と持ち物も多いでしょうから、
ある意味現状では妥当な使用方法なのかも知れませんね。
でも3回も泥棒に入られて盗られた物が分からないというのは、
大らかというか、盗られてもいいようなガラクタしか置いてないんですね。
たしか、このお宅は坂口安吾の母が出た家と聞いていますが…すごいですね。
今週末にでも見学(外から)してきたいと思います。
何とこちらのお宅は坂口安吾の母方の御実家でしたか。
早速検索してみたら、安吾の母・アサは五泉の大地主・吉田久平の二女と情報が出てきました。
新潟市内にある旧市長公舎が「坂口安吾・風の館」となって活用が始まり私も見学したのですが、
この吉田銀行が安吾のゆかりの場所だとは全く知りませんでした。
この記事にはまだ反映させておりませんが去年ここも再訪し、状況が大きく変わっていない事を確認しています。
塀伝いに写真の右奥の方に進めば門の奥に住居なども見る事が出来ると思いますよ。
とにかく立派なお屋敷なので圧倒される事間違いなしです。
貴重な情報を有難うございました!
因みに見学はGWになってしまいました(>_<)
私の住んでいる地方が雪になってしまいましたので(笑)
更新これからも楽しみにしてます♪
天気に恵まれると良いですね。