明治40(1907)年に実業家・武藤山治(1867~1934)の邸宅として建設。 当初は洋館の西側に和館が並立して建っていましたが、平成7(1995)年に明石海峡大橋建設に伴う国道2号の拡幅工事により洋館のみ保存され垂水区狩口台7丁目へと移築されました。 平成19(2007)年に当時の所有者であったカネボウより兵庫県に寄贈され、当初建っていた場所に近い現在地に再移築、同22(2010)年より一般に公開されています。 兵庫県垂水区東舞子町 12年10月上旬
※参考『神戸市内の近代洋風建築』 1984
『神戸の近代洋風建築』 1990 ほか
左に見切れている建物は管理棟。 当初洋館に附属していた撞球室を参考にして今回新たに建設したもの。
屋根勾配は結構きつめ。
風雨の強い海岸べりにあって建物の痛みが激しかった事、そして2度の移築により構造材や外装材の多くは新しい物に変わっています。
正面に回ります。
こちらからは入れません。 建物入口は管理棟からになります。
円形の大きなバルコニーが特徴的ですが、これは昭和57(1982)年頃(?)に撤去されていたものを最初の移築時に復元したようです。
ベランダは立ち入り禁止。
天井の中心に飾りがありました。
2階の隅にはちっちゃなベランダ。
管理棟から一気に中に入ります。
入って直ぐ左は洗面所とトイレ。
右の部屋は食堂です。
暖炉も昔のまま。
食堂から玄関ホールを見ています。
食堂の隣りは広間。
家具なども当時のものがほとんど残っているそう。
天井隅の装飾。
窓の外に見えているのは明石海峡大橋です。
広間の北隣りの部屋は応接室。
応接室から見たホールはこんな感じ。
ここが玄関の内側になります。 靴を脱ぐ場所が無いので土足で出入りしていたのでしょうか。
すりガラスと面格子の調和が美しい。
植物模様。
外から見て気になっていたステンドグラスはここ。
アールヌーヴォー風のデザインです。
…メフィラス星人?
2階にやってきました。 壁にかかる絵画なども昔からのもののよう。
食堂の上の部屋は貴賓室。
ひとりぼっち用。 もとい、2人ぐらいならいけるか。
照明吊りの中心飾りも各部屋違っていて見所のひとつ。
隣りの部屋へ移動しています。
この部屋からは円形のバルコニーへと出られますが、現在は出入り禁止です。
肖像画の一枚は建て主の武藤山治でした。 彼は三井銀行を経て鐘紡紡績に入社、鐘紡株買い占め事件により一時的に退社するも直ぐに復帰し、後に社長に就任するなど優れた経営手腕によって鐘紡における中興の祖であるといわれます。
応接室の上は書斎。 この部屋も立入り禁止になっています。
山治の読書のスピードは人一倍早く、書棚には和洋合わせて1750冊もの本が並んでいたという。
この絨毯は古そうです。
全ての部屋を見終わったので下へ戻ります。
管理棟へと通ずる扉。 当初は和館と繋がっていたのでしょうか。
こんな所にも。
見学料100円は良心的。 また見に行きたくなります。
手前には孫文記念館(移情閣)。 奥に今回の主役が建っています。
旧武藤邸と孫文記念館は今回初めて内部まで見学したのですが、どちらもヨカ建物でしたよ。
舞子はかつて有栖川宮の別荘が建てられた皇室にとっても所縁の地、
海に開けた高台からは淡路島まで望める景勝地で冬でも温暖というちょっと羨ましい土地でした。
明石海峡大橋が着工したのは昭和63年の5月、今からもう四半世紀近くも前の出来事なんですね。
私もいくつまで生きながらえるのか皆目見当が付きませんが、100歳くらいまで元気でいられたら良いなと思っています。
iPS細胞の分野で研究が進んだら人類の寿命はどこまで伸ばせるのか興味がありますね。
最後の写真は明石海峡大橋の展望ラウンジ(遊歩道)から撮りました。
ここには海上47メートルの丸木橋なるものがあって高所恐怖症の私にはこういうものを平気で渡れる人達が信じられません。
ブリッジワールドというツアーに参加すればエレベーターで海上300mの塔頂に登れるようですが、
そこから建物の写真を撮りたいなどという思いは微塵も湧いてきませんね(笑)。
いつもトンチンカンな連想というか下手な喩えが多くて混乱させてしまい申し訳ありません。
ここのステンドグラスは淡い色使いながら結構エグいデザインでインパクトありますね。
地球外生命体がいたら恐らくこんな感じだろう…という発想から抜け出せなくなってしまいました。。