旧大阪砲兵工廠化学分析場

2008-01-11 00:00:00 |  大阪府





 大正8(1919)年築。 大阪城周辺、及び現在の大阪ビジネスパークの辺りには、かつて陸軍最大の軍需工場であった大阪砲兵工廠(こうしょう)があり、終戦前日(8月14日)の大空襲により徹底的な爆撃にあいました。 それでも本館や診療所は破壊を免れ80年代初め頃までは現存していたようですが、それも今はなく、主要な建物ではこの科学分析場が砲兵工廠の存在を後世に伝える現存唯一のものです。
 
 置塩章(おしお・あきら)設計の建物はレンガ造2階建、地下1階。 左右対称でネオ・ルネサンス風と呼ぶものだそうです。 ここでは兵器の開発・研究、化学実験が行われ、戦後、昭和39(1964)年から平成10(1998)年までは自衛隊の大阪地方連絡部が使用していました。 その後は空き家となり、現在はベニヤで窓が塞がれた格好で放置されています。  大阪府大阪市中央区大阪城3-30  08年01月上旬


 ※おまけ 科学分析場のすぐ近くに残るレンガの小さな建物。 実は明治初期のものだそうです。