筑波山気象観測所

2010-03-30 07:03:02 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)







 明治35(1902)年の1月1日から始められた我が国初の山岳観測所。 現在の建物は大正14(1925)年頃に建てられたもので、ケーブルカーを降りた後、15分位の登山でようやく辿り着く筑波山西側・男体山の山頂近く(海抜870mくらい)に位置しています。 気象庁の観測所としては平成13(2001)年に廃止されましたが、現在は筑波大学が施設を引き継いで観測を行っているようです。 筑波山は日本百名山に挙げられるなど観光登山でも人気があり、本格装備の登山者から街歩きそのままのカップルまで色んな様相をした人達が楽しそうに登っていました。  茨城県つくば市  10年03月中旬

桐生市水道山記念館

2010-03-10 07:16:44 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)







 通称・水道山と呼ばれる山腹に建つ旧配水事務所(昭和7年築 1932)。 建物を描くラインは直線基調、スクラッチタイルや縦長の窓などがライト風といわれる所以です。 門などの一部に使われているブルーグレーのタイルが渋くてかっこいい。  群馬県桐生市堤町1-5-7  07年04月上旬他


 高区量水室。 記念館へ向かう坂の下に建っています。


 こちらは低区量水室。 さらに下側の坂の途中にあります。

H邸

2010-02-14 20:09:58 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)


 明治~大正時代に活躍した、とある政治家(1861~1930)の旧宅(昭和3年築 1928)。 敷地は高い塀に囲われていて内部の様子は良く分からないのですが、塀越しにこの洋館や何棟かの木造家屋を確認する事が出来ます。 かなり長い間放置されているのか木造建築の殆どは崩落が始まっており、RC造の洋館にもその魔手が忍び寄ってきています。  茨城県古河市  10年02月中旬



 異様に高い煙突。 最初にこの煙突が目に入りました。


 家主は自由民権運動家で衆議院にも当選。 アーチ窓がモダンです。 


 写真は全て建物の裏側だと思います。 ファサード(正面)を見てみたい・・・。


 敷地にはレンガ倉庫も。 後ろの建物のように木造家屋はどれもかなり荒れた状態。


 近代化遺産総合調査報告書によれば屋上にプールがあったという話もあるようです。 本当だったら色んな意味で大変そう?

二水会館

2010-02-10 07:03:42 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)





 大正2(1913)年完成の旧水海道町役場。 窓を上下二段にして平屋の建物を二階建ての建物に見せています。 屋根は日本瓦で葺かれていますが正面の破風の屋根だけは金属製でしょうか? 色が少し違っています。  茨城県常総市水海道天満町1606  09年01月中旬

土浦第一高等学校旧本館

2009-12-17 07:06:16 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)













 旧土浦中学校本館(明治37年築 1904)。 青年建築家・駒杵勤治の現存作品のひとつ。 平面は両翼を後方に突き出したコの字型、左右の塔屋の間に3連のアーチを架けて入り口とし、花弁とも四つ葉ともとれる可憐なデザインで各所を飾っています。 内部は片廊下式で天井が高く、比例して窓も大きく解放感があって古い建物にありがちな湿った暗さは微塵も感じさせないものでした。 建物の内部公開は毎月第2土曜日のみ。  茨城県土浦市眞鍋4-4-2  09年07月中旬他

共益会館

2009-11-20 07:11:36 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)





 町内会館として昭和2(1927)年に建設され、店舗や集会所、宴席として使用される。 2階部分は全て和室、3階も当初は和室でしたが戦後に板床に改装し、進駐米軍兵士専用のダンスホールとして使用されました。
 訪問当時、一階の飲食店を除けば全て空家のような雰囲気でしたが、嫌な予感は的中、どうやら今年(2009年)の6月頃に解体されたようです。 3階の窓の手摺りの下部の処理の仕方や屋根の四方に開いたドーマー(牛の目窓?)など、大正~昭和初期の匂いが深く感じられる建物だっただけに残念です。  栃木県足利市通3-3525  08年10月下旬

 ※現存せず・・・?

栃木病院

2009-11-15 20:21:52 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)







 栃木病院の建物は大正2(1913)年の築。 いかにも大正ロマンといった雰囲気が漂う素敵な洋館病院です。 1階の外壁が板張り、2階が漆喰塗りでハーフティンバー風の仕上げというのは以前紹介した栃木市役所別館と同じ構成になっていて、正面から見ると微妙に左右対称が崩れ、屋根に塔屋(こちらは屋根窓?)が載る点なども似ています。 設計者は不明ですが一説には横浜在住の建築家に依頼したものとも云われ、港町のエキゾチックで新しい時代の風を、この歴史ある「蔵の街」に吹きこんだようにも感じられました。  栃木県栃木市万町13-13  08年11月下旬

 ※現役の病院です。 見学の際は十分なご配慮を願います。

旧群馬県蚕業取締所境支所

2009-11-10 07:10:21 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)




 蚕業取締所の役割は蚕(かいこ)の伝染病である「コウジカビ病」や「微粒子病」を防ぐ為のもので、ここで顕微鏡の検査により良種の蚕種(蚕の卵)だけが流通するよう指導・管理を行いました。 境支所は当初、伊勢崎蚕病予防事務所境出張所として明治39(1906)年に設置されたもので、この建物は昭和2(1927)年の建築。 正面扉の上には建物と桑畑を描いたステンドグラス、玄関ポーチと同一意匠で二段の弧状に迫り上がったパラペット、そして衛生面に配慮して水洗トイレが設置されるなど、戦前の群馬の近代化を支えた蚕糸業に恥じない内容を持った立派なものになっています。 昭和33(1958)年に建物は民間払い下げになり、現在はまた伊勢崎市が所有しているようですが、アール・デコ調の門柱の間から覗く限り訪問時は空家のようでした。  群馬県伊勢崎市(旧境町)境672  09年02月下旬

 ※写真が一部大きくなります。
  参考 『群馬県近代化遺産総合調査報告書』 1992

旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟(絹撚記念館)

2009-11-05 07:29:24 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)




 かつて桐生駅の南口に広がっていたという模範工場桐生撚糸合資会社の現存する唯一の遺構。 群馬県技手・小林政五郎の設計で明治36(1903)年竣工という説と、小林力雄の設計で大正6(1917)年完成という説がどちらも公的な資料に記載されており謎が残る建物です。 撚糸とは織物に加工する前の生糸に「ヨリ」をかける作業の事だそうで、明治政府の補助金をもらった全国6ヶ所の工場(桐生、足利、米沢、富山、福井、京都)は全て模範工場と名付けられました。 建物は木骨石造でセセッション風、2階の窓上を白色のタイルでぐるっと縁取り。 傍らには昭和8(1933)年築といわれる倉庫が付属しています。 現在は桐生市の文化財保護課の事務室として使用されており、各種資料や周辺地図などを入手できる場所として活用されています。  群馬県桐生市巴町2-1832-13  07年04月上旬他

佐野の洋館

2009-10-06 07:07:30 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)





 佐野と言えば厄除け大師に佐野ラーメン、最近ならアウトレットの名前が名物・名所として挙げられますが、大正期には織物で栄えた町であり、かつての繁栄を今に残す建物も僅かながらに現存しています。 この建物は佐野屈指の綿糸商・小島家の店舗併用住宅として地元業者・小川組の設計施工により昭和2(1927)年に建てられました。 洋館部分の外壁は主にスクラッチタイル貼り、西面の窓部分を突出させて屋根には腰折れ風の屋根を架け、軒周りを植物模様の装飾で引き立てる事によって立体感を演出。 階高の高さと合わせて小さな建物をより大きく見せる事に成功しています。 建物の1階は商用の応接室、2階は畳敷きの和室が二間。 応接室には暖炉が備えられ、内部装飾や家具などには「葡萄の葉」のデザインが取り入れられているそうです。 日本人の根底に流れる西洋文化への憧れを体現した住宅建築の秀作。  栃木県佐野市大和町  08年11月下旬他

 ※参考 『総覧 日本の建築2 関東』 1989
     『近代建築再見』上巻 2002
  
 ※個人邸ですので見学の際はご配慮願います。


 おまけ 近くで見つけた小さな建物達。   

 左  高級婦人服シャルマン。 青い幕の下にはどんな素顔が隠されているのでしょう。
 中  三木雑貨店。 大正10(1921)年頃の建築。
 右  街道沿いにあった銭湯。 営業しているようには見えず。 

板倉屋薬局

2009-10-03 07:00:00 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)




 街道沿いに店を構える薬屋さんの建物は、昭和8(1933)年に完成した建物。 2階建ての和館に一段高くなった高塔の洋館が接続され、町の通りでは一際目を引く見事な建物です。 戦時中は防空監視哨に利用されたという高塔も、今では町のシンボルとして平和な世の中と人々の健康を見守ってくれています。  群馬県伊勢崎市境421  09年02月下旬


 ※おまけ こちらは同じ並びにあった井筒屋さん。 詳細不明ですが軒周りに細やかな装飾が見受けられます。


茨城県立商業高等学校旧本館玄関

2009-09-15 07:10:14 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)






 東京帝国大学の建築学科を繰り上げ卒業し、直ちに茨城県の営繕技師として赴任し腕をふるった駒杵勤治(1877~1919)の作品(明治37年築・1904)。 彼は2年3ヶ月の任期中に県立図書館(M36)や幾つかの県立学校、麻生警察署(M36頃)などの建物を手掛けましたが、現存しているのはこの建物と旧土浦中学校本館(M37)、旧太田中学校講堂(M37)の3棟だけ。 短期間に数多くの作品を送り出している点からも凝縮された密度の濃い任期期間だった事が窺い知れます。 その後も彼は長崎などで活躍しましたが他に現存している作品も無く、大正8(1919)年に42歳の若さで没しています。 ほとばしる才能の全てをこの時代に集中させてしまったのでしょうか・・・?   茨城県水戸市新荘3-7-2  07年04月中旬他

旧植竹庄兵衛邸

2009-09-14 07:06:55 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)







 昭和14(1939)年築の個人邸宅。 頂いた資料にはアール・デコ風とありますが、個人的には東洋思想の入り混じった宗教建築のような一風変わった匂いを感じてしまう作品です。 植竹庄兵衛は江戸崎干拓の生みの親で、戦前の一時期、この建物には皇族の久邇宮朝融殿下(当時は海軍鹿島航空隊総司令官)が住んでいた事があったそうです。 戦後は「大日苑」となって結婚式場等として利用されていました。 事前予約で建物の内部見学も可能との事です。  茨城県稲敷市江戸崎甲2354  09年08月上旬

栃木市役所別館

2009-09-04 07:06:32 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)







 小さな時計塔がちょこんと載っかるこの建物は、栃木町役場として大正10(1921)年に建てられたものです。 設計は町役場の技師であった堀井寅吉によるもので、正面の玄関ポーチの部分にはセセッション風のデザインも取り入れられているそうです。 敷地をめぐる県庁掘りには鯉が泳ぎ、優しい時の流れに包まれる素敵な建物でした。  栃木県栃木市入船町7-31  08年11月下旬


 ※おまけ お向かいの個人医院の洋館(詳細不明)。 塀の外からはほとんど見えませんが、かなり本格的な造りのものに思えます。  


街かど美術館

2009-09-02 07:07:10 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)




 茨城の奥地、大子町ともなると他の建築サイトにも情報が無くどれくらいの建物が残っているか半信半疑でしたが、駅の近くの町並みの中には幾つかの建物を確認する事が出来ました。 その中で大将格とも言えるべきものがこの旧大子銀行本店の建物(大正6年築・1917)でしょうか。 御覧の通り外壁はかなり残念な形の新建材で覆われてしまっていますが、南東部の緑青銅板葺きのドーム屋根や玄関脇のオーダーが銀行建築っぽさを十分に残しています。 内部にはどうやら金庫室は残っているようですが、カウンターは取り除かれてしまい今は展示スペースとしての空間が広がっています。 無料の美術館という事もあるのか見学者が意外に多く、銀行時代とさして変わらぬ来客者がいるようにも思えました。  茨城県大子町大子642-2  09年08月上旬

 ※追記 本文に加筆修正を加えました。 大子銀行本店→第五十銀行大子支店→常陽銀行大子支店と変遷。