東京帝国大学の建築学科を繰り上げ卒業し、直ちに茨城県の営繕技師として赴任し腕をふるった駒杵勤治(1877~1919)の作品(明治37年築・1904)。 彼は2年3ヶ月の任期中に県立図書館(M36)や幾つかの県立学校、麻生警察署(M36頃)などの建物を手掛けましたが、現存しているのはこの建物と旧土浦中学校本館(M37)、旧太田中学校講堂(M37)の3棟だけ。 短期間に数多くの作品を送り出している点からも凝縮された密度の濃い任期期間だった事が窺い知れます。 その後も彼は長崎などで活躍しましたが他に現存している作品も無く、大正8(1919)年に42歳の若さで没しています。 ほとばしる才能の全てをこの時代に集中させてしまったのでしょうか・・・? 茨城県水戸市新荘3-7-2 07年04月中旬他
東京帝国大学の建築学科を繰り上げ卒業し、直ちに茨城県の営繕技師として赴任し腕をふるった駒杵勤治(1877~1919)の作品(明治37年築・1904)。 彼は2年3ヶ月の任期中に県立図書館(M36)や幾つかの県立学校、麻生警察署(M36頃)などの建物を手掛けましたが、現存しているのはこの建物と旧土浦中学校本館(M37)、旧太田中学校講堂(M37)の3棟だけ。 短期間に数多くの作品を送り出している点からも凝縮された密度の濃い任期期間だった事が窺い知れます。 その後も彼は長崎などで活躍しましたが他に現存している作品も無く、大正8(1919)年に42歳の若さで没しています。 ほとばしる才能の全てをこの時代に集中させてしまったのでしょうか・・・? 茨城県水戸市新荘3-7-2 07年04月中旬他
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辰野金吾のような建物は、
初見では「おお、すごい」と感心するけど、
がっちりとまとまりすぎて、いまでは飽きてます。こういった西洋建築らしいけど、
どこか日本的な風情が漂う建物の方が好みです。麻生警察署は絶対見たかった建物。
おそらくあと一年早く近代建築ガイドブックを知っていたら、
絶対に見学に行っていたのに。
ちょっと垢抜けないようにも見えますが、どこか憎めない愛嬌が感じられますね。
旧帝大で学んだ正真正銘の建築家ですけど、作品は擬洋風に通じるものがあるように思います。
麻生警察署は白黒の小さな写真でしか見た事ありませんが、
出入り口部のアーチや両脇の柱、ドーム屋根の形などがここと良く似ていますね。
私もあと10年(20年?)早く生まれていたら見に行きたかったです・・・。