え~。。。バタバタと。んが、経験上、こういう時は「終わった。。。」で寝ようとしても結局寝れないのでクールダウン中。
昨日は御近所大学(大阪市立大学)の西成にある秘密のアジト。まあ、某会主催で『戦後在日五十年史』っちゅうのが見れるみたいだったので出向く。
『戦後在日五十年史』(http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD31188/index.html)は、『戦後』の在日コリアン達の闘いの歴史。2時間少しの映画(歴史編だけ)であり、かつ、数日前に間の1時間ぐらいだけ見たのだが、全く飽きさす事がない映画。差別と偏見からの解放の歴史。胸を熱くする。
秘密アジトは、「ここがホンマに大阪市立大学が金だしとるんけ?」っちゅう所。いや、入り口が全く解らんかった。少し前に着いて、下の100円ショップで買い物して、表の灰皿でタバコ吸ってると、何度か御会いした事のある、要するにメールで案内を呉れた人が居たのでようやく入る事が出来たが、あんなもん、まず絶対に解らんぞ(笑)
今日は資料整理。え~。。。まだまだかかる。。。紙、多い。。。
「アカン、こんな時間やんけ!」と、明日から配らんとアカン、寺の通信の最後のページを書き上げ、プリントアウト。
『戦後在日五十年史』は闘いの歴史。差別と偏見からの人間解放の歴史。
それに『直接』共闘するかどうかは、縁次第である。『直接』共闘しなくとも、自分自身を解放して行く道は、在日の人達が差別と偏見から解放されようとしている事と同じ道だと思う。
しかしながら、煩悩がある。差別するのも煩悩であれば、自分自身を苦しめるのも煩悩である。そして、その煩悩から逃げれるわけがない。何を使っても、それこそ、仏教を使ってでも差別してしまうのが凡夫(普通の人)である。普く通じる原理である。
映画『戦後在日五十年史』は1998年制作であるらしい。それから12年後の今、映画の中で最後に取り上げられられていた在日の人達に対する地方参政権が問題になっている。民主党政権で。
何やら、鳩山総理は以前に「日本列島は日本人だけの所有物ではない」等と『当たり前』の事を語ったらしいが、それが問題になるような閉鎖的な日本社会はいったいなんなんだ?
煩悩は煩悩である。そして必ずもってしまう。仏教でも差別の為に使ってしまう。つまり、「自分を高める為」なんぞと、『高み』に行こうとする。自分を高め、上から下を見下ろそうとしてしまう。差別してしまう。必ずしてしまう。
「私は大丈夫」と、また自分を高め、他人を差別してしまう。
苦労を差別する為に使い、闘いを差別する為に使ってしまう。
そして、それを問われる事を煩悩が拒否する。
「何もしないヤツら」になってしまう。
「なんであんなヤツらに云われなアカンねん」になってしまう。
「日本列島は日本人だけの所有物ではない」は、当たり前の事である。問題にするのは煩悩のなせる業であり、それは私が私を誇らなければ、つまり、差別しなければ生きて行けない煩悩を抱えた存在であるのと全く同じである。
それが故に、おかしい。煩悩は煩悩である。煩悩が故に偉そうに差別してしまうのだが、それは苦の連鎖にしか過ぎない。
昨日は御近所大学(大阪市立大学)の西成にある秘密のアジト。まあ、某会主催で『戦後在日五十年史』っちゅうのが見れるみたいだったので出向く。
『戦後在日五十年史』(http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD31188/index.html)は、『戦後』の在日コリアン達の闘いの歴史。2時間少しの映画(歴史編だけ)であり、かつ、数日前に間の1時間ぐらいだけ見たのだが、全く飽きさす事がない映画。差別と偏見からの解放の歴史。胸を熱くする。
秘密アジトは、「ここがホンマに大阪市立大学が金だしとるんけ?」っちゅう所。いや、入り口が全く解らんかった。少し前に着いて、下の100円ショップで買い物して、表の灰皿でタバコ吸ってると、何度か御会いした事のある、要するにメールで案内を呉れた人が居たのでようやく入る事が出来たが、あんなもん、まず絶対に解らんぞ(笑)
今日は資料整理。え~。。。まだまだかかる。。。紙、多い。。。
「アカン、こんな時間やんけ!」と、明日から配らんとアカン、寺の通信の最後のページを書き上げ、プリントアウト。
『戦後在日五十年史』は闘いの歴史。差別と偏見からの人間解放の歴史。
それに『直接』共闘するかどうかは、縁次第である。『直接』共闘しなくとも、自分自身を解放して行く道は、在日の人達が差別と偏見から解放されようとしている事と同じ道だと思う。
しかしながら、煩悩がある。差別するのも煩悩であれば、自分自身を苦しめるのも煩悩である。そして、その煩悩から逃げれるわけがない。何を使っても、それこそ、仏教を使ってでも差別してしまうのが凡夫(普通の人)である。普く通じる原理である。
映画『戦後在日五十年史』は1998年制作であるらしい。それから12年後の今、映画の中で最後に取り上げられられていた在日の人達に対する地方参政権が問題になっている。民主党政権で。
何やら、鳩山総理は以前に「日本列島は日本人だけの所有物ではない」等と『当たり前』の事を語ったらしいが、それが問題になるような閉鎖的な日本社会はいったいなんなんだ?
煩悩は煩悩である。そして必ずもってしまう。仏教でも差別の為に使ってしまう。つまり、「自分を高める為」なんぞと、『高み』に行こうとする。自分を高め、上から下を見下ろそうとしてしまう。差別してしまう。必ずしてしまう。
「私は大丈夫」と、また自分を高め、他人を差別してしまう。
苦労を差別する為に使い、闘いを差別する為に使ってしまう。
そして、それを問われる事を煩悩が拒否する。
「何もしないヤツら」になってしまう。
「なんであんなヤツらに云われなアカンねん」になってしまう。
「日本列島は日本人だけの所有物ではない」は、当たり前の事である。問題にするのは煩悩のなせる業であり、それは私が私を誇らなければ、つまり、差別しなければ生きて行けない煩悩を抱えた存在であるのと全く同じである。
それが故に、おかしい。煩悩は煩悩である。煩悩が故に偉そうに差別してしまうのだが、それは苦の連鎖にしか過ぎない。