坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

首が飛ぶ真宗門徒の品格

2010年02月06日 | 坊主の家計簿
 バッタバッタしてます。

 んでもって、何やら貴乃花が当選して、「この裏切り者め!」っちゅう騒動があって、朝青龍が引退したらしい。勝手な予想では
 『貴乃花落選』→『朝青龍と新団体設立へ』
 かと思ってたんだが、違ってんな。日本の伝統文化コテコテの相撲協会から出て、「ワシ等、オリンピック目指すもんね」の相撲団体を目指すのかと思ってたんだが。人気もんの親方と、人気もんの力士が組んで出ていきゃ、まあ、裏でどっかのテレビ局なんぞが手を引いてでんな。そんな話ではなかってんなぁ。。。

 しっかし、「この裏切り者め!」って、話し合いで決めるのならば選挙なんぞしなきゃ良かったのに。最初から「理事は各一門に割り振られた理事数を、各一門内で話し合って選出する事」なんぞとしときゃ、「この裏切り者め!」になんぞならんやろ。選挙っちゅう、制度があるのならば、誰に投票しても構わんはずである。『一門』よりも『個』を大切にするが故の選挙だったんだろうし。

 朝青龍の『個』がある。まあ、よう知らんが『横綱の品格にかける』らしい。
 んが、まあ、なんちゅうんですか?30前の営業成績バリバリのやり手が、仕事をサボってサッカーしてたり、大事な仕事を抱えながらも「明日の仕事は夕方から♪」と朝方まで知人と飲んでて、べろんべろんになってついつい殴ってしまった。やり手は格闘技の使い手でもあったのだろうが、んなもん、「ああ、あいつらしいのぉ~」で済まんのか?刑事事件になるのかならんのか知らんが、犯罪者は会社から追放されなければならないのか?
 「いや、昨日、朝方まで知人と飲んでて、べろんべろんに酔っぱらってて、ついつい殴ってもうたんですわ。会社に迷惑かけるから辞表を提出させて貰いますわ」
 なら、
 「ハッハッハッハ。まだまだ若いの、君も。社会が君を裁いても、我が社は君を切り捨てたりしないよ」
 っちゅう、美しき日本社会の美徳なんぞもあったのではないのか?
 何か不祥事があれば、すぐに「お前なんか要らん!出て行け!」とか、「いや~。。。我が社は君を必要としているのだが、こうも世間の風がきつかったらねぇ。。。お得意先にも顔向け出来ないし。。。」と、でんな。冷たいのぉ。。。きっと『大岡裁き』ならば、「その罪、死罪に値す」としながらでも、「んやから、ここでその罪を償っていけ」とでんな。。。
 「いや、社長。それでは社長に迷惑が。。。」
 「何を言っとる。社長っちゅう存在はこういう時の為にあるもんなんだよ。ハッハッハッハ!!!」と、でんな。

 勝手な想像だが、力士の人達って、未成年でも酒を飲んでいるイメージがある。まあ、多くの未成年は『未成年』でも酒を飲んでいるのと同じく。っちゅうか、それ以上。先輩力士に連れられてタニマチなんぞと食事に行った時に「おお、君が最近評判の○○君かね。まあ、一杯飲みなさい」なんぞと、大杯になみなみと注がれた酒を飲まされそうな気がするのだが。ああいうのが発覚したら、やっぱし大問題になったりするのだろうか?んでもって、やっぱし未成年から酒を飲みだした人が「未成年から酒を飲むとは何事ぞ!」なんぞと目くじらを立てて「排除、排除せよ!」なんぞと言ったりするのだろうか?

 っちゅうか、朝青龍に『横綱の品格』が何かよう知らんが、まあ、「辞めて当然」っちゅう人は、朝方まで酒を飲んだ事がないのだろうか?人を殴った事がないのだろうか?仕事をサボった事がないのだろうか?
 まあ、きっと「いや、私は一般人だが、彼は横綱である」なんぞと、便利に『一般人』なんぞと使ったりするのだろう。
 んが、『一般人』ってなんや?例えば私は寺の住職なんだが、寺の住職は一般人なんだろうか?その前は『寺で働く僧侶』だったが、これは一般人なんだろうか?その前は飲み屋のマスターだったが、これは一般人なんだろうか?その前は共同作業所で働く兄ちゃんだったが、これは一般人なんだろうか?工場で働いて居た時は一般人だったんだろうか?配達の仕事をしてた時は一般人だったんだろうか?
 単に『仕事の違い』だけではないのか?横綱は『相撲取りの中で横綱』っちゅう役職なんだろうし、んなもん、私には関係ない。私にとって『横綱の品格』なんぞ関係ない。単なる『朝青龍(本名知らん)』っちゅう兄ちゃんである。その兄ちゃんがヤンチャだっただけの話である。これが公務員ならば「人権侵害だ!」ではないのか。そんな事で解雇通告を受ける「辞めろ!」なんぞと言われた時には。

 まあ、日本人には少ないかも知れんが、クリスチャンならば

【イエスはオリーブ山に行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入れられると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れてきて、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」】(ヨハネ8:1~11)

 があるじゃないか。
 真宗門徒ならば

【当時は後世者ぶりしてよからんものばかり念仏もうすべきように、あるいは道場にはりぶみをして、なむなむのことしたらんものをば、道場へいるべからず、なんどということ、ひとえに賢善精進の相をほかにしめして、うちには虚仮をいだけるものか。願にほこりてつくらんつみも、宿業のもよおすゆえなり。】(歎異抄13章より)

 があるじゃないか。
 え~。。。他は知らんが、真宗門徒って、日本に多く居らんかったっけ?
 
 宗教意識。
 当然、真宗僧侶だろうが、真宗門徒にも品格がある。「ただ念仏」である。

【右にかかげた八カ条(第十一―十八条)の異義は、真実の信心に異なることから起こってきたものであろうか。
 いまは亡き親鸞聖人は、かつてこのようなことを話されていた。法然上人がご在世のとき、弟子はたくさんおられたが、その一方で真実の信心に生きるひとは少なかったので、私(親鸞)は、同門の人たちの間で、信心についての論争をしたことがあった、と。
 というのは、親鸞聖人が「私(善信)の信心も、法然上人のご信心もひとつである」とおおせられたところ、勢観房や念仏房などという同門人たちが、意外なほどに語気を強めて反論し、「どうして法然上人のご信心と善信房の信心がひとつであろうか」と言われたので、「法然上人の知恵や学識が広くすぐれておられるのに、もしそれと私がひとつだというのであれば、それこそまったくの心得違いであろう。しかし往生の信心にあっては、まったく異なることはない。ただひとつである」とお答えになったけれども、それでもなお、「どうしてそのようなことが言えるのだろうか」という疑いや非難があったので、結局、それでは法然上人の前で、自分と相手のどちらの主張が正しいかを決めることになり、詳しい事情を申し上げたところ、法然上人は「源空(法然)の信心も、如来からいただいた信心である。また善信房(親鸞)の信心も、如来からいただかれた信心である。だから、まったくひとつなのだ。もしこの信心と異なる信心の方は、源空が参ろうとしている浄土へは、よもや往いくことはないだろう」とおおせになられたのである。
 だから昨今の、ひたすら念仏のみに生きるひとのなかでも、親鸞聖人の信心とひとつではないということもあるだろうと思われる。どれもみな同じことの繰り返しではあるけれども、書きつけたものである。
 露のようにはかないいのちが、枯れ草のように老いさらばえたこの身に、わずかに残っているあいだに、ともに連れだって念仏の教えを歩まれた方々の疑問をもお聞きし、親鸞聖人の教えられた教えを、お話してお聞かせすることもあろうが、この私の目が閉じた後は、さぞかしさまざまな考えが入り乱れ、混乱することになるであろうと、歎(なげ)かわしく思われてならない。
 また、このような議論などを言い合っている人びとのなかにおいて、もしそのようなことで迷わされるときには、いまは亡き親鸞聖人がお心に適(かな)って用いられたお聖教(しょうぎょう)などを、よくよくご覧になるがよい。およそ聖教には、真実がそのまま説かれた部分(真実)と、真実に導き入れるために説かれた部分(権仮)とがまじり合っているのである。そのなかから権仮の部分を差し置いて、真実の部分を用いることこそが、親鸞聖人のご本意なのである。どうかくれぐれも、聖教を読み誤らないように注意していただきたい。そこで証拠となる大切な証文などを少々抜き出して、わかりやすいかたちで、この書に添えさせていただくことである。
 親鸞聖人がつねづねおおせになっていたお言葉に「阿弥陀如来が五劫という長い時間をかけて、すべての存在を救おうという深い思いから建てられた誓願を、よくよくこの身に引き当ててみると、それはひとえにこの親鸞一人を救うためであったのだ。思えば、はかり知れない罪業をもったこの身であるのに、たすけようと思い立ってくださった本願の、なんともったいないことか」と、しみじみとご述懐されたことを、あらためて考えてみると、善導大師の「わが身は、現にこれ、罪深く迷いの多い凡夫であり、永遠の昔から、つねに苦悩の海に沈み、つねに生死の迷いに流転(るてん)して、ついにこの闇から抜け出る手がかりのない身である、と知れ」という、あの尊い不滅の言葉と少しも異なったところがない。
 このように受け止めてみると、もったいないことだが、親鸞聖人がご自身をとおして、私たち自身の罪悪の深いことを知らず、また如来のご恩の尊いことをも知らずに迷っていることを、思い知らせようとするためだったのである。まことに私たちは如来のご恩ということを少しも問題にすることもなく、だれもかれもお互いに、善いとか悪いとかということばかり言い合っている。
 親鸞聖人のおおせには「何が善であり、何が悪であるのか、私はまったく知らない。その理由は、如来が知っているほどに善を知っているのであれば、私は善を知っているともいえよう。また、如来が知っているほどに悪を知っているのであれば、私は悪を知っているということもできよう。しかし、あらゆる煩悩が具(そな)わっている私たち、そして、まるで燃えさかる家のように激しく移ろいやすいこの世界は、すべてが嘘(うそ)偽(いつわ)りや絵空事であって何ひとつ真実はない。ただ南無阿弥陀仏だけが真実なのである」と。
 私もひとも、つくづく虚言ばかりを言い合っているなかで、ひとつ殊ことに痛ましいことがある。というのは、念仏するについて、信心のありようを互いに議論したり、ひとに説き聞かせるとき、ひとの口をふさいで論争に勝とうとするために、まったく親鸞聖人の語られなかったことを、これぞ聖人のお言葉であると主張する者がある。これは、なんとも浅ましく歎かわしいことである。このことをよくよく了解し、心得ていただかねばならない。
 以上、述べてきたことは、決して私の勝手な言説ではないが、経典や注釈書に書かれた筋道も知らず、教説の浅深をも心得ていない私なので、きっと理解のあやしいところがあるかもしれない。しかしながら、いまは亡き親鸞聖人の語られた教えのほんの一端を、思い出して書きつけたものである。
 まことに悲しいことではないか、幸いにも念仏しながら、直ちに真実の浄土へ生まれずに、方便の辺地にとどまることは。同じ念仏の教えに集う求道者のなかに、信心が異なることのないように、泣く泣く筆をとってこれを記した。名づけて『歎異抄』という。むやみにひとに見せるものではない。
 後鳥羽上皇のご治世のころ、法然上人が他力本願念仏を宗(むね)とする教えを世にひろめられた。そのとき、興福寺(奈良)の僧侶たちが敵視して朝廷に上訴した。法然上人の弟子たちのなかに、無法な振る舞いをしたという、事実無根の噂により処罰された人びとの数は、次のとおりである。
 一、法然上人とその弟子たち七人は流罪(るざい)。また四人の弟子たちは死罪に処せられた。法然上人は、土佐の国(高知県)の番田というところへ流罪。罪人としての名前は藤井元彦、男などとあり、年齢は七十六歳であった。
 親鸞は越後の国(新潟県)へ流罪。罪人としての名前は藤井善信、などとあり、年齢は三十五歳であった。
 浄円房は備後の国(広島県)、澄西禅光房は伯耆の国(鳥取県)、好覚房は伊豆の国(静岡県)、行空法本房は佐渡の国(新潟県)。幸西成覚房と善恵房の二人は、同じく流罪に決定されたが、無動寺の前の大僧正(慈円)が申し出て、二人を預かることになったという。
 流罪に処せられたひとは八人であり、
 死罪にされた人びとは、
 一、西意善綽房
 二、性願房
 三、住蓮房
 四、安楽房であった。
 これは二位の法印尊長の裁定で行われた。
 親鸞は僧の身分を捨てさせられ罪人としての名前を与えられた。これによって「僧に非ず俗に非ず」と宣言されたのである。このようなことで、「禿」の字を姓として朝廷に申し出て認められた。そのときの上申書は外記庁に納められている。
 流罪以後、愚禿親鸞と名のられたのである。】(歎異抄後序より。現代語はhttp://shinran-bc.tomo-net.or.jp/report/report03.htmlより)