仕事終わって、ひたすら「ボケー」っとする。ママから「今日はどこかへお出かけ?」と聞かれて、「今日はダラダラする」と。そして、ダラダラする。
そろそろ月末になって来たので寺の通信も作らんとアカンのだが、テンションが上がらん。
なんかのコマーシャルで『やる気スイッチ』なんぞがあった。まあ、学習塾かなんかのコマーシャルだったけな?そんなやる気スイッチのボタンなんぞはどこかに行ってしまって、ダラダラとする。
娘のヨダレもダラダラ落ちる。パパがコタツでダラダラしてるので、娘もコタツ横でダラダラヨダレを垂らす。ハンカチでヨダレを拭きつつ、あ~ダラダラ、ダラダラと。
リアルタイムでは見れなかったが、便利な便利なハードディスク録画、っちゅうやつで録画してた昨晩やってた『樅ノ木は残った』を見た。大好きな山本周五郎原作で、今回のテレビドラマでは主人公・原田甲斐が田村正和。イメージが。。。
大好きな
【「人間はかなしく、弱いものだ、恵林寺の僧がもし大悟徹底していたら、火中であんなことは云わず、黙って静かに死んだことだろう、おそらく従容として、黙って死んだのが事実だと思う、火中にあって、心頭を滅却すれば火もまた涼し、などというのは泣き言にすぎない、けれども、その泣き言を云うところに、いかにも人間らしい迷いや、みれんや、弱さがあわられていて、好ましい、私には好ましく思える」】(山本周五郎『樅ノ木は残った』より)
というセリフも出てこなかった。まあ、2時間ちょいドラマやし。
んが、2時間ちょいドラマだったので、全体のストーリーが解りやすかった。
『ただ仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず』は親鸞の言葉だが、『樅ノ木は残った』の原田甲斐は武士道。武士道を全うする為に『人倫の嘲を恥じず』である。周囲の人達から誤解されようが、なんだろうが、武士道を全うする。
それも限られた条件の中である。原田甲斐が藩の重役とはいえ、藩主でもなければ、藩主の一門でもない。あくまでも家臣の中での重役である。原田甲斐が藩主に連なる一門だったならば、原田甲斐はきっと違う方法をとれたはずである。また、『伊達家』という外様大名でなく、譜代大名の重役だったならば、また違ったありようであったであろう。しかし、それは『絵に描いた餅』にしか過ぎない。縁によって限られた人生の中での武士道を貫いた。
誰しも、誰にも代わって貰えないたった一度の人生を生きている。
しかしながら
【けれども、その泣き言を云うところに、いかにも人間らしい迷いや、みれんや、弱さがあわられていて、好ましい、私には好ましく思える」】(山本周五郎『樅ノ木は残った』より)
である。
そろそろ月末になって来たので寺の通信も作らんとアカンのだが、テンションが上がらん。
なんかのコマーシャルで『やる気スイッチ』なんぞがあった。まあ、学習塾かなんかのコマーシャルだったけな?そんなやる気スイッチのボタンなんぞはどこかに行ってしまって、ダラダラとする。
娘のヨダレもダラダラ落ちる。パパがコタツでダラダラしてるので、娘もコタツ横でダラダラヨダレを垂らす。ハンカチでヨダレを拭きつつ、あ~ダラダラ、ダラダラと。
リアルタイムでは見れなかったが、便利な便利なハードディスク録画、っちゅうやつで録画してた昨晩やってた『樅ノ木は残った』を見た。大好きな山本周五郎原作で、今回のテレビドラマでは主人公・原田甲斐が田村正和。イメージが。。。
大好きな
【「人間はかなしく、弱いものだ、恵林寺の僧がもし大悟徹底していたら、火中であんなことは云わず、黙って静かに死んだことだろう、おそらく従容として、黙って死んだのが事実だと思う、火中にあって、心頭を滅却すれば火もまた涼し、などというのは泣き言にすぎない、けれども、その泣き言を云うところに、いかにも人間らしい迷いや、みれんや、弱さがあわられていて、好ましい、私には好ましく思える」】(山本周五郎『樅ノ木は残った』より)
というセリフも出てこなかった。まあ、2時間ちょいドラマやし。
んが、2時間ちょいドラマだったので、全体のストーリーが解りやすかった。
『ただ仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず』は親鸞の言葉だが、『樅ノ木は残った』の原田甲斐は武士道。武士道を全うする為に『人倫の嘲を恥じず』である。周囲の人達から誤解されようが、なんだろうが、武士道を全うする。
それも限られた条件の中である。原田甲斐が藩の重役とはいえ、藩主でもなければ、藩主の一門でもない。あくまでも家臣の中での重役である。原田甲斐が藩主に連なる一門だったならば、原田甲斐はきっと違う方法をとれたはずである。また、『伊達家』という外様大名でなく、譜代大名の重役だったならば、また違ったありようであったであろう。しかし、それは『絵に描いた餅』にしか過ぎない。縁によって限られた人生の中での武士道を貫いた。
誰しも、誰にも代わって貰えないたった一度の人生を生きている。
しかしながら
【けれども、その泣き言を云うところに、いかにも人間らしい迷いや、みれんや、弱さがあわられていて、好ましい、私には好ましく思える」】(山本周五郎『樅ノ木は残った』より)
である。