養護学校より養護学級。養護学級より普通学級。確か、そんなノリ(軽くて失敬)があったはず。
牧口一二やったけな?中学校に講演に来て「なんで講堂に集まって話きかなあかんねん」と思いつつ、かなり面白かって、うちの中学で一番の厄介者も、大ウケしてて、牧口一二が松葉杖を上げるモノマネをしてたぐらい。多分、障害者解放運動の熱に、人間解放運動の熱に触れて、彼なりの感動があったのだろう。
障害者解放運動の反対は優性思想。そして、障害者解放運動も生身の人間がやることだから、当然、優性思想が混じりこむ。だって、人間存在=優性思想を求めざるを得ない煩悩を抱えているわけだし。何か特別な存在になりたい。他人とは違った私で居たい。差別したい、見下したい。
何を書こうとしているのかハッキリしないまま、iPhoneで遊んでいるのだが、優しさ。「困っている人を助ける私って、優しいでしょ?」と。
んなもんは、感じて当然だし、その事に対して「私はなんていう酷い事を思ってしまったのだろうか…」と思うだけにはホルモン中年は飽きて慣れっこになってしまって、「またまたそうやって優しく成ろうとする」と。
大阪での学校から厄介者を追っ払う動き。当然、前から停学だの退学だの、腐ったみかんだの、「まさる!」だの、シュプレヒコールの波♩はあったが、なんだかなぁ…。
大阪は別に維新の会がおかしくしたわけでなく、天王寺公園に柵を作ってホールレス状態の人が寝れないようにしたり、屋台を追い出したり。道頓堀のたこ焼きは確か平松時代。そんな流れ。
維新の会に全ての罪を被せて「維新が悪い!橋下が悪い!」って、呑気な話でしかなかったりする。
桜宮高校の体罰事件の時に加入したメーリングリストでは、当然、今回の動きには反対。つか、体罰事件の時も、圧倒的多くの「桜宮高校を潰せ!」の声に反対したとこだし。「学校をそのままにしておいて下さい」と泣いて訴える生徒の声を「カルトみたい」と言った人たちもいたが、いや、お前らもカルトや。
さっきも書いたが、散々暴れまくったので、散々殴られたが、殴られて嬉しい思い出の体罰と、今だに「あったら殺す」の体罰もあるわけであって。
優しさで包まれた世界には、優しくない人には居場所がない。ボランティアが内申書云々の話が結構前にあったが、どうやっているのかな?高校からバイトで忙しかったり、あるいは興味がない、遊びたい、ダラダラしたい、などの理由でボランティア活動をした人と、しない人が内申書で違って来る。あ、「勉強」を忘れてた(笑)
なんか、イヤな流れだね。
行政って、出来るだけ、中立であって貰いたい。
在特会に関して「京都で判決が出たから」「国連が」云々は、在特会という厄介者を排除する動き。それより、当初から心配(というかワクワク)していたように、今は「しばき隊」などのカウンターの方が強い。当然、しばき隊の中にも「在特会をイジメに行こう」という暴力性があって当然。だって、それが運動なんだし。別に聖人君子がやっているわけでもない。井筒が在特会とカウンターを現代のパッチギで映画化するような話。
授業の機会を奪われる人権と、授業を邪魔して追い出される事に対する人権。
彫刻刀や椅子を持って暴れる人間を同じクラスメイトが抑えられるわけがなく、大人の教師が殴れ。刺股とか使わずに、手で殴れ。殴って、同じクラスメイトとして向かい入れろ。クラスから排除するより、百億万兆倍ええ話の美談や。
が、桜宮高校体罰事件と同じく、多くの心優しい優性思想家、「ほほほほ!私は貴方たち普通の人間とは違うのザマス」でなくとも、所詮、ちんこまんこが擦れてアンアンウンウンいって産まれて来たにも関わらず、ちんこまんこを舐めた口で何を綺麗事ヌカしてやがる。
ほれ、心優しい反戦運動の人が大好きな
【ナチ党が共産主義を攻撃したとき、彼は多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。彼は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。彼はずっと不安だったが、まだ何もしなかった
ナチ党はついに教会を攻撃した。彼は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた】
(『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』)
在特会は在特会だけの問題ではない。今の世の中の共業やろ。
なんとなく、タイトルつけたし、明日にでもブログにアップしよ。
http://jacklog.doorblog.jp/archives/39265478.html