坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

ヤッホー考

2010年12月11日 | 坊主の家計簿
 夜中に作業するのは辞めた方がエエのだが、娘が寝てからでないと出来ない作業もあったりしてでんなぁ。。。え~。。。只今3時過ぎ。ようやく作業終了。

 早く寝たいのだが、気が張っとる。なのでまったり飲みつつ、明日に残らんように飲みつつ、睡魔を待つ。

 来週は金沢に行く予定である。一応楽しみなので宿泊先の情報を集めたり、金沢での美味しい店を探したりなんぞもiPhoneで少し。
 
 金沢。オカンの実家が能登半島なので金沢はガキの頃に毎年のように行ってたんだが、大きくなると足が遠のく。いや、子どもの頃に散々行ったし。なので大人になって旅行で行って宿泊したのは一回だけかな?あ、もっとあるか。
 金沢というと宇宙軒食堂(http://r.tabelog.com/ishikawa/A1701/A170101/17000078/)であるが、もっと魅力的な店を発見した。
 『ヤッホー』である。『ヤッホー茶漬け』が食べれる『志な野』(http://r.tabelog.com/ishikawa/A1701/A170101/17000075/)である。
 この店はすごいらしい。何が凄いって、「ヤッホー!」だけなのだ。店の親父が発する言葉は(笑)そして客も元々少々少ない盛りの茶漬けの御飯のお代わりを頼む時には「ヤッホー」と言わなければならないらしい。すると親父が「ヤッホー」と言ってお代わりを入れてくれるらしい(笑)
 場所は金沢の飲屋街にあるらしいのだが、お笑い帝国・大阪にもこんなファンキーな店はない。また、成立するとも思えない。
 ステレオタイプは差別の根源だが、私にとって金沢の街に住んでいる人達はそんなにファンキーな人が多いとは思えない。あくまでも私個人の決めつけたイメージであるが。だが、こんなファンキーな店が成立し、かつ、人気店らしく、行列も出来る事があるらしい。

 金沢は恐るべき街である。いや、「ヤッホー」があるからではなく、真宗の先生ね。街の規模としては大阪の方が遥かにデカイのだが、大谷派だけでも、平野先生。藤場先生。児玉先生、西田先生も金沢だったような。恩師・埴山先生も金沢である。その他、出身地は知らないけど金沢(周辺含む)出身の先生って、ゴロゴロ居てる気がする。あ、本願寺派では花山信勝師も金沢である。あ、今の専修学院院長の狐野先生も金沢やった。おい、どれだけ人材輩出してくれるねん。大阪を中心とする関西圏内のお笑い芸人並みやろ。
 金沢はそういう土壌である。そういう土徳の地である。

 大阪では多くの場合冗談抜きで話にヲチを求める。また、『トイレの神様』に歌われているように吉本新喜劇を子どもの頃から毎週見ているし、毎日、朝から晩までお笑い芸人が出ている。ニュース番組にまで出ている。アナウンサーだって半分お笑い芸人みたいな人が多い。

 大阪を中心とする関西人の多くが『椅子から転ける芸』を自然にマスターするように、きっと金沢では朝晩の正信偈が当り前なのかも知れん。キダタローや六甲おろしが当然の如くに。
 そして、「南無阿弥陀仏」という御念仏を当り前の如く口ずさむ人達も多いのだろう。何があっても「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と念仏申す人が多いのだろう。食事の時も、トイレの時も、寝る時も、普段でも。挨拶する時も。なんでもかんでも「ナンマンダブツ」と。

 これでよく解った。金沢にはなんでもかんでも「ナンマンダブツ」の一言で済ます人達が多かったという歴史的土壌があるのだ。だから「ナンマンダブツ」の代わりに「ヤッホー」という店が出来たのではないのか?

 きっと、「ヤッホー」の親父も「ナンマンダブツ」の土壌で育てられて来た。米軍基地闘争で勝った内灘の小屋にも『お内仏(仏壇)』があったような土壌である。親父も子どもの頃から「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と念仏申して来た。
 しかし、真宗王国・金沢といえども、やはり標準語を筆頭とする文化、『日本』という文化にどんどんと侵略されつつあるのだろう。そこで親父はきっと考えたのだろう。「これではいかん」と。
 しかしながら、『南無阿弥陀仏茶漬け』で、合い言葉に「ナンマンダブツ」は、少しキツい。『キツい時代』になって来た。だから親父は「ヤッホー」と。
 なんでもかんでも「ヤッホー」の一言である親父の姿を見て、帰り道に「そういえば、爺ちゃん婆ちゃんも『ナンマンダブツ』と一言やったな」と、酔った〆の茶漬けを喰った金沢の酔っぱらいは思い出しつつ帰路につきながら「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と、念仏申しているのだろう。。。

 あ、ちなみに宿泊先から遠いし、かつ、22時からの営業らしいので、ヤッホーには今回は行けない。。。残念。。。ナンマンダブツ。