坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

乱場の縁側

2010年12月01日 | 坊主の家計簿
 友人より喪中ハガキが届く。年賀状を本格的に出し始めたのは去年からなので、貰ったのは初めて。まあ、出した事もないが。。。
 「そうか。。。そろそろ年末やねんなぁ。。。」と喪中ハガキで改めて感じる。

 月末までに「絶対にやらないとアカン事」は終了。12月には12月の事がある。お歳暮何にしようかなぁ。。。まあ、これもチョロチョロと下見をしたり諸々考えていたので、あとは注文したらエエだけか。
 年賀状。写真やイラストは決まってないが、言葉だけは決まったので、これもなんとかなる。
 寺の通信は、なんせ『正月休み』という偉大なる期間があるので、これも余裕がある。昨日みたいに一晩で仕上げる無理をせんでもエエ。っちゅうか、どうせ一晩の勢いで作ってしまうのだろうけど、正月休みに作れば次の日の心配をしなくても構わない。

 しっかし、今月はよく遊んだ。前半、法要まではバタバタとしてたのだが、それ以降はゲーム三昧やったもんなぁ。。。なので月末恒例の帳簿をつけてて「もっと働かんかい!」と思う。なんか、本堂床の改装して勢いがなくなったなぁ。。。
 ファイルケースには『急ぎ』『急ぎの2』『急ぎの3』と順番に作ってあって、『急ぎ』は無くなったのだが、『急ぎの2』『急ぎの3』には結構仕事があるのだが。
 んが、今日のメインは12月のプチ旅行の下調べ。一泊しようかとも考えていたんだが、どうも気が乗らん。なんせママからの「ミカン狩りに連れていけ」がきっかけだったので。この辺のミカンの本場は和歌山の有田である。高速使えば1時間ぐらい(笑)ん?もう少しかかるかな?でも、まあ、2時間もあれば十分。下道でも3時間ぐらい。娘が夜中タマに泣くし、1才の娘を連れての宿泊には気を使うし。なので「どうしようかなぁ~」と迷ってたら、仕事が入って休みが飛んだので日帰りに決定。諸々調べて「ここは良さげ」というルートや、店なんぞを選んでた。
 ミカン狩りは余り気が乗らない。面白かった記憶がないし。「ミカン食べ放題」って、そんなに食べれないし。渋って「ミカン狩りでないとアカン?」と聞いたら、「何を言うてるねん。ミカン狩りは斜面やから辞め、っていうたやん」との事。え~。。。人の話はしっかり聞きましょう。なので、ミカン狩りの変わりにミカン畑のど真ん中を走っている道があったので、その道を走る事に決定。ミカン山のど真ん中を走るルートで、もう、ミカンの香りでいっぱい。収穫せずに落ちたのか、商品として出荷出来ないからなのか、何なのか知らないが、ミカンが大量に道端に捨ててあったし。「置いてある」のではなく、潰れたりしながら捨ててある。なのでミカンの香り満喫。あ、娘がミカン好きですねん。

 夜遅くに近くのコンビニで寺の通信をコピーする。店員さんを捕まえてお婆ちゃんがおでんを買ってた。「ごぼてん」と言ったのだが「ウインナー巻」だったりするのを見ながら、なんか微笑ましかった。店員さんは一人。私は両替待ち。特に急いでなかったのだが、お婆ちゃんが「お客さんが来たで、先にやったり」と。なんか「孫の店に来たんかい」みたいな感じだったので微笑ましかった。
 でも、お婆ちゃんは店内の食べれるコーナーでおでんを食べ始めた。多分、近所の方なんだろう。でも、店内の食べれるコーナーで食べてた。

 「お坊さんの意識調査」みたいな感じのものがネットで来た。何やら学校の課題にするらしい。諸々の質問の中で「やりたい仕事」というのがあった。「これからやりたい仕事」というのと、「本当はやりたかった仕事」。
 
 なんとなく「コンビニもエエなぁ」と思った。

 28日、昼寝をしてたら友人より電話があった。「阿部チャン死んだらしいで」との事。有名人なので名前は知っているが、直接あったのは確か一度だけである。どっかで同じ店に居たかも知れないし、阿部さんがやってた店で顔を見たりした事はあったけど、直接に会って話したのは一度だけ。20の頃にやってた店に来て下さって、「今度リチャードヘルを呼ぶからチラシ置いてな」みたいな用件だったと思う。
 昨日の通夜、今日の葬儀。

 『阿部登』で検索したら結構出てくる。訃報も。毎日新聞の奈良版にも掲載されたらしい。

 http://mainichi.jp/area/osaka/news/20101130ddlk27060373000c.html

 きっと追悼ライブが豪華メンバーでやろうだろうし、それ以外にも阿部さんが関わり深かった人達の間や、飲み屋などで多くの追悼が行われるのだろう。

 同じ日の夕方にママから「はい」とチラシを渡される。何やらポストに入っていたらしい。

 http://www.outenin.com/modules/contents/index.php?content_id=336

 内容は素晴らしいのだが、チラシは見難いぞ(笑)

 
 阿部さん訃報を知らせてくれた友人は若い頃に阿部さんに世話になっていたらしい。
 私はよく知らない。
 夜遅くのコンビニ店内で一人でおでんを食べてたお婆ちゃんの生涯も私は知らない。

 娘はミカンが好きみたいである。最近は私が「あかん、あかん」と首を左右に振ると、それを真似たり、自分のオムツをオムツ入れにまで自分で持って行く。

 阿部さんがやってた店は確か『ナンジャン』という。『乱場』とも書いてあった。もう、20も前の記憶なので怪しいが。でも、その『乱場』という言葉がとてもカッコ良く、憶えている。
 行った事はないが、阿部さん中心の『春一番』を多くの人が楽しみにして、『遊びに行く』事を楽しみにしていた事は知っている。『誰々が出るから春一番に行く』のではなく、『春一番に行く』事が目的みたいで。

 友人から喪中ハガキが来た。私にとっての初めての喪中ハガキ。

 『人間』。
 あるいは、司馬遼太郎が言ってた「人という字は互いに支え合う」。
 「互いに支え合っている」のが事実(縁)であっても、『思い(世界)』の中から切り離されている方々。
 私が積極的に排除しなくても、排除されている人。

 多分、先輩が直接ポストに入れたのであろうチラシ。
 『支縁のまちサンガ大阪 発足集会』のチラシ。

 『支援』じゃなく、『支縁』。

 最近、しばらく会っていない旧友。「真面目に生きないとアカン」と思い込んでいたらしいのだが、すっかり春一番にハマったらしい。厳密には、春一番に行く人達や関係者に。何やら気楽になれたらしい。

 「あいつなんか消えてしまえばいいんだ」と、夜も眠れない。
 「あの人とずっと一緒に居たい」と、夜も眠れない。