坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

天皇論

2009年09月14日 | 坊主の家計簿
 なんか、ネコがじゃれついて来て、パソコンの前に座ったり膝の上(要するにキーボードの前)に座ったりして大変。っちゅうか、楽しいのだが、ネットが出来ん(笑)
 ようやくマイベッドに戻りはったので書き込み、書き込み。

 っちゅうても、結構エエ時間やのぉ。。。
 よって、ちょっとだけ。

 昨夜、久々にこのブログからブックマークしてる数カ所を見に行く。いや~、単純に忘れてましてですなぁ。。。っちゅうか、パソコンが変わってから前の定期巡回なんぞがすっかり消えてもうてでんなぁ。。。んで、思い出して久々に見に行く。
 鈴木邦男のサイト(http://kunyon.com/shucho/090706.html)でベタ褒めだった小林よしのりの『天皇論』を買って読む。ケチなので古本屋を数カ所廻ったのだが、置いてなかったので新品で買う。
 税込みで1575円だったかな?買う価値あり。っちゅうか、多分、『激安』やな。
 本のタイトルは『天皇論』なんだが、これって、小林よしのりの国家論やな。変な話やけど、この本を読んで(小林よしのりの意図に反してであっても)クーデターなんかが起りそうな本やな。それぐらいに非常に良く出来た国家論だと思う。
 ただ、私は小林よしのりの国家論には賛同しないが。理由は単純で私は真宗門徒だからだ(笑)つまり異教徒である。
 確かに日本が天皇教の信者だけの国ならば全く問題はない。小林よしのりが書いてある通りに、天皇は祭司である。まあ、解りやすくいうと神主である。その祭司を中心にした国家はその宗教を信仰する人たちにとっては素晴らしい国家である。天皇の下に全ての国民が平等になれる国家。それは同じ信仰を持つ人たちにとっては非常に素晴らしい国家であろう。異教徒は別にして。

 真宗門徒は俗名(天皇の臣下としての名字)の他に、『釈』という法名を持つ。『釈』という法名は釈道安が「大師の本は釈迦より尊きなし」っちゅう事で、釈である。
 また、親鸞の教行信証には

【『菩薩戒経』に言わく、出家の人の法は、国王に向かいて礼拝せず、父母に向かいて礼拝せず、六親に務えず、鬼神を礼せず、と。已上】

 と、引用されている。

 天皇が『国王』かどうかは別にして、真宗門徒にとっては、天皇も同じ煩悩具足の凡夫にしか過ぎない。
 天皇論が天皇の下での平等ならば、真宗門徒は阿弥陀如来との関係の中で『煩悩具足の凡夫』として平等である。
 よって、宗教観が違うのである。

 小林よしのりは『天皇論』の中で『「政教分離」を盾にして神道を攻撃する人々』の中に『浄土真宗の上層部』も入れているが、んなもん、何が『上層部』か知らんが、真宗門徒は真宗門徒でしかない。宗教が違うのだ。違う宗教からの押しつけは『門徒物忌み知らず』の伝統があってでんなぁ(笑)

 『天皇論』は非常に優れた国家論である。ただし、『信仰を同じくする者に対して』という限定付きであるが。
 異教徒としては、無私の天皇を利用して私利私欲でもって異教徒が排除されない国であり続けて貰いたい。
 要するに、日の丸・君が代の強制はまず真っ先に辞めて頂きたい。