イギリスの作家ケン・フォレットが20世紀の激動のヨーロッパを描いた大河ロマン「巨人たちの落日/凍れる世界/永遠の始まり」の「100年三部作」(全11巻。ソフトバンク文庫)に感銘を受けた。これまで長らく自分にとって「文学の基準線」は大江健三郎だったが、それがケン・フォレットに取って代わるくらいの勢いだった。
それに伴い、「純文学至上主義」がぐらついて、これまで「物語」だと軽侮していたもの、すなわち大衆小説、娯楽小説を熱心に読むようになった。むしろ純文学より、こちらこそが文学の本道ではないか。今やそんなふうにさえ思っている。
という話を前回やった。
ケン・フォレットを「文学の基準線」に据えるとは、ケンさんを神棚に祭ってほかを退けるという話ではない。逆だ。物差しなんだから、どしどし使わなきゃいけない。ケン・フォレットを物差しにすると、大江文学ははるかに高い。そして深い。しかしそのぶん、神経が細かすぎ、インテリくさすぎ、関心の領域が偏りすぎている、とも言える。いまどきの一般読者からすれば、高尚すぎるということになろう。
ケン・フォレットの作品が通俗だってことは論を俟(ま)たない。しかし、大江さんと並ぶ現代ニホン最高峰の作家・古井由吉さんは、「純文学をやってる者は、とかく通俗小説をバカにするけど、俗に通じるってことは、ほんとはとっても難しいんだ」と言っておられた。ぼくがケン・フォレットに敬意を払うのは、まさに俗に通じているがゆえである。
俗に通じるとは、「卑しい俗情に媚びてやる」ってことではない。「ふつうの大人が読むに堪える」ということだ。日々心身をすり減らしながら、この世知辛い浮世を渡っているわれわれが、すんなりと感情移入できる小説。そういうことである。大人が読める小説を書けるのは大人だけだ。
「100年三部作」を読むと、作者自身の人生体験に加えて、社会や政治や経済や歴史や風俗についての幅広い知見の蓄積を感じる。もちろん綿密な取材もしてるんだろう。世の中と人間の裏面について、あるいは暴力や悪意についての考察も怠りない。そのうえで、さまざまなキャラが縦横に絡み合いながら豊かなストーリーを織り成していく。文章は簡潔で飾り気はなく、しかし必要なことは的確に伝える。これぞ小説ほんらいの魅力ではないか。
ケン・フォレットを好きなのは、大衆小説や娯楽小説に往々にして見られるような、「ストーリーの面白さのために肝心の人間性を犠牲にする」ところが殆ど見られないからだ。ちなみに、これに関して真っ先に思い出すのは綾辻行人の『十角館の殺人』(講談社文庫)だ。どんでん返しをやりたいために、あれだけの血を流すとは。何ちゅう幼稚な話であろうか。あんなのが混じってるから、ぼくは推理ものを好きになれんのだ。
ただ、『十角館の殺人』みたいなものは、明治この方の「近代小説」ではなく、江戸期の「戯作」の変種として捉えるべきかもしれない。嫌味ではない。「近代小説」ではなく「戯作」として評価するならば、『十角館の殺人』はなかなかの作だ。
いきなり話が大きくなるが、文学の祖型はそもそも神話だ。それが流れ下って昔話や伝説となり、人々の口から口へと語り継がれる。いっぽう文明化した社会では、長短さまざまの詩や戯曲、随想録のような散文などが発達し、優れたものは文献となって残された。けれども、いわゆる中世から近世にかけて、「人間」なるものを濃やかに描いた作品はない。まあ源氏物語、『神曲』、シェイクスピア、『ドン・キホーテ』といった巨大な例外はあるけれど、それらが山脈を形成したわけではない。制度としての「小説」が成立したのは、やはり「近代」になってからである。近代になって近代小説が成立したなんて言ったら、これは同義反復(トートロジー)だけど。
近代以前、つまり近世、つまり江戸期の日本においては、戯作が読みものの中心だった。町人や下級武士たちはそれを読んだ。知識人たちは漢文の世界に生きていたが、漢文で物語が綴られたわけではない。それは学問と詩のための道具だった。馬琴だって漢字かな交じり文で物語を書いたのだ。明治維新がきて、「西欧」がどっと流入し、新しい時代にふさわしい新しい「読みもの」が必要となったとき、何人かの俊英たちが苦心惨憺してそれに応えた。そのときに「自我」や「内面」や「私」、さらには「風景」「告白」といったものがつくられた。むろん直ちにできあがったのではなく、たくさんの人々(必ずしもそれは文学者とは限らない)の手を経て、少しずつ形成されていったわけだけれども。
「自我」や「内面」や「私」の形成に携わったのだから、明治から大正期の(純)文学者たちはもともと精神世界に近いところにいた。べつにスピリチュアル系って話じゃないけど、少なからぬ人が「キリスト教」に近いところにはいたのである。ぼくが前回の記事で告白(笑)したように、今日においてなお、純文学が宗教(的なるもの)の代替となりうる要素は揺籃期にあったということだ。
ともあれ、「近代的自我」をもったキャラクターを確立するために、(純)文学はストーリーの面白さを蔑ろにした。そうしなければならなかったのだ。「筋(物語)」と「キャラ」とを比べたら、物語のほうが強いから。だって、神話以来の伝統をもってるんだから。昨日きょう成立したばかりの「人間」が、これに敵うわけがない。モノガタリを思う存分繰り広げたら、キャラはそこに取り込まれ、ただそれを前に進めるだけの傀儡(かいらい)となってしまうだろう。初期の(純)文学者たちはそれを恐れた。かくて、「私小説」が生まれた。
物語論の見地からいえば、私小説とは、「物語の誘惑をできうるかぎり排した小説」と定義できるかもしれない。しかしそれでも、そこに何人かのキャラが出てきて何らかの行動をしたり会話をしたりする以上、ロラン・バルトが『S/Z』(みすず書房)でやったような繊細にして緻密きわまる分析を施せば、否応なしに「物語」は抽出されてしまうだろう。それが物語の真の怖ろしさなのだが、こんな話は専門的すぎるから今はいい。
横光利一みたいな人は、「傀儡(あやつり人形)ではない生きたキャラと面白いストーリーは両立できる」と唱え、自分でもそれを実践した。後世の批評家の中には厳しいことをいう人もいるが、そういう人に限って自分では小説を書かない。ぼく個人は、横光さんは健闘したと思っている。
ぼくのばあい、かなり長期にわたって「純文学」という箱庭に居り、ここにきてむやみに大衆小説、娯楽小説、エンターテイメント小説を読み漁っているので、かえって「純文学」の特異さが際立って見える。今も昔もリアリズムに依拠する純文学の誠実さ、志の高さは美しい。ただ、もうちょっと物語の誘惑に身を委ねてもいいんじゃないか。難しいところではあるが。
それに伴い、「純文学至上主義」がぐらついて、これまで「物語」だと軽侮していたもの、すなわち大衆小説、娯楽小説を熱心に読むようになった。むしろ純文学より、こちらこそが文学の本道ではないか。今やそんなふうにさえ思っている。
という話を前回やった。
ケン・フォレットを「文学の基準線」に据えるとは、ケンさんを神棚に祭ってほかを退けるという話ではない。逆だ。物差しなんだから、どしどし使わなきゃいけない。ケン・フォレットを物差しにすると、大江文学ははるかに高い。そして深い。しかしそのぶん、神経が細かすぎ、インテリくさすぎ、関心の領域が偏りすぎている、とも言える。いまどきの一般読者からすれば、高尚すぎるということになろう。
ケン・フォレットの作品が通俗だってことは論を俟(ま)たない。しかし、大江さんと並ぶ現代ニホン最高峰の作家・古井由吉さんは、「純文学をやってる者は、とかく通俗小説をバカにするけど、俗に通じるってことは、ほんとはとっても難しいんだ」と言っておられた。ぼくがケン・フォレットに敬意を払うのは、まさに俗に通じているがゆえである。
俗に通じるとは、「卑しい俗情に媚びてやる」ってことではない。「ふつうの大人が読むに堪える」ということだ。日々心身をすり減らしながら、この世知辛い浮世を渡っているわれわれが、すんなりと感情移入できる小説。そういうことである。大人が読める小説を書けるのは大人だけだ。
「100年三部作」を読むと、作者自身の人生体験に加えて、社会や政治や経済や歴史や風俗についての幅広い知見の蓄積を感じる。もちろん綿密な取材もしてるんだろう。世の中と人間の裏面について、あるいは暴力や悪意についての考察も怠りない。そのうえで、さまざまなキャラが縦横に絡み合いながら豊かなストーリーを織り成していく。文章は簡潔で飾り気はなく、しかし必要なことは的確に伝える。これぞ小説ほんらいの魅力ではないか。
ケン・フォレットを好きなのは、大衆小説や娯楽小説に往々にして見られるような、「ストーリーの面白さのために肝心の人間性を犠牲にする」ところが殆ど見られないからだ。ちなみに、これに関して真っ先に思い出すのは綾辻行人の『十角館の殺人』(講談社文庫)だ。どんでん返しをやりたいために、あれだけの血を流すとは。何ちゅう幼稚な話であろうか。あんなのが混じってるから、ぼくは推理ものを好きになれんのだ。
ただ、『十角館の殺人』みたいなものは、明治この方の「近代小説」ではなく、江戸期の「戯作」の変種として捉えるべきかもしれない。嫌味ではない。「近代小説」ではなく「戯作」として評価するならば、『十角館の殺人』はなかなかの作だ。
いきなり話が大きくなるが、文学の祖型はそもそも神話だ。それが流れ下って昔話や伝説となり、人々の口から口へと語り継がれる。いっぽう文明化した社会では、長短さまざまの詩や戯曲、随想録のような散文などが発達し、優れたものは文献となって残された。けれども、いわゆる中世から近世にかけて、「人間」なるものを濃やかに描いた作品はない。まあ源氏物語、『神曲』、シェイクスピア、『ドン・キホーテ』といった巨大な例外はあるけれど、それらが山脈を形成したわけではない。制度としての「小説」が成立したのは、やはり「近代」になってからである。近代になって近代小説が成立したなんて言ったら、これは同義反復(トートロジー)だけど。
近代以前、つまり近世、つまり江戸期の日本においては、戯作が読みものの中心だった。町人や下級武士たちはそれを読んだ。知識人たちは漢文の世界に生きていたが、漢文で物語が綴られたわけではない。それは学問と詩のための道具だった。馬琴だって漢字かな交じり文で物語を書いたのだ。明治維新がきて、「西欧」がどっと流入し、新しい時代にふさわしい新しい「読みもの」が必要となったとき、何人かの俊英たちが苦心惨憺してそれに応えた。そのときに「自我」や「内面」や「私」、さらには「風景」「告白」といったものがつくられた。むろん直ちにできあがったのではなく、たくさんの人々(必ずしもそれは文学者とは限らない)の手を経て、少しずつ形成されていったわけだけれども。
「自我」や「内面」や「私」の形成に携わったのだから、明治から大正期の(純)文学者たちはもともと精神世界に近いところにいた。べつにスピリチュアル系って話じゃないけど、少なからぬ人が「キリスト教」に近いところにはいたのである。ぼくが前回の記事で告白(笑)したように、今日においてなお、純文学が宗教(的なるもの)の代替となりうる要素は揺籃期にあったということだ。
ともあれ、「近代的自我」をもったキャラクターを確立するために、(純)文学はストーリーの面白さを蔑ろにした。そうしなければならなかったのだ。「筋(物語)」と「キャラ」とを比べたら、物語のほうが強いから。だって、神話以来の伝統をもってるんだから。昨日きょう成立したばかりの「人間」が、これに敵うわけがない。モノガタリを思う存分繰り広げたら、キャラはそこに取り込まれ、ただそれを前に進めるだけの傀儡(かいらい)となってしまうだろう。初期の(純)文学者たちはそれを恐れた。かくて、「私小説」が生まれた。
物語論の見地からいえば、私小説とは、「物語の誘惑をできうるかぎり排した小説」と定義できるかもしれない。しかしそれでも、そこに何人かのキャラが出てきて何らかの行動をしたり会話をしたりする以上、ロラン・バルトが『S/Z』(みすず書房)でやったような繊細にして緻密きわまる分析を施せば、否応なしに「物語」は抽出されてしまうだろう。それが物語の真の怖ろしさなのだが、こんな話は専門的すぎるから今はいい。
横光利一みたいな人は、「傀儡(あやつり人形)ではない生きたキャラと面白いストーリーは両立できる」と唱え、自分でもそれを実践した。後世の批評家の中には厳しいことをいう人もいるが、そういう人に限って自分では小説を書かない。ぼく個人は、横光さんは健闘したと思っている。
ぼくのばあい、かなり長期にわたって「純文学」という箱庭に居り、ここにきてむやみに大衆小説、娯楽小説、エンターテイメント小説を読み漁っているので、かえって「純文学」の特異さが際立って見える。今も昔もリアリズムに依拠する純文学の誠実さ、志の高さは美しい。ただ、もうちょっと物語の誘惑に身を委ねてもいいんじゃないか。難しいところではあるが。