ドイツの文豪(にして自然科学者にして政治家にして法律家)ゲーテ(1749 寛延2~1832 天保3)の代表作『ファウスト』において、主人公のファウスト博士は、「もし自分が、『時よ止まれ、お前は美しい。』と心の底から思えるような、そんな瞬間が訪れたなら、そのときに私の魂をやろう。」との条件で、悪魔メフィストフェレスと契約する。
英語にも、「STAY GOLD」という慣用句があって、これをそのままタイトルに使った歌もいっぱいある(宇多田ヒカルにもある)。「STAY」といってるんだから、これも「光り輝くこの時をずっと」みたいな意味だろう。
ぼく自身は、根っからの苦労性のせいか不幸にしてそういう記憶がないんだけれど、「ああ楽しい。いつまでもこの時間が続けばいいな。」と思った経験は、子ども時分からの思い出をたどれば、たいていの方がお持ちなのではないか。
「HUGっと!プリキュア」における敵の組織は、「クライアス社」(泣き叫ぶ、という意味のcryと、暗い明日、との両義を含むのであろう)と名乗る謎の会社だ。
会社といいつつ、どのような経営手段で利益を生み出しているのかは(児童向けアニメなので)不明なのだけれども、その「企業理念」および「目的」だけははっきりしている。それは社長(プレジデント)たるジョージ・クライ(CV 森田順平)の信念でもある。
公式ページから転載させて頂こう。
クライアス社は創立以来、世界中の人々の幸福を願ってまいりました。
世に蔓延る明日への希望、そこに永遠はありません。
未来は必ずしも明るいわけではないのです。
我々はこれからも皆さまに本当の幸福を提供できるよう精進してまいります。
いかにもヤバい会社らしく肝心なところをぼかしてるあたりが生々しくて笑えるが、ようするに「時間を強制的に停止する。」のが、クライアス社の目的であり、「そうすることが全人類にとっての真の幸福なのだ。」というのが、ジョージ・クライの信念なのだ。
純文学ではとうていこれほどスケールの大きな悪役は出せないけれど(出てきたら単なるイカレたひとである)、SF小説、さらにマンガやアニメの世界には、たぶん先蹤(せんしょう)がいるとは思う。とはいえ、挫折して屈折して拗らせまくった元・政治青年(政治青年は、往々にして文学青年でもある)といった風情のキャラ造形とも相まって、プレジデント・クライ、なかなかに魅力的なのである。
今作のヒロイン、じゃなくてヒーロー野乃はなは、「みんなを応援! 元気のプリキュア、キュアエール」に変身せずとも、ふだんから「誰かを元気づけること、周りの人たちを笑顔にすること」をモットーとしている立派な娘さんである。
といっても、けして優等生ではなく、転校初日の慌ただしい朝に、イメチェンをはかって(工作バサミで)前髪を切って大失敗したり、遅刻して(それも人助けのためだったのだが)教室に駆け込み、派手にずっこけたりして、ネット上の一部ファンからは愛をこめて「アホの子」などとも呼ばれている。
ジョージ・クライは、なぜか早くからはながキュアエールであることを見抜いており、偶然をよそおって、これまでに何度か接触をはかってきた。むろん敵の総帥としてではなく、行きずりの、ちょっと風変わりな壮年(ぎりぎり青年かな?)男性として。
その「正体を隠しての接触」の総決算となったのが23話だ。ふたりの邂逅シーンではよく雨が降る。ここでも、一人きりになったはなが急な雨を避けて飛び込んだ公園の四阿(あずまや)が、幾度目かの再会の場所となる。
ここではなは、「すべてのひとが笑顔でいられる世界がぼくの夢なんだ。」と語るジョージに、「わたしと同じだ。」と目を輝かせるのだが、その直後、プレジデント・クライとしての本性をあらわした彼が、「そのために、世界の時間を止めるんだよ。」と誇らしげに宣言するのを目にして(当然ながら)ショックを受ける。
これはバトルアニメであるからして、はなはもちろん、ショックを受けるに留まらず、変身し、怒りに燃えて肉弾戦と相なるわけだが、そうやっていちどはジョージを退けてはみても、こころの痛みはとうてい癒えるものではない。
……といった、前回のてんまつを承(う)けての24話であったわけである。
それでもはなは笑顔を絶やさず、「どんなことがあっても、わたしたちの13歳の夏は1度きりだよ!」と高らかに述べて仲間たちを鼓舞し、「超ナイトプール」ならぬ「町内トプール」へ勇んで出かける。
愛すべき「アホの子」の面目躍如といったところで、見ているこちらもほっとする。開始時刻を待ちきれず、準備段階のうちに到着したのはいいのだが、そこは彼女の思い描く「いけてる大人のナイトプール」ではぜんぜんなくて、市民プールの中央に盆踊りのやぐらを組み、周囲には大漁旗や鯉のぼりを吊るした、珍妙なダサダサ空間であった。だから町内トだっていってるのに……。
それでこういうことになる。この手のギャグ顔は、ネットでよく「変顔」と称されているが、もはやそんなレベルではなく、「おそ松さん」に肉薄してるといっていい。
この顔のまま町内会長に詰め寄るはな。しかし、ここからがこの作品のいいところで、会長さん、「君たちヤング(ヤング、と会長さんはいうのである)が中心なんだから、君たちのセンスで飾り付けてよ。予算はたっぷりあるから。」という。一転、はなの顔がぱっと輝く。
ていよく使われちゃった、とも言えるが、そこは「育児」と「仕事」をテーマに据えるHUGプリ。はなたちは買い出しに行き、体操着に着かえて、プリキュアチーム全員で、「いけてる大人のナイトプール」を具現化すべく奮闘する。
その甲斐あって、見事な空間ができあがった。開始時刻がくる。歓声をあげてプールに飛び込む子どもたち。みんな笑顔にあふれている。そのなかには、はなの家族や、クラスメイトたちの顔もある。
ぼくが今回もっとも感じ入ったのはここからだ。ほかの4人の仲間と離れ、はなはひとりでプールに浮かぶ。自分たちが大汗をかいて創りあげた空間で、みんなが楽しく遊んでいる。ことさら言って回ったりはしないから、はなたちが功労者であることは誰も知らない。それはプリキュアとして世界のために素性を隠して闘い続けるはなたちの姿の写し絵ともなっている。
ジョージ・クライと何度となく言葉を交わしたのははなだけだ。「みんなが笑顔でいられる世界」を共通の夢として語り合ったのも、はなとジョージ2人だけのことだ。いくら明るく振舞ってはみても、心の痛みはやっぱり彼女がいちばん深い。だから一人にならざるをえない。
はなはもちろん、笑顔ってものは明日への希望があってこそだと信じている。しかしジョージは時間を止めるという。それだけが笑顔を守る唯一の手段であり、本当の幸福のありかたなのだと。
プールをゆっくり回遊しつつ、「ああ、みんな楽しそうに笑ってる。よかったな……」という表情をうかべるはな。しかし、なぜかとつぜんその表情がこわばる。
おそらくここで、「このすてきな時間がずっとこのまま続けばいいな」と、彼女は思ったのではないか。そしてそれが、つまりはジョージの「思想」と同じになってしまうことにも気がついてしまったんだろう。
深い。
このあたりの機微、ほんらいの対象視聴者層である児童のみなさんに果たしてわかるんだろうか。
はなは脅え、それから気を取り直し、「わたしはわたしのやり方で、このみんなの笑顔を守る」と決意を固める(台詞として語られるわけではないが、映像でちゃんとそう表現されている)。
しかしそれはあまりにも重い責任だ。涙がにじむ。それを隠すため、彼女は仰向けの姿勢でプールに沈み込んでいく。
戦友でもある仲間たちさえ、そんなはなの心に気づかない。母のすみれだけが不審をおぼえて遠くからそっと見守っている。
哀しくも美しいシーンだ。
もちろん、子ども向けアニメだから救いはある。えみる&ルールーが、はなたちにも内緒で準備していたサプライズ・ライブをぶちかまし、会場を「アスパワワ」でいっぱいにする。すぐにクライアス社の襲撃によって楽しいムードは薙ぎ払われ、不安と恐怖が周りを包んで、はな自身さえも立ち竦んでしまうのだけれど、しかし、えみルーコンビはひるむことなく、それを上回るパワーでライブを続行、ふたたびみんなが「アスパワワ」を取り戻す。
その「みんなのアスパワワ」が、今度ははなの力となる。「そうか。守るだけじゃなくて、わたしもまた、みんなから力を貰うんだ。」と、はなは気づいて、キュアエールに変身し、仲間と共に敢然と敵に立ち向かうのだった。
今作、5人のプリキュアがべったり横並びではなくて、オリジナルの3人と追加の2人と、いわば2チームに分かれているのがよい。
かくて敵を撃退し、こんどは屈託なく全員そろってプールを愉しむラストシーン、23話で身内から無惨にやられて消滅したかに思えた敵幹部のおやっさんが無事に生還していたことも判明し、ようやく心からの笑顔に包まれるはな。それを遠くから見つめ、「いい笑顔」とこちらも安堵の笑みをうかべるすみれ。前途はもちろん多難だけれど、このたびの危機を、はなはみごとに乗り切ったといえよう。