ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

できれば高1の夏休みあたりに読んでみてほしい日本の小説5選(24.05.26加筆)

2024-05-22 | 雑読日記(古典からSFまで)。
 今回は、この4月に高校に入った学生さんのための企画。といっても、そんな年齢のひとがこのブログを愛読してるとは思えないけど、しかしアニメの記事にはよくアクセスが集まるから、なにかの拍子で目にとまらぬとも限るまい。いずれにせよ、ブログってのは「メッセージ・イン・ア・ボトル」の側面がたしかにあるわけで、こういうものを置いておくのも無駄にはならないと思う。
 いまどきの流行りものについては若い人のほうが詳しいだろうから、いっそもう、ぼくがじっさい高校生のとき読んで強い感銘を受けた作品を選んだ。当時はいわゆる「バブル景気」の前夜。70年代の残影を引きずりつつも、「オシャレ」で「軽薄短小」な時代の予兆がそこここに見て取れる……。そんな時代であった。
 これらの小説は、そのころのぼくから見ても古めかしく感じられたが、しかしその後の人生のなかで、折にふれて何度となく読み返すことになった。そういう意味では掛け値なしの名作ぞろいで、読んで損をすることはない筈だし、じつをいうと、平成生まれがこういうのを読んでどんな感想を抱くか、ちょっと訊いてみたい気持ちもあるのだ。「1周回って(いや1周どころではないか……)新しい。」ということにならないだろうか。まあならないとは思うが。




 『芽むしり 仔撃ち』大江健三郎 新潮文庫
 そうはいっても、この5作のうちでとりわけ本作は、「いま読んでも新しい」というか、いつの時代にも衝撃をもって読み継がれる青春小説だと思う。「1958(昭和33)年に講談社から出版された大江健三郎(当時23歳)初の長編小説。」とwikipediaに記載がある。活字がページから立ち上がってくるような鮮烈な文体で綴られた、少年たちの極限状況下での短い日々。そのなかで見いだされる束の間の自由と高揚。あるいは友情と愛。そして、「大人たち(世間/社会)」への屈服と叛逆。まさしく普遍性にみちた「青春」の寓話であり、主人公たる「僕」の似姿は、今日のアニメなどにおいてもたくさん見つかるはずである。




 『黒い雨』井伏鱒二 新潮文庫
 「雑誌『新潮』で1965(昭和40)年1月号より同年9月号まで連載、1966年に新潮社より刊行。」とwikiにある。井伏さんは大江さんより40歳ほど年長なのだが、この作品は「芽むしり」よりも新しいのだ。田中好子さんの主演で映画化もされたからご存じの方も多かろうが、原爆の惨禍を記録に留めたものとして、日本を代表する名作である。しかし被爆小説、戦争小説という括りを超えて、文学として素晴らしい。人類史上未曽有の凶行と、それによって齎された辛苦を描きながら、筆致はどこまでも穏やかで正確で端整。声高に叫ぶわけでも、歌い上げるわけでも、繰り言をつらねるわけでもない。ときに飄逸ですらある。書かれている事柄は異常の極みなのだが、それはあくまで日常の延長のなかでの出来事なのだ。だからこそ、深い悲しみと衝撃が伝わる。小説のみならず、文章を書くうえでの心構えを学んだという点で、ぼくにとっては日本語散文のお手本のひとつである。




 『アメリカひじき・火垂るの墓』野坂昭如 新潮文庫
 高畑勲監督のアニメがあまりにも有名で、いまの新潮文庫版の表紙にも節子が描かれているが、さきの『黒い雨』の実写映画の公開が1989(昭和64/平成元)年、この『火垂るの墓』のアニメ版公開が1988(昭和63)年で、やはりこの辺りがひとつの「節目」であったのだろうか。まあ、それは同時にバブル経済たけなわの頃でもあったわけだが……。
 アニメから入った若い人などは、「ノサカ節」というべき独特な饒舌体の文章に戸惑うやもしれぬが、慣れてしまえばリズミカルな名文とわかる。日本という風土の深層から響いてくる祝詞もしくは呪詛のごとき文体である。
 原作は、wikiによれば「1967年(昭和42年)、雑誌『オール讀物』10月号に掲載され、同時期発表の『アメリカひじき』と共に翌春に第58回(昭和42年度下半期)直木賞を受賞。」とのこと。野坂さんは井伏さんより30歳ほど年少なのだが、執筆は『黒い雨』とほぼ同じ頃だった。どちらもずっしりヘビーであり、『黒い雨』『火垂るの墓』と、続けざまに2作を読んだらへとへとに疲れるけれど、しかし最低でもこのくらいは読んでおかねば「戦争」や「近代」や「ニッポン」について語ることはできないのではないかとぼく個人は思う。




 『流れる』幸田文 新潮文庫
 これは青春小説の対極で、「中年小説」とでもいうか、酸いも甘いも噛みわけた大人の小説である。「1955(昭和30)年に雑誌『新潮』に連載され、翌年出版された。その前年にデビューした幸田の、作家としての名声を確立した傑作。自身の体験を踏まえて、華やかな花柳界と零落する芸者置屋の内実を描ききり、第3回新潮社文学賞と第13回日本芸術院賞を受賞。ラジオ、テレビ、舞台で上演され、また成瀬巳喜男監督で映画化もされた。」とwikipediaにある。この齢になって読んでこそ真の味わいがわかるわけだが、これに高校生の身空で出会ったのは貴重な読書体験であった。いろいろと勉強になったと思う。平成生まれにもぜひいちど挑んでいただきたい。




 『父の詫び状』向田邦子 文春文庫
 「『銀座百点』の1976(昭和51)年から78年にかけて約2年間にわたって連載された、向田の随筆家としてのデビュー作。好評を博し、連載終了後間もなく単行本化された。昭和における日本の家庭像を見事に描いたものとして、向田の代表的な随筆作品と評される。」wikipediaより。
 昭和後期を代表する脚本家で、ホームドラマの名手といわれ、直木賞作家でもある向田さんだけど、その原点はここにある。いわば向田作品のエッセンス。向田さんは1929(昭和4)年生まれだから、16歳までを戦前/戦中に過ごされたわけだが、上で述べた男性作家たちの作品ほどには戦争の色は濃くなくて、そのぶん若い人にも親しみやすいはずだ。とかく手厳しい山本夏彦が、「戦前という時代」を知るための極上の資料として、向田邦子の作品については賞賛を惜しまなかった。小説家としてのデビュー作が発表された際には、「この人はいきなり出てきてほとんど名人である。」ともいった。
 向田さんのご家庭は、うちの両親などの家と比べて格段に恵まれていたはずだから、これが平均と思ってはいけないのだろうが、それでもそこに描かれた家族の姿は、たしかに当時の暮らしを知るための第一級の資料だし、もちろん、たんなる資料的な価値を超えて、文学作品として読み継がれるべきものである。いまどきの若い世代なら、ここに描かれた父親像を、「不器用ながら家族への愛情に溢れた父」ではなくて、むしろ家父長的な暴君……とみるのかもしれない。そういったことも含めて、ぜひ読んで頂きたく思う次第。




 それにしても、いつもながら記事を書くうえで大いにネットのお世話になった(今回はほぼウィキペディアだが。選んだ5作すべてに単独の項目が設けられているとは思わなかったけれども)。ぼくが高校の頃と比べていちばん変わったのはこれかもしれない。たとえば作品の掲載媒体や掲載年度、また作家の生没年など、ちょっとしたことを調べるだけでも、昔はほんとに大汗をかいた。隔世の感ですね。





コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。