ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

日本はアメリカに負けたのか。

2018-08-13 | 政治/社会/経済/軍事
 8月になると必ず『きけ わだつみのこえ』(岩波文庫 第1集・第2集)を読み返す。このことは毎年書いてると思う。
 2016年のブログをみると、

 ニッポンの夏は、とりわけ8月は本来、オリンピックでも高校野球の季節でもなく、ましてやポケモンGOに興じる季節でもなく、先の大戦を偲ぶ季節である。
 何よりもまずそれは、慰霊のため、鎮魂のための季節だ。旱天に鳴り響く蝉しぐれは、あれは無慮数百万の戦没者を弔う挽歌なのだ。
 ぼくは毎年、この時期になると岩波文庫の『きけ わだつみのこえ』を読み返す。広島にも長崎にも行かないし、靖国神社にも行かないけれど、ぼくなりの、それが慰霊ないし鎮魂の儀式なのである。

 と、かなりコーフン気味に述べている。『きけ わだつみのこえ』を読むと、どうしてもコーフン気味になるのである。
 きけわだつみのこえ? 何それ?という方もおられるかと思うので、長くなるけど、さらに続きも再掲しましょう。

 「きけ わだつみのこえ」は、あえて漢字で書くなら「聞け わだつみの声」だ。「わだつみ」とは、広辞苑には「わたつみ」として記載されているが、「海神」または「綿津見」と表記するそうで、読んで字のごとく「海の神」のことであり、さらにはまた、海そのもののことでもある。
 元ちとせの歌に「ワダツミの木」というのがあった。若い人にはそちらのほうでお馴染みだろうか。
 元さんには、「死んだ女の子」というショッキングな名曲もある。「ワダツミの木」は、やっぱり『きけ わだつみのこえ』が下敷きになっているのだろう。
(……中略……)
 この本の扉には、
 「なげけるか いかれるか  /  はたもだせるか  /  きけ はてしなきわだつみのこえ」
 と、どういうわけかすべて平仮名で、詩のごとき文句が記してある。
 漢字で書けば、「嘆けるか 怒れるか はた黙せるか 聞け 果てしなき ワダツミの声」だろう。嘆いているか、怒っているか、あるいはずっと沈黙を守りつづけるつもりなのか、それは定かでないけれど、それでもわたしたちは、「ワダツミの声」に耳を傾けなければならない、と、この本の編者は述べているわけだ。
 戦没学生たちの手記なのである。いや、学生とは限らないけれど、20歳くらいから、せいぜい25、6歳くらいまでの、あの十五年戦争で命を散らした若者たちの思いが、ここには言葉となって綴られている。
 ひとつひとつの文章は、どれも高潔で、知的で、真情にあふれている。兵卒として招集され、厳しい検閲を経ていながら、よくもこれだけ「生々しい肉声」が留められたものだ。その日本語の見事さには、読み返すたびに感銘を受ける。
 そしてまた、これほどの高い志と知性の持ち主が、ひとり残らず、あたかも城壁に卵を叩きつけるかのように、次々と死に追いやられていった事実を思い、そのことにただ暗澹とする。だから8月には、毎年ぼくは暗澹としている。


 といった具合で、コーフンしつつも暗澹としている。この本を読むと、だいたいまあ、いつもそういう気分になる。だからこの時期いがいはあんまり読まない。
 ただ、ぼくなんかのばあい、高校から20代前半くらいまでにかけて貪るように読み耽っていた作家たちがみな父親と同じか、さらにその上の「昭和ヒトケタ」世代だったから、ことさら「戦記もの」でなくとも、戦争体験の話はいわばデフォルトでしぜんと刷り込まれてきた。
 まず大江健三郎、井上ひさし、古井由吉、筒井康隆。もう少し上だと開高健、野坂昭如、五木寛之。そして丸谷才一、吉行淳之介、安岡章太郎、大岡昇平。
 もちろんまだまだたくさんおられる。
 三島由紀夫は昔から苦手で、ずっと敬遠していて、この齢になってなぜか夢中で読んでいるけれど、この人もむろん戦中派だ。石原慎太郎は今も昔も嫌いで、『わが人生の時の時』(新潮文庫 絶版)を除いていまだに読む気がしないけど、この人だってそうである。
 『きけ わだつみのこえ』に手記を留める若者たちは戦火に散り(という紋切り型の表現は、カッコよすぎて、本当は慎むべきかもしれないが)、わずかにその心情や思想の断片だけを遺した。上にあげた作家たちは生き延びて、戦後社会でモノカキとして身を立てた。
 その違いは、紙一重とまではいわないが、それほど大きなものでもないような気がする。
 『きけ わだつみのこえ』の中の文章の多くに、ぼくは激しく感情移入するし、だからこそコーフンもすれば暗澹ともさせられるわけだが、今年はすこしアタマを冷やして、「なんでこの有為な青年たちが戦没せねばならなかったのか。ていうか、そもそもなんであんな負け戦を始めやがったんだよボケが」ということを考えた。
 じつは2015年の8月に「なぜ日本はアメリカと戦争をしたか。」という記事を書いており、「太平洋戦争に踏み切るまでの経緯」についてはまとめた。これもさっき読み返したが、山のように不満はあるにせよ、ひとつのレポートとしては、まずまずそつなく纏まっていると思う。
 だが、じつをいうと、何というかもう、問題の立て方そのものに根本的な誤りがある……との感も否めない。この3年で、ぼくもいくらかは成長したようだ。
 「太平洋戦争(日米戦争)」をメインと見なし、「日中戦争」をその「前段」と見なしているところ。これがどうにも間違ってるんじゃないか。
 むしろ「日中戦争」こそが……というか、「日清~日露戦争いらいの日本と中国との関わり方」そのものに根源的なもんだいがあって、その延長として、アメリカ(その他)との戦争に踏み込んでしまったのではないか。
 與那覇 潤さんの『中国化する日本 増補版』(文春文庫)はものすごく面白い本だが、タイトルが誤解を招きやすいので、ぼくはカバーをかけて、表紙に「明快 日本史講義」と自己流の題をつけている。ようするにそういう本だ。
 この本の230ページに、こう書かれている。


  要するに、「あの戦争」とは日本と中国という二大近世社会が文字通り命がけで雌雄を競った戦いだったのであり、そして日本はアメリカに負ける前に中国に負けたのです。だって、アメリカとも戦わないと中国との戦争を続けられなくなった時点で、すでに負けじゃないですか。
  『あの戦争になぜ負けたのか』式の著作は山ほどありますが、負けた相手をアメリカだと書いている時点で、まったくわかってないのと同じ。対中戦争と対米戦線の両方を含んだ「あの戦争」をいかに呼ぶかについては、右派好みの「大東亜戦争」から左派好みの「十五年戦争」「アジア・太平洋戦争」まで諸案がありますが、私の授業では『日中戦争とそのオマケ』と呼べと指導しています。対米開戦以降の太平洋戦争自体が、それまでの日中戦争の敗戦処理なのです。
(與那覇 潤『中国化する日本 増補版』文春文庫より)

 これを読んだのは2014年の暮れだったけど、「さすがに言い過ぎだろう」と思った。けど、それからいろいろ資料をあつめて目を通し、自分でも「なぜ日本はアメリカと戦争をしたか。」みたいなのを書いたら、「いやどうもそう考えるのがいちばん正しいぞ」という気になってきた。
 日本の本土にいっぱい爆弾を落とし、沖縄に攻め込んできたのはアメリカの軍隊だけど、そもそも日本はその前に、大陸で中国に(と呼べるほどには主体を備えた「国家」ではまだなかったんだけど。でもって、そのせいでいよいよ話がややこしくなってたわけだけど)敗北を喫していたのである。
 「膠着状態」とはいうけれど、たんなる膠着じゃなくて、ずっと消耗しつづけてるんだから長引けば長引くだけジリ貧なのだ。短期決戦で勝負がつかず、「持久戦」にもつれこんだ時点で本当は負けてたわけだ。大陸スケールの「戦術」を、島国の尺度で量っていたゆえの錯誤であったか。
 軍部も政府も官僚も、もちろん一般庶民も、その事実上の「敗北」を認めることができず、結果として大日本帝国は展望もないままずるずるずるずる中国への派兵を続けた。そのあげくのハルノートであり、真珠湾だった。
 もろもろの要素を捨象して、思いきって一筆書きでやってしまえば、そういうことになる。
 アメリカではなく、中国とのかかわりを軸に、近代史を読み直してみよう、と思っております。


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