ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

ネオ・リベラリズム

2015-10-07 | 政治/社会/経済/軍事
 まえの「ダウンワード・パラダイス」ってのは、とにかく色んな話柄が雑多に詰まったブログだったんで、引っ越し後のこちらではブンガクに特化というか純化するつもりでいたし、現にそのセンでやってるんだけど、もとより文学ってのは文化の一部でありまして、その文化なるものは、どうしたって経済や政治に大きく左右されるわけですな。従属するとは思わない。そうはけっして思わないけれど、政治やら経済と、文化とを比べて、さあどっちが強いかっつったら、それゃあもう答ははっきりしてる。悔しいけれどしょうがない。本を齧っても腹はふくれないもんね。むしろお腹こわすわな。
 それでまあ、文学ブログとしてのダウンワード・パラダイスは、必要最小限、万やむを得ざる範囲内でのみ政治とか経済を扱う。といま決めましたが、そこで現在、このニッポンが採用してるというか、いや違うな、「もろもろの必然としてそうなっちゃってる」状況とは、新自由主義=ネオリベラリズムというやつです。だから「火花」なんてのも、ネオリベの文学なんですよね。一見するとネオリベの真逆をいってるようだけど、そこも含めて結局はネオリベの市場で消費される文学なわけだ。
 敗戦から70年、サンフランシスコ平和条約から63年経ってもなお、わが国がアメリカなしでは立ち行かないことは、先日の安保法制を見ても明白なんだけど、今も昔もアメリカってのは世界でいちばん面白い国だと思います。911およびイラク戦争以降、「軍事国家」としての本質が前面に出てきて相当コワモテになってるけども、そこも含めて面白い。怖わオモロい。20世紀、さらには21世紀の狂気も叡智もテクノロジーも、結局はぜんぶアメリカから出てるわけでしょう。日本がその対抗原理となることはありえない。EUもロシアもだめ。対抗原理になりうるとしたら、せいぜい中国かイスラームだけですよね。そうなっちゃあ大変だぞ、ってことで、安保法制になっちゃったわけですが。

 というわけで、アメリカについて書いた記事を「旧ダウンワード・パラダイス」から転載します。1960年代から70年代前半にかけてのカウンターカルチャー、ヒッピー・ムーブメントが、70年代後半のミーイズム(個人主義)を経て、露骨きわまる格差社会を生み出すラットレース的競争主義、市場原理バンザイ主義へと変遷していくプロセスを簡単に、ごく簡単にまとめたものです。「ホール・アース・カタログ」に代表されるカウンターカルチャー、ヒッピー・ムーブメントの精神はひょっとしたらこの21世紀における唯一の(!)希望かもしれないなんてことを私は妄想してるんで、これについてはいずれまた、ゆっくりと考えてみたいとは思ってるんですけどね。それではまず、「リベラリズム」についての軽い考察から始めて、本編へ。


 ネオ・リベラリズム
 初出 2009年12月06日


 フランス革命(1789 寛政1年)の有名なモットー「自由・平等・友愛」のうち、「平等」の理念を至上とするのがコミュニズム(共産主義)だとすれば、「自由」を至上とするのがリバタリアニズム。ざっくりと要約すればそうなる。リベラリズム(自由主義)を極限まで推し進めたものとして、絶対自由主義、と訳されたりもする。

 リバタリアニズムはほんとうに極限の概念なので、これを徹底すると「国家」そのものまで消えてしまう。真逆であるはずのコミュニズムと同じことになる。両極端はぐるっと回って合致するのだ。それではいくらなんでもということで、これを本気で追求している国家なんてない(自らの消滅を追求する共同体なんてあるわけがない)。ただ、「小さな政府」や「規制改革」「民営化」を叫ぶのは方向としてはリバタリアニズムである。しかしそれならば税金は下げねばならぬのに、税だけは取って保障はどんどん切り下げる。このような立場を新自由主義、横文字でネオ・リベラリズムという。庶民にはいちばん迷惑な話だ。

 ネオ・リベラリズムはむろんリベラリズムを母体としている。これは私たちにも馴染み深いものだが、ヨーロッパとアメリカとでかなり意味が変わるので、時に混乱を生じる場合がある。整理しておくに越したことはない。

 世界史が急激にスピードを速めた、すなわち「近代」が始まったのがイギリスの産業革命とフランス革命からだというのは定説といっていいかと思うが、じつは、逆説的ながら「保守」という概念もまたこの時に明確になった。つまり「保守主義」は、そもそも「反動」として成立した。

 大革命が起こるや否や、海峡を隔てたイギリスの思想家エドモンド・バーク(1729 享保14年 ~1797 寛政9年)が、痛烈にそれを批判したのだ。この批判に端を発するヨーロッパ型保守主義は、「進歩」を疑い、理性による社会設計を否定し、伝統の破壊を憤り、経済の目まぐるしい革新を好まない。その代わり、緩やかな階級的秩序を重んじ、オーソドックスな権威を尊び、家族・共同体・国家の役割を個人の上位に置く。だからヨーロッパで「リベラリズム」と言えば、それはこの保守主義と正反対の、個人を重んじる自由主義を意味する。

 いっぽう、移民によって創られ、いきなり近代から始まったアメリカという国の保守主義は、これとはずいぶん違っている。自主独立の気風が強いから、「平等」の概念を重視せず、初めから「自由」をすべての価値の最上位に置く。自らの力で人生を切り開く、独立した個人を中心に据え、制約のない市場の中での、能力を生かした競争原理を旨とする。とうぜん進歩やテクノロジーを信奉するし、絶えざる革新や創造的破壊を推進することにもなるだろう。片や政府はなるべく小さくして、所得の再分配や福祉政策は必要最小限にとどめる。働かざる者食うべからず。つまり平等が嫌いなのである。だからアメリカで「リベラリズム」といえば、アメリカ的な自由主義/競争原理に反対するもの、すなわち左寄り、ヨーロッパでいう社会民主主義に近いものとなる。

 だからヨーロッパ型の保守を「保守」と呼ぶのはすんなり納得できるが、アメリカ型のそれは、そもそも「保守」とは言い難いものに思える。政治的にはおそらく、「共和主義」と呼ぶのがふさわしいのではないか。南北戦争の際、奴隷制廃止を主張したのは共和党のほうだった。それは「人種の平等」を重んじたという以上に、奴隷制度が経済発展を阻害していると分かっていたからだ。そして、経済的な面からいうならば、まさにこれこそ「新自由主義」だろう。つまりアメリカという国は、たとえ民主党が政権の座に就こうと、その本質において「新自由主義」な国家なのだし、さらに言うなら、「軍事国家」でしかありえないのである。

 そこで新自由主義/ネオ・リベラリズムだが、これは格差拡大の元凶として、小泉=竹中政治を批判するうえで繰り返し俎上に乗せられたから、たいていの方はご承知であろう。何よりも市場原理を重んじ、政府はなるべく小さくして、国家や公共によるサービスを縮小し、大幅な規制緩和によって、民間業者どうしの競争を激しくしようとする考え方だ。このたび仏大統領の座に就いたサルコジ氏も、この路線を目指すと言って選挙に勝った。ドイツのメルケル首相も同じ考えらしいから、先進諸国のアメリカ化は、欧州においても顕著であると見ていいだろう。

 いっぽうでアメリカは、とても人権意識の高い、世界に冠たる「リベラル」な国だともいわれる。先にも書いたが、思想のひとつの形態として見れば、個人の「自由」に最大の価値を置く点で、「ネオ・リベラル」と「リベラル」とは同根だ。しかし経済面における「新自由主義」的傾向と、政治・社会面における「リベラリズム」的傾向とは、相容れない面のほうが多い。先述のとおり、経済面での「新自由主義」がいかにもアメリカ的な理念であるのに対し、政治・社会面における「リベラリズム」は西欧型の理念なのである。

 だからアメリカにおいても、新自由主義は社会的強者、ないし強者たりうる自信に満ちた層に支持され、リベラリズムは社会的弱者やマイノリティー、または弱者というほどではないにせよ、激しい競争を好まない層(概して文化的なインテリが多い)に支持される。現代アメリカ史において、少なくとも70年代までは、双方のバランスが割合うまく取れていた。これが崩れてはっきり強者寄りへと傾いたのが、80年代の特徴かと思う。

 小泉=竹中内閣の構造改革の原点は、1980年代の中曽根行革にある(国鉄をJR各社へ、電電公社をNTTへと、それぞれ民営化)。それはイギリスにおけるサッチャリズム、アメリカにおけるレーガノミクスと共に、先進主要国のネオ・リベラリズム的潮流の中での政策だった。中でいちばん徹底していたのはサッチャー女史だが、ここではアメリカに話を絞る。1981(昭和56)年に米大統領に就任したロナルド・レーガンは、社会福祉費の大幅な削減と、大規模な企業減税とを打ち出した。この二本柱に軍事費の拡大がきっちりセットになっているところが、アメリカのアメリカたる所以なのだが。

 この時のレーガンの政策は、国内における保守派の本格的な巻き返しとして、「保守革命」と呼ばれたりもする。保守革命とはあたかも「黒い白鳥」と言うがごときだが、保守というのがもともと反動であったという先ほどの話を思い起こして頂きたい。裏返して言えば、それまでのアメリカは、色々と曲折はあれ、「大きな政府」のもとで、「リベラル」な空気を謳歌していたということだ。そのあいだ、保守派のグループは苦々しい気分を抱き続けていたわけである。

 その端緒はじつは戦前にまで遡る。1929(昭和4)年、ウォール街での株価暴落に始まる恐慌は、アメリカ全土をかつてない危機に陥れたが、フーヴァーに代わって1933年に大統領に選ばれたF・ローズヴェルト(民主党)は、周知のとおり、ニューディール政策によってこれに対処した。税金を投じて銀行や農家を救済し、政府企業によるテネシー渓谷の総合開発に取り組み、さらに労働者の団結権・団体交渉権をも認めたこの政策は、当時のアメリカという国の政治体制の中で、最大限にケインズ的な実験を試みたものといえるだろう。つまりこれこそ、アメリカ的な意味での「リベラリズム」の実践であった。

 ニューディール政策についての評価は、じつはまだ定まっていない。ひとつには、途中から第二次大戦が始まったために、政治・経済・軍事面において、戦争の影響があまりに大きく、政策そのものの効果が測りにくいこともある。しかし明瞭に言えるのは、アメリカの各州ならびに利害の錯綜する諸集団(ビジネス・農民・労働者・消費者など)を調整するための機関として、連邦政府の力がそれまでになく拡大したことだ。すなわちここに、「大きな政府」が確立した。貧困層は依然として貧しいままだったが、それでも労働組合が増員したり、アフリカ系アメリカ人の人種差別禁止命令が出されたりと、社会的弱者の権利も少しずつ認められるようになった。ただしその一方、「軍産複合体」といわれる国家中枢と大企業との癒着が、この時期に始まったのも事実なのだが。

 アメリカという国が終始一貫して軍事国家であり、国家としてのロジックの根幹に軍事を置いていることは少し注意深く見れば明らかだが、それでもなおあの国がかくも魅力的なのは、ファッションや映画やロックをはじめ、世界に向けてポップでヒップなカルチャーとライフスタイルとを発信し続けてきたからである。その源泉となってきたのが、多様な民族から成る民衆たちの逞しい活力であり、それこそが戦後アメリカの「リベラル」な空気そのものだった。軍事一色でガチガチになり、国民を一つの色に染め上げてしまえば共産主義国と変わらない。そんなアメリカを誰が好きになれるだろうか。

 ニューディールのあと、戦時下ではとうぜん共和党が盛り返してリベラル派はいったん後退したし、ローズヴェルト急死の後を受けたトルーマン大統領は「トルーマン・ドクトリン」によって冷戦構造を戦後世界のパラダイムの基調に据えた。国内でもマッカーシー旋風が吹き荒れ、共産主義者はもちろん、穏健なリベラル左派まで攻撃された。50年代には朝鮮戦争も勃発した。戦後のアメリカにおいて、軍事費が切り下げられたり、大企業の権益が抑えられたりしたことは一度だってない。それでもリベラリズムの水流は途絶えることなく、少しずつ勢いを増して広がっていく。むしろ戦争や経済成長に促されるようにして、マイノリティー、ことにアフリカ系アメリカ人の権利意識は高まった。1960(昭和35)年にJ・F・ケネディーが大統領の座に就いてのち、その水流は公民権運動となって全米を揺るがす。

 ケネディーが暗殺されてから、アメリカはヴェトナムの泥沼に足を取られていくが、そのさなか国内においては学生運動とニューレフトの活動、そしてカウンター・カルチャーが盛んになった。浦沢直樹『20世紀少年』の発想の原点というべきウッドストックの音楽祭は、まさにヴェトナム戦争真っ只中の1969(昭和44)年に行われたのだ。テントすらない野原の上に、3日間で40万人が集まり、さながら束の間のコミューンが生まれたごとき光景だったという。その動きはとうぜん反戦運動へも連なる。おそらく世界史上、あれほど大規模な反戦運動を抱えこんだ戦争はない。国外で戦争を推し進めつつ、国内ではリベラリズムが沸点に近いところまで高揚する。ここにヴェトナム戦争とイラク戦争との違い、60年代とゼロ年代との圧倒的な違いが横たわる。

 こうやって資料を頼りに近過去のおさらいをするといつも思うが、やはり1968(昭和43)年から69年にかけての2年間が、戦後史の一つの頂点だったのかも知れない。1970年代に入ると、街頭での政治行動は沈静化し、だんだんと内向していく。ウォーターゲート事件によるニクソンの辞任が1974年、ヴェトナム戦争の終結が1975年。60年代がもたらしたヒッピー・ムーブメントは、形を変えて社会の中に根付いたものの、それが連帯と変革を求めてのうねりへと高まっていくことはもうなかった。1970年代の後半は、「ミーイズム」の時代と称される。元号でいえば、興味深いことにちょうど昭和50年代と重なるわけだが。

 ミーイズムとは直訳すれば「自分主義」ないし「わたし主義」か。社会への働きかけを嫌い、変革をあきらめ、他人との紐帯を求めることなく、ひたすらに自らの内なる楽しみの中へと沈潜していく志向をいう。思えばこれは、まさにわれらが21世紀、平成の御世の若者たちの姿ではないか。私がアメリカにこだわるのは、その影響力があまりに大きく、アメリカの動向を抜きにして日本のことが考えられないせいもあるけれど、もうひとつ(それとも関連しているが)、戦後日本のトレンドが、10年単位でアメリカのそれを踏襲しているという理由もあるのだ。

 ともあれ1981(昭和56)年、カーターという影の薄い大統領が退陣したあと、R・レーガンが大統領になる背景はすでに整っていたといっていい。同じ「リベラリズム」の枠の中ではあれ、ミーイズムは紛うかたなき保守化である。社会全体の変革ではなく、自分(とせいぜいその家族)だけの幸福や快楽を求めるのなら、なにも苦労ばかり多くて実り少ない社会運動なんかせず、有能なビジネスマンとなって金儲けに勤しむのがいいに決まっている。日本がバブルに沸き立つ頃、アメリカでは「ヤッピー」という言葉が生まれていた。YOUNG URBAN PROFESSIONALSの略で、「都会やその近郊に住み、知的専門職をもつ若者たち。教育程度も高く、収入も多く、豊かな趣味を持っている」階層のことだ。むろん財テクにも長けている。

 1989(昭和64=平成1)年、レーガンの「保守革命」を継いだブッシュSrは、湾岸戦争を遂行したものの、一期4年しか続かなかった。次いで保守派にとっての雌伏期ともいうべきクリントン政権の8年間に(べつにクリントンが平和主義者だったわけでもないが)、アメリカの保守思想はより強靭で広範なものへと変質を遂げた。その新しい保守勢力は、文字どおり「ネオ・コンサーバティブ」と呼ばれる。日本ではネオコンという略称のほうが通りがいいか。この集団に支えられて成立したのが2001(平成13)年からのブッシュJr政権であり、ここにアメリカは(ひょっとしたら世界は)本格的な「第二次・保守革命」の時代を迎える。新自由主義=ネオ・リベラリズムが、改めて21世紀のハイパーリアルなイデオロギーとなっていくわけである。

 変な話だが、アメリカにおけるネオコンの台頭と、わが国における小泉=竹中政権の誕生とがあまりに符合しすぎていて、ちょっと陰謀論に色目を使いたくなる。陰謀論とジャーナリズムとのあいだの絶妙なポジションに身を置く広瀬隆氏の著作は、やはり一度は目を通しておくべきかと思うし、ことに『アメリカの経済支配者たち』『アメリカの巨大軍需産業』『アメリカの保守本流』(すべて集英社新書)の三部作には、私も教えられるところが多かった。ただ、陰謀史観というやつは、それがユダヤ資本だろうとフリーメーソンだろうとビルダーバーグだろうと、「ごく一握りの権力者たちがシナリオを書き、それに合わせて世界がうごく。」といった図式に収まってしまう。つまり、勤労者=消費者としての「大衆」というファクターが捨象されてしまう。

 しかしこうして見ていくと、けして上からの操作ばかりでなく、大衆の意識レベルの変遷が、ネオ・リベラリズムを招き寄せた経緯がよくわかる。そして世を席巻した新自由主義は、グローバリズムの凄まじい奔流と相俟って、ひとつの巨大なシステムと化し、世界全域を飲み込んでいく。


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