いまから4年程前の話になりますが、太田元夫君の呼びかけで、栄光の競歩会コース(京浜久里浜 ~ 逗子:31km)を歩きました。そのときのことを思い出しながら、ご報告させていただきます。
2008年3月22日(土)・快晴、京浜久里浜駅・朝9時、集まったのは、奥の細道2,200KMを踏破した太田元夫君、自衛隊で若い頃、2昼夜で120Kmの行軍をしたという田中石城君と私の三人。
京浜久里浜駅 出発前
最初にへばりそうだという理由から、私が先頭に立って歩きだす。出発するとすぐに尻こすり坂にかかる。中学時代、一気に坂を駆け上った記憶があるが、この日は思っていた以上に長い。坂を上りきると、そこからは下り、気持ちのいいウオークが始まる。
野比~長沢~三浦海岸と快調に歩き続ける。昔、この辺は下宮田海岸と呼ばれた静かな漁村だったのが、いまは綺麗に整備され山側には新しい家が立ち並び海側は護岸工事された岸壁が続く。海側に奇妙な三角形の建物が!何かと思って近づくと、これが公衆トイレ。ここで小休止。
三浦海岸駅前を右折する。またまた緩やかな登り、広がった大根畑の向こうに富士山が見える。引橋到着(11:00)、ここまで約2時間。中学時代はこの辺りまで走ってきたような気がしていたが、きょうは遠かった。「ここからは下りが続く。」というぼんやりとした記憶で、「逗子はもうすぐ。」と思ったが、実際は、まだ1/3程度しか来ていない。逗子はまだまだ遠い。
初声~武山と平坦な道を歩き続ける。長い、長い塀が続く海上自衛隊の基地脇を通り抜ける。そろそろ昼食と思ったが、食事をする場所が見つからない。すいたお腹を我慢しながら歩き続ける。林の交差点付近で漸くラーメン屋さんを見つけ少しほっとする。スマートな太田君が沢山食べるのに驚く。普段からテニスをして鍛えている人は食べる量が違う。
長井付近で太田君の携帯が鳴った。「ごっつあん(後藤典彦君)が後からついてきている。」後藤君の電話は、「京浜久里浜駅に9:00に少し遅れたため、誰もいなかった。そこで一人で歩きはじめ、いま引橋付近にいる。」とのことだった。そこで葉山での待ち合わせを決め、後藤君は三崎口からバスで来ることになった。佐島~秋谷~長者ケ崎と平坦な海岸線を歩き続ける。御用邸前に到着、あと少しと思った途端に元気が出てきて、急にギアチェンジ、スピードが一気に上がる。
長柄トンネルを抜けたところで後藤君と合流し蘆花記念公園に行く。丘の上から相模灘が見える。中学時代、境野先生に暗唱させられた「相模灘の落日」看板が立っていた。
後藤君の案内で競歩会のゴール地点「聖マリア幼稚園」へ行き記念写真を撮る。競歩会では、確かこの幼稚園に着いてからの昼食、あの時は何時頃だったのだろう?きょうは4時頃の到着。途中で少し寄り道をしたこともあるが、いまから思うと、当時は信じられないほど早く歩いたことになる。あの頃は、みな若く、元気だった。とにかく逗子に到着・ゴールイン。(45,000歩)。
中学時代の思い出に耽りながらの楽しいウオークだった。
そして最後にサプライズが、ゴール地点に川原君、重山君、武田君、益井君が待っていてくれた。
逗子駅付近のお店でお祝いの飲み会。昔の仲間はありがたい。
後列(左から)太田 後藤 奥山
前列(左から)重山 川原 田中 武田 益井
(追記)
ブログに掲載しようと4年前のことを思い出しながら書かせていただきました。改めて写真を
見直すと、今の自分よりはるかに若い。わずか4年間で、こんなに<老けてしまった。>
と少しがっかりしています。
(奥山*巖)