足し算、引き算
若いころは年齢を数える時、前向き思考で歳を加算して喜んでいたものだ。
赤ちゃんが生まれると、その成長をいとおしむように、月単位で歳を数えてゆく。もう五カ月? 大きいわねー、と言われると、そおーと、思わず笑みがもれるお母さん。
そして、幼稚園、一年ごとに呼び名が変わり、年少さんから、年中、年長さんと、年齢を足してゆくのがとてもうれしい時期。小さな指を突き出して、五本指になる頃にはもういっぱしのお兄ちゃん。それから、小学校、中学校、高等学校、そして大学生と教科書を睨みながら、クラブ活動に青春を謳歌する十代も終わり、いよいよ、成人式、己の歳を真正面に見すえる儀式に臨み、自分の年齢を客観的に認識させられる。人生の足し算をからだの芯で感じはじめる。
そして、就職、時間に追われ、毎月のノルマにしばられ、上役の顏を気にして、仲間同士で愚痴りあっているうちは、まだ歳が加算される意識から遠ざかっているかもしれない。
四十も半ばを過ぎるころ、残業の疲労が思うように抜けきれず、ボチボチ、自分の年齢を感じ始める。でも、まだ、歳が加算されている実感はない。やがて、五十を回るあたりで、そろそろ己の実力の限界を悟り始めるはずだ。せいぜい、部長止まりだろうか、役職は無理だろう、定年まであと何年だろうかと、引き算に変わり始める分岐点。平均年齢が八十歳として、残りの人生はあと何年かと、真面目に計算を開始する。
そのうちに、この引き算にも飽きてくる。なるようになるさ、と開き直りの心境で、六十、七十の下り坂をマンネリ気味に過ごしてゆく。この季節、まだ、足し算を続ける元気な老人もおられるが、大半は引き算する時間が長くなるはずだ。定年になると、老後の生活設計に向けて、真剣に引き算を何度も繰り返す。正解はないのだが、人間ドックで己の健康状態を確かめつつ、最新の寿命統計に目を這わせ、何度も年齢のソロバンをはじきなおす。
心身の調子がよくなると、すぐに足し算を始め、からだの具合が悪くなると、引き算にかわる。人は所詮、煩悩のかたまりにすぎず、晩年になれば足し算と引き算の繰り返しの毎日。こちらは欲が深いのか、まだ足し算を試みているところがあるが、いずれ足し算を完全に放棄するときが来るはずだ。それまでは煩悩のままに足し算でゆこうかな、と思いつつも、まだ覚悟ができていないのか、と、もう一人の自分が陰でそっとささやく声が聞こえる。
足し算と引き算が一緒になるその日まで、できることを一生懸命にする、それが人生。足し算、引き算がまだ、頭の中で、できているうちは、それはそれで幸せな人生ではないだろうか。
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