栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

若かった頃の思い出(ニューギニアの巻 (第6話)名門ワイガニ・ゴルフクラブ(Okubo_Kiyokuni)

2013年09月15日 | 大久保(清)

 (第6話) 名門ワイガニ・ゴルフクラブ  

 オーストラリア人はさすがと思うことの一つにゴルフ場がある。多分、これは、英国譲りの伝統なのであろうが、どんな未開発地区に行っても、或る人数の男衆が集まるとクラブが創設される。この中でゴルフクラブは代表格。ポートモリスビーも例外ではなく、立派とはいえないが、広いコースとバラックの喫茶室があり、ともかくカントリクラブはある。名前は、土地の名にちなんだワイガニ・ゴルフクラブ。生まれてゴルフクラブなど握ったことも無かったが、1年以上の滞在となると、休日の楽しみはゴルフのみとなる。

  初めてのプレーは、日本と違いゴルフ練習場通いは省略、最初からコース練習である。7番アイアン一本だけ持たされ、先輩の後を、ただひたすらボールを転がしていく。ゴルフボールを打つが、地面より殆ど上がらないので、ゴロベースである。(この言葉知っていますか、多分知らないでしょう、おじいさんに聞いてください)宿舎の庭では、夕方、ブーゲンビリアの花びらを芝生に置き、ボールにしたて、花びらを飛ばした。毎日曜日に、事務所の日本人仲間に誘われて、何回もコースに通えば、20代の若さゆえ、それなりに上達していく。

  

   (ラフに入ったら大変、蛇に注意)

 ニューギニァは当時、オーストラリア管轄にあったが、日本大使館が設立されていた。当時の大使は、まだ数の少ない日本人の親睦を兼ねて、毎年、ゴルフコンペを開催してくださり、立派な賞品を提供してもらった。大使のゴルフのハンディーは忘れてしまったが、私は、25ぐらい貰っていたと思う。コンペ当日、パートナーは国連事務所分室に勤める、K君、大使館のコック長のS君(日本料理専門)の3名で、皆初心者らしく和気あいあいとプレーを続けた。上がってみると、97。ネットで72パープレーである。結果発表が始まり、大使の横でコック長が、私にウインクしながら、スコアーを読み上げた。日本の所長(Co-Team Leader)はグロスでは80台と飛びぬけていたが、何せ、ハンディーが低く、ネットで73.彼の悔しそうな顔が未だに記憶に残る。当日の賞品は透かし彫りの素晴らしい木彫りで、私の居間の棚に今も鎮座している。ニューギニアに観光に行ったら木彫りを是非買ってください。

 ゴルフ場は、日本と違い、会社接待利用は皆無。娯楽施設が少ないニューギニアともなれば、地域の社交場であり、週末は、家族団らんの憩いの場所にもなる。普段は、プレーをした後に、ビールタイムとなるが、毎月第2土曜日は一切プレーが禁止され、ゴルファーとその家族達総出で、コースのお掃除デーとなる。南の国ののどかな、とはいえ、暑い午前中、皆バケツを持ち、広いコースに分散し、小石を拾い集める。一杯になったら、もう一回一杯にするまで頑張る。途中、枯れ枝も拾い、裏の捨て場に集める。この作業は、子供たちも参加し、走り回ると、時々、リスや猿が周りの木々から声援を来る。

 炎天下の作業は、頑張っても2時間が限界。三々五々、それぞれクラブのトタン屋根の下に戻り、ご婦人達が用意してくれるつめたーいレモネードで生き返り、沢山のサンドイッチをほうばる。実に和やかな風景である。オーストラリア人と一緒に仕事をしなければ味わえない時間でもある。クラブの古参メンバーはバーに繰り出し、冷たいジントニックをすする。彼らは、酒が強く、飲酒運転はいつもの事であるが、滞在中にそれらしい事故を見ていない。今の日本を見ると、ほろ酔い運転が懐かしい。

   

       (ゴルフのあとの一杯)

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