栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

きよちゃんのエッセイ (96)”彼岸花”(Okubo_Kiyokuni)

2018年09月07日 | 大久保(清)

 彼岸花

 彼岸花は、九月中旬、夏草が勢いを弱め、鮮やかな夏の花の色が消え始めたころ、ここに隠れていましたよといわんばかりに、田んぼのあぜ道や里山の斜面に群生して咲き始める。

細長いうす緑の茎をすっと立ち上げ、きれの良い細めのユリのような真っ赤な花びらをリボン状に絡みつくように咲かせ、その周りを赤い針金のような雄蕊、雌蕊が花火のように吹き上がる、どこか妖艶な冷たさをおびた、野性的な花である。

 植物学的に観ると、派手な色あいの印象とは違い、かなり実用的な花のようである。地下茎にはでんぷんが含まれ、水にさらして食用になるため飢饉に備えて田んぼのあぜ道に植えられ、強い臭いと根にある毒性のために動物達を追い払う効用もあり、墓地周りにも植えられてきた。昔の人たちの美意識と生活の知恵に感心させられる。

 朝晩の頬にあたる風に涼しさを感じ始めるころ、いつもの場所で、いつもの変わらぬ艶やかな立ち姿に出合うと、なぜか、ほっとした気持ちにさせられ、心の安らぎをもらうのだが、同時に、もう一年経ってしまったのかと、時の流れの速さに驚かされる。

こちらの誕生日は彼岸の中日にあたり、いつも誕生日に合わせて咲いてくれてありがとう、と口の中でそっとつぶやきながら横を通りすぎてゆく。そして、古希も過ぎ、歳のせいであろうか、これから何回会えるだろうか、と迎える年月に思いをはせる。

 むかしのことを思い返せば、彼岸花は子供らが遊びまわる通いなれた道端に、何気なく咲いていた。夕日が沈むころ、稲かけの田んぼの向こうに遠ざかっていく友達を見送る、その視野の隅にひっそりと映っていた。昔の遊び友達の声が、夕方の風に乗って、あぜ道のほうから聞こえてくるような気もする、なぜか、郷愁を誘う幼少期の原風景のような花である。

 彼岸花は曼珠紗華とも呼ばれ、花言葉は、―あきらめ、悲しい思い出、恐怖、再開、また会う日を楽しみにーと、お彼岸の季節を象徴するものが多い。あの世からこの世に降りてくるご先祖様と現世の仲間たちとが、夏から秋への一時を語り合う日を待ちわびていたかのように、草むらの陰や、お墓にお参りする人たちの傍で、線香の煙に包まれて静かに咲いている。

だが、お彼岸の頃に一斉に咲く花の命は短く、彼岸が過ぎると目立たぬようにひっそりと枯れていく。はかなさを秘めた、日本人の心の故郷を感じさせる、秋分の日には欠かすことができない花である。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2018年秋のゴルフ会(10月23... | トップ | きよちゃんのエッセイ (97)”... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

大久保(清)」カテゴリの最新記事