2010年の2月インドのムンバイ、デリー訪問時の短歌
① 物乞ひもカースト制度の職業ぞ抱く幼子はレンタルと聞く
② やせ細る幼子を抱く物乞ひは汚るる手を出づムンバイの街に
何度訪問しても物乞いには慣れません。特に赤子を抱く女性は直視に耐えません。駐在員ともなると毎朝の通勤時に、(当然運転手つきの車通勤ですが)路上に待ち受ける十歳くらいの姉妹にチップを渡すのを楽しみだと言っていました。私も車に同乗してその子らに会いましたが、目元のパッチリしたかわいらしい子たちでした。そういえばこの十年で路上に生活する子供達の服装が良くなっていることに気が付きました。やはりこんなところにも経済の発展が表れているのでしょう。
③ 牛車やら馬車やらラクダに人力車(リキシャ)まで蠢き通るデリーの車道
④ ムンバイの大気は重く澱みゐて聳ゆるビルもシルエットのみ
すさまじい渋滞といってもムンバイの路上に犇めいているのは自動車の類とオートバイの類です。しかるにデリーは、とくにオールドデリーですが、ありとあらゆる乗り物が蠢いています。そこで自動車を降りて、人力車で行くこととなりました。日本から伝わったのでしょうか、人力車をリキシャといいます。インド人の友に言われるままにリキシャに乗りましたが、不思議にも、結構すいすいと車の波を躱して、意外に早く目的地に着くことができました。
空気の汚れは半端ではありません。中国の上海の汚れは油臭い感じですが、ムンバイは埃です。何か、焼けた埃が充満しているような感じです、ムンバイの人達がモンスーンの到来を心待ちにするのもむべなるかなです。
⑤ 山の上に鳥ら群るるはムンバイの拝火教徒の鳥葬なるべし
⑥ シャンプーの語源はインドと聞かされて匂ひの強きを敢へて使ひぬ
⑦ 舌も鼻もインド料理に慣らされぬ十度を超ゆる出張重ねて
中東に行けば、多くのインド、パキスタン人が出稼ぎに来ているが、インドの西海岸にはパールシーとよばれるペルシア人が10万人ほどゐて上級社会を形成しています。彼らはゾロアスター教(拝火教)の信者で清浄を尊び、自然を汚す火葬、土葬、水葬を禁じ鳥葬を行っています。アラビア海はその昔ダウ船が行き交い、活発な交易がなされた証左をこんなところにも見ることができます。
以上
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