セミナー
柱の陰に隠れて見えないので、司会席を少しずらしてください、と通訳がブースに入るなりイヤホーンで伝えてきた。こちらの顔が見えるとやりやすいらしい。久しぶりの同時通訳で緊張するのだろうか、いつもより少し高めになった彼女の声を聞きながら、こちらにも緊張感が乗り移ってきた。
一ヶ月前、ホテルのセミナー会場を下見した。こちらの手探りの慣れない対応に心配になったのだろう、ショートヘア―の美人マネージャーがアドバイスをしてくれた。
―予定参加者が150名ならば、招待状は250部、ランチビュッフェの後にどれほどの参加者が席に戻ってくるか、そこでセミナーの成果が分かるわよ。このホテルの今まで経験ではね、100人も戻ってくれば大成功よー
と、こちらの顔を値踏みするような、少しからかうような目をして教えてくれた。小雨模様の中、大男達が革ジャンの襟を立てぼそぼそと話をしながら会場に入ってくる。階段を上がり受付カウンターの前で登録カードに記入していく。郷に入れば郷に従えの通り、250部の招待状を発送していたが、記入者は合計145人、まずは、1次試験すれすれ合格。
セミナーは定刻に始まったのだが、髭面のバルト海の男たちの勢いにのみこまれたのか、2番手の発表者が途中の説明をうっかりとばした。3番手も、予想外に参加者からの質問も少なく、早めに報告を終了させてしまった。この調子で進むと、昼食の予定が1時間以上も早まってしまいそうな気配だ。
司会席を抜け出して、急遽、ホテルの厨房に内線電話を入れた。―昼飯ビュッフェを30分ほど早められないだろうかー
―えー早める? やっと肉料理が始まったところだよ、無理だねー
と、けんもほろろに断られる。穴埋めとして、午後の部の目玉商品として温存しておいたコンピューター・グラフィックのプレゼンテーションを当て込むことにした。―午後のセミナーに何人戻るか・・・とのマネージャーの言葉が頭をかすめるが、昼食の用意ができていない食堂に参加者を移動させれば、セミナーの成果云々どころではない。
ホールの照明を落とすと、クライペダ港の将来の姿を描いたマスタープランが前方のスクリーンに映し出される。今まで聞こえていた私語もぴたりと止まり、髭面の男たちは机に頬杖をつきながら、興味津々の顏で至極満足げに映像に見入っている。
二十分ほどの映写会も終わりに近づき、厨房に電話を入れ確かめる。―なんとか、揃えているのでゆっくりと、ゆっくりと、食堂に上がってきて下さーい
と不安の中にも安心感を与えるコック長の野太い声が皿のぶつかる音に混じって聞こえてきた。午前の部を綱渡りで終了したが、2次試験をうまくパスできるだろうか・・・バイキング料理をほお張りながら楽しげに談笑しあう男たちの顔色を窺いながら、食い逃げしないで戻ってきてくださいなー、と念じつつ、食堂の片隅で冷めたコーヒーを啜っている。初めての国のセミナーは、いつも料理の味がわからない。
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