栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

きよちゃんのエッセイ (23) ”おやじの気持ち” 

2015年02月13日 | 大久保(清)

おやじの気持ち 

 生まれつき出不精な男である。札幌の大学に入学し、毎日、時間割どおりに講義を受け、下宿に帰る。夏休みになれば、すぐに帰省する。

北海道という土地を知ったのは、家族と一緒に北海道旅行をした卒業から30年目のことである。平らな土地がどこまでも広がり、人はそこに逞しく寄りそって生きている。札幌という町は北海道の大地に人工的に形成された箱庭にすぎず、その隔離された世界で、四年間、おままごとしていたのだと実感した。大学の緑のキャンパスに魅せられて入学したが、凍った北の大地に根を張るほどの気力も体力もなく、心は絶えず東京にあった。

 就職も安易な決断で、自宅からバスで通える気楽な職場を選んだが、父の思いに気がついた夜があった。何で熊のいる北海道にわざわざ旅出させたのか・・、と深夜に帰宅し、一人、食堂のテーブルで酒を呑みたしながら独り言のように呟いていた。愚痴であったが、本音だろう。この言葉に発奮し、世界を股にかけた、未開のジャングルを仕事場にするコンサルタント業に足を突っ込んでいく。生来の横着ものの大変身である。

転職の決意は父の言葉がきっかけとなったが、お役所仕事には馴染めないと感じ始めていた頃で、自然の成り行きかもしれない。北海道の大味な、荒っぽい土木の種は、東京では実を結ばなかったかもしれないと、今になってはむしろ良い決断であったと思っている。

 好きな英語を使うチャンスも増え。仕事の取り組み方も外国流になっていく。この語学への興味の苗を植え、中学・高校時代にそっと背中を押すように育ててくれたのは、今、気がつくと父であった。学校では使わない難しい参考書を買ってきたこともある。外資系の会社に勤務した関係で、ビジネスレターを目にする機会も多かったが、ある日、―この文章を訳してみてごらん、どうも意味が通じないのだー、と一枚の英文を手渡した。自分流に解釈し、翌朝見せたが、納得がいかない顔で受け取り、会社に出勤して行ったが、帰宅すると嬉しそうに、少し悔しそうに喋っていた顔を思いだす。

―おまえの方が上だな、おまえの解釈が正しかったよー、

  無意識に刷り込まれた父の影がもう一つある。外国で従事した土木工事の対象物が、港湾であったことだ。父は、商船学校から海軍、船会社と、港を渡り歩いた人生を送ってきたが、こちらも気がついてみると、港ばかり造っていた。不思議なことに、最初の仕事は、父が終戦を迎えた小笠原父島の岸壁改修である。海面に見え隠れする赤錆びた穴だらけの沈船に目をやりながら、しばし、戦時下の兵隊の姿を偲んだこともある。 大学を選ぶ際に、北海道に島送りされた筋書きも、今じっくり考えてみると、父の描いた青写真であったのだろうかと、その夢の中でこちらも楽しく遊ばせてもらったような気がしないでもない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2015年春のゴルフ会案内(第... | トップ | 久里浜花の国、走水の桜 見... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

大久保(清)」カテゴリの最新記事