栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

近況報告(Chigusa_Tadaaki)

2011年10月22日 | 田中(石)・田村・千種

 私の近況を語るには9年前の8月13日に戻る必要があります。同日の夜8時、友人と食事を終えてレストランを出たところで、後頭部にガンと打たれるような激しい痛みを感じ、そのまま病院に救急車で運ばれました。これが、9日間の危篤状態のはじまりです。病名はワレンベルグ症候群、ひらたく言うと中枢神経を司る延髄の脳梗塞です。その後は食べることも出来ず、水を飲むこともまったく出来ない嚥下不全となりました。その前3月に会社を辞め開放感に浸りきり、真夏の20日間ぶっ続けに遊んだ報いです。ひと月がたち、点滴での生命維持も限界になり医者から胃に穴を開けて直接栄養剤を入れる事を言い渡されました。しかし、食への希望が絶ちきれない私は断固拒否。その後は私を励ますためか目の前で家族が楽しく夕飯を食べるのを横目でにらみながら、私も「いただきます」と言って、自分の手で口から胃へ管を通し大きな注射器で栄養剤を注入する毎日でした。そのような折、リハビリのつもりでうどんなど麺類を一本ずつ盗んでは食べる真似をして努力、ついに10月16日ラーメン一杯を食べてしまいました。結果、すべて解消!

脳梗塞はその後の私の生活を一変させ今日に至っております。2ヶ月間の飢餓状態の反動から、まず喰い意地道をまい進しました。例えば、一昨シーズン(冬の事)は熊、アナグマ、イノシシ、鹿から野兎、キジバトまでケダモノ類を十数種類食べました。天然キノコも同じくらい食べましたが、今年は手に入りません。どうもセシウムが蓄積するので売るのを控えているらしく、大変残念です。

病後からだの様子を見ながら、友人が関係するケーブルテレビの経営をぼちぼち手伝うことにしました。ところが2004年の春に会社の若い人が来て、どうせここまで見てくれたのだから、週一日でよいから社長をやってくれと言われました。見た目は楽な仕事でしたので、引き受けたのがとんでもない落とし穴でした。会社がアブク銭で食っていることは知っていましたが、社長になってみると、社員が「金を使うな」、「働くな」と教育されていることが分かりました。その後は体力と競争しながら社員教育に忙しく働きました。
最も印象に残ったのは、今年7月24日の「地デジ化」に向けて全25万世帯のお客様の内、9万世帯と新たに契約を結び直さなければならない事態になったことです。そこで一昨年の秋に自ら営業本部長になり生まれて初めてと言ってよいくらい一生懸命働きました。7月24日のDデーには1万世帯にのぼる地デジ難民の発生が予想されましたが、幸い大きな混乱もなく無事に地デジ化を乗り越える事が出来てホットしているところです。同時に社員が達成感からか、明るく良く働くようになったのは大きな成果です。

9月にNHKが原発に関する素晴らしいシリーズ番組を放送しました。ちょうど良い機会でしたので“原発性鬱症状”と題して評論を書き、今井君にお送りしたところ、彼のお目に留まり今回のご指名になったようです。しかし、原発の話は重いので別途ブログを立ち上げましたので、ご興味がおありの方はhttp://tchigusa.blogspot.com/をご覧ください。

次回の近況報告は原発に悩む日本を離れて、アメリカから明るい近況を増山君にお願いしたいと思います。よろしく!

                       
    
(エデンと軽井沢 2011冬)

コメント
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