「あめつち」を見送ってからずっと向こうの車庫に鬼太郎号がいることに気づきました。
望遠ズームを付けて撮りましたが、アリバイ的な写真しか撮れませんでした。トリミングして何とかわかるように処理しました。
その日は米子のホテルで一泊しました。インターネットで調べた朝夕食サービス付きの激安のホテルに泊まりました。
あまりの激安に一抹の不安はありましたが、部屋に入ってびっくりです。廊下から鍵を開けて入ると、その中には、鍵のかかる部屋が二つあって、別々の人間が泊まれる仕組みです。
バス・トイレは共有スペースにあります。幸い日曜日でもあったためか、この部屋に泊まる人間は私一人でした。
もう一つ付け加えれば、私の部屋には窓がありませんでした。
これが、激安の秘密でした。まあ、男一人旅。カプセルホテルと思えばベッドが広いだけ良いのですが。
お風呂は、14階に大浴場があります。早い時間からチェックインしていたので、更衣室の窓から大山が一望できることに気づきました。
風呂から上がり、部屋まで戻って望遠ズームを付けて撮影しました。
しばらく待っていたのですが、やっぱり頂上付近の雲は動きませんでした。
次の日は窓のない部屋にいつまでも居たくなかったので、朝食を済ませてすぐに駅に向かいました。
コンビニコーヒーを片手にホームのベンチに腰掛けていると、特急「スーパーおき」の石見キャラクタートレインが入ってきました。
島根県の各市の観光の目玉がプリントされている何とも派手な車両でした。米子駅で待っていると何でも揃います。
向かいのホームを見ていると、いつもの赤いキハ47の間に黄色い車両が連結されています。よく見ると「ねずみ男号」です。境線だけでなく山陰線でこういう連結もあるのかと慌てて階段を駆け上がりました。正面からは撮れませんでしたが、ちょっとレアな画像が撮れました。これで、現在運行している6種類のゲゲゲ車両は全部撮れたことになるのだと思います。(だから何なの?)
いよいよ今回の目的地である餘部(あまるべ)に向かいます。特急「まつかぜ」です。「スーパーおき」と同じ車両です。
餘部にはかつて高さ40mの鉄橋が掛かっていました。今は、コンクリートの橋になり鉄橋は一部保存されています。
テレビの鉄道番組で何度も紹介されるので一度行ってみようと思っていました。
米子から「スーパーまつかぜ」に乗り、鳥取に向かいます。前回紹介した「スーパーおき」とそっくりと思われたかもしれませんが、キハ187系の振り子式特急で全く同じです。
鳥取からは、城崎温泉行きの各駅停車に乗り換えて山陰線を東へ向かいます。車両はやっぱりキハ47です。山陰線はこの車両が圧倒的に多い。車中は何ともレトロな昭和です。
車窓風景も海が見えたと思ったらすぐに山の中へと起伏に富んだ道のりです。
職場が変わって、なかなか溶け込めないストレスを抱えながら、鉄道旅です。
餘部の鉄橋は架け替えられましたが、当時の線路は一部残してあり、枕木やバラスの上を堂々と歩くことができます。
餘部橋梁の鉄骨は実に堂々としていて当時の雰囲気を残していました。昭和61年にこの鉄橋から列車が転落して、鉄橋直下の水産加工場で働いていた地元の方が6人亡くなられるという不幸な事故をきっかけに20年後にやっとコンクリート橋の工事が始まったそうです。
海岸に面している鉄橋だから潮風の影響を強く受ける厳しい条件でありながら、黙々と錆と腐食に闘い、保全した苦労を考えると大変だったと思います。
安全性と定時性を考えれば、コンクリート橋は当然のことですが、一抹の寂しさも感じられます。
橋の袂には道の駅餘部があります。テレビ番組で紹介された餘部定食を注文しました。
丼の中身はカニのちらし寿司でした。もちろん、生ビールも注文しました。袋の中身は餘部鉄橋の端材で作られた文鎮です。
昼食を終えて、餘部の町を歩いてみました。海岸通りの町らしい家並みが繋がっています。
鉄橋だけの時代だったらどういう風景が広がっていたんだろう?と空想を膨らませながら歩いてみましたが、それほど広い集落でもないようで、再び駅に戻りました。
駅の上には橋全体が見通せる高台があり、祖父と孫という集団が過ごされていましたが、ちょっとお邪魔させてもらうことにしました。
昼食に飲んだ生ビールが効いていて、息が上がりながらの歩行になりました。