平成筑豊鉄道は元は炭鉱専用の3路線でしたが、国鉄に合併された後に、旅客船用にし、経営もいろいろと努力をしているようです。
テレビで紹介されたのを見てどうしても行きたくなりました。
車両もカラフルにして座席も改良をしているようです。貸切列車やレストラン専用の列車も用意しているようです。
つり革にも名前が入っていたりと予算獲得のためのあらゆる努力を惜しまないという作戦のようです。
それでも、地元の人たちの交通手段が守られているのだから大いに評価されるべきです。
車両基地のある金田駅にはいろんな車両があると聞いたので向かいました。
3枚目がキハ400型408号ちくまる号<ブルー>です。4枚目が400型411号ちくまるLINEスタンプ号です。
金田駅に降り立ち、カラフルなディーゼルカーを望遠で撮影していると。はるか向こうからピンクの車両が近づいて来ます。
先頭に陣取った少年の透き通った眼差しが遠くからでもわかります。
到着しても私の望遠レンズをじっと見つめてくれていました。
担任している子どもと同じで、、鉄道でつながっているようなそんな感じでした。ちなみにこの車両は407号マクセル号
ホームの枕木もメッセージが書いてあり、みんなで支えているヘイチク(平成筑豊鉄道)という雰囲気がガンガン伝わります。
マクセル?なんしようと?どういうメッセージなんでしょうか?
maxellと言えばカセットテープというイメージが強いのですが。
金田駅の画像です。赤い車両はその名も「ひとつ星」です。ななつ星までは行かなくても、車内で食事が出る平成筑豊鉄道では最大のおもてなし列車です。
この車両は500型501号「へいちく浪漫号」です。この日は食事を提供する車両として発車前にお弁当をテーブルに配っていました。一度乗ってみたいような気もします。
3枚目は412号<旧型車両塗装>です。
カラフル車両が勢揃いするとなかなかの見応えです。右後ろに写っている白っぽい車両が410号「つながる号」だと思います。望遠で撮ってこれが限界でした。
平成筑豊鉄道あかぢ駅と南直方御殿口駅の間に嘉麻川橋梁があります。2連のトラスト構造を持ち、橋梁・橋台は煉瓦造で上り側は明治のものでイギリス製だそうです。
橋梁は、駅と駅の真ん中にあり、川を越える道はどこにもなく、暑い中を延々歩かないと辿り着きません。
やっとの思いで撮影した1枚です。
その後、次の駅まで歩くしかなくでも歩いていくうちに古い町並みに出会い、結局二駅向こうの直方駅まで歩くことになります。
直方の町までたどり着いて散策します。
半分は、昼食の場所を探しながらの歩きなのですが、手頃な店はどこにも見当たりません。
造り酒屋だろう建物だったり、ホーローの看板、煉瓦作りの壁
、旅館風の窓など昔炭坑で栄えた町らしい風景がいろんな所に溢れます。
昼食は駅前まで無理だと諦め、写真を撮ることに集中しました。
直方の町で古い建物を利用している美術館に入りました。
観覧料無料と言われたので「あれ?」と思いましたが、私の感性のせいか目に止まるものがありませんでした。
出口で「来週から特別展がありますからぜひお越しください」と言われ、山口から来ているので難しいことを伝えると、ぜひ石炭記念館に立ち寄ることを勧められました。館長がとても話好きで詳しく説明してくれるとのことでした。
昼もちょっと過ぎ、空腹も気になっていましたが、立ち寄ることにしました。
いきなりコッペル型機関車やC11が屋外にピカピカの状態で展示してあるのに驚きました。
石炭記念館本館はなかなか古い建物でした。
先に受付を済ませてから入るように指示されていたので受付に向かいました。すぐにどこから来たのか聞かれ、初めてだと伝えると「それでは簡単に説明しましょう」と案内をしてもらいました。
話好きとは聞いていましたが、見事な説明でした。筑豊の地名の由来(筑紫国と豊前の国にまたがっているから)から始まって、直方駅がどうしてこんなに広く、線路がたくさんあるのは炭坑鉄道だったからだとなるほどなるほどの話が満載でした。
建物自体は、筑豊石炭鉱業組合直方会議所として明治43年に建てられたものだそうです。
筑豊石炭鉱業組合は石炭産業の炭鉱主の団体で財閥ではない企業家の集まりだったようです。その会議所のような役割を担っていたようです。
木造2階建、瓦葺き、入口にアーチを配した洋風建築です。室内に入ると天井のシャンデリアや階段の手すり、マントルピースなどにお金がかかっているなと思わされます。
2階にある炭鉱労働者の姿とはかけ離れているような世界にちょっと違和感があります。